望んだ死闘
1885年
倭国 江戸
速河家 邸宅
『こぉんのバカモンがぁ!!』
ごちーん、と頭に振り下ろされた拳骨に、脳天から爪先まで痺れるような衝撃が走った。
『いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
幼少の頃から何度も喰らってきたクソ親父の拳骨。年老いて威力は落ちたが、にしても相変わらず痛い。普段は大人しく、いい子にしている信也はそれほど喰らう事はなく、対照的に悪さばかりしていた俺は何度も喰らっていた。そろそろ四ケタ行くのではないだろうか。
これそのうち頭蓋骨陥没するんじゃね、と思いながら残った左手で頭を押さえ、涙目になりながら叫ぶ。
『何すんだこのクソ親父!』
『何すんだじゃねえ、力也お前コレで刀折るの何本目だ!?』
怒鳴り返しながら指を差す父上。その浅黒い指が示す先にはポッキリと折れた刀の刀身があり、その表面は小さな破片がいくつも剥離したかのようにボロボロになっていて、まるで小さな虫に食われたボロ屋の壁のよう。
ええと何本目だっけ、と覚えている範囲で数え、真顔で返答する。
『……60本?』
『旦那様、これで累計130本目でございます』
『ちょ、菜緒葉お前―――』
ごちーん、と本日二度目の拳骨。頭の上に乗っていたたん瘤がもう1つ増え、さながら鏡餅みたいになった。
『~っ!!』
『少しは加減しろ! お前、この刀一本造るのにどれだけの費用と職人の苦労が懸かってると思って……!』
『何言ってやがる、俺が悪いんじゃねえ! 俺の全力に応えられないボロ刀が悪―――』
『じゃかあしい!!』
『~っ!!!』
本日三度目の拳骨。そのうち五重塔ならぬ五重のたん瘤になりそう。歴史的建造物として保護は……されませんかそうですか。
『刀のせいにするんじゃない! 加減もまた技量のうちじゃ!』
『寝ぼけた事言ってんじゃねえぞクソ親父。そんな繊細な得物じゃあ本気が出せねえ!』
『なんだと?』
『俺が学んだのは薩摩式剣術、一撃の重みを全てとする一撃必殺の極致だ! 加減もクソもあるものかよ』
腕一本になっても、その覚悟は変わらない。
どんな相手だろうと、常に最高の一撃で迎え撃つ―――それが相手にとっての礼儀。
戦国大名みたいな眼光で睨んでくるクソ親父(※身長180㎝で筋骨隆々の熊みたいな男だ)。ガキの頃はこの眼光がとにかく恐ろしかったが、しかしいつまでも逃げてはいられない。ここばかりは俺も譲れないところなのだ。だから一歩も退くつもりはない。何度拳骨を喰らおうとも曲げてやるものか。
負けじと睨み返していると、父上の目が微かに笑ったような気がした。
あの悪ガキがここまで言うようになったか、と成長を喜んでいるような、そんな感じにも思えた。
『―――そうか、よかろう』
『……え』
『我が速河家は平安時代から続く刀鍛冶の家系……時代は変わり鉄砲に軍艦となったが、鍛冶職人の誇りは今でも燃え盛っておる』
腕を組み、父上は言った。
『いいだろう。力也、お前の力にもついて来れる”決して壊れぬ一振り”、速河家の総力を以て拵えてやろう』
『ほ、本当か!?』
『応とも、男に二言はない』
待っておれ、と言いながら先ほどまでの鬼のような表情だった父上は打って変わって、豪快に笑った。
そうして生まれたのが、今俺が握るこの大太刀―――斬竜刀【朱桜】。
決して折れぬ刀と父上が豪語した通り、この一振りは父上自らが鍛え、俺に手渡したその日から一度たりとも刃毀れや劣化を起こす事なく、本気の斬撃にも手荒い使い方にも平然と耐え続けている。
使用した素材は従来の玉鋼ではなく、かつて獣人を生み出した旧人類、その研究施設だったと思われる国内のダンジョンから発掘された最新の素材。父上たちは”チタン”と呼んでいたそれに、軽さと堅牢さを兼ね備え、『この世で最も壊れにくい物質』とまで言われる希少な”賢者の石”を組み合わせた特殊耐熱合金製。
名称の『朱桜』は、何度も本気で振るっているうちに断熱圧縮に何度も晒され、朱色に変色し熱を放つ刀身の色に由来する―――何とも父上らしい、粋な名前だと常々思う。
こんな放蕩息子の要望に、ぽんと応えてくれた父上やそれを支えてくれた母上たちの恩に報いるためにも―――此度の婚約、確実に成さねばならんのだ。
「負けられねえんだよ俺は!!!」
思いを言葉―――というより咆哮としながら、ジョシュアに正面から斬りかかった。コンクリート製の床が抉れるほどの力で床を蹴り、破片を舞い上げながら跳躍。空中で縦に一回転し、その勢いと自分の体重、そして瞬間的にマッハ3以上にまで加速させられるだけの腕力と、それに耐えうる握力を総動員した本気の一撃を見舞う。
さすがにこれは拙いと判断したのか、ジョシュアが飛び退いた。既に断熱圧縮に何度も晒され、名前通りの朱色に染まった刀身がコンクリート製の床を直撃。まるで巨大な鬼が本気の一撃を見舞ったかのように、足元の床が派手に爆ぜ割れる。
熱気と土埃、舞い散るコンクリートの破片。
「お前にッ! エミリアを譲ってなるものかぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
舞い上がった土埃と破片の雨の中、ジョシュアも意地を見せた。
斬られてもいい、突き抜かれてもいい、何ででも攻撃して来い。ただしその瞬間にお前の首を貰う―――さながら戦国時代、貪欲に首を求めた武者を思わせる気迫を纏い、ジョシュアも正面から突っ込んでくる。
思わず笑みを浮かべてしまった。
ジョシュアの奴は、典型的な貴族のバカ息子とばかり思っていた。
権力をひけらかし、相手を見下し悦に浸るような、そんな小物であると―――こいつと戦うのは退屈だと、そうとばかり思っていた。
だが―――違う。
確かに表面上はそうかもしれないが、コイツの心の奥底にはこんなにも―――こんなにも執念深い一面があったとは。
両手で剣を握り、正面から突進してくるジョシュア。突撃の勢いを乗せた横薙ぎの一撃を、俺は敢えて真正面から刀で受けた。
トラックととトラックが正面衝突したかのような轟音。熱気と火花が舞い散り、譲れぬものを抱えた剣士同士が至近距離で睨み合う。
くるりと刀を翻し、右へと薙ぐ。一体どこにそんな力を残していたのか、ジョシュアはその一撃にこれ以上ないほど素早く反応してみせた。下から剣で掬い上げるような軌道で俺の刀を上に逸らそうとしたのだ。
―――だが。
「ッ!」
「!!」
受け流さんと刀にぶち当たってきた剣の横腹を滑らせ、そのままジョシュアの首を狙う。ギャギャギャッ、と火花を散らしながら首に迫って来る朱色の刀身を見てジョシュアが目を見開くが、しかし次に驚かされるのは俺の方だった。
ガギュ、と刀がジョシュアの首―――ではなく、口で止まる。
コイツ……俺の一撃を口で咥えて止めやがった……!
オイオイなんだコイツは、と驚愕する俺の腹に、随分と強烈なボディブローがめり込む。
「ひゅ―――」
「力也ッ!!」
肋骨が軋む。
折れたそのうちの1本が内臓にぶっ刺さり、喉の奥から鉄臭くて熱い何かが込み上げてくる。食い縛った歯の隙間から紅い血が溢れ出し、床に斑模様を描き出した。
なるほど、確かに奴の執念も分からんでもない。
婚約が決まっていた1人の女―――それが、どこの馬の骨かもわからん男に、それも極東の後進国からやってきた男に奪われたとなれば悔しいだろう。その無念さ、察するに余りある。
―――だが。
こっちだって、国の運命を背負っているのだ。
そして何より、お互いに努力を重ねてきて今がある―――互いに剣を交えて理解し合い、信頼を築き合った仲だ。俺だってエミリアは譲れない。
ぱっ、と刀から手を離した。
歯が砕けるほど食い縛り、そのまま重心を落として、がら空きになっているジョシュアの腹に本気のボディブロー。肩を捻り、腰を入れ、当たる瞬間に力を込めた正真正銘本気の一撃が、優位に立ったと思い勢いづいていたジョシュアの身体を真っ向から射抜く。
肋骨が砕けるような感触が拳の先に感じられ、その激痛にジョシュアは咥えていた刀を取り落としてしまう。
すかさずそれをキャッチ。しかし肋骨が折れて内臓に刺さっているからなのだろう、一挙一動の度に左の脇腹から気を失いそうなほどの激痛が込み上げてきて、少し気を抜いただけで意識を手放しそうになる。
だが、そんな地獄のような苦しみを味わう一方で、この一戦をこれ以上ないほど楽しんでいる自分がいるのもまた事実だった。
―――これだよ!
これこそ俺が追い求めていたものだ。
強敵を前に、全力を尽くし、互いに切り結ぶ。そんな血飛沫舞う死闘こそが俺の望んでいたもので、俺が魅入られた戦いそのものだ。
目指したものに、よもや異国の地で手が届くとは。
まったく、人生というのはつくづく何があるか分からんものだ。
「強いなぁお前!!!」
左から右へ、右から左へ。二度の連撃に続き引き戻した刀に全ての体重を乗せて刺突を放ちながら、本音を口にした。口にせずにはいられなかった。
対するジョシュアも斬撃を受け止め、受け流し、刺突を紙一重で回避して見せる。朱色に焼けた刀身に触れた服が、微かに焦げ付いた。
左へジャンプしながら切り払い、着地と同時に反時計回りに回転しながら刀を左へ薙ぎ払う。斬撃に伴う衝撃波でジョシュアもダメージを受けている筈だが、それを微塵も感じさせない辺りコイツの執念も本物だ。この男はそう簡単には倒れない。
このままずっと戦っていたい気分だが―――名残惜しいが、そろそろ終わらせよう。
ジョシュアの振るってきた剣を受け流しながら腹を括ったその時だった。
地底から地鳴りにも似た振動がびりびりと伝わってきた。やがてそれはだんだん大きくなってきたかと思うと、音が変質し始める。地鳴りのような振動から、まるで何か巨大な物体が超高速で飛んでいるような空気を裂く音に、だ。
ぎょっとしながら視線をエリスがさっきまで戦っていた方向へと向けた。あのパンツスーツ姿のエミリアにそっくりな女と戦っていたエリスだが、向こうはもう決着がついていたようで、コンテナの近くには地底へと続く大穴(どんな魔術を使ったんだ)がある。
轟音はその大穴の中から響いているようだった。
やがてその中から、異形の化け物が飛び出してくる。
「!?」
「な、なんだコイツは……!?」
それはさながら、機械の戦士だった。
鋼鉄製の装甲に守られた手足と丸みを帯びた胴体。肩には大きく丸みを帯びた装甲があり、肩の関節や可動部を防護しているようだった。しかも腕の動きに合わせて装甲も動くようになっているようで、可動範囲に制限を課すような事もない。
機体にはチューブのようなものが何本か搭載されていて、口元はガスマスクのようになっていた。
3つずつ設けられた目が、紅く輝く。
『―――まさか、ここまで手こずるとは思いませんでした』
あの女の声だ。
あの機体に、エミリアを攫った張本人と思われるあの女が乗っているのか?
『ですが、もうお別れです』
そう言うなり、変化が生じた。
何も持っていなかったはずの両腕に、6つの銃身を束ねた巨大な銃器―――ガトリング砲が突如として”召喚”されたのである。しかも手回し式のガトリング砲のようなクランクはなく、完全に自動化されたより先進的なものだ。
ダンジョンで発掘された旧人類の技術なのか、あるいは―――。
キュイィィ、とガトリング砲の銃身が回転を始める。
その銃身の先に居るのは俺やジョシュア、エリスではなく―――エミリアと菜緒葉だ。
「いかん!」
「!!」
丸腰のエミリアと軽装の菜緒葉では、あんなのを喰らったらひとたまりもない。
慌てて駆け出そうとするが、しかしここに来てジョシュアとの戦いで肉体を酷使していた事が仇になった。踏み出そうとした足から急に力が抜け、折れた肋骨に刺し貫かれた内臓がこれ以上ないほどの悲鳴を上げる。
たまらず口から血を吐きその場に倒れそうになるが、それでも俺は前に進んだ。
このままではエミリアが、エミリアが……!
せめて身を挺してでも、と覚悟は決めたが、しかし身体がついて来ない。
最期くらい動け、と無念を滲ませながら身体を叱責している間にも―――回転したガトリング砲が、ついに火を噴いた。




