海を渡るのはやっぱり危なかった件
大砲が火を噴いた。
武装貨物船ラ・ブランフルール号の前後左右、それぞれ2門ずつ搭載されてる54㎜ライフル砲から砲弾が放たれ、海面に水柱がいくつか生まれる。
その中を突っ切って来る1隻の船―――血のように紅い旗を掲げながら突っ込んでくる海賊船らしき船がぐんぐん迫って来る。ラ・ブランフルール号はそのまま速度を上げ、突っ込んでくる海賊船の目の前を掠めて躱そうとするが、最初から突っ込むつもりで加速していた敵船を躱すには少し行動が遅すぎた。
54mm砲の被弾を意に介さず、突っ込んでくる海賊船。カレン船長がフランシス語で何やら叫んだ(衝撃に備えろとかそういう意味なのだろう)直後、海賊船の船首が目の前にまで迫り―――金属の軋むような、さながら巨大な銅鑼を打ち鳴らすような轟音が響いた。
お互い、金属製の装甲を持つ船だ。大昔の、南方の海を荒らしまわっていたような海賊のオンボロ船とは違う。
さて、敵船の接舷を許してしまったという事は白兵戦が始まるという事で。
「坊ちゃま、顔が怖いです」
「……すまん」
いつの間にか笑ってた。
いやあ、父上にイーランド行きを言い渡された時、もう戦えなくなるのではないかとばかり思っていた。向こうの貴族のところで大人しく、お淑やかに過ごしていくばかりではつまらんではないかと内心落胆していたのだが……よもや海の上で喧嘩を売ってきてくれる連中がいるとは。
「んじゃ、行ってくるわ」
「お気をつけて」
菜緒葉から受け取った刀の鞘を、二の腕までは辛うじて残っている右腕の脇に挟み、左手で柄を掴み引き抜く。
中から現れたのは、一般的な刀よりも長い刀身―――大太刀だった。
手入れされ、曇り一つない大太刀。それを肩に担ぎながら走り出す。接舷されたという知らせを受け白兵戦の準備をする船員たちが何やら制止するような声をかけてくるが、もう関係ない。首輪を外されたらもう走り続けるしかないのだ。
奇声を発しながらこっちの船に飛び乗ろうとしてきた海賊を手始めにぶった斬る。大太刀を左から右下へ振り下ろし、真っ二つになった死体が発する血飛沫を浴びるよりも先に向こうの船へと着地すると、先ほどまで好戦的な笑みを浮かべていた海賊たちの視線が集まるのが分かった。
「這傢伙是什麼……!?(なんだコイツは……!?)」
「……よう、海賊諸君」
返り血すら付着していない刀を振るい、肩に担ぐ。
やはりコレだ、この感覚だ。
相手の殺意を全身に浴びるこの感覚、この腹の底に沈殿していくような緊張感。俺を高ぶらせてくれる感情は、今のところこれしか知らない。
身体が、俺という人間を構成する全細胞が戦いを望んでいるかのような、そんな感覚だった。
腕の一本、目玉の一つ、耳の一つが千切れたところで、この渇望は止まらない。川の流れを押し留める事が出来ないように、だ。
ああ、だからなんだろうな。
親によく「お前は生まれる時代を間違えた」と言われていたのは。
これから意気揚々と略奪行為に精を出そうとしていた海賊諸君には申し訳ないが……。
「―――まあ、楽しませてくれや」
「殺了這個傢伙,殺了他!(コイツを殺せ、殺せ!)」
リーダー格の男がそう言うなり、ジョンファの刀(柳葉刀というらしい)を手にした海賊たちが一斉に飛びかかってきた。
これだよ、これ。
姿勢を低くし、前傾姿勢になりながら大太刀を右へと振るった。
空振りしたのではないかと思ってしまうほどの軽い手応えの中に、確かに骨を断つ軽い感触があった。それも3人分くらいだ。
返り血が飛び散るよりも先に、振るった刀を今度は左へと振るう。切れ味と大重量を伴う刀が、その軌道上に居た哀れな海賊の首にめり込んだかと思うと、次の瞬間にはソイツの生首が宙を舞っていた。何が起こったのか分からないとでも言いたげな、まだ微かに光を宿した海賊の生首と目が合う。
その目に映る俺は、やはり笑っていた。
「後面空了!(後ろががら空きだ!)」
背後から、槍を手にした海賊が突っ込んでくる。
いやあ、こうも思い通りになると面白い―――開けておいたんだよ、後ろを。
背中を串刺しにしようと突き出した、海賊の古びた槍。潮風に晒される中でも可能な限りの手入れをしていたであろうその穂先が、しかし獲物の背を穿つよりも先に消失する。
微かな衝撃と重心の変化。相手もそれなりに戦いの心得はあったのだろう、その変化に違和感を覚えた彼の足元に、ごとん、と切断された穂先が転がる。
振り向くと同時に振り下ろした大太刀の一撃を受けた結果だった。
そんな馬鹿な―――そう言いたげな海賊の喉元に、大太刀を思い切り突き入れる。
槍を持った騎兵の一撃の如く、その突きは海賊の喉をあっさりと刺し貫いた。ガッ、と切っ先が脊髄を撃ち貫き、瞬く間に串刺しにしてしまう。
身体を痙攣させながら黄泉の国へと旅立っていった海賊の死体を蹴飛ばし、刀を引き抜く。
今のところ、海賊たちは俺に釘付けだった。
いや、違う。こんな海の無法者たちではあるが、彼等とて本能的に理解しているのだ―――俺を無視して船を襲おうとすれば、瞬く間にその背中をやられると。
首を傾けた。
直後、ヒュン、と一発の銃弾が頬を掠めていく。
どさくさに紛れて狙撃しようとしていた海賊が、目を見開いた。
「我躲過了一顆子彈……!?(銃弾を避けた……!?)」
「這傢伙是怪物……!(こいつは化け物だ……!)」
殺気で何をするつもりなのか、どこを狙っているのかが丸見えだ。
左腕を振りかぶり、力任せに大太刀を投げ放った。ブーメランのようにぐるぐる回転しながら飛んで行った愛用の得物は、今しがたこっちを狙撃した海賊の戦闘員の胸板を刺し貫くや、その後ろでもう一度狙撃しようとマスケットを構えていた戦闘員まで串刺しにし、そのまま船室へと入る扉に2人を磔にしてしまう。
刀で刺し貫かれた2人の傷口からは、微かに肉の焦げる臭いと白煙が立ち上っていた。
さて、刀を放り投げて丸腰になった状態の俺を海賊たちが狙わない筈がない。今ならばこの化け物を殺せると言わんばかりに、刀を手にした海賊たちが一斉に飛びかかってきた。
足元に転がっている死体、それが手にしていた柳葉刀を蹴り上げる。ぐるぐる回転しながら舞い上がったそれを左手で掴みつつ跳躍、こちらへ飛びかからんとする戦闘員の1人に急迫する。
「!?」
いきなり相手が目の前に現れ、彼が目を見開いた。
力任せに振り下ろした柳葉刀を振り下ろす。ガッ、と頭蓋骨に刀身がめり込み、戦闘員が白目を剥いて落ちていった。
落下する死体を足場にしてさらに跳躍。空中では身動きが取れないのを良い事に、甲板からピストルで狙ってくる不届き者がいたので、ソイツに向かって柳葉刀を投げつけてやった。俺の刀より軽い分鋭い勢いで飛んで行ったそれが敵の眉間にぶっ刺さり、仲間の得物を眉間にプレゼントされた海賊はよろよろと後ずさりするや、そのまま甲板の縁から海へと落ちていった。
着地し、2名の海賊を船室へと続く扉に磔にしていた大太刀を引き抜―――こうとしたところで、物陰に隠れていた海賊が襲い掛かってきた。手には柳葉刀がある。
罵声と共に振り下ろされた一撃を右へと回避し、ソイツの顎に向けて左の拳を打ち払った。ゴキュ、と顎が外れる手応えがあったが、しかしその程度で相手は死なない。せいぜい鈍い激痛に悶える程度である。
そのまま一歩踏み込み裏拳、正拳突きを流れるようにぶちかました。相手の頭が大きく揺れ、割れた歯の破片と血の混じった唾液が宙を舞う。
最後はソイツの頭を鷲掴みにし、思い切り力を込めた。みし、と頭蓋骨が軋む手応えを感じた次の瞬間には、バキュ、と目の前にあった人間の頭が潰れ、紅い飛沫と桃色の破片を飛び散らせていた。
さてと。人間の頭を潰したところで、気を取り直して愛用の得物の回収を試みる。金属製の扉に深々と突き刺さっていたそれを引き抜くのにはそれなりに力が必要だったが、まあ、何とかなった。
隻眼で隻腕、この身体は不便ではあるが―――まあ、それでも刀を振るうための腕は残っているし、文句はない。
火で炙られたが如き熱を帯びる刀を手に、甲板を見下ろした。
海賊たちはすっかり怯えているようだった。こうして睨みを利かせるだけで、連中は後ずさりするほどだ。
このまま逃がしてやってもいいのだが……しかし、同じ航路を進む他の船に被害が出ても嫌な話だ。やはり摘み取るほかあるまい。
悪いが、みんなで仲良く閻魔様のところへ旅立っ
「―――坊ちゃま!!」
菜緒葉が叫ぶよりも先に、”それ”には気付いていた。
咄嗟に右へと飛ぶ。その直後、甲板の外から侵入してきた大蛇のような、表面をぬめらせた巨大な何かが迫って来るや、先ほど俺が串刺しにし仕留めた2人の海賊の死体を絡め取り、そのまま甲板の外へと下がっていった。
まさかな、と思った次の瞬間、甲板の外に広がる海が盛り上がった。さながら間欠泉のようだったが、しかし攪拌され白濁する海水の中から姿を現したそれは、大昔から多くの船乗りたちが恐れ戦く海の魔物そのものだった。
ぬるりとした粘液を纏い、無数の吸盤を持つ触手。
大蛸―――西洋では「クラーケン」と呼ばれる魔物が、よりにもよって俺たちに狙いを定めたらしい。おそらくだが、先ほど海に転落した海賊の死体、それが発した血の臭いに刺激されここまでやってきたのだろう。
コレだから海の上での殺し合いには細心の注意を払わなければならない。迂闊だったな……。
そんな事を冷静に考えている間にも、船底に張り付いていると思われるクラーケンの触手は獲物を求め動き出していた。第三者の介入に戦意を喪失していた海賊たちへと触手が伸びていく。海賊たちは刀を振るい、銃を放ち必死に抵抗したが、しかし数多の船を襲い多くの船員を喰らってきた大蛸の触手はそんな攻撃を意に介さず、1人、また1人と触手で絡め取り、海の中へと引きずり込んでいった。
さっきとは違う意味で阿鼻叫喚の地獄と化した甲板。そこから海賊たちが姿を消すと、クラーケンの触手は今度は船室の窓へと捻じ込まれていった。船室に隠れ潜む生き残りを喰らい尽くそうというのだろう、身体が大きい分食欲旺盛だ。コイツを茹蛸にできたらいったい何人分になるのやら。
そんな事を考えるが、しかし食欲旺盛な魔物が、甲板の上で返り血を浴びながら突っ立っている俺を見逃す道理もない。あらかた船員を食い尽くしたクラーケンの触手が、今度はこっちへと迫ってきた。
「おいおいおい」
迫ってきた触手を大太刀で輪切りにしながら笑みを浮かべる。
まず一本。
伸びてきた触手が足に絡みつくが、しかし引っ張られる前に大太刀を突き立ててそのまま切り裂いた。じゅう、と刀に触れた触手が、さながら熱された鉄板の上に落とされたかのように焼けるような音を立てる。
一筋縄ではいかないと思ったのか、他の触手まで動員して俺を狙い始めるクラーケン。触手の一撃を躱し、あるいは絡め取られるよりも先に切り落とす。クラーケンは普通の蛸とは異なり、足が何本もある化け猫みたいな存在だが、しかしこの調子ではやがて足が全部なくなってしまうだろう。
さすがにそれは拙いと思ったのか、それとも本気で怒ったのかは定かではないが―――海賊船の左舷、藍色の海面が唐突に盛り上がったかと思いきや、そこに巨大な頭が浮上してくる。
大きな眼球を持つ蛸の頭―――クラーケンの本体だ。
ぎょろりとした、成人男性の身の丈ほどもある眼球は怒りに震えていた。食事を邪魔されればまあ、確かに誰でも怒り狂うだろう。俺だって怒る。
残った触手を総動員し攻撃しようとするクラーケンだったが、無数の触手がこっちに伸びてくるよりも先にその巨大な眼球へと何かがめり込んだ。
ああ、砲弾だ―――54mmライフル砲から放たれた炸裂弾。今しがたそれに貫かれた眼球の表面が泡立つように盛り上がった。ぶくり、と膨れ上がったそれは次の瞬間には破裂し、ゼラチン状の破片と鮮血を海面へと撒き散らす。
ギィィィィィ、と苦しそうな、あるいは船の軋む音にも似た呻き声が響いた。
間髪入れず第二、第三の炸裂弾がクラーケンの頭へと射かけられる。予想外の砲撃にクラーケンの怒りが俺ではなくラ・ブランフルール号の方へと向けられるが、しかし砲撃の指揮を執るギュンターは無慈悲で、その攻撃は熾烈だった。
流れるような装填と砲撃、矢継ぎ早に炸裂弾が撃ち込まれるせいで、クラーケンは何もできない。頭が面白いくらい削られ、抉られ、段々と小さくなっていくのを海賊船の甲板から眺めていると、やがてクラーケンは海面へと沈み始めた。
残ったもう片方の目から光が消え、ああ、死んだのだ、と思いながらラ・ブランフルール号へと飛び移る。
海の魔物、多くの船乗りに恐れられていたクラーケンの討伐に成功したラ・ブランフルール号の甲板はお祭り騒ぎだった。砲手たちの歓声に満ち溢れ、中には秘蔵のラム酒まで持ち出してはしゃぐ砲手もいる。
まあ、それもそうだろう。
一昔前まではクラーケンは決して殺せない魔物、遭遇したら最期とまで言われていた船乗りの天敵だった。それは鉄球を撃ち込むだけの大砲では殺し切れないほどの生命力と単純に戦闘用の船の性能の低さが原因とされていたが、今は違う。船は当たり前のように鋼鉄製の装甲に覆われ、大砲はより強力になった。
しかしそれでも強敵である事に変わりはなく、クラーケン殺しは船乗りにとって最高の栄誉とされている……らしい。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
「ただいま、楽しかったよ」
ハンカチを差し出す菜緒葉からそれを受け取り、返り血を拭き取りながら俺も甲板の上のバカ騒ぎ大会に加わった。
クラーケンを仕留めたギュンターと一緒に肩を組み、海域を離れるまでバカ騒ぎした。
まあ、結局彼が何を言っているのかは全然わからなかったけれど。




