朝一呼び出されたと思ったら父親にとんでもねえ事言われた件
1888年 11月15日
倭国首都 江戸(武陽)
速河重工 本社
「力也よ、お前婿に出ろ」
眠気が吹き飛んだ。
ただでさえ寝起きでまだふわふわする頭では理解できない。さながら未知の言語、宇宙人の言葉のようだった。少なくともつい20分前までは暖かい布団の中で、お菓子をお腹いっぱい食べる夢を見ていた俺にはあまりにもハードルが高すぎたらしい。
聞き間違い、という可能性もあるので念のため聞き返しておく。
「……父上、今なんと?」
「婿に出ろ」
聞き間違いなんかじゃなかった。
倭国語には主語と述語という概念があるんだが、こういう時父上はいつも言葉足らずだ。必要な事しか言わないから一度で会話が成立した試しがない。
父上―――”速河宗一郎”は腕を組みながら話を続けた。
「聖イーランド帝国の首都ロードウに”ペンドルトン・インダストリー”という会社があるんだが、そこの社長とこの前のパーティーで仲良くなってな。お前と歳が同じくらいの娘たちがいるそうで、ウチにも18にもなって結婚もせず刀ブンブンしてる息子がおるんですよ~、なんて話したらなんか知らんけど結婚する流れになってた」
「ざけんじゃねえぞクソ親父」
「まあそう言うな。此度の結婚の件、これは上様からのご命令でもある」
「……幕府の?」
倭国を統治する徳川幕府―――上様からのご命令ともなれば嫌とは言えない。
さらば俺の独身貴族生活、と好きなだけ刀ブンブンしたり小鬼を千切っては投げ、強そうな魔物を見つけては戯れる毎日に別れを告げておく。結婚すると自分の時間が取れなくなり好きな事が出来なくなる、とはよく話に聞いていた。俺もそうなるのか……ストレスヤバそう。
胃に穴でも開くのではないか。できれば優しくて綺麗でこう、夫の行動に理解のある人だったらいいなと思う。後はアレだ、この前買ってきた春画に出てきたような、こう胸と身長と尻が大きい綺麗な人だったらいいなとも思うがまあ、そいつは高望みが過ぎるというものだ。
「力也よ、我が国が造船技術において大きく他国に後れを取っている事は知っているであろう」
「ええ」
やっぱりそれが絡む話か。
最近、海軍大国たる聖イーランド帝国と北方の大国ノヴォシア帝国の2ヵ国を中心に熾烈な建艦競争が始まっている事は周知の事実だ。
聖イーランド帝国が建造した最新鋭戦艦”ドレットノート”の就役を皮切りに、同国は新型の戦艦を次々に建造、就役させている。そしてそんな大艦隊と相対し、北海の制海権を巡り小競り合いを繰り返すノヴォシア帝国海軍も黙って見ているわけではない。ドレットノートに対抗し新造戦艦”インペラトリッツァ・カリーナ”級戦艦を建造、就役させており、この前などその4番艦”インペラートル・パヴェル”の進水式を挙行したと聞いている。
その両国の建艦競争に刺激され、他の列強諸国も多額の予算を投じて強力な戦艦と海軍戦力の増強を始めた。
さて、そんな国際情勢に後れを取るまいと徳川幕府も息巻いているものの、今の倭国海軍の戦力はなかなか悲惨なものだ。
近代化改修を施したとはいえ、稼働できる戦力の中で最高のものは『甲鉄艦』……しかもその旧式艦の元を辿るとアメリア合衆国が南北戦争の際に発注していたものを購入した装甲艦である。
それに加えて戦艦を建造する技術にも乏しく、このままでは軍拡競争どころか時代に置き去りにされるのは明白だった。
それだけで済むならばまだ良い方であるが、今の倭国にとっては当面ノヴォシア帝国が目の上のたん瘤となる。連中は以前より南下政策を推し進めており、やがてはジョンファ方面での影響力を拡大したい倭国としては将来的な敵国となる事は明白である。
そんな時にまともな海軍戦力は南北戦争時代の装甲艦くらいしかありません、では話にならない。
ノヴォシアには強力な戦艦を擁する艦隊がある―――特に戦艦インペラートル・アレクセイを旗艦とするバルチック艦隊が倭国海まで出張って来れば勝ち目はない。
なるほど、そこでか。
倭国の兵器産業の中でも最大手、元を辿れば平安時代の刀鍛冶、戦国時代の鉄砲鍛冶を生業としてきた軍需産業の名門、速河家の息子を聖イーランド帝国の軍需産業大手ペンドルトン家とくっつけさせれば戦艦建造のノウハウも手に入るというもの。イーランドと倭国、互いにノヴォシアを脅威と見做す事で利害の一致している両国の関係をより一層強固にする―――そのための人身御供として、この俺に白羽の矢が立ったというわけだ。
「この結婚が成立し、倭国とイーランドの関係が強固ともなれば技術交流もより盛んとなろう。お前はその礎となるのだ」
「なるほど、よく分かりました。では支度を」
「……すまないな、お前とてその身体では大変だろうに」
父上がそんな事を言うとはずいぶん珍しいものだ……いつぶりか、と思いながら左手を右腕へと運んだ。
本来、袖の中を通っている筈の右腕―――しかしそこに腕はなく、ひらひらと中身のない袖があるのみだ。
俺に右腕はない。二の腕から先はバッサリと無く、ついでに右目も失明、ワコクオオカミ(ニホンオオカミ)の獣人として生まれた時から頭に生えているケモミミの右側も半ばほどから千切れている。
五体満足だったのは15の時まで。今となってはもう、このクッソ不自由な身体にも慣れた。
「しかし上様も物好きですね。俺みたいな男を婿に出すとは」
「……そうだな」
まあ、本音は分かる。
速河家には、2人の子がいる。
片方はこの俺、『速河力也』。そしてもう片方は2つ下の弟、『速河信也』。
兄はどちらかと言うと自由奔放、特に剣術に秀で、一時期は薩摩まで剣術の修行に出ていた事もある。そして弟はと言うと武芸は不得手ではあるものの、語学や算学などの学問に秀で、経営学も得意とする事から次期速河重工の社長として第一候補によく名が挙がっている。
婿として出すならば、俺の方が都合がいいのだ。
イーランドまでの旅路は決して安全なものではない。万一この俺が船諸共海の藻屑となっても、実家にとって都合のいい方の息子は残る。平安時代から続く名門一族の血脈は守られるというわけだ。
消去法で選ばれた、という事だろう。
「とりあえず、お前の世話係として菜緒葉も行かせる」
「お呼びでしょうか」
心臓止まるかと思った。
いつの間にか隣に立っていたハクビシンの獣人の少女。鋭い目つきにあまり表情を変える事の無い顔からは、まあなんとも冷たそうな女だという印象を受ける。黒髪で、しかしケモミミの周りと前髪の一部のみが真っ白だ。
ハクビシン―――台湾やジョンファ大陸の南方に住む動物の獣人だという菜緒葉は、10年くらい前に父上がどこからか拾ってきた女だ。本人曰く「伊賀のくノ一」だと言うが、詳細は分からん。
伊賀から流れてきたかどうかはさておき、忍者だというのはまあ確実だろう。コイツ気配はしないのに大体どこにでも現れる。
「菜緒葉、すまないがバカ息子を頼む」
「オイコラ誰がバカ息子やねん」
「お任せください、この私が責任もってお世話を致します」
「お前も否定しろ」
「?」
いや、そんな真顔で首を傾げられましても。
「力也よ、イーランド行きの船のチケットは既に手配してある。”タイタニック号”とかいう豪華客船が来月にも倭国を経由してイーランドに戻るのだそうだ。お前はそれに乗って行け」
「分かりました」
なんだ、出発は来月くらいか……ならあと一月は刀ブンブンできそうだ。
「坊ちゃま、”あと一月は刀ブンブンできそうだ”なんて考えてませんか」
「ギクッ」
「そんな暇はありません。異国に参られるのですからまずはイーランド語のお勉強と向こうの文化、マナーについてもきっちり学ばなければなりません。もし粗相があって婚約破棄などという事になられては切腹モノですよ」
「……勉強かぁ」
やだなぁ、勉強……知恵熱出そうだ。
「さあ、そうと決まれば早速お勉強を。講師はこの菜緒葉が」
「……へーい」
「では旦那様、これにて失礼」
「うむ、しっかり勉強するのだぞ力也」
「うへーい」
「そんな嫌そうな顔をするな力也」
「……うへーい」
気分が乗らん。
ともまあ、そんな俺の意志など尊重してもらえるはずもなく、一体小柄な体のどこにそんな力があるんだと言いたくなるほどの力でぐいぐい引っ張っていく菜緒葉と、抗いたくても抗えず引き摺られていくワコクオオカミ獣人の俺。なにこれ。
160㎝くらいの女に引きずられる180㎝の巨漢とか絵面が面白すぎる。
やだなぁ刀ブンブンしたい、と思いながら何気なく窓の向こうを見た。
江戸湾に沿うように建てられた造船所では、速河重工の工員たちがせっせと汗水流して軍艦の建造を進めている。とはいっても建造しているのは最新の戦艦ではなく、甲鉄艦の発展型だ。船体を一回り大きく、武装も増量し装甲も分厚く、機関も最新型……ではなく既存のものを倍積んでとりあえず速力確保、という何とも情けないものである。
イーランドから最新鋭戦闘艦の建造技術がもたらされるまでの”繋ぎ”として急ごしらえの装甲艦を増産するのだそうだ……こうでもして数を揃えなければ、南下政策を続けるノヴォシア帝国には太刀打ちできないという実情が重くのしかかる。
これも祖国のため、か。
異国に渡って向こうの軍需産業の社長の娘と結婚、親密な関係になって建造ノウハウを手に入れる。そして俺は伴侶を得て家庭を持つ、と。
相手が美人だったらいいなぁ、と思いながら菜緒葉に引きずられ、このクッソ広い本社の廊下を歩くこと5分。向こうから分厚い本を何冊も抱えた少年が歩いてくるのが見え、菜緒葉が唐突に足を止めて一礼した。
「お疲れ様です、坊ちゃま」
「ああ、菜緒葉さん。兄さんも」
やってきたのは弟の信也だった。
よく俺ら兄弟は似ていると言われるが、それも元服まで。確かに幼少の頃は母上に何度も「お前ら見分けつかないわ」なんて言われたが、元服を迎え身体が発育してくると一発で見分けがつくようになった。
剣術と戦を好んだ俺は筋骨隆々に、逆に学問を好んだ信也は暗いところで文字をずっと読んでいたもんだから目を悪くしメガネをかけるようになった。
彼が抱えている本もよく見ると経営や語学に関するもののようだ。経営学の本の上にはジョンファ語やイーランド語、ノヴォシア語の教科書が乗っている。待って俺よりコイツ行かせた方が適任なのでは???
「兄さん、イーランドに行くって?」
「耳聡いな、いつ聞いた?」
「今朝父上から」
なんともまあ……。
父上も母上も、可愛がってる信也を手元に残す事が出来て胸をなでおろしている事だろう。俺はほら、「お前は戦国乱世でも生きていけそうだ」だの「生まれる時代間違えたんじゃないか」なんて言われるような男だから、多少の逆境は何とかなる。
すると信也は、俺のひらひらしている右の袖―――かつては右腕があった場所を見つめ、申し訳なさそうな顔になった。
「ごめん、僕のせいで兄さんが行く羽目に……」
「んなこたぁ無え」
ゆっくりと倒れていく信也のケモミミに手を置き、そのまま頭をわしゃわしゃと撫でまわす。
「腕一本、目と耳の一つ……これでお前の命が守れたんだ、安いもんだよ」
「でも……」
コイツはまだ、3年前の事を引き摺っている。
冒険者になったばかりの事だ。海龍(西洋では”りばいあさん”と呼ばれているらしい)討伐の折、俺はコイツを庇って右腕と右目、それから右のケモミミを失っている。討伐には辛くも成功したが、それを原因に当時通っていた薩摩の剣術道場をやめ、実家のあるこの江戸まで戻ってくる事になった。
兄さんから剣士の命である利き手を奪ったのは僕のせいだ―――信也は今でもそう思い、自分を責めているのだそうだ。
だが、兄としてはそうは思わない。幼少の頃から同じ屋根の下で過ごし、同じ釜の飯を食って生きてきた血を分けた兄弟だ。その命を守れたのだ、腕の一本安いもんじゃあないか。
それに俺はまだ剣術を続けている。確かに腕は一本千切れたが、まだ左の腕がある。
「いい加減自分を責めるな。お前だって男だろ、いい加減に前を向け」
「うん……」
それにまあ、コイツには会社の経営を頼みたい。
”生まれる時代を間違えた”と言われた俺よりも、学問を得意とするお前の方が経営には向いているだろう。平安時代から続く一族の命運はコイツに任せるべきだ。
「それじゃ、俺は鍛錬に―――」
「ダメです今から語学のお勉強があります。それでは信也坊ちゃま、私共はこれで」
「は、はあ」
「いだだだだだだだ! み、耳! 耳千切れるからっ、んなとこ引っ張るなぁ!!!」
お前、ちょ、菜緒葉お前っ、もう少し俺の身を労わって……いだだだだ。




