ジョシュア・アンダーソン
「はぁっ!!」
気合を声に乗せ、エミリアの振り抜いた鋭い一撃が白銀の尾を曳きながら迫る。
この一撃で決める、という固い決意を抱いた迷いのない一撃。何とも美しく、まともに受けようものならば剣もろともぶった斬られそうであるが、しかし俺は敢えてそれを正面から受けた。
ガギュゥンッ、と剣と剣が激しくぶつかり合い、火花が散る。
鍛錬用の剣を握る左手に痺れるような感触が走った。まるで誰かが漏電したケーブルを骨の髄に差し込んで感電させられているかのようで、うっかりしていたらそのまま左手から剣が零れ落ちてしまいそうである。
体重と筋力にものを言わせ、そのままエミリアを押し返した。
単純な力と質量の差に押され、エミリアが後ろへと体勢を崩す。
ここだ―――。
必中を確信し、剣を左から右へとやや上に角度をつけて薙ぎ払おうとする。
が、しかし。
パキンッ、と甲高い金属音と共に、折れた刀身がエミリアの後方―――綺麗な金髪を1つに結わえたポニーテールを掠めて飛んで行くや、地下庭園の一角を整備していた機械の庭師(イーランドでは”おーとまた”と呼ぶらしい)の背中を貫通、神話の時代の矢さながらに地下庭園を覆うグラスドームの壁面に深々とぶっ刺さった。
バチバチッ、と紫電を閃かせ、大破した機械の庭師が機能を停止。剣が根元からポッキリと折れてしまった俺はと言うと、我に返ったエミリアに剣を突きつけられて降参する他なかった。
「またか」
「またか、ではない!」
飽きれと怒りを滲ませながら、エミリアが声を張り上げた。
「貴様、これで何本目だ剣を折るのは!」
「……数えてる範囲で9本目」
「13本でございますエミリア様」
菜緒葉お前裏切ったなお前。
「あのな、鍛錬用の安物だからまだ良いが、これが実戦だったらお前どうする気だ!?」
「そりゃあ脇差で何とかするしかないな」
「違う、そういう問題じゃない!」
「いや、言いたい事は分かる」
もっと武器を大事に使え、という事だろう。そりゃあ戦場において怖い事はいくつもあるが、特に怖いのが武器を喪失し反撃手段を失う事だ。丸腰で戦場に放り出されるなど考えただけでゾッとするし、徒手空拳で生き延びられるほど甘い場所でもないという事は重々承知している。
だから武器を破損させない事も意識しろ、というエミリア殿からの有り難いお言葉だ。
肝には銘じているのだが……。
「まったく……確かに力也、貴様は強い。認めたくないが私よりも実力は上だ。しかし武器をこうもポンポン壊しているようでは……」
「いやすまん、本当にすまん」
「次からは気をつけろ」
「うんそうする」
「その言葉13回目ですわね坊ちゃま」
「張り倒すぞ菜緒葉」
何でお前俺にそんなに当たりキツいの???
まあ、でも加減はしているつもりなのだ。剣を極力壊さぬよう、しかしエミリアを打ち倒せる程度の力を出すようバランスを取って立ち回っているのだが、しかしどうしてもその均衡が崩れてしまう……というより、剣の方がもたない。
やはりいつもの大太刀でなければ。
あれは俺の剣術の特性を受け、父上が特別に用意してくださった一振りだ。
鍛錬においても、実戦においても、普通の刀剣では本気の剣戟に耐えられず折れてしまう。イーランドで折った剣はまだ13本目で済んでいるが、倭国ではもっと多くの数の刀を鉄屑へと変え、父上や師範からお叱りを受けている。
なんかこう、いつも気が付いたら武器の方が耐えきれずに折れている事が多いのだ……。
やれやれ、と溜息をつきながら、菜緒葉に向かって手を差し出した。彼女はすぐに俺の手に水の入った水筒を握らせてくれる。
水筒の蓋を開け、グラスドームの壁面に深々と突き刺さった刀身に近付いた。”おーとまた”を貫通しグラスドームに突き刺さったそれは、まるで溶鉱炉から取り出したばかりの鉄のように熱気を放っていて、その表面は小さく剥離したかのような痕が幾重にも刻まれている。
傍から見れば温度の上昇で材質が急激に劣化しそのまま剥離したようにも見えるが……この剣もまた、この前折った剣と同じく新品だった。
水筒の水をぶちまけると、じゅう、と熱々の鉄板に水をぶちまけたかのような音を響かせ、水が瞬く間に蒸発、周囲にむわっとした湿気と湯気が噴き上がる。
しばらくしてから折れた刀身を掴んだ。湯たんぽ程度の熱さにまで冷えたそれを思い切り引っ張ると、硝子の壁面に深々と突き刺さっていた刀身の切っ先がやっとのことで顔を出す。
「……しかし、お前の剣……それは何だ」
「何が」
「魔術でも使っているのか?」
剣を鞘に収めながら、腕を組んだエミリアが問いかけてくる。
「坊ちゃまに魔術の適正はありません」
「おい」
さらりとこちらの事情を暴露したのは菜緒葉だった。いつも通りの無表情で、淡々とした声。魔術の適正がないという事は、上流階級においては恥ずべき事であると聞いた事がある。貴族が好むのは狼や虎、ライオンといった勇ましい獣人の貴族であり、それも魔術の適正に優れた相手である事が望ましいのだ、と。
それはイーランドやノヴォシアにおいて特に顕著であり、魔術の適正がないが故に婚約を破棄された、という何とも哀しい実例が昔からいくつも存在する。
そういう事はもっと慎重に暴露しろよ、と抗議の意思を込めて菜緒葉を睨むが、無表情な彼女はどこ吹く風だ。まあ、菜緒葉の事だから問題がない事を理解した上でエミリアに暴露したのだろうが。
「適性がない?」
「はい。坊ちゃまの魔術適性はF-……一応、属性は炎属性を指し示していますが適性はゼロ、劣等の中の劣等です」
「お前もっと言い方ってもんがあるだろうが」
「事実です」
「しょんぼり」
やめて落ち込む、かなり落ち込む。
ケモミミをぺたんと寝かせながらしょんぼりするが、紛れもない事実である。
俺、速河力也には魔術の適正がない。生まれてからすぐ、父上と母上は俺に魔術の適性検査を受けさせたそうだがご覧の有様で魔術の関しては弟の信也が両親の素質全てを受け継いだ。アイツ何気に炎属性と風属性がそれぞれBランク、存在自体が希少な二重属性魔術師である。
それに対し、俺にはその手の才能は無かった。
学問においても剣術においても平凡で、何も持たなかった。
だから魔術を捨て、的を剣術のみに絞って努力した。やがてその中に楽しみを見出すようになり、ついには江戸の実家を飛び出して薩摩の剣術道場へと通うようになり今に至る……というわけだ。
はっきり言おう。俺には生まれつき持った才能など何もない。
あるとすれば、一度決めた事を成し遂げるまでは決して折れない心くらいだろうか。
「しかし坊ちゃまは血の滲むような努力を重ね、今の強さを手にしたのです」
ちゃんとフォローを入れる菜緒葉。落としてから上げる、分かってるじゃないかこの女。
話を聞いていたエミリアは腕を組みながらも、口元に笑みを浮かべていた。
「なるほど、じゃあ貴様も私と同じだ」
「お、おう」
ぽん、と肩に手を置いてくるエミリア。やはりだが、華奢な彼女の手には肉刺が潰れた痕があった。一日に一万回、ノリにノッた時は二万回はやる素振り。隻腕になってもなお努力を続けたからこそ分かる―――彼女もまた、努力を重ね今の強さを手にした女なのだ、と。
だからなのだろう、彼女の剣を美しいものだと思えるのは。
お互いに、共感できる部分である。
「まあいい、壊した分の剣と戦闘人形は気にするな。父上に言えば新しいものを買い与えてくれるだろう」
「なんだかすまんな」
「ふふっ、良い。金ならある」
さらりとそんな事を言うエミリアだが、剣とか戦闘人形って高価なものではないのだろうか。特にあの戦闘人形、金属製の甲冑にこそ覆われているが、その内側は小さな歯車やピストンが幾重にも噛み合い動きを成す機械そのものだ。
あれ1体買うのにいったいどれだけの額の金が動いているのやら……湯水のように金を使えるのは、さすが海軍国の軍需産業を一手に支える巨大企業といったところか。
「それに、お前が来てから退屈せん。感謝している」
「そいつはどうも」
初めてエミリアと戦ってからというもの、彼女の態度は大幅に軟化した。
最初は「私はお前を認めない」的な事を言われたものだが、今はどうだろうか。鍛錬の時には呼び出されてこうして戦い剣をへし折っては怒られ、けれどもなんだかんだで仲良くやっている。
妻になると明言こそしていないものの、最初はかなーり距離を感じていた彼女との関係も大きく改善されていて、まあ何とか認めてもらえたと判断してもいいのかもしれない。最近では何かと時間を見つけてはこうして二人で剣術の鍛錬を繰り返しているし、互いに互いの習った剣術の技術を教え合ったりして、こちらもまあ楽しませてもらっている。
「そうだ力也。お前、冒険者の資格は持ってるのか」
「一応Aランクのやつがある」
「おお、奇遇だな。私もAランク冒険者だ」
「だからか。道理で強いわけだ」
倭国では特例があり、元服(※倭国の成人の儀式である)を終えていれば冒険者登録が可能、という特例がある。なので倭国の冒険者は他国の冒険者と比較するとスタートが早く、下積みの期間も長いため精強な冒険者が多いと評判だ。
しかしイーランドでは17歳からしか登録できず、15歳から見習いとして仮登録ができるものの、実務経験3年以上の冒険者が同伴でなければ仕事ができないという規定があると聞いた。
エミリアは俺と同じく18歳。俺は15歳から冒険者をやってるから3年の経験があるが、しかしエミリアはまだ1年目。見習いからの叩き上げだとしても、仮登録から本登録となり活動したにせよ期間が短すぎる。昇級試験で飛び級でもしたのだろうか。
彼女の事だ、きっと飛び級だろう。そうじゃなきゃこの強さには説明がつかない。
「今度どうだ、一緒に魔物狩りにでも行かないか」
「いいね、是非行かせてもらおう。いい経験になりそうだ」
「はっはっは、そうだろう。姉さんとの買い物も良いが、こうして身体を動かす方が性に合う」
「違いない」
エミリアと一緒に魔物狩りか、楽しみだ。
いつになるかは分からんが、期待させてもらおう。
「ええと、次は何だっけ菜緒葉」
「シャンプーとタオル、それからハンドソープでございます」
エリスから頼まれたお使いのメモ用紙を菜緒葉にチェックしてもらい、商品の棚から目的の品を探し出す。ラベンダーの香りのハンドソープと国産高級タオルの5枚セット、それからマスカットの香りのシャンプー。
最初の頃は何かの呪文のように思えていたこれらの品だが、エリスやエミリアが毎日使うものなのだそうだ。ハンドソープやシャンプーは液体状の石鹸で、身体や髪を洗うのに使うらしい。
イーランドでは皆、そういうものに気を遣う。倭国ではというと、まあ同じくこういったものに気を使ったり、わざわざ南蛮から取り寄せて使う者もいたそうだが、少なくとも俺はどんな時も石鹸だった。
しかしまあ、ハンドソープもシャンプーも良い香りである。とはいえこちらはワコクオオカミ(※ニホンオオカミ)の獣人、鼻が利くので少々匂いがキツい感じもするのだが。
けれども未来の妻たちが喜んでくれるのならばと、指示された量よりも少し多めに日用品を買い物かごに収めてカウンターへ。店員はかごの中身を素早くチェックして値段を提示する……お値段5万ボンド。倭国での通貨に換算するとどうなるのかいまいち分からないが、高級品ばかりなのであまり気にしない方がいいだろう。
財布から金を取り出し支払いを済ませ、買い物袋を手に持って店を後にした。
「少し多めに買いましたね坊ちゃま」
「その方がまた買い物に行く手間が省けるだろ」
余計に買った分は自腹だ。金に関しては問題ない。
それに、足りなければ冒険者の仕事をして足せばいいだけの事だ。その時はエミリアも呼ぶとしよう。彼女との親睦を含めるには鍛錬と仕事が一番という事が分かったのだから。
さて、これでお買い物は終わり……と帰り道に差し掛かったところで、屋敷へと続く道に数名の人影が立ち塞がっているのが見え、残った左目を細めた。
黄金の装飾がある真っ白な服に、腰に提げたこれまた豪華な装飾の剣。自分の実家の財力を他者に見せつけるかのような豪華絢爛な格好でそこに立っていたのは、見覚えのある貴族の少年だった。
アイツは確か、以前にエミリアに婚約破棄を言い渡されていた……。
「―――やあ、余所者」
向こうも俺の顔を覚えていたらしい。真っ直ぐにこっちを見つめながら、嘲るような笑みを浮かべた。確か名前は”ジョシュア”だったか。
「何か」
「お前みたいな肌の黄色い猿で、エミリアの相手が務まるのかな? ペンドルトン家の評判を地に落とすだけだと思うのだが」
菜緒葉が目を見開いた。
―――ああ、怒ってる。
ハクビシンは機嫌が悪かったり戦闘態勢に入ると目を見開く特徴がある。菜緒葉も例外ではなく、故に目を見ていれば彼女の心中を察するのは容易い。
落ち着け、と目配せして制止する。こんなところでクナイを散弾銃の如くぶん投げられてはそれこそ面倒な事になる。
「生まれてくる子供も可哀想だ。こんな黄色い猿との混血なんて」
「つまり俺では不十分だと?」
「おや、人の言葉が分かるのか。お利口なお猿さんだ」
彼の言葉に合わせ、護衛と思われる男たちもけらけらと笑った。
ジョシュア・アンダーソン―――以前までエミリアとの婚約の話を進めていた貴族の息子なのだそうだ。アンダーソン家は財力も十分で優秀な魔術師の家系、婚約相手としては申し分ないそうだが、しかし”急な方針転換”で婚約破棄、ペンドルトン家は速河家との縁談に舵を切った。
そりゃあ面白くないよな……いや、気持ちは分かる。
とりあえず菜緒葉がいつまで我慢できるか、そっちが気になるところだ。
「一応、エミリアとは仲良くやらせてもらっている。彼女は強い男にしか興味がないのだそうだ」
「ほう? じゃあお前は強いのか? エミリアを倒せるほどに?」
……はっきり言うと、彼女には連戦連敗中だ。
原因はもちろん、良いところで毎回ポッキリ折れる剣のせいである。剣が折れ、そこから彼女に剣を突きつけられ「参りました」……これがお約束になりつつある。
コレ、どうだろう……エミリアはとにかく強いが勝てない相手ではない(しかしやっぱり強いので油断はできないし彼女に対し余りにも無礼だ)のだが、しかし形式上は連戦連敗中なのでその……。
「まあ、アンダーソン殿。ここは穏便に。街中で剣を抜くわけにもいきますまい」
そう言い切り抜けようとするが、ぽすっ、と手袋を投げつけられた。
イーランドでは相手に手袋を投げつけるのは”決闘”を意味するのだそうだ。そして相手が承諾した場合のみ、私的な戦闘が許可されているという変わった法律がある。
「―――いいだろう。猿の実力、この僕が試してやる」
それとも逃げるかい、と嘲りながら嗤うジョシュア。隣にいる菜緒葉もブチギレ一歩手前まで達していたところで、これこのままだと菜緒葉が決闘を引き受けてしまいそうだ。
菜緒葉も十分強いのだが……まあ、いいか。
買い物袋を彼女に預け、石畳に落ちた手袋を拾い上げた。
「坊ちゃま」
「アンダーソン殿、決闘の申し出承った」
「そうか、ならばすぐに―――」
「せめて人気のない場所に移ろう。通行人に迷惑をかけては貴族の名が泣くというもの」
その程度の気遣いは見せろ、というニュアンスで言うと、ジョシュアは剣にかけていた手をそっと下ろしながら不機嫌そうな顔で睨んできた。
こっちは買い物帰りなのだが……参ったな。
まあいい、余り遅くならないよう手早く済ませよう。




