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エミリアの行方


 姉さんが私を買い物に誘うのは、特別な日と相場が決まっている。


 私の誕生日だったり、姉さんの誕生日だったり。昔であれば姉さんが魔術学校を首席で卒業(イーランド国立魔術学校の生徒総数は4万人。姉さんはその中の1番に輝いたという事だ)した時や私が剣術の大会で優勝した時、冒険者の資格を取った時など、とにかく何かしらの”記念日”である事が多かった。


 公務以外にもプライベートで外を出回る姉さんと違って、私はあまり外出は好まない。公務や冒険者の仕事で外出する時はあるが、それ以外はだいたい実家で過ごしている。中庭で鍛錬に時間を費やすか、自室で恋愛小説を読むかのどちらかだ。


 こんな警戒心の強い性格だから、とにかく1人で落ち着ける時間が欲しかったというのもあるが、さすがに姉妹両方が家を空けるなんて事は避けたかったという事情もある。その結果が今の私で、だからなのだろう、部外者にはとにかく警戒して接してしまう。


 そういう事もあって、力也には最初は冷たく当たってしまった。本人はあまり気にしていないらしいが……思い返すだけで申し訳なくなってくる。


 そうだ、化粧品を買うついでにアイツにも何か買っていこう。お菓子とか、面白そうな小説や漫画とか、何かある筈だ。


 雑談も特になく、淡々とイーストエンドの街中を進んでいく姉さん。


 今日はなんだか、様子がおかしい気がする。


 いつもであれば店のショーウィンドーの前で立ち止まり、「あ、あの服可愛い!」だとか「良いわねぇここのお菓子。この辺からこの辺まで買っていきましょうか」なんて言い出すものだから、目的地に到着するのは予定より1、2時間ほど遅れるのが当たり前。まあ、急いでいるわけでもないし姉さんと道草を食うのも楽しいから嫌いではないのだが……しかしどういうわけか、今日に限ってそれがない。


 毎週、ショーウィンドーの中に展示する服が変わることで有名な洋服店の前を通っても、白いフリルのついた水色のワンピースには目もくれず、洋菓子店の前を通っても、並ぶ焼き菓子やバターの香りに全くと言っていいほど興味を示す様子がない。


「……姉さん?」


「ん、なあに?」


「今日は珍しく早足なのだな?」


 そう言うと、姉さんはにっこりと笑った。


「だって、今日はエミリアちゃんを連れていきたい場所があるの」


「連れていきたい場所?」


「ええ。とっても素敵なところよ」


 どこか、店でも予約していたのだろうか。


 今思えば、今回の外出は色々とおかしい。


 さっきも述べたが、外出するのは何か特別な事があった日や何かの記念日くらい。私がプライベートで外出するのはそれくらいのものである(ごく稀にマンガや小説を買いに近場の書店を訪れる事はある)。


 では今日は何かの記念日だったかというと、そうでもない。


 何の変哲もない平日の昼下がりである。


 しばらく歩くと、姉さんは人気のない路地へと入っていった。こんなところに何か店でもあったかとは思ったが、しかしやはりだ。今日の姉さんは様子がおかしい。


 じめじめとした空気と生ゴミの悪臭が充満する路地の中、私は歩みを止めていた。


「……」


「エミリア?」


 そっと静かに、護身用に持ってきたダガーに右手を伸ばす。


「姉さん」


「なあに?」


 目の前にいる姉さん―――いや、姉の姿をした”ナニカ”がゆっくりとこちらを振り向いた。


 浮かべる笑顔も、ちょっとした仕草も間違いなく姉さんのものだ。喋り方の癖も、歩き方の癖も、そして服のセンスに至るまで姉さんと全く同じ。よくもまあペンドルトン家の長女をここまで再現(、、)したものだと感心する。


 しかし、だからこそ―――忠実に再現したからこそ、違和感というのは大きくなるものだ。


「貴様……誰だ」


 ダガーを抜き払い、逆手持ちに構えながら問いかけた。


 キョトンとした顔の姉さんだったが―――これ以上隠し通すのは無理だと判断したのか、そっと肩を震わせケタケタと笑い始めた。まるで壊れた機械人形のように、ノイズの混じった笑い声を発する姉の姿をした”何か”。


 問い質す必要もなくなったところで、私は躊躇なくダガーで斬りかかった。姿勢を低くして一気に懐へと踏み込み、飛び上がる勢いを乗せて胸元を斬りつける。


 ダガー越しに返ってきたのは、ヒトの身を切り裂く感覚などではなかった。


「―――!?」


 まるで鎧を剣で殴りつけたかのような、少なくとも生身の人間が発する事の無い硬質な手応え。


 そんな事があるのかと目を見開きながら姉さんの方を見た。殺すつもりで放った今の一撃は効果があったようで、左脇腹から胸板、そして右の肩へとかけて流星のような傷が刻まれている。


 それはいい。が……その傷口から溢れ出るそれは、明らかに人間の血ではなかった。


 人間の血はもっとこう、どろりとした赤ワインのような質感だ。しかし今、目の前にいる姉の姿を模した何かから溢れ出る体液はどうだろうか。色こそ紅いもののその質感は大きく異なっていて、まるで安物の塗料を思わせる半透明な紅い液体だ。


 そして姉の姿をした何かは、斬りつけられたにもかかわらず痛がったり、苦しむ素振りを見せない。狂ったようにケタケタと、耳まで裂けた大きな口を開けて笑っている。


 間違いない、これは姉さんではない―――偽物だ。


 では本物の姉さんはどこだ、と思ったところで、新たな殺気が生じたのを私は見逃さなかった。止めを刺そうと再び前に出ようとしていた足をぴたりと止め、後ろへと飛び退く。


 直後、あのまま突き進んでいれば私の身体があったであろう場所を、捕鯨用のハープーンを思わせる槍が射抜いていたのだ。薄汚れ劣化しているとはいえ舗装された石畳を深々とぶち抜いたそれに当たっていれば、脳天から串刺しにされていただろう。


 投げ槍(ジャベリン)を投擲したのは一体誰か―――体勢を整えながら視線を上へと向けると、そこには確かに人影があった。


 ちらほらと振り始めた雪の中、ファーとフードのついたコートを身に纏う巨漢……いや、よく見るとそのフードの中から覗くのは人間の顔ではない。艶の無い黒色で塗装された騎士の甲冑のようだ。


 腰には剣の収まった鞘があり、背中にはあと5、6本ほど投げ槍(ジャベリン)を収めたゴルフバッグのようなホルダーがある。


「貴様、誰か」


 ペンドルトン家の資産を狙った他の貴族か、それとも私の暗殺を狙った暗殺者アサシンの類か。姉の姿をした何かを使って私をおびき出したまではいいが、そう簡単に殺されてなるものか。


 敵意を剥き出しにし臨戦態勢に入ると、姉の姿をした何かがノイズ交じりの声で名乗った。


『―――我らは”テンプル騎士団”』


「テン、プル……騎士団?」


 聞いた事がない組織だ。


 何かの秘密組織なのだろうか。陰謀論者が好みそうな、舞台裏で暗躍し世界を意のままに操ろうとする謎の秘密結社。


 ペンドルトン家のシェアを奪おうとする他の貴族の差し金ならばまだ分かるが……そんな聞いた事もない謎の組織からの刺客とは、いよいよもって訳が分からなくなってくる。


 しかし今はっきりしているのは、このままではこいつらに殺されるという事だ。


 さて、どうするか。


 手持ちの武器はダガー1本のみ。魔術は使えるが雷属性で、適性は可もなく不可もないCランク。それに対し相手は完全武装、正体不明の黒騎士と姉の姿をした何か……相手が何者なのかもわからず、実力差も読めない以上、こんな軽装で戦うのは自殺行為だ。


 騎士の名に泥を塗る事になるが、ここは退くべきだろう。


 だが、相手も簡単に逃がしてくれるつもりは無いようで……。


「―――エミリア・ハヤカワ」


「誰だ」


 何の気配もなかった後方から、声が聞こえてきた。


 冷淡な女の声―――振り向くとそこには、紺色のパンツスーツに身を包んだ蒼い髪の女性が立っていた。頭髪はさながら海原のように深い蒼で、短い前髪の下から覗く瞳はそれに反して血のように紅い。よく見ると瞳の形状もヒトのそれではなく、トカゲやワニといった爬虫類のものを思わせる形状をしているのが見て取れる。


 いや、そんな事はどうでもいい。


 彼女の顔―――それはまるで、毎朝部屋にある鏡を見ているような、そんな気分だった。


「……私?」


「ああ、失礼。こちらの世界(、、、、、、)ではエミリア・ペンドルトンでしたか」


「貴様、何者だ」


「初めまして、エミリア・ペンドルトン。私は”シェリル”」


 シェリル、と名乗った私にそっくりな女は、まるで重役の秘書のように堅苦しく、それでいて淡々と挨拶を済ませた。


 感情の起伏は無いに等しく、口元にはこちらを小馬鹿にするような笑みが浮かんでいる。いや、小馬鹿にしているなんてものではない―――見下しているかのような感じが、そこにはあった。まるで文明の遅れた相手を見ているような、あるいは動物園の柵の中にいる猿を見るような、そんな感じだ。


 舐められている―――彼女に抱いた第二印象は、そんな感じだった。


 それにしても、喋り方から仕草に至るまでが機械的で、私に顔が瓜二つという事もあってシェリルには底知れぬ不気味さがあった。以前、自分そっくりの機械人間が目の前に姿を現すSF小説を読んだのだが、まさにそんな感じだ。


「突然で申し訳ありませんが、貴女には我々と来ていただきます。拒否権はありません」


「関係ない、押し通る!」


 ダガーを構え、シェリルと名乗った女に正面から突っ込んだ。元より狭い路地、前か後ろにしか道はないのだ。とにかくどちらかを打ち倒して路地の外に出て、実家まで逃げ帰るほかあるまい。


 こんな得体の知れない連中の相手などしていられるか。


 案の定、頭上に待機していた黒騎士がジャベリンを投擲してきた。ヒュゴッ、と空気を穿つ音と共に鋭い投げ槍が1本、背筋が冷たくなってしまうほど近くを掠めて足元に突き刺さる。その気になれば金属製の盾すら撃ち抜いてしまいそうな威力があるが、しかし当たらなければどうという事はない。


 一撃、そして続く第二撃も紙一重で躱し、シェリルに向かってダガーを振るった。


 これならば当たる―――首筋を狙った本気の一撃、それで勝負がつく事を期待したのだが、しかし返ってきたのはまるで岩石を殴りつけているような硬すぎる手応えと、パキンッ、と何かが砕ける音だった。


「―――」


 キラキラと光を発しながら舞う、ダガーの折れた刀身。


 そんな馬鹿な、と思った私の目に飛び込んできたのは、直立不動のシェリルと―――彼女の首筋を覆う、蒼いドラゴンの外殻だった。


 人間にドラゴンの外殻が……!?


 やがてそれは何事もなかったかのように変異し、再び元の真っ白な、女性の柔肌へと戻っていく。


 この女は人間なのか―――信じられない光景に驚愕する私の後頭部を、何かが思い切り殴りつけた。


 そうして私は、あっさりと意識を手放した。





















 菜緒葉はハクビシンの獣人―――ヒトに近い骨格を持つ第二世代型の獣人である。


 獣としては臆病で非力なハクビシンではあるが、しかし木の上で生活する事が多い関係上、そのバランス感覚と木登りを得意とする身体能力はよく発達しており、その能力はハクビシンの獣人として生を受けた菜緒葉にもしっかりと反映されていた。


 だからなのであろう、真っ向から戦うよりもこういった身体能力を生かし闇に紛れ、暗殺や情報収集、情報工作などの裏方に徹する方が向いていたのは。


 伊賀のくノ一から力也の付き人となった今でも、それは変わらない。


 電線を伝って大通りを横断し、雪の降る市街地を見渡した。どこもかしこも自動車の排気ガスの臭いばかりが漂い眉をひそめたくなるが、しかしそんな中でもエミリアの”匂い”は漂ってくる。犬ほどではないにしろ鋭い嗅覚を持つハクビシン獣人の菜緒葉も、しっかりとそれを察知していた。


 屋根の上、ちょうど煙突が通っている辺りにある穴から出てきたハクビシンを見て、菜緒葉はケモミミをぴんと立てながら小さく手を振る。


 獣人には、自分のモデルとなった動物と意思の疎通を図る事ができる能力がある。だから菜緒葉の場合はハクビシンと言葉を使ってコミュニケーションをとる事ができるのだ。動物が何と言っているのか聞き取ることができるし、こちらの言葉も相手に伝えられる―――動物好きからすれば夢のような能力であろう。


「こんにちは」


【何や姉ちゃん、仲間か】


「ちょっとお聞きしたい事が」


【言ってみ】


「エミリアという女の人を探してるんです。こんな匂いの人なんですけど」


 そう言いながらポケットから取り出したエミリアのハンカチを差し出す菜緒葉。ハクビシンはのそのそと近付いてから匂いを嗅ぎ、くりくりとした丸い目で菜緒葉を見上げる。


【あー、それならさっきあっちの路地の方で見たわ】


「路地?」


【せやで、この匂いの姉ちゃんなら確かに見たわ。なんか蒼い髪の女に抱えられて、灰色のバンに乗せられて行ったで】


「どっちの方向に? ナンバープレートは?」


【確かイーストエンド駅の方や、古い方の。んでナンバープレートは……確か”LD66 TPK”だった筈やで】


「ありがとうご友人、助かりました」


 懐から取り出したリンゴをハクビシンに差し出すと、お腹を空かせていた野生のハクビシン(おそらくは密輸されたか動物園から逃げ出した個体なのだろう)は大喜びでリンゴを口に咥え、再び巣穴の中へと引っ込んでいった。


 ロードウの広大な街並みを見渡し、菜緒葉は息を呑む。


 万一、エミリアにもしもの事があったら。


 その時は力也だけではない―――自分の首も飛ぶ事になる。


 無論、物理的にだ。





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