絶対零度と獣の剣士
生まれつき優秀な素質を持つ者もいれば、何も持たず生まれてくる者もいる。
我がペンドルトン家に於いて、まさに前者が私で後者がエミリアだった。
幼少の頃に受けたテストで氷属性の適正A+を叩き出した時、父上と母上は大喜びしていた。父上なんか「この子はきっと神に祝福されて生まれてきたのだ。そうに違いない」なんて言い出して、恥ずかしいったらこの上なかった。
そして、一時期はエミリアとの距離感にも悩まされた。
生まれつき持っていたA+という高い適正に保証された、極めて安定した魔術の発動。エミリア同様の物覚えの良さも手伝って、私は帝国魔術幼年学校を首席で卒業、そのまま帝国魔術学校へと進んで頭角を現していった。
一方のエミリアはというと、自分にはCランク程度の雷属性の適正しか持ち合わせない事もあって、他の分野(主に剣術)で血の滲むような努力をしていた。一応姉妹の仲は良く、何かの記念日には一緒に買い物に行ったり映画を見たりしたけれど、10代になりたての頃はやっぱり素質を持つ者と持たざる者としての格差に、どう接していいのか分からなくなることもあって、姉妹の間には微妙な距離があった。
けれどもあの子は、私が思っている以上に強い。
ノヴォシア帝国のイライナ地方出身の冒険者に、『ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ』という冒険者がいる。キリウのリガロフ家の庶子で、実家とのしがらみを嫌い冒険者となったとされている彼女は、エミリアと同じくCランクという平凡な素質でありながらも血の滲むような努力を続け、ついには『雷獣のミカエル』という異名付きとして海を隔てたイーランドにまで名を轟かせるに至った。
奇しくもエミリアと同年齢、だから彼女も「海外にはリガロフのような冒険者もいるのだから負けられない」と、今でも努力を続けている。
私はね、そんな生まれつきの素質だろうと何だろうと、努力を続けてあそこまでの強さを手に入れたエミリアが好きだったし、努力する彼女を応援していた。
だから―――そんな彼女にこのような仕打ちをした連中が、兎にも角にも許せない。
魔力を放出しながら腕を薙いだ。目の前に蒼い光が生じたかと思いきや、その光は周囲から瞬く間に気温を奪って氷を形成、そのまま無数の氷の棘となって、どういうわけかエミリアに瓜二つの女(単なるそっくりさん?)に向かって牙を剥いた。
氷属性魔術『氷牙』。
魔術自体は初歩的なものだけど、単純であるが故に応用も利きやすく派生も多い事から、愛用者が多い魔術の一つ。本来は氷の棘を1本相手に飛ばすだけだけど、適正と魔力量次第ではこのように大量の棘を生成する事も可能だった。
エミリアはナオハちゃんが確保してくれている。彼女がエミリアの援護についてくれているから、周囲を巻き込む心配はない。
力也くんは力也くんで……まあ、戦いを楽しんでるみたい。ええ、ぶっちゃけ言うとエミリアちゃんと剣術の鍛錬をしたり、とにかく戦っている時が人生で一番楽しそうな人だもの、私の未来のダーリンは。
じゃあ―――周りを巻き込む心配はしなくていいわよね?
にっこりとスマイルを浮かべると、相手の女は何かを感じ取ったようで、即座に回避行動をとった。半ば反射的に近くのコンテナに滑り込みつつ、私の見間違いでなければ肌の上にドラゴンの外殻のようなものを生成して防御態勢に入っている。
まあ、そんな能力があるのね。世界は広いし、色んな”能力”を持っている人がいるのは分かるけれど。
―――その程度の守りで、本当の本当に大丈夫かしら?
容赦なく魔術を発動した。
私の魔力を吸い、空気中の水分を収縮、凍結させて生成した氷の棘たちが、指を鳴らした瞬間に無数の矢の如く相手に向かって降り注いだ。命中したコンテナが次々に穴だらけになっていき、中には金属製のコンテナを中身ごと貫通してしまったものもある。
無数の氷の弾雨。鋼鉄すら易々と撃ち抜く威力のこれから逃れられる人なんてそう相違ないでしょうし、身を守っていたとしても動きを封じることができればそれで良し……というか、あの女の人明らかに強いでしょうから、この程度で仕留められるなんて思ってはいないわ。
これは全て、”次の一手”のための布石。
そっと左手を頭上に掲げ、この地下倉庫の中にある空気中の水分を収縮、あっという間に凍結させていく。
次の瞬間、無数の氷牙の弾幕をかいくぐってさっきのパンツスーツ姿の女が飛び出してきた。既に清楚なパンツスーツは傷だらけで、けれども致命傷を受けた様子はない。顔には何の表情もなく、さながら機械人形のような無機質さがある。
めき、と彼女の右腕がドラゴンの外殻に覆われた。まるで人間の腕をドラゴンの外殻と鱗で包み込んだような異形……魔術ではない。新手の黒魔術か、それとも何かしらの能力なのか。いずれにせよ、あの外殻が今の魔術から彼女を守る盾となっている事は明白で、それを攻撃に転用する事も容易いのは明らかだった。
恐ろしいまでの急加速で一気に距離を詰め、私に殴りかかって来る女。
左手で氷の収縮作業を行いつつ、突っ込んできた彼女の右ストレートを空いている右手で受け流した。
「―――!?」
やっと、彼女の表情に微かな驚きが浮かんだ。
まさか今の一撃が―――氷牙にすら耐える硬度の外殻で覆われた一撃が、素手で受け流されるなんて思っていなかったでしょうから。
「あらあら、ご存じないのかしら」
そんなはずはない、と今度は反対の拳を振り上げ、アッパーカットを振るい、蹴りまで交えた連撃を繰り出す彼女。その全てを紙一重で躱し、あるいは右手で受け流し、決して真正面から受けないように衝撃とダメージを逃がし続ける。
彼女はきっと、水でも殴っているような錯覚に苛まれているでしょうね。
けれども無駄よ―――なぜかって?
「私―――格闘戦得意なの」
痺れを切らし右の回し蹴りを放ったところで、私はその軸足―――すなわち、地面についている方の左足をとん、と軽く足払いで薙ぎ払った。
「―――」
がくん、と彼女の身体が大きく揺れる。
どんなに格闘術が得意な人でも、どれだけ筋骨ムキムキのマッチョマンでも、蹴りを放っている最中に残った足を払われてはたまったものではない。それはこの外殻を身に纏う能力を持ったエミリアのそっくりさんも例外ではなかったみたいで、何が来たのか分からないとでも言いたげな唖然とした表情をその顔に貼り付けたまま、ものの見事にバランスを崩していく。
そんな彼女の無防備な顔面に、私は右ストレートを叩きこんだ。
咄嗟に外殻で顔を守ろうとする彼女だけど、残念ながら私の方が速かったようで、外殻が完全に顔を覆うよりも先にその鼻先に右の拳が―――妹を危険にさらされた怒りを込めた本気の、これ以上ないほどガチの右ストレートがめり込んだ。
相手はそのまま床に背中を叩きつけられ、血のように紅い目で私を睨みつけてくる。ダメージはある筈なんだけどあまり効いていないように思えるのは、相手がなかなか表情を表に出さないポーカーフェイスだからかしら?
そしてそのまま、左手を振り下ろす。
それに呼応するかのように、頭上に浮遊していた氷の塊が重力に導かれ、私と彼女の頭上へと落ちてくる。
氷属性魔術『氷塊』。氷属性の魔術は数多く在れど、集中力と放射する莫大な量の魔力が必要な事から上級魔術に分類される、多くの魔術師にとっての氷の奥義。
後ろへと大きくジャンプした直後、落下してきた直径5mほどの氷の塊が相手を押し潰した。落下の寸前、彼女が外殻で身体を覆っていたのが見えたけれど、多分まあ生きてるでしょうね。
さて、次はどの魔術で遊んであげましょうか。
うふふ、と笑みを浮かべながら魔力放射の準備をしていると、変化が生じた。
床に亀裂が生じ―――今しがた落下した氷の塊と共に、床にぽっかりと開いた大穴へ、彼女が真っ逆さまに落ちていく。
氷塊の重さに耐えきれなかったのか、落下の衝撃のせいなのかは定かではないけれど、落ちていく彼女は血まみれの顔で、それはそれはもう悔しそうにこちらに中指を立てているのが見えた。
まだ終わりじゃない―――そう言いたげな彼女。
しかし、この穴は何かしら。地下倉庫のさらに下に、こんな空間があるなんて……。
追撃しようか迷ったけれど、今はあくまでもエミリアの身柄の確保が最優先。それに何が潜んでいるか分からない以上、私1人で深追いするのは危険ね。
ここはとりあえず力也くんに加勢……する必要はなさそうね。
ジョシュア君とそれはそれはもうニッコニコのニコニコで切り結ぶダーリンを見て、私はちょっと苦笑いする。
あの人、人生思い切り楽しんでそう。
力也の雰囲気が、変わった。
一緒に鍛錬している時は確かに「油断すれば殺される」という危機感が常にあった。それが鍛錬の緊張感をより一層高め実戦に近い状況を作り出してくれてはいたのだが、今の彼はどうだろうか。
油断すれば殺される―――それがこれ以上ないほど、生易しく感じられる。
さながら肉食獣と遭遇してしまった草食動物の心境だった。己の死期を悟ってしまうような、そんな正面から押し潰してくるような絶望感すら感じられる。
先に動いたのは力也だった。
にぃ、と狂ったような笑みを浮かべるや、何の小細工も無しに―――狼の獣人として生を受けた肉体の身体能力と、日頃の鍛錬で鍛え上げた瞬発力を頼りに真っ向から突っ込む。立ち止まればそのまま転んでしまいそうなほどの前傾姿勢で、だ。
彼を憎むジョシュアも素早くそれに反応、突っ込んでくる力也を迎撃するべく剣を振るう。
下から上へと斬り上げる軌道―――タイミングが合えば力也の首を斬り落とすような、そんな斬撃だ。確実に相手を殺しに来ているような、そんな殺意の高さが伺える。
が、次の瞬間だった。
力也が、今までにない動きをしたのは。
「!?」
なんと、刀を床に思い切り突き立てたのである。
全力で走っている最中にそんな事をするものだから、刀がガリガリと床に擦れ―――いや、床を盛大に削りながら火花を散らし、突撃する彼を減速させてしまう。
それが功を奏したのか、ジョシュアの剣は力也の顔のすぐ目の前を掠め、空振りに終わった。
あの減速は攻撃を躱すためのものだったのだろうが、しかしそうと分かっていてもあんなギリギリな事はしたくない。もっと余裕をもって回避するべきではないのか。それとも攻撃するために邪魔な回避を限界まで削いだ結果だとでもいうのか?
「いぇぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
楽しそうな咆哮と共に、力也は思い切り刀を振り上げた。
床に深い傷跡を刻んでいたそれが引き抜かれ、派手な火花とコンクリートの破片をぶちまけながら振るわれる。
火花とコンクリートの破片が邪魔で斬撃が見えにくい―――それも狙ったのだろうか。いずれにせよ対処が難しそうな攻撃だな、とは思った。
しかもその斬撃は、あの空気を引き裂く音を発する超高速の一撃だ。
防げるわけもなく、ジョシュアの身体に刀傷が刻まれた。
「ギャアアアアアアア!!!」
しかし、それでは終わらない。
刀を振り上げた勢いを乗せ、そのまま回転しつつ後ろ蹴り。体重100kgの彼の蹴りがジョシュアの鳩尾にめり込み、今しがた斬りつけられたばかりのジョシュアが目を見開きながら息を吐く。
今までの整った剣術はどこへやら。斬撃に蹴りなどの体術も交えたあまりにも荒々しい攻撃が主体となり、回避も必要最低限。暴力という言葉を形にしたような、あまりにも粗暴極まりない攻撃の連続に私は驚愕する。
いつも鍛錬の際に戦っていた力也ではない。
特定の流派の太刀筋を感じない―――おそらくは、今の剣術は我流のものなのだろう。
まるで獣だ。
本能のままに戦い、相手を死に至らしめ、全てを薙ぎ倒す獣のそれだ。
「……!?」
そこで気付いた。
ジョシュアの斬られた傷が、塞がっている。
まるで生傷の上から熱々の金属を押し付けられ、焼いて塞がれたかのような……?
力也の振るう刀や剣は、その材質に関係なく常に熱を帯びる。触れるだけで大火傷してしまうほどだ。
前から思っていたが、あれはいったい……?
「あれが坊ちゃまの剣」
「え?」
傍らにいたナオハが、ぽつりと呟いた。
「幼少の頃から、坊ちゃまは何千、何万回も素振りを繰り返していたと言われています。そしてそれは一撃の威力を重んじる薩摩式剣術と合致していた」
「それとこれに何の関係が?」
「何度も素振りを繰り返すうち―――やがて坊ちゃまの剣の速度は音速を超え、ついには”熱の壁”まで突破してしまったのです」
音の壁に熱の壁―――聞いた事がある。
高速移動でマッハ1を突破する辺りから衝撃波を纏うようになり、マッハ3に達する頃には熱の壁―――すなわち、【断熱圧縮】による高熱に晒される、と。
「まさか」
では、力也の剣があんなにも熱いのは。
力也の振るう剣が新品だろうと容易く劣化、表面が剥離しやがて折れてしまうのは。
「そう、坊ちゃまの本気で振るう斬撃の速度は推定”マッハ3.5”……瞬間的な断熱圧縮の連続発生により、あのような灼熱の刃となるのでございます」
「―――!」
世界は広い。
極東には―――東の最果ての地には、こんな化け物がいたのか。
幼少の頃から研鑽を積み重ね、愚直に剣を振るい続けた結果、ついには音の壁どころか熱の壁まで突破するほどの斬撃を放つ男がいるとは。
しかもそれは、五体満足ではない―――利き腕を失い、矯正した左腕一本であれなのだ。
ではもし力也が五体満足であったなら、と思うと背筋が冷たくなる。
「隻腕というハンディキャップを背負ってアレなのか……!」
「それだけではございません」
「?」
ジョシュアを圧倒する力也を見ながら、ナオハは続ける。
「ご存じですか、”機能代償”という言葉を」
「……あれか、人体の失った部位を他の部位が補おうとするという」
前に読んだ本で見た事がある。
事故や病気などで脳の一部に障害が生じると、残った部位がその失われた部位の役目を果たそうと急激な発達を見せる事がある、と。
「坊ちゃまの場合は左腕と左眼、そして左耳にそれが発生しているのです」
過去の戦いで隻腕、隻眼となった力也。
その残った腕と眼が、失った部位の代わりを果たそうと急激な発達を遂げたのだとしたら、あの速度で剣を振るい、異様なまでの動体視力を誇る理由も頷ける。
それは腕と眼、耳を失ってもなお努力を続け、第一線で戦おうとする1人の剣士の意思に対し―――その肉体が魂の叫びに応えた、人体の奇跡。
力也の強さの理由が、分かった気がした。
だから―――だからこそ。
「負けませんよ、坊ちゃまは」
「……ああ、そうだな」
ナオハの言葉にも、自身を持って頷く事が出来た。
力也は―――負けない。




