イーランド行きの船に乗ったらなんか海賊に襲撃された件
1888年 12月15日
倭国 長崎 出島
倭国が鎖国を解き、西洋諸国の船を受け入れるようになってから、いつもここは賑わいを見せている。
長崎の出島―――海外との交易の玄関口。周囲を行き交うのはドレス姿の女性にスーツ姿の西洋人、時折銃剣付きの鉄砲を担いだ兵隊の隊列が太鼓の音に合わせてどこかへと進んでいく姿が見え、どこからか聞こえてくるのは異国の言語ばかりだ。
菜緒葉のおかげで勉強し、聞き取れるようになった単語もあれば、全く分からん未知の言語も聞こえてきて早くもお家に帰りたくなる。もういい、俺は一生刀ブンブンして生活したい。強い奴と戦いながら刀ブンブンしたいのだが多分ダメっぽい、今しがた菜緒葉に睨まれた。
出島の検問所が見えてくる。警備していた幕府軍の兵士に停められ、運転手が窓を開けて身分証を提示。速河家の家紋を見た途端に警備兵の顔色が変わった。先ほどまでは警戒心を露にしていた険しい顔が、打って変わって権力者に胡麻を擦るような表情になったのだ。
相変わらず、実家の影響力は強い。
何せ平安時代から刀鍛冶を始め、源平合戦の頃には源氏と平氏の双方に刀を売って巨額の富を得た一族だ。戦国時代には西洋からもたらされた鉄砲を中心に生産、各地の勢力に売って影響力を更に増し、関ヶ原の戦いでは徳川優勢と見るやすぐに徳川につき見事に勝ち馬に乗った―――そうやって巧みに機を読み舵取りを繰り返した結果、今では速河家は幕府お抱えの軍需産業筆頭となったわけだ。
幕府軍の兵士が持っている刀やマスケット銃だって、ほぼすべてが速河重工の品。最近では子会社を設立し車に鉄道の製造を始めたらしい……実家の影響力は倭国全土に及びそうだ。
そんな巨大企業だからなのだろう、幕府は速河家にあまり強く出られない。
運転手が警備兵に礼を言い、車はいよいよ出島の敷地内へと入っていった。検問所を抜けるとこれまでの倭国的な風景とは打って変わり、まるで西洋の国にでもやってきたのではないかと錯覚してしまうほどの別世界が窓の外に広がる。
舗装された石畳や西洋風の建造物。等間隔に並ぶガス灯に至るまでが西洋式で、辛うじて一部の建物に倭国の名残を見る程度だ。もしその辺にある看板の中に慣れ親しんだ倭国語がなければ、ここは異国にしか見えなかっただろう。
そんな調子でぐんぐん港へと進んでいくと、やがて大きな船が見えてきた。
貨物船のようだ。片方はエゾ(最近では”北海道”に名称が変わったらしい)の”雪船家”の船。どうやら北海道から出島まで何かを運んできたらしい。倭国各地を飛び回る雪船家とは、速河家も何度も取引しているし父上と向こうの現当主とも個人的な付き合いがあるらしい。
雪船家のご子息、”夏二郎”殿は文武両道、剣術の鍛錬で何度か手合わせしてもらったがまあ楽しかった。結果はこちらの勝ちだったが、何度吹っ飛ばしても立ち上がり挑んでくるあの根性は凄まじい。あれから8年、この通り隻眼隻腕になってしまったがまだ剣術は続けているので、またいずれ夏二郎殿に手合わせ願いたいものだ……まあ、これからイーランドに渡るので次にいつ会えるか定かではないが。
ちなみに夏二郎殿とは何度も手紙でやり取りをさせていただいているのだが、妹のハナ殿は冒険者になったそうだ。実際にあった事があるが元気の塊みたいな少女で、出合頭にドロップキックを顔面に貰ったのは良い思い出である。
今はノヴォシアの地に渡ったと聞いているが、彼女も元気だろうか。
そしてその雪船家の貨物船の隣には、フランシス共和国の国旗を掲げた貨物船が停泊していた。甲板の上には大砲が並んでおり、海賊や魔物対策に武装している事が分かる(海にはそういった脅威があるため武装するのが当たり前だ)。
俺たちがお世話になるのはそっちの方だった。
以前、父上からはタイタニック号とかいう豪華客船に乗ってイーランドに行くようにと言われていたが……なんとそのタイタニック号、氷山に激突し沈んでしまったらしい。
幸い船長が会社からの反対を押し切って自費を投じ、乗客全員が乗るのに十分な数のボートを乗せていた事で乗客の多くが助かったと聞いているが……しかしまあ、運がいいのか悪いのか。
車が停まる。
さて、んじゃあそろそろ行こうか……とシートベルトを外し降りようとしていると、隣に乗っていた信也がそっと俺の右の袖を掴んで止めた。
「どうした?」
「兄さん、これ。父さんから」
「?」
寂しそうな顔をする信也が差し出したのは、速河家の家紋が描かれた真っ黒な箱だった。まさか玉手箱じゃないだろうなと思いつつ開けてみると、中には所々に黄金の装飾が施された大型の連発拳銃……西洋では”リボルバー”と呼ばれる種類の銃とその予備の弾薬が収まっていた。
随分とまあ、物騒な贈り物だ。
どうせ「道中何かあったらこれで身を守れ」とでも言うのだろう。海賊相手ならばなんとかなるが、もし大蛸のような化け物が出てきたらどうしろというのか。
まあいい、その時は茹蛸にでもして食ってやるさ。
残った左手でリボルバーを確認してみる。既に弾丸は装填されているようだ。しかもよく見ると、弾倉の側面には速河重工のロゴがしっかりと描かれており、自社製品である事が分かる。
これまでの連発銃といえば高価なものばかりで実用性に欠ける、クソの如く使えない代物ばかりだったが……コイツは使えそうだ。
「ありがとう。それと信也」
「なんだい」
「父上に伝えておけ」
一緒に渡された革製のホルスターにリボルバーを収め、車から降りた。
「―――”実用と観賞用は違う”とな」
唯一文句をつけるとしたら、このゴテゴテとした装飾だろうか。こういうのは相手を撃ち殺すにしては高貴過ぎる。殺しに使う武器はもっと質素で無機質、人間の情を限界まで削ぎ落とした、いかにも”殺しの道具”のような代物であるべきだ。
こんな派手な装飾、戦闘においては全く有利に作用しない。父上はどうやら、その辺を履き違えていると見える。
「ふふっ、分かった。伝えておくよ」
「んじゃ、俺は行くわ。お前も身体に気を付けて」
「ん、それじゃあ。手紙出すからね」
「おう、待ってる」
出して、と信也が言うと、運転手はこっちに一礼してから車を出した。
信也も忙しいのだ。アイツは速河重工の次期代表取締役、父上と共に各地を回ってコネを作ったり、経営のノウハウを学んだりしなければならない。自由奔放だった俺とは違って、アイツは一日スケジュールがギッチギチなのだ。
信也も信也で大変なのである。
俺がもう少し会社の相続に真面目だったら、アイツもこんなに苦労しなかったのかな……そう思うと、申し訳なくなった。
参りましょう、と荷物を持つ菜緒葉に促され、フランシスの貨物船の方へと歩く。
でっかい船だな、と思いながら船の方を見ていると、「Bonjour!(こんにちは!)」とやけに元気な女の声が聞こえてきてびっくりした。
船への乗船用タラップの辺りで、倭国側の役人と何やら話し込んでいた金髪の女性がこっちにぶんぶんと大きく手を振っている。海軍の制服を思わせる服装に、脇には三角帽を抱えた金髪の女性―――頭からはキツネのケモミミが覗いている。
「Êtes-vous Hayakawa? Bonjour, je suis Karen. Karen Chers Les d'Orléans(あなたがハヤカワさん? 初めまして、私はカレン。カレン・ディーア・レ・ドルレアン)」
「あー……えっと、ハロー、マイネームイズリキヤ・ハヤカワ」
「?」
女性は「コイツ宇宙人か?」と言わんばかりの顔で首を傾げた。何だ、菜緒葉から教わった西洋の言葉が通じないのかと思いながらこっちも彼女に合わせて首を傾げていると、菜緒葉に脇腹を肘でドスッと突かれた。痛い。
「坊ちゃま、イーランド語ではなくフランシス語です」
「ふらんしす語」
「彼女はカレン・ディーア・レ・ドルレアン氏。よろしくお願いしますと言っています」
「あ、ああ……速河です、よろしく」
「Je m'appelle Hayakawa et je prendrai soin de toi jusqu'à E-Land. ravi de vous rencontrer(イーランドまでお世話になります、ハヤカワです。よろしく)」
「Heureusement qu'il y avait quelqu'un qui comprenait la langue(よかった、言葉が分かる人がいた)」
うーん、西洋の言葉は分からん。
結局一ヵ月に渡る菜緒葉の猛特訓のおかげで、とりあえずイーランド語の自己紹介とありがとうくらいは言えるようになった。読み書きは……うん。
しかし言葉が違うというのは不便なものだ……。
「Nous partirons tout de suite. Viens ici s'il-te-plaît(すぐ出発するわ。どうぞこちらへ)」
「お、お邪魔します……?」
なんか船に乗れ的な事を言われているような気がしたので、一言挨拶してから船に乗り込んだ。
うん……これ大丈夫だろうか。
父上、なんだか出発の時点からグダグダですわ。
出島が水平線の彼方に見えなくなってから多分そろそろ5時間くらい。
フランシス共和国の”ドルレアン商会”が保有する武装貨物船『ラ・ブランフルール号』は長崎沖を離れ、進路を西へととった。目指すは聖イーランド帝国首都ロードウ。そこにあるペンドルトン・インダストリー本社に用がある。
大きな波を乗り越えたようで、船が大きく揺れた。
さっき菜緒葉に通訳をお願いし船長のカレン・ディーア・レ・ドルレアン氏と話をしたんだが、どうやらこのラ・ブランフルール号、新型の機関銃を長崎に下ろしていたところらしい。買い手は徳川幕府、輸入に際し間に入って色々と手続きを行ったのは速河重工だったのだそうだ。
なんでも今までのように手動で連射する必要のない、完全に自動化された代物なのだとか。水と油さえあれば何十発も何百発も撃てる化け物……やがてはこれが戦争の流れを大きく変えるのだろう。
さて、この武装貨物船ラ・ブランフルール号だが……倭国海軍の主力となっている甲鉄艦よりも大きい。
全長は見たところ90m、艦首には随分とまあでっかい衝角がある。砲戦時、敵艦との距離が近くなってきたらあれで体当たりするというわけだ。先進国の戦艦では廃止する動きが出ているが……。
しかもこの輸送船の動力は石炭、機関は1400馬力。装甲はそれほど厚くないようだが、輸送船ですらこれほどの性能だ。これが軍艦ともなればどれほどの性能差になるのか……これだけで自国と諸外国の技術力の差を痛感してしまう。
なるほど、幕府が海軍力の強化に躍起になるわけだ。
にしてもデカい船だ、と思いながら甲板を邪魔にならない範囲で歩き回る。甲板には前方に向け2門、左右に2門、後方に向け2門ずつ大砲が設置されていた。砲口を覗き込んでみると内側には螺旋状の溝が刻まれており、ライフル砲である事が分かる。
口径はおそらく54mmほどだろうか。軍艦を相手にするには心許ないが、海賊船や魔物を撃退するには十分だ。
「Wat, is hierdie kanon skaars?(なんだ、コイツが珍しいのかい?)」
「え」
ライフル砲をまじまじと覗き込んでいると、傍らで砲弾の整理をしていた筋骨隆々の男性に声をかけられた。
砲手だろうか?
肌は浅黒く、頭には熊のケモミミがある。熊の獣人だろうか。さっきの船長とは話している言葉の語感が違うような気がするが……しかし分からん、何と言ってるか分からん。
「は、はろー」
「はははっ、はろー」
おお、通じた……?
「Ek is Gunter, lekker om jou te ontmoet(ギュンターだ、よろしく)」
「お、おお……ぎゅんた?」
「Ja, Gunter(ああ、ギュンター)」
「ぎゅんたー……マイネームイズリキヤ。リキヤ・ハヤカワ」
「リキヤ?」
「イエスイエス、リキヤ」
「イェーイリキヤ」
「イェーイリキヤ」
なんだこれ。
なんか知らんが”ギュンター”と名乗った砲手とハイタッチ。うん、コイツとはなんだか仲良くやれそうだ。イーランドまでの短い旅路ではあるが、まあよろしく頼む。
なんて感じてお互い言葉が分からない状態でも紡いだコミュニケーション、異文化交流の可能性を垣間見ていたその時だった。
カンカンカン、とマストの上にある見張り台に居た船員が、傍らにある警鐘を鳴らし始めた。
甲板の上が一気に慌ただしくなる。甲板を掃除していた船員たちが一斉に割り当てられた大砲へとつくや、船長のカレンが傍らの伝声管へと鋭い声で問い質す。
「Ce qui se passe?(何事?)」
《L'ombre d'un navire et un drapeau pirate sont hissés à 10 heures!(10時方向に船影、こちらに接近中!)》
え、何、何?
非常事態なのは分かるけど言葉が分からんから何が起こっているか分からん。
ギュンターの近くでとりあえず砲弾を運ぶ手伝いをしていると、傍らにやってきた菜緒葉が望遠鏡を貸してくれた。
彼女の指が指し示す方向を見てみると、そこには船影が見えた。紅い旗が掲げられたマストと甲板上の煙突が濛々と吐き出す黒煙。黎明期の装甲艦のようで、甲板には大砲がずらりと乗っている。
そして船員だが……ジョンファ人だろうか。手には向こうの刀剣を持っており、あまり何というか、友好的な様子には見えない。
ぐんぐん突っ込んでくる所属不明の船。ありゃあ海賊だな、と呟くと、船長のカレンが号令を下した。
「Préparez-vous au combat ! Percez à vitesse maximale!(戦闘用意! 最大戦速で振り切るわ!)》
「なんて?」
「戦闘用意を命じつつ振り切るつもりのようです」
「……まあ無理だろうな」
もうちょい見張りが気付くのが早ければ逃げ切れたかもしれんが……こりゃあ無理だ、追い付かれる。
「菜緒葉、刀を」
「こちらに」
言われるまでも無く、菜緒葉は俺の刀を用意してくれていた。
俺の体格に合わせて用意してもらった特注品―――やはりコイツでなければ、刀の方がもたない。
さて……んじゃあやりますか。
婿入り前の”うぉーみんぐあっぷ”だ。




