力を求める理由
レオノフ家にはそれなりの資産があった。
工業都市ザリンツィクで開発される高品質な武器を買い求めるばかりか、ダンジョンからの発掘と”解析”が完了し、実用化が始まったばかりの戦闘人形を5機も屋敷の警備のために買い求め、それらを十分に整備してもなお余りある資金が、広大な宝物庫の中に眠っている筈だった。
「何てこと……」
クリスチーナ―――モニカの母は、宝物庫の惨状を見て卒倒しそうになった。
ショーケースは叩き割られ、中に納まっていた筈の宝石や金塊は殆ど姿を消している。あれだけ山のようにあった富の象徴、そのほとんどが持ち去られているのだ。没落し、権力も失いつつあるレオノフ家にはこれが相応しい―――そう告げられているかのようで、モニカの母は両手で頭を押さえながら呻き声を上げることしかできなかった。
「あ、あああ……!」
「奥様!」
幸い、奪われたのは金塊や宝石ばかりで、絵画などの芸術作品には一切手を付けられていない。それらを金に換えればこの損失はいくらかは補えるだろう。
しかし―――モニカ、いや、クリスチーナの一件も含め、これでレオノフ家の没落は決定的なものとなった。
人間たちの滅亡前から、このリーネの貴族の一角として世代を重ねてきたレオノフ家。しかし起死回生の一手として用意していたスレンコフ家との政略結婚は娘を連れ去られるという前代未聞の事件で失敗、更には宝物庫もこの有様だ。
資財を荒らされ、娘も奪われ、何もなくなったレオノフ家の屋敷。200年以上前から続くレオノフ家の一族がこれからどんな運命を辿っていくのか―――この宝物庫は、それを暗示しているかのようだった。
ここまで来て、母の脳裏にある後悔が浮かぶ。
”娘の事をもう少し考えてやれば良かった”、と。
しかし、時すでに遅し。時間が過去に戻る事など―――決して、ない。
「いやぁ、大漁だなぁ!」
一緒に盗品の入ったダッフルバッグを下ろしながらご機嫌そうに言うパヴェル。確かにこの重さは逆に心地良い。そりゃあこんな重いダッフルバッグを背負って走り回るのはなかなか体力を使うが、それでいいのだ。これが富の重さなのだ。
盗品入りのダッフルバッグをバンから降ろし、チャックを開けて中身を見せた。中にはルビーやサファイア、エメラルドなどの宝石に金塊がぎっしりと詰め込んである。リガロフ家の時よりも遥かに金になるのは一目瞭然だった。
「んで、買い手の方は何て?」
「おう、そうだった。リガロフ家の盗品とレオノフ家の盗品、両方とも買ってくれるってさ。資金洗浄済みの金を用意したら、ザリンツィクに向かうそうだ」
「おー、そりゃあ楽しみだ」
一体いくらになるのか……少なくとも、大きめのバスタブに札束を敷き詰めるのに十分な儲けにはなるだろう。
もちろん、こういう”裏稼業”での稼ぎの分け前は事前にきちんと決めてある。仲間内での軋轢が生じるのを避けるため、原則として分け前は山分けだ。厳密には資金洗浄まで担当してくれる買い手への手数料を引いた額が血盟旅団へと支払われ、そこから仲間たちへと均等に山分けされる。この仕組みなら恨みっこナシで済む。
強盗でも冒険者でも、この分け前が発端となってギルドやパーティーの内部分裂に繋がったというケースは非常に多い。そりゃあ死ぬ思いで働いてるのに分け前が雀の涙だったら、そんな分配にした奴に対しての殺意も湧くだろう。
俺は資本主義者だけど、こういうところ”だけ”は共産主義的でいいと思う。
金は魔物だ。あればあるほど莫大な富を人に齎すが、それは人の心を狂わせる。
「まあいい、お疲れさん。お前らはゆっくり休みな」
「ああ、ありがとう……あー、この車どうするよ?」
「んあ」
ガスマスクを外しながら、逃走に使ったバンを指差す。強盗団から拝借したバンは塗装もナンバープレートもそのままで、天井にはあのクソッタレカマキリ野郎から受けた傷が生々しく残っている。右側のサイドミラーも吹き飛んでるし、なかなかにぶっ壊れてるんだが。
処分するならしちまった方が良いんじゃないか、とは思う。そりゃあ修理して塗装し直し、ナンバープレートも変えちまえば今後も逃走車両として使えないことも無いとは思うんだが、毎回毎回同じ車両を犯行に使っていたらバレるだろうし、強盗の度に塗装とかナンバープレートを変えていても限界はある。
面倒だが、強盗の度に逃走用の車両を調達する方が足はつかない。準備を怠った瞬間、ギリギリのバランスで保たれていたピースは崩れ去るのである。
「あー……とりあえず、後で分解しておく。使えそうなパーツは列車の整備にでも使わせてもらうさ」
「分かった」
とりあえず、こっちは部屋に戻るとしよう……さすがに今回の仕事は疲れた。
格納庫を後にし、1号車へと向かう。階段を上って寝室のドアを開け、コートの上着を壁にかけてから椅子に座った。後ろをついてきたクラリスも、俺が座ったのを見てからベッドに腰を下ろし、顔に装着していたハーフマスクとバラクラバを取り去る。
メイドとしての癖なのか、基本的にクラリスは俺より先に座ったり、食事に手を付けたりという事がない。そりゃあ、メイドは主人に仕えるものだ。その従者が主人よりも先に休んだり食事をするというのは、主従関係やら礼節の面で問題があるようにも思える。
しかし俺はもう、貴族ではない。家も権力も全て捨て、それを引き換えに自由を手にした身だ。だからいつまでもそんな事を続けなくてもいいのだが……彼女にそう言っても、「クラリスはいつまでもご主人様のメイドでございます」の一点張り。忠誠心の高さが伺えるのは喜ばしい事だが、窮屈じゃないかね?
「運転お疲れさん、クラリス」
「ご主人様こそ、あのカマキリみたいなやつを撃破したのはさすがですわ」
あれはほら……ちょっと機械というか、電気に関する知識があったからといいますか……。
ネクタイを取ると、首元を押さえつけるものが無くなってかなりゆったりとした感じがした。その状態で息を吐き、背もたれに背中を預ける。
ぐんっ、と微かに床が動いたかと思いきや、窓の向こうの景色が動き始めたのが分かったリーネ郊外に停車していた列車が動き出したのだ。
キリウ発、アレーサ行きの列車の次の目的地は工業都市ザリンツィク。おそらくはそこで今年の冬を乗り切り、雪解けを待って旅を再開する事になる。つまりは同じ街に長居をする事になるので、あまり法に触れる行為は迂闊に出来ない。まあ、やるとしたら去り際か―――などと考えながら窓の向こうを眺める。
とはいっても、外は真っ暗だ。まともな光源すらありはしない。星明り以外の光は無く、窓には部屋の中の風景が反射してしまっている。
ぐう、とお腹の音が鳴ったのが聞こえた。俺じゃない、ベッドの方からだ。
「……」
「……」
恥ずかしそうに顔を赤くしながら全力で目を逸らすクラリス。だが、追い打ちをかけるようにもう一度お腹の音が鳴り、動かぬ証拠が揃ってしまう。
そういや何も食べてなかったな……と、今更思い出す。まだ夕飯は食べていない。もう少ししたらパヴェルも用意してくれるとは思うのだが。
「ちょっと食堂車行ってくる。パンくらいだったら置いてあるだろうし、パヴェルも小腹がすいたら自由に持ってけって言ってたし」
「あっ、でしたらクラリスが自分で……」
「いいからいいから」
立ち上がろうとしたクラリスの肩を掴み、そっと座らせた。
「クラリスにはいつも色々お世話になってるし、これくらいやらせてよ」
「し、しかし……クラリスはご主人様のメイドです。ご主人様のお手を煩わせるわけには……」
「いいって、気にすんなよ」
ぽんっ、と優しく肩を叩いてから部屋を出た。ドアを閉めた直後、なんか部屋の中かから「ご主人様可愛い……」って呟くのが聞こえてきたんだが気のせいか?
食堂車へと向かう。階段を上って2階に上がり、カウンターの裏側へと回る。案の定、腹が減った時用に常備してあるパンがいくつか置かれていた。イライナ地方伝統の黒パンだ。屋敷に居た頃何度か食べたし、こっそり屋敷から持ち出してスラムに居る子供たちにあげたりしたっけ。
この地域じゃありふれた食べ物だけど、そんな些細なものでも思い出というものは詰まっているのだ。
自分の分とクラリスの分、あとモニカの分も手に取って踵を返す。1号車に戻ってから階段を上り、先にモニカの部屋に立ち寄った。コンコン、と部屋をノックして、返事が来るのを待つ。
部屋っていうのは完全にプライベートな空間だ。プライバシーは守られなければならず、故に部屋のドアを開ける際は必ずノックして、部屋にいる相手からの返事を得るのがマナー。これが出来ない奴はミカちゃんがバチバチしてやる。
『はーい、どうぞ』
返事があったのを確認し、ドアを開けた。
「お腹空いてない? パン持ってきたんだけど」
ドアの向こうには、強盗装束姿のモニカが居た。着替えないのかなとは思ったが、そう言えば彼女の服は全部屋敷に置いてきたのだ。他にあるものといえば結婚式の時に身に纏っていたウエディングドレスのみ。仕方がないと言えば仕方がないのだが、いつまでも強盗装束姿というのも拙いのではなかろうか。
「あら、ありがとう」
「どういたしまして。ザリンツィクまではまだ時間がかかるから、何か必要なものがあったら何でも言ってくれ。俺は隣の部屋にいるから」
「うん、ありがとねミカ」
「それと……」
黒パンを渡してから、咳払いして話題を変える。
「モニカ……これからどうするつもりだ?」
「え?」
「政略結婚は回避し、母親への報復も遂げた。後はザリンツィクで盗品を金に換えればパーティーは解散、君は晴れて自由の身だ……それからはどうする? 1人でやっていくのか?」
「それは……」
気になっていたのはこれだった。
ザリンツィクに到着し、買い手から現金を受け取れば今回のレオノフ家強盗作戦も、そしてキリウから続いているリガロフ家強盗作戦も終わりを迎える。盗品を売り払い、こちらは資金洗浄を終えた”綺麗な”金でキャッキャウフフ、一瞬にして大富豪である。
そうなればモニカとの関係も、ギルドとクライアントの関係から赤の他人へと戻る。それぞれの道を征くか、それとも一緒に来るか……選択肢は二つに一つだ。
モニカはかなり悩んでいるようだった。いずれは決めなければならない決断、いつまでも先送りにはできない。今後の自分の運命を大きく変える分岐点は、すぐ目前まで迫っている。
「あたし……できれば、ミカたちと一緒に行きたい」
「モニカ……」
椅子から立ち上がり、手をぎゅっと握ってくるモニカ。彼女の瞳には目的を追い求める冒険者としての強い意志と共に、どこか寂しさのようなものも伺えた。
やはり、寂しかったのだろう。
ずっと1人で力だけを追い求め、実家からの追手に震える毎日。きっと心の底から安らぐ瞬間など、今まで一度もなかったに違いない。
1人、という事はそういう事だ。なんでもかんでも自分1人で乗り越えなければならない孤独な道。この道を征けるのは、本当の意味で心が強い人間のみに限られる。
「今までずっと1人だった。管理局とかで、依頼後の打ち上げとかやってる他の冒険者を見てて羨ましいな、ってずっと思ってたの……仲間が居たらどんなに心強いんだろう、って」
「……そうか」
彼女が強くあろうとしたのは、自由を手にするため―――そしてその手にした自由を、一生手放さないようにするため。
誰かの思い通りになって生きる事など許容できない。他者から押し付けられた生き方など許せない。これは自分の人生なのだから、その生き方は自分自身で決める―――その自由を、強制という侵略から守るために、モニカという少女は力を求めた。貪欲に、どこまでもただただ貪欲に力を欲した。
そんな姿勢に、俺は共感を覚える。
俺もそうだった。
父の束縛から逃れ、自由に生きるために力を求めた。少なくとも屋敷の外の過酷な世界で、十分に生きて行けるだけの力が必要だったからだ。
「だから、仲間が欲しくて……ちょっと、このまま離れ離れになるのは嫌だなって。あはっ……ちょっと自分勝手かな?」
「そんな事ねえよ」
手を握り返しながら、モニカの顔を見上げた。
「ミカ……」
「俺たちはいつでも大歓迎だ。それに……ほら、アレだ。俺も魔術は色々と下手くそでさ、出来れば色々と教えてくれると嬉しい」
属性は違えど、学ぶ事は多い筈だ。魔術に関しては俺よりも彼女の方が知識も技術も上なのだから。
「行く当てがないなら一緒に来いよ、モニカ。皆と一緒に楽しくやろうぜ」
そう言って笑みを浮かべると、彼女の瞳にほんの少しだけ、涙のようなものが浮かんだ気がした。けれどもモニカは目を擦るふりをしてそれをすぐに拭い去り、初めて出会った時のような、あの気の強そうな笑みを浮かべる。
「―――うんっ!」
「よし、クラリスとパヴェルにも相談しないとな。まあ、みんな嫌とは言わないだろ」
「だといいけど……ところでさ、ミカ」
「ん」
「アンタってさ、女の子のくせに男っぽい口調で話すわよね?」
あー……これはもうカミングアウトした方が良いか。
色々と言い出すタイミングが遅くなってしまったような気はするが……ええい、仕方がない。ビンタだろうが鉄拳制裁だろうが受け入れてやろうじゃないかと、頭の中で二頭身ミカエル君ズが震えながら腹を括る。
「―――俺な、男なんだ」
「へっ?」
「男」
「あはははっ、またまたぁ。こんなに背が小さくて可愛い娘が男の子だなんて……」
そう言いながら俺の肩に手を置くモニカ。そこで、彼女の表情がはっきりと変わったのを見た。
強盗中は厚着だったので気付かなかっただろうが、今はコートを脱いでいるので、その下に着ていたワイシャツが上着になっている。コートよりも遥かに生地の薄いワイシャツだからこそ、その下にある身体―――女の身体ではなく、ごつごつとして筋肉のある男の身体の質感が、より鮮明に彼女の手に伝わる。
女にしては随分とがっちりとした肩。そのままモニカの手が下へと行き、胸板へ、腹へ。
気のせいか、モニカの目がぐるぐるし始めたような気がするんだが気のせいか。気のせいじゃないか。
そりゃあそうだよな、と凄まじい罪悪感と共に思う。今まで女だと思ってすっげえフランクに接していた相手が実は男でした、というとんでもないオチなのだからショックもデカいだろう……彼女のスリーサイズ測る事もあったし。
「い、いやあ、今までなかなか言い出すタイミングがね……ごめん、本当にごめん」
「お、おと、おと、おととととと……男?」
「ああ……ミカってのは愛称なんだ。本名はミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ」
容姿だけじゃなく、愛称がいかにも女っぽい感じだったのが勘違いに拍車をかけた。そう言えば俺のこと本当の名前で呼んでくれる人このギルドに居ないような気がする……クラリスは「ご主人様」だし、パヴェルは「ミカ」だし。
ぴんっ、とネコミミや尻尾をまっすぐに伸ばすモニカ。段々と彼女の顔が赤くなっていき、気のせいか周囲には陽炎が漂い始めてるんだが大丈夫かマジで。
「……大丈夫か? モニカ?」
「……ふにゅう」
「モニカ!?」
ぷしゅう、と蒸気が噴き出すような音を立てて、目をぐるぐるさせたモニカがついにぶっ倒れたのはその直後だった。
こうして、城郭都市リーネでの強盗は終わり―――モニカが仲間になった。
第三章『獣の枷、ヒトの自由』 完
第四章『工業都市ザリンツィク』へ続く
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