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エリスとエミリア


「やあ、倭国から遥々よく来てくれた」


 そう言うなり、執務室で何かの書類にサインしていたライオンの獣人―――このペンドルトン・インダストリーの社長、”ウィリアム・ジョージ・ペンドルトン”氏はこっちへとやってきて右手を差し出した。


 獣人には二種類のタイプがある。


 人間に尻尾とケモミミ、それから肉球を生やしただけの、比較的人間に近い姿をした”第二世代型”、そして骨格の時点で人間よりも獣に近い構造をしており、それゆえに二足歩行の獣とでもいうべき姿をした”第一世代型”。


 エリスの父親、ウィリアム氏はその第一世代型の獣人だった。顔つきはライオンそのもので、橙色の鬣はまさに百獣の王の如き貫禄がある。しかしそんな姿でありながら、最前線で剣を振るう豪傑というよりは娘たちの成長を優しく見守る父親のような印象を受けるのは、きっとその優しい目つきと親し気な声音のせいだろう。


 第一世代型の獣人は獣に近い骨格をしていて、故に人語の発声に適した骨格をしているとは言い難い。なので彼らの話す言葉には特有の訛りがあるのだ―――彼もその例外ではないようで、娘のエリスがはきはきとした、それでいて上品なイーランド語を話すのに対し、父親のウィリアム氏の言葉には時折もごもごとこもる(、、、)ような訛りが混じる。


 仕方のない事だ。第一世代型はその分類名の通り、第二世代型の獣人よりも先に生み出された存在。彼らを雛形とし、俺たち第二世代型の獣人が生まれたとされている。つまりは先人であり、彼らなくして俺たち第二世代型の獣人の存在はないのだ。


 にこやかな笑みを浮かべつつ右手を差し出して歓迎してくれたウィリアム氏だったが、しかし中身も無くひらひらと舞うばかりの右の袖を見て、すぐに申し訳なさそうな顔をした。


「あ、ああ……すまない。そうだったな」


「ああ、いえ、お気になさらず」


 右腕とは、3年前に泣き別れを経験したばかりだ。今頃は海の底で魚の餌にでもなっているのだろうか……。


 代わりに左手で握手を交わし、笑みを浮かべた。


「それにしても、写真で見るよりも良い男じゃあないか」


「それはそれは、ありがとうございます」


「うむ、さすがはソーイチローの息子。彼は『刀をぶんぶん振り回してばかりの問題児』と評していたが、思ったよりも物静かだな」


 あのクソ親父そんな事言ってやがったのか殺すぞ。


 などと口にするわけにもいかず、「あははーいえいえそんなー」と愛想笑いで何とか乗り切る。


「それにしても、我が一族も倭国のサムライと関係を持つようになるとはね。いやはや、人生何があるか分からんものだ」


 あのクソ親父変な事言ってないだろうな? もし何か変な事吹き込んでて結婚が上手くいかなかったら呪う、呪ってやる。心にも身体にも一生消えない傷を刻んでやる。


「いえいえ、こちらこそ歴史あるペンドルトン家と関係を持つ事が出来て大変光栄です」


「はっはっは、どうもありがとう。さて、君の事を色々と知りたいのだが、まずはまあ……娘”たち”と中庭を散歩でもして、親睦を深めると良い」


「それは素晴らし―――ん、娘たち(、、)?」


 聞き間違いだろうか。


 この速河力也、弱冠17歳で耳がボケてきたとでもいうのか。そりゃあ薩摩に居た頃、毎日毎日兄弟子たちや師範と共に猿叫えんきょうを高らかに響かせながら練習試合、そしてその合間に素振りと柔術、寝る間を惜しんで魔物狩りに勤しむ毎日を送っていれば耳もおかしくなるというもの。実際、師範も左の耳がおかしいと常々言っていた……。


 いや、いい、そんな事はどうでもいいのだ。過去とは時折振り向いて懐かしんだりする程度でいいのだ。


 問題は今、なんと聞こえたか。


「ん、聞いていなかったのかね」


 ウィリアム氏もきょとんとしながらこちらを振り向いた。


「ミスターハヤカワ、貴方と婚約するのは私だけではないのよ」


「……ゑ???」


 にっこりと微笑みながら、衝撃の事実を突きつけてくるエリス。


 待て、どういうことだ……俺の結婚相手はこの、年上のお姉さんことエリス・シンシア・ペンドルトン氏ではないのか。まさか他にもいる(、、、、、)ということか?


 聞いてないぞ菜緒葉、と目配せすると、彼女は珍しく苦笑いを浮かべながらウインクしてきた。頑張ってください、と丸投げするかの如き無情、お前はいつからそんな薄情者になった? いや前からか。


「お父上から聞いてなかったかしら?」


「その……父上からは”婿に出ろ”としか」


「はっはっはっはっはっ、ソーイチローらしいな」


 ウィリアム氏が大笑いする中、俺はクソ親父を恨んだ。とにかく全力で恨んだ。テメー大事な情報が全部欠けてるってどういう事だ。そういうのはちゃんと言葉にして教えなきゃ伝わらんだろ殺すぞクソ親父。


 予想外の事態に、とりあえず「あー、そういうことだったんですねぇ」と返しつつも内面ではかなーり狼狽する俺。脳内では二頭身力也くんズが大慌て……というわけでもなく、みんなで仲良く食卓を囲みながらお肉食べてる。仕事しろお前ら。


「君の妻となるのはそこにいる長女のエリスと、その妹の”エミリア”だよ」


「エミ……リア……?」


 初めて聞く名前だ。


 なのに―――何なのだろう、この懐かしさに似た感覚は。


 エリスの時もそうだったが―――まるで遥か昔、ずっと一緒にいたかのような、いつも隣にいてくれた大切な人であるかのような、そんな感覚が胸の中で花開く。


「その、彼女はどこに?」


「たぶん”地下庭園”だろう。中庭から行けるよ」


「ああ、ありがとうございます」


「さあ、参りましょうかミスターハヤカワ……いえ、力也くん(、、、、)?」


 エリスがそう言いながら、困惑する俺の左の手を取った。


 まあいい、海を渡って来てしまった以上は帰るわけにもいかないのだ。結婚相手が1人だろうが2人だろうが、上手い事乗り切ってやろうじゃないか。





















 ペンドルトン家の屋敷を兼ねたペンドルトン・インダストリー本社は、上から見るとちょうど”ロ”の形をしている。表側がペンドルトン家の屋敷として、社長のウィリアム氏や娘のエリスたちペンドルトン家の一族が住んでいる。そして海に面した造船所側がペンドルトン・インダストリー本社として使用されている区画のようで、そちらには多くの社員や工員たちの姿、そして何より建造途中のドレットノート級戦艦二番艦『ジャガーノート』、三番艦『エジンコート』の後ろ姿があった。


 そしてそんな屋敷と本社区画に前後から挟まれ、建物に囲い込まれる形でペンドルトン家の中庭がある。


 いや、これはもはや中庭というよりも……。


「 な あ に こ こ は 」


 今まで我慢してたけど、ついつい本音が口から漏れてしまった。


 随分と大きな屋敷だなぁ、上様のお城より広いよなコレ絶対なぁ、なんて思いながら屋敷を見物していた時から感じていた違和感の答え合わせが、今目の前にある。


 広大、という言葉が安っぽく思えるほど広い空間。芝生はしっかりと手入れされていてさながら天然の絨毯のようだ。石畳の道が芝生の海を隔てるように敷かれていて、中庭の真ん中には錨を模したモニュメントと噴水がある。


 花壇には色とりどりの花(花の種類には詳しくない。タンポポと桜くらいしか知らん)が咲き乱れ、しかし極端に主張し過ぎる事もなく、周囲の風景としっかりとした調和を実現させていた。


 さぞ優秀な庭師を雇っているのだろう……などと思いながら周囲を見ていたが、庭の手入れをしている”それ”の姿を見た途端に魂が口からすっぽ抜けそうになった。


 6本足で歩くカマキリのような金属製の人形……機械の庭師だ。それらが細長い腕の先端に搭載された鋏を器用に扱って、チョキチョキと芝生を整えたり、木の枝を切り落としたり、下に落ちた枯れ葉を拾い集めたりしている。


 頭上には巨大なこの庭を覆い尽くすほどのガラスの天井があり、自重での崩落を防ぐためなのだろう、鉄骨がその中に埋め込まれているのだが、面白い事にその鉄骨はちょうどペンドルトン家の家紋が浮かび上がるよう計算されているようで、こうして雪雲の広がる空を見上げてみると、鈍色の空にこれ見よがしに一族の家紋が広がっているように見える。


 今はもう12月、しかしやけに暖かいなと思ったら暖房が効いているのだ。


 あのガラスの天井も、機械の庭師も、そしてこれだけの面積の中庭を春のような気温に保持できる暖房も、今の倭国ではありえない―――先進国、世界の最先端をひた走る2つの帝国の片割れたる聖イーランド帝国の技術力だからこそ成し得たものなのだろう。


 父上、俺はどうやら未来に来てしまったようです。


「どうかしら、我が家の中庭は」


「凄すぎて言葉が出ません」


 本音です。


 俺だって名門速河家の長男、少なくとも本音と建前、お世辞とかそう言うのがどういったものか理解しているし必要とあらば使う予定であったが、今はもうそんな余裕はどこにもない。油断したら口から本当に魂が抜けてしまいそうである。


 そんな驚くばかりの俺を見て、隣を歩くエリスはくすくすと笑った。


 技術の劣る国の出身者をあざ笑うような感じではなく、ただ俺の仕草を面白がっているだけのようにも見える。大国の名門一族、その長女なら多少は傲慢な一面があるんじゃないかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 そういうところは好印象……というか、今のところの彼女の評価が「清楚で礼儀正しい年上のお嬢様」といった感じだ。むしろこんな素晴らしい女性を本当に妻にしてしまっていいのか、この人の夫として俺は相応しいのか、と真逆の意味で心配になる。


「倭国にはないものばかりだ……まるで未来に来たようですよ」


「あらあら、お世辞がお上手なのね」


「本音です」


「そう……それより」


 ぎゅっ、とエリスは俺の左手を握った。


 肉球と、日々の鍛錬で肉刺が潰れごつごつとした野蛮な手。そんな手を、白くて柔らかく、雪のように儚い彼女の手が握っている。


「私たち、いずれは夫婦になるの。いつまでも敬語で話していては堅苦しくなくて?」


「いや、しかしエリスさんは年上ですし……」


「もう、私がいいと言っているのですっ」


 ぷくー、と頬を膨らませながら、彼女はちょっと子供っぽい感じで言った。


 何だろう、鼻血が出そうになる。


 清楚で年上のお姉さんがこんな子供っぽい一面も持ち合わせているとかなんだこれ、破壊力がヤバすぎる。どのくらいヤバいかと言うともう語彙力が尽きるくらい。


 いつもならば菜緒葉がすぐ鼻血を拭く準備をしてくれるのだが、あいにくこの中庭散策は俺とエリスの2人きり。ウィリアム氏の「将来の夫婦なのだ、2人きりで話をして親睦を深めた方がいいだろう」という粋な計らいなのだろうが、俺としては何というかこう、逃げ場を塞がれたような、そんな感じがしてならない。


「で、では、2人きりの間だけ……さすがにお父上の前で呼び捨ては気が引けます」


「ではそうしましょう。ねえ、力也くん?」


「は、はい……エリス」


「ふふっ、なんだかいい感じですね。距離感が縮まったというか、なんというか」


 けっこうグイグイ来るなこの人……。


 向日葵ひまわりの植えられた花壇の前に差し掛かり、何気なく傍らにあるプレートに目を向けた。どうやらこの向日葵はノヴォシア帝国南方のイライナ地方から仕入れたものであるらしく、品種の欄にもイライナ産と明記されている。


 ノヴォシア帝国といえば、範三の奴は元気だろうか。


 道場に居た年上の後輩の事を思い出し、想いを馳せる。


 故郷を壊滅させた龍、マガツノヅチを撃ち滅ぼすと意気込んでいたが……風の便りで薩摩の道場が全滅した事、そしてその原因であるマガツノヅチを追いノヴォシアの地へと渡ったという範三の事を聞いたが、果たして彼は仇討を成し遂げたのだろうか。


 彼はなかなかのものだった。愚直で、正面から挑みかかる事しか知らない。何度吹き飛ばされ、打ちのめされても立ち上がり、目的を成し遂げるまでは決して立ち止まらない……”執念”という言葉をヒトの身の形にしたような、そんな奴だった。


 願わくば、彼が本懐を遂げている事を祈りたい。


「ところで力也くん?」


「は、はい」


「貴方、イーランドに来た目的は?」


「え?」


 父上から聞いてないのかな、と思っていると、エリスは真面目な声で語り始めた。


「……今まで、私やエミリアに婚約を申し入れてきた男の人は何人もいたわ。一族の財産や権力、そうじゃなくても私の身体目当てですり寄って来る人ばかり。そういう下心が丸見えの人を相手にするの、もううんざりしちゃってね」


「……はぁ」


「貴方はどうなのかしらって」


 そりゃあな……。


 彼女、ほんわかしているように見えて意外と鋭い一面を持ち合わせているようだ。相手の内面を見抜くのに長けているような、政治の世界に転じたら恐ろしい手腕を発揮しそうに思える。


 そういう相手だからこそ、嘘偽りは通用しない。


 だから俺は、本音をぶつけた。


「父上からは、此度の結婚を機に倭国とイーランドの関係を深め、ゆくゆくは海軍関係の技術供与を受けるきっかけを作れと言われました」


「それで、貴方の本音は?」


「正直、最初はあまり乗り気ではありませんでした。ただ……まだ出会って間もないですけど、結婚も悪くないんじゃないかなって」


「それはどうして?」


「……エリスみたいに綺麗な人とこうして話をしながら歩くの、なんだか楽しいなって思えてきて」


「……そ、そう」


 本音……ぶつけました。


 最初は乗り気じゃなかったのは本当だ。結婚より刀ブンブンする毎日の方がいい、とここに来るまでは思っていた。


 けれども今は、もう違う。


 こんなにも綺麗で、清楚で落ち着いた感じの年上の美女と話をしながら歩くだけでも、なんだか楽しい感じがする。刀を振るい、血飛沫舞う殺伐とした毎日とは違う感覚。今まで感じた事がないのだが、もしかしてこれが恋というものなのだろうか。


 うまく言葉にできないが、とにかく本音はぶつけた。


 彼女の方を見ると、エリスはちょっと恥ずかしそうにうつむきながらこちらに視線を向けた。目が合うなり、彼女は顔をリンゴみたいに赤くして目を逸らしてしまう。


 嫌われた?


「エリス?」


「ま、まあ、いいんじゃない? 私、貴方みたいな正直な人、好きよ?」


「それは良かった」


 良かっ……た?


 そんな感じで歩いているうちに、噴水の前までやってきた。


 よく見ると噴水の縁をなぞるように、下へと降りていく階段がある。階段は螺旋状に左へと曲がっていて、この下にも何かの空間がある事を継げていた。


 その階段を、エリスに案内されながら降りていく。


 向かう先はペンドルトン家の”地下庭園”。


 エリスの話では、妹のエミリアはいつもそこにいるらしい。どうもエミリアも俺と似た感じの性格で、剣術の鍛錬を欠かさない優秀な剣士でもあるのだそうだ。最近は結婚の話も増えてきて嫌気がさし、その鬱憤を晴らすかのように剣術の鍛錬に猶更のめり込むようになったのだとか。


 仲良くなるのに時間はかからなさそうだ、と階段を降りていくと、やがて広大な空間に出た。


 円形の空間―――その外周をなぞるようにガラスの壁があり、中心部には芝生と花壇で彩られた広間がある。その十分な広さの広間には椅子とテーブル、それからパラソルが置かれていて、客人と談笑を楽しむ事も出来そうなのだが……今はどうやら、そういう雰囲気ではないらしい。


 広間のど真ん中で、何やら男女が言い争いをしている姿が見えたからだ。


 片方は真っ白な服に身を包み、腰に剣を提げた男。貴族の息子だろうか、端正な顔にはしかし険しい、どこか縋りつくような情けない表情が浮かんでいて、何やら相手に懇願しているように見える。


 そしてそんな彼の相手になっているのは、エリスにそっくりな顔立ちの少女だった。優しそうな雰囲気のエリスとは真逆で、目はツリ目で鋭く、いかにも気が強そうな感じがする。男勝りというか、そういう感じだ。


 やがて堪忍袋の緒が切れたのか、彼女が相手を思い切り突き飛ばした。


 吹っ飛ばされた相手が扉を突き破り、通路の方へと転がって来る。石造りの壁に背中を強打して止まった相手は、涙目になりながら彼女に向かって叫んだ。


「え、エミリア! 僕にこんな事してただで済むと思うなよ!」


「しつこい、貴様とはもう婚約破棄になったと言っただろうジョシュア! 次にその顔を見せてみろ、叩き斬るぞ!!」


 わーお、なんて物騒な。


 そんな彼女の剣幕に押し負け、ジョシュアと呼ばれた貴族の息子は涙目になりながら走り去っていった。


 おいおい男がそれでいいのかよ、と思いながら去っていく彼の小さな背中を見送っていると、隣にいたエリスが困った調子で言った。


「こらこらエミリア、おやめなさいな」


「しかし姉上!」


「今日はお客様がお見えなのよ」


「む?」


 そこでやっと、エミリアは俺の存在に気付いた。


 なんというか……やっぱりだ。


 彼女とも初めて会ったような気がしない。


「は、初めまして……速河力也です」


 何とも気まずい空気の中、そうやって名乗るのが精一杯だった。




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