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VSエミリア


 イーランドに渡航してから1ヵ月。


 体重が5kgほど落ちた。


 95㎏を指し示す体重計の針を見て、思わず口から溜息が零れ落ちる。こんな事になった原因に心当たりがあるからだ。というか、心当たりしかない。


 ズバリ、食生活である。


 イーランドで1ヵ月過ごしてみた結論なのだが、一部の料理を除いてほとんどの料理があまり、その……料理人には大変申し訳ないのだが、あまり美味しくない。この前食べてその日の晩トイレに虹をぶちまける羽目になったウナギゼリーを筆頭に、スターゲイジーパイとか色々口にしたのだが、忖度なしに申し上げさせていただくと和食が恋しい。


 ご飯が食べたい。真っ白なご飯とマグロの刺身が食べたい。赤身にこう、ほんの少しワサビを乗せて醤油をつけて食べたい。本当に、お腹いっぱいになるまでご飯が食べたい。


 けれどもここはイーランド、食文化が根本から違う異国の地である。白米よりもパンが主食で、魚を生で食べるなど野蛮人の所業……それがこの国では常識らしく、だからイーストエンドを中心に歩き回らされたが生魚を扱う料理店に遭遇する事はついになかった。


 何とかならないものかね……自前で何とかしようにも左腕だけでは寿司は握れないしなぁ、とここでもう一度溜息をつく。


 けれどもローストビーフは大変美味だった。やはり肉、牛肉は正義である。赤みを残した肉に、牛の内臓の一部もペースト状にして再利用したソースは格別だった。


 あとハギス、人を選ぶ味ではあるが嫌いではない。


 それ以外は……うん。


 元々、倭国に居た頃の俺はというとけっこう食べる方だった。剣術の鍛錬に冒険者の仕事ばかりやって身体を動かしていたからなのだろう、とにかく腹が減るもので、釜1つ分の飯を平らげた事すらある。それだけの量の食事を摂取して何とかカロリー消費と補充の均衡を保っていたわけだが、イーランドにやってきてからその均衡は見事に崩れた。


 美味いものは美味いのだが、あまり美味しくない料理を出されても「うん、おかわり!」とはならないのだ……それでも何とか腹に押し込んでいるわけだが、なんだろう、食事が淡々と腹にカロリーを押し込む作業になりつつあるような気がする。


 このままではいかんよなぁ、と思いながら中庭に出た。


 晴れ渡った空の下、噴水の近くから響くのは空気を引き裂く剣の素振りの音。見るまでもなく、その発生源が何なのかは分かる。


 エミリアだ。


 動きやすい私服の上に革製の防具を纏い、剣を振るっている。防具は敵の攻撃から身を守るというよりは、あくまでもアイテムなどの小道具を素早く取り出す利便性や動きやすさを重視したもののようで、防具の面積はそれほど広くはない。防御に関しては必要最低限、急所への致命的な一撃を防ぐことさえできればいいという割り切った思想が窺い知れる。


 彼女も冒険者なのだろうか、と思いながら剣の素振りをする彼女を眺めていると、俺の存在に気付いたエミリアはぴたりと素振りを止めた。


 何か機嫌を損ねる事をしたか、と思っていると、エミリアは傍らに控えていたメイド(”チェルシー”という名前らしい。羊の獣人のようだ)からもう1本の剣を受け取るや、鞘に収まった状態のそれをこっちに放り投げた。


「んぉ」


 びっくりしながらも左手で剣をキャッチ。イーランドでは少し古いロングソードだ。最近ではレイピアだのサーベルだの、片手で扱える剣が主流になりつつあるようで、こういった片手でも両手でも振るえる剣は二線級扱いなのだそうだ。


「見ているだけではつまらんだろう」


 そう言い、エミリアは剣をこっちに向けた。


「それに私の婿になるというならば、それ相応の力を示してもらわなければな」


「……なるほど」


 そういうわけか。


 弱い男は不要―――なるほど、分かりやすくていい。


 左手で柄を握り、一応は二の腕までは残っている右腕の脇で鞘を挟んで抜剣。新品の剣なのだろう、刀身にも鞘にも傷一つなく、滑り止めのために柄に巻かれている革には真新しさすらあった。


「手合わせ願おう、速河力也」


「―――いいよ」


 俺も退屈していたところだ。


 にい、と笑う。


 エミリアは間違いなく強い。


 剣と共に生き、努力を重ねてここまで上り詰めてきた女だ。そんな剣士と正々堂々やり合えるというのだから、こちらも楽しくなるというものだ。まるで祭りを翌日に控えた子供のように、胸の奥が踊り出す。


 そんな俺を、エミリアは異様なものを見るかのような目で見た。


 しかしそんな変化も一瞬で―――次の瞬間には、ズパンッ、と空気が破裂するような甲高い音すらも置き去りにして、剣を振りかぶったエミリアがすぐ目の前まで迫っていた。


「―――」


 おぉう、コイツは予想外。


 後ろへ上半身を仰け反らせ、首を狙って振り払われた剣を回避する。


 鍛錬の一環の筈だが、この女……首を狙ってきやがった。


 この程度も躱せない男は伴侶に相応しくない―――血のように紅い彼女の瞳がそう告げている。私の隣に立ちたくば強く在れ、私を欲せざるば来りてとれ、と。


 結婚もそうだが―――良い。


 良い、良い、実に良い。


 この刺激、このスリル、この感覚。


 強敵と命のやり取りをする感覚。剣の一閃が身を掠める度に身体が粟立つこの感覚だ。俺が求めていたのはこれだ、これなのだ。


 戦乱の世が終わった今では味わう事の出来ぬ感覚。これだよこれ!


「ッハァ!!」


「!!」


 身を跳ね起こし、勢いを乗せて剣を振り下ろす。ギャオァッ、と空気を切り裂く―――いや、引き千切る(、、、、、)音を響かせ、剣がエミリアの剣を思い切り殴打した。


 刀身が欠けそうなほどの衝撃の中、ギリギリと鍔迫り合う刀身と刀身。体重がある分俺の方が有利だが、それは五体満足での話。こっちは利き手じゃあない左腕一本なのに対し相手は五体満足だ。こういうところに”はんでぃきゃっぷ”を感じてしまう。


「ほう、なかなかやるじゃないか」


「お前こそ……やっぱりそうだ、強いなお前」


 やはり殺し合いはこうでなくては!


 力を込め、そのまま押し退けた。


「お嬢様!」


 後ろに控えていたメイドのチェルシーが叫ぶが、しかしエミリアにそれを聞き入れている余裕はない。


 続けて突き放たれる刺突を身を捻って躱し、回転の勢いを乗せて脇腹を狙ってくる。


 が、近い。


 身を屈め、重心を落としてそのまま左肩でエミリアに正面からぶち当たった。体当たりを受けたエミリアは斬撃の途中で吹っ飛ばされ、剣を芝生に突き刺しながら何とか立ち止まる。


 そんな彼女へ、俺は容赦なく襲い掛かった。左手の剣を振り上げ、勢いを乗せたまま振り下ろす。ズォァッ、と空気が砕かれる音が高らかに響くが、しかしエミリアはそれを果敢にも受け止めた。


 左手に走るびりびりと痺れる感触。骨の髄に電気を流されたような感覚がするが、今はそれすらも心地良い。


 イーランドでの婚姻……何もない平和な場所で退屈な毎日を過ごすものと思っていたが、こんな強い相手と戦えるならば最高だ。こんなにも美しく、こんなにも愚直で、こんなにも強い女が俺の伴侶になってくれるとは。


 海を渡ってきた甲斐があるというものだ。
























 なんだ、この男は。


 ぎりぎりと鍔迫り合う刀身が、乱れて口から吐き出された息を受け白く濁る。


 この男、戦いを楽しんでいる。


 それも狂ったような笑みではない。まるで遊園地のアトラクションではしゃぐ子供のような、そんな無垢な笑みがこの狼の獣人の顔にはある。戦を楽しむというよりも、腕の立つ相手との戦いを骨の髄まで楽しんでいるような、そんな普通の人が想像する狂気とはまたベクトルの異なる狂気が感じられる。


 体重を前に預け、何とか力也を押し退ける。


 後方へと体勢を崩した彼だったが、追撃しようとは思わなかった。何故かは自分でも分からないが、少なくとも今ここで反撃に転じれば何かが拙いような気がしたのだ……何か、カウンターのようなものでも準備しているのか、あるいは誘われていたのか。理屈では分からないが本能的にそう理解した、と言っていい。


 それにしても。


「……」


 隻腕に隻眼、あまりにも大きな複数のハンディキャップを背負っていながらこれだ。


 ナオハとかいう付き人の話では、あの男の利き手は失われた右手―――つまり剣を持つ左手は利き手ではなく、血の滲む努力の末に辛うじて矯正した付け焼き刃の利き手に過ぎないという事だ。


 それに加えて潰れ、白濁し、視力を失った右目。左目だけでは相手との正確な間合いを推し量るのは難しいだろうし、何より右側が死角になる。


 普通ならば剣士として第一線への復帰を断念するレベルの重傷だが、しかしこの男は戻ってきた。片腕と片目、片耳を失ってもなお戦場に立とうとした。剣と共にあろうとした。


 何がこの男をそこまで駆り立てるのか―――そこで出てくるのが、あの笑みだ。戦いを楽しもうとするこの男の無垢な笑み。ただ戦うためだけにカムバックしたというのか。


 なるほど、コイツは強い。


 ―――だが。


 左へと飛んだ。


 力也にとって右半分は完全な死角―――ほんの僅かな隙を晒すだけでたちまち狩られる接近戦において、隻眼というのがどれだけのハンデなのかはあの男も理解している筈だ。そうでなければ、あんな身体で3年も第一線で生き延びる事など出来ないのだから。


 弱肉強食の世界において、弱き者は淘汰される。


 そんな世界の中で生き延びてきた―――あんなハンデを背負った状態で。


 これが万全であればどれだけ恐ろしい事か。


 姿勢を低くし、力也の右側から剣を振り上げた。ギャリッ、と切っ先が地面に擦れて音を立て、勢いを乗せた本気のかち上げが彼の首へと駆け上がっていく。


 これは―――当たる。


 そんな確信を抱いていたが、しかし直後に目を見開いた。


 迸る白銀の閃光、空気を砕く音―――そして右手に走る、骨の髄が痺れるような感触。


 横合いから振り払われた剣の一撃で、今の必中を確信した攻撃を弾かれた。


「―――ッ!」


 いかん、やられる。


 慌てて距離を取ろうにも既に遅く、剣で受け止めようにも今の衝撃で痺れた右手は言う事を聞かない。


 くっ、と歯を食いしばり、次に牙を剥くであろう一撃と、敗北の屈辱を受け止めるべく備える。


 が、しかし。


 パキン、という金属音が、全ての終わりを告げた。


「……え」


 力也の持つ、鍛錬用の剣。


 新しく用意してもらったそれが―――その刀身が、半ばほどから折れていたのである。


 くるくると、白銀の光を反射しながら回転していったそれが、カラン、と石畳の上に力なく零れ落ちる。


 折れた剣を見下ろし呆然としていた力也は、やれやれといった感じで肩をすくめた。


「……こりゃあ俺の負けかな」


 剣折れちまったし、と続け、折れた剣を鞘に納める力也。


 いや……違う。


 今、負けていたのはこの私だ。力也の振るった剣が折れていなければ、今頃首を撥ね飛ばされていたのは私の方だろう―――たまたま剣が折れたという幸運に救われたに過ぎない。


 格の違いを見せつけられたような感じだが、しかし。


「……」


 力也の折れた剣、その刀身を見下ろしその異様さに疑念を抱く。


 力也に渡した剣は新品だった筈だ。まだ一度も素振りに使った事がない―――粗悪品だった、という事もあり得ない。あれは私がいつも贔屓にしている、イーストエンドの鍛冶職人に依頼して造ってもらった品だ。その強度は折り紙付きと言ってもいい。


 それが、最初の模擬戦で折れるなど……。


 拾い上げようと屈んで手を近づけた私は、折れた刀身へと伸ばした指を引っ込めた。


「……」


 ―――奴の剣は、熱を帯びていた。


 まるで灼熱の鉄板だ。バーベキューでもしようと過熱した鉄板、あるいは朝食の目玉焼きを調理しようとしている最中のフライパンのように、強烈な熱を放っているのである。


 いったい何が……?


 よく見てみると、刀身の表面は傷だらけだった。


 何度も打ち合ったわけではない。数回の鍔迫り合いとガードを行っただけだというのに、刀身の表面はまるで部分的に小さく剥離したような傷跡が幾重にも刻まれているのである。まるで高温に晒された金属が本来の強度を維持できなくなり、凄まじい速度で劣化していったかのように。


「お嬢様……?」


「チェルシー」


「はい」


「あの男から魔力は感じたか」


 剣を腰に提げ、庭を去っていく力也の背中を見つめながらチェルシーに問いかけた。


「いえ、わたくしは何も感じませんでしたが……」


「……」


 魔術では、ない。


 では一体何が……?


 あの男の剣に、いったいどんな秘密があるというのか?


 よくよく思い起こしてみれば、彼の剣は異質だった。


 振るうたびに空気を”切り裂く”というよりは”引き裂く”、”砕く”ような、そんな異音がしていたのである。


 魔術ではない―――ならば、あれは何だ?


 いずれにせよ、このエミリア・ペンドルトンには―――”超えるべき壁”ができたらしい。


 いいだろう、力也。貴様を認めてやる。


 そして貴様を超えるのは―――この私、エミリアだ。


 努々(ゆめゆめ)忘れるな。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ようやく良きライバルと言うか、ある意味で未知の存在にして壁と認められたのは良いことですが…折れた剣に膨大な熱量ですか。 クラフトマンの作った一級品の刀剣に、それほどの熱量を帯びさせるとは、…
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