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新たな春、新たな旅立ち


《―――イライナ地方キリウでは気温-17℃を観測、3日連続の気温の上昇に、帝国臣民は春の訪れを感じています。モスコヴァでも-21℃の気温が観測され、街の人々は春に向けて用意を進めています》


 春の到来は、多くの人が待ち望んでいる。


 昨年の11月から始まった路線封鎖が解かれ、やっと各地への移動が解禁されるのだ。それまで各地の居住地で雪解けを待ち望み燻っていた冒険者たちも、一斉に動き出す季節。


 しかし、春が訪れたからといって順風満帆……とは、ならない。


 雪解けで生じた水分は土に吸収されるわけだが、毎日除雪しなければ家が潰れるレベルの積雪が溶けるわけだから、そんな大量の水分を吸収した土壌は簡単に泥濘化し、いたるところに底なし沼が生じる事になる。


 冬は別枠だが、実は冬を除いた3つの季節の中で最も死者数が多い季節がこの春であり、その死因の9割弱は溺死なのだそうだ。


 イライナ地方南部の場合、それに加えてヴォジャノーイの幼体による襲撃の危険もあるため、危険度で言えばイライナ地方の方が他の2大地方と比較するとヤバかったりする。


《それでは次のニュースです。3日前、パルコフ水産の第一工場に奴隷解放を掲げる活動家が侵入、警備を担当していた冒険者ギルドと戦闘の末排除された模様です。パルコフ水産側の発表では、敷地内に侵入した活動家は以前にも同社の工場を襲撃、3人の奴隷の脱走を幇助したとされており、同社は警備員を増員して警戒に当たっていました。今回の事件についてパルコフ社長は『法を軽んじ感情で動く活動家には当然の末路だ』とした上で、今後も引き続き厳しく対応していく事を表明しました。それでは、CMの後は海外のニュースです》


 ザリガニのフライをナイフで切り分け、皿の上のバターソースに浸けてから口へと運ぶ。塩加減とバターの風味、食べ慣れた味が警備任務を終えて疲れ切った身体に染み渡っていく。


 黒パンを切り分けてくれたクラリスに礼を言い、受け取ったパンを小さく千切って口へと運んだ。


 パルコフ水産の警備任務は終わった。期限の一週間を終え契約期間は終了、社長からも契約の更新の申し出はなく、報酬を後ほど支払う旨の連絡を受け現場を後にしてきた。


 直接契約の怖いところだ。冒険者管理局が仲介せず、冒険者側は手数料なしの割高の報酬を受け取れるし、クライアントも依頼内容の検閲を受けないから汚れ仕事を依頼し放題。半面、契約を反故にされた場合は管理局は一切介入せず、当事者のみで問題解決をしなければならず、その”問題解決”は流血を伴う事が多い。


 もし今回がそうなのだとしたら、パルコフ水産に強盗に入ろうかと真面目に計画していたところだ。幸い敷地内の図面はある。だがまあ、前払いで200万ライブル貰っているし、今になって後払いの300万ライブル分を出し渋る……なんて事もないだろう。


 黒パンにバターを塗っていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえてきた。誰だろうかと席を立つと、クラリスもすかさず席を立って2号車のドアの方へと歩き始める。


 窓の向こうには微かに羊の巻き角が見え、ああ、パルコフ水産のメイドさんかな、と悟りながら階段を降りた。


 クラリスが扉を開けると、やはりそこには羊の獣人の女性がいた。ロングスカートのメイド服の上にコートを羽織り、厚めの手袋をはめた羊の獣人のメイドさん……メル、だったか。首には奴隷の証でもある首輪があり、片手には大きなブリーフケースがある。


「お疲れのところ大変申し訳ありません」


 そう言いながら一礼したメルは、無表情でブリーフケースをそっと開けた。


 中に収まっているのは、やはり無数のライブル紙幣だった。隙間なくぎっしりと詰め込まれたライブル紙幣を俺たちに見せてから、メルはそれをクラリスに手渡す。


「報酬の件、残りの300万ライブルをお持ちしました。社長は今回の結果に大変満足されております」


「それはよかった。しかし、本当に良いのですか? 設備に若干の損壊を出してしまいましたが……」


「それに関しては社長より、修繕費は自費で受け持つ旨のお言葉を頂いております。血盟旅団の皆様には報酬金を全額受け取っていただきますが、よろしいでしょうか」


「は、はあ」


 しかしなぁ……まあ、受け取ってくれと言われているのだから受け取っておこう。どうであれ、コイツは大金だ。しかも強盗で得たような汚れた金ではなく、資金洗浄マネーロンダリングも不要なのだ。


「ところで、社長は?」


「はい、社長はベレアノフ海運の経営陣との会合に出席されておりまして、私が代理として報酬をお持ちしました」


「ああ、そうでしたか」


 社長ともなるとやはり多忙なのだろう。事業の経営というのは難しいらしい……成功すれば莫大な利益になるが、少しでも舵取りをミスれば一気にどん底だ。ヒトの上に立ち事業の舵を切る人間は、常にそういうところに神経を尖らせているものなのだろう。


 パルコフ水産のやり方は気に入らないし、当局との癒着や腐敗の一端を垣間見た今回の依頼だったが、しかしこれで血盟旅団の株も上がるだろう。何より今回の仕事は、今までのような騎士団からの直接契約ではなく、本当の貴族からの直接契約だったという点において大きな意味がある。


 貴族を始めとする富裕層に血盟旅団の名を広める事が出来れば、これからさらに仕事が舞い込んでくるだろう。そしてそれは大きな利益を生んでくれるに違いない。


 パヴェルの売り込みは成功、見事に軌道に乗った形になる。


「社長によろしくお伝えください」


「承りました。では、私はこれで失礼いたします」


 ぺこり、と頭を下げ、踵を返すメル。クラリスからブリーフケースを受け取ると、そのずっしりとした重さにちょっとわくわくした。


 これが金の重さだ。


 ブリーフケース片手に食堂車に戻ると、カウンターの向こうで皿を拭いていたパヴェルが葉巻を咥えながらこっちを見てニヤリと笑った。どうだ、売り込みは大成功だろとでも言わんばかりの笑みに親指を立てて返し、テーブルの上にブリーフケースを置いて中身を検める。


 表面だけライブル紙幣でその下は新聞紙……なんて事も無く、ブリーフケースの下は底までぎっしり札束だった。


 クラリスと一緒に札束を数える。確かに300万ライブルだ、間違いない。


「すげー、すっげー!」


「お金ぇ↑!?」


「にゃはー!?」


 札束に反応するルカと、両目が金のマークになる守銭奴モニカ&リーファ。この2人なんでこんなにお金に執着あるんだろう……農民出身のリーファならばまだ分かるけど、モニカあんた元貴族でしょ。


「ねえねえ、これバスタブに敷き詰めて札束のお風呂やりましょ!? あたしアレに憧れてるのよねー♪」


「え、札束お風呂にすんの!?」


「そーよ? バスタブいーっぱいに札束を敷き詰めるの。あ、ルカ今えっちな想像した?」


「し、してないよ!」


「ホントかしら~? うりうり~♪」


「にゃー!? ミカ姉たすけてー!!」


 モニカにもふもふされるルカ。いやまあ、ハクビシンよりビントロングの方がね、体格的にも毛の量的にもボリューミーですので、ハイ。


 そしてそんな一幕をさりげなく写真に収めるカルロス。苦笑いしながらもピースサインで写真に写り、ふと思った。


 そういやカルロスともお別れの時期が近付いている。


 表向きは写真家―――しかし本職は諜報と狙撃に長けた戦闘員でもあるカルロス。そんな彼との”契約”も雪解けと同時に終了し、カルロスとは別行動をとる事になる。


 それは彼もよく自覚しているのだろう、カメラを手にする彼の顔もどこか寂しそうだった。


「あ、そうだカルロス、せっかくだしみんなで集合写真撮りたいんだけど」


「ん、俺は別に構わんぞ」


「集合写真?」


 リーファと一緒にルカを吸っていたモニカが、ぽかんとした顔でこっちを見下ろした。


「いやー、そういやみんなで集合写真とか撮った事なかったなってさ……ホラ、旅の思い出にさ。ここに一流の写真家がいるんだし」


「それはいい考えですわね」


「おーいいじゃん、賛成賛成!」


「んじゃあルカ、悪いけど範三とカーチャ呼んできてくれるか?」


「うん、分かった」


 もふもふの毛で覆われた頭とケモミミをもっふもっふと揺らしながら走っていくルカ。とりあえずテーブルに残っていた分の昼食を平らげ食器を片付けていると、ちょうどルカがノンナ、範三、カーチャを連れて食堂車に戻ってきたところだった。


 せっかく広大な帝国を旅しているのだ。思い出くらい残していてもいいだろう。後から見返してあの時こうだったねー、とかそういう思い出話に浸るのもなかなかエモいもんである。


 カウンターの向こうにいたパヴェルもこっちにやってきて、範三と一緒に後ろに並び始めた(範三で190㎝、パヴェルで180㎝あるのでデカいのだ)。


「んじゃあチビ共は前な」


「ルカお前の事だぞ」


「えー!? ミカ姉俺より身長小さいじゃん!」


「中身はビッグな男だけどな」





『『『『『『『『『えっ、男?』』』』』』』』』





 泣きたくなってきた。


 何で全員やねん。何で全員それ言うねん。


 しかも聞き違いじゃなければ悪ノリしてカルロスも同じリアクションしてたよね今?


 さらに言うと、こう、俺が男だってのを分かっててこんなリアクションしたんじゃなくて、全員本当に知らなかったorすっかり忘れてたようなリアクションをナチュラルに出してくるところポイント高いよ、うん。


「ご主人様、ロリじゃなくてショタだったんですか」


「このやりとり何回目?」


「申し訳ございいません、クラリスはてっきりロリの方かと」


「お前俺の裸見た事あるだろ」


「湯気が凄くて……」


「円盤買え」


 そんな茶番もひと段落したところで、カメラを三脚の上にセットしたカルロスは「撮るぞー」と声をかけた。


 みんなでピースサインをしたり、親指を立てたりと各々好きなポーズでシャッターが切られるその瞬間を待ちわびる。


「はい、チーズ」


 パシャッ、とシャッターが切られ、また思い出が1つ形になった。




















 雪が解け、大地は泥濘に覆われる。


 4月10日―――あれだけホームに降り積もっていた雪も今ではすっかり姿を消し、ラジオからは春の到来を喜ぶアナウンサーの声や冬季封鎖の解除を知らせるニュースばかりが聞こえてくる。


 永い永い冬が終わり、全ての生命を抱く暖かい春がこの国にもやってきたのだ。


「世話になったな、ミカ」


 撮影用機材の入った大きなバックパックを背負い、荷物をまとめたカルロスは笑みを浮かべながら、しかしどこか寂しそうな感じも滲ませながら別れを切り出した。


 すっかり暖かくなったレンタルホームの向こう、在来線のホームには今年初となる定期運航列車がちょうど滑り込んできたところで、乗客がぞろぞろと乗り降りしている姿が見えた。


 やはり冬季封鎖が解除されると駅は一気に騒がしくなる。列車の接近を知らせる放送や発車メロディー、駅員や車掌のアナウンス。鉄オタだったら大喜びしそうな風景がそこにある。


「またいつか会おう。その時はまた写真撮ってくれよ」


「ああ、最高の一枚をな。ミカ達こそ気を付けて」


「ありがとう。カルロスも身体に気をつけてな」


 ぐっ、と互いに握手を交わした。俺のと比較すると大きく、がっちりとした手。別れとはいつでも辛いものだが、しかし永遠に会えなくなるわけでもないのだ。またいつか機会があれば、その時は……。


《Поезд Бригады Пакта Крови скоро отправится с платформы 7. Желаем вам всего наилучшего в ваше время(間もなく、7番レンタルホームより血盟旅団の列車が発車致します。皆様の旅の幸運をお祈りいたします)》


「ミカ、そろそろ出るぞ!」


「はいよー!」


 機関車の方で大きく手を振るパヴェルに大きな声を返し、レンタルホームで見送るカルロスに別れを告げた。


「……それじゃ、俺たちはこれで」


「ああ、これからの活躍を祈っているよ」


 じゃあな、と言葉を残し、踵を返して客車に乗り込んだ。後から乗り込んだクラリスがドアを閉め、そのまま一緒に客車の2階へと上がって通路の窓からホームに居るカルロスに手を振った。


 民謡をアレンジした発車メロディーが窓越しに聞こえ、列車がゆっくりと動き出す。黒煙を濛々と吐き出しながらAA-20が列車を牽引、マズコフ・ラ・ドヌー駅を後にしていく。


 窓の向こうで手を振っていたカルロスの姿は、もう見えなくなっていた。


《えー、当列車はボロシビルスク行き、ボロシビルスク行きとなっております》


 目指すは学術都市アカデムゴロドク、ボロシビルスク。そこにこの帝国の最先端技術がある。


 自室で少し休もうと思い、ふと隅にある一室に目を向けた。


 カルロスが昨日まで使っていた部屋だ。


 鍵は開いていたので、何気なくドアを開けてみた。彼が1人で使っていた寝室の中は、まるで最初から誰も使っていなかったかのようにキッチリと片付けられていて、ここに今朝まで人がいた、と言われても信じられない。


 そう思ってしまうほど、生活の痕跡が見受けられなかった。


「ん」


 窓際に備え付けられているテーブルの上に、一枚の写真があった。


 それはカルロスが行動を共にしていた頃、みんなで刻んだ思い出の1ページ。


 血盟旅団の皆と撮った集合写真が、そこに静かに置かれていた。





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― 新着の感想 ―
[一言] か、カルロスは分かってくれていたか…よかったね… ここの雪解けはあれですかね、「ラスプティツツァ」と名前がついてるんですかね? 4号戦車「(´;ω;`)」 ハノマーク「(´・ω・`)」
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