侵入者
書いてる途中、まさかの執筆データ消失というアクシデントに見舞われまして、憤慨しながらも記憶を頼りに書き直しました。
今回ちょっと短めです、ごめんなさい許してください……え、ダメ?
何事もないまま、警備業務4日目を迎えた。
相変わらずマズコフ・ラ・ドヌーは冷える。今夜の気温は-28℃、昨日と比較すれば2℃だけ高い……のだが、如何せん風があるもんだからそんなものは気休めだ。相も変わらずノヴォシアの冬は苛酷極まりなく、少しでも防寒対策を怠れば瞬く間に凍死してしまうだろう。
しかし、ラジオ放送によると気温は段々と上がり方向に転じ始めたらしい。まあ、来月からは雪解けのシーズンが到来するのだから、もう気温が上がってくれていないと困る。雪が解ければ道が開け、俺たちも旅を続けることができるのだから。
そろそろ真面目に行き先決めよう……今のところは”学術都市ボロシビルスク”行きを支持する声がギルド内では多数派となっており、おそらく行先はそっちになるのではないかな、とは思っているのだが。
モスコヴァにいる姉上には申し訳ないが、首都は後回しになる。
冷たくなりつつある指を動かしつつ、懐から懐中時計を取り出した。黒曜石を削り、その周囲を黄金で縁取ったリガロフ家の秘宝”イリヤーの時計”。時間を止める力を持ち、造られたその時から1分1秒たりとも遅れることなく時を刻み続けている魔法の時計だ。
その懐中時計によると、今の時刻は3時45分。交代の時間まであと15分といったところか。
早いところ暖房の効いたキャビンでくつろぎつつ、コーヒーとチーズにありつきたいものだ。
《ご主人様、定時連絡を》
「……ざむ゛い゛」
《あと15分よ、ミカ》
「う゛ぁ゛い゛」
大事な事だから何度でも述べよう。ハクビシンは元々台湾に中国南部、東南アジアに生息していた動物である。温暖な地域で生まれ育った動物なので寒さに弱く、本来ならばこんな極寒の国にいる筈がないのだ。
そういう事もあって、ミカエル君は寒さが苦手なのである。暑いのも嫌いだけど。
はよ時間にならないかなと思う一方で、最後にもう1回巡回コースを歩いておくか、と生真面目な二頭身ミカエル君が脳内で意見を主張し始めたので、最後にもう1度だけ巡回コースを歩いておく事にした。今の仕事は警備業務、念には念を入れておく必要がある。
「石橋にAKを撃ちながら渡る」とはよく言ったものだ……言わない? ああそう。
巡回が終わったら何をしようか。とりあえずシャワーを浴びて、ご飯食べて、それからぐっすり眠って……と列車に戻った後の事を考え始めたその時だった。
冷却剤がたっぷりと入ったタンクの足元、そこに刻まれた足跡に気付いたのは。
「?」
メンテナンス用の足場の下、ちょうど雪があまり降り積もらない位置に、見覚えのない足跡が刻まれていたのである。あれ、あんなところ歩いたっけ……と首を傾げながら手すりを乗り越え、下へと飛び降りた(※危険なので労働者の皆さんは真似しないでください)。
ぼす、と降り積もった雪にミニマムサイズな足跡を刻みながら着地し足跡をライトで照らした。うっすらと積もった雪の上にはミカエル君の者より大きく、クラリスのものよりも小さな足跡がくっきりと刻まれている。
カーチャのかな、と思ったが、しかしこんな巡回ルートから外れたところを彼女が歩くだろうか。それに第一、彼女のブーツの裏はこんな形ではない(警備業務中に色々と観察し頭に叩き込んでいたのでこれくらいは一発で分かる)。
では警備兵の足跡かと言われるとこれも違う。パルコフ水産の警備兵たちは、装備する銃から制服、防寒用ブーツにコートに至るまで会社から支給されていると聞く(一昨日の警備時間中に仲良くなった警備兵にチョコレートあげたら教えてくれた)。
それだけの装備を警備兵に与えられる資金力には驚いたが、それはさておき警備兵のブーツのデザインも統一されているのだ。依頼された職人はさぞ懐が暖かい事だろう。
そしてその足跡だが、警備兵のものでもない。
まさかな、とAKの安全装置を解除、最下段まで下ろしセミオートに。
足跡はまだ新しい。さっき巡回ルートを回ってきた時は無かったから、ゲートの前でトラックの検問をやっている間に刻まれたものだと判断するのが自然だろう。
スマホで足跡を撮影、画像を添付しクラリスとカーチャのスマホにメールを送信。ポケットにスマホを戻しながら足跡を辿っていると、その画像の意図を把握したのであろうクラリスが操縦するドローン(機体下部にカメラとPP-19をぶら下げた武装ドローンだ)が、ローターの音を微かに響かせながら頭上を通過していった。
ガチャン、とフェンスの揺れる音。風で揺れる断続的なものではない。何か体重のあるものが寄り掛かったような、そんな感じの揺れ方だ。
コッキングレバーを引きながら初弾を装填、薬室に5.56mm弾を送り込み、足跡を辿る。
冷却剤タンクの先にある通路を横断、台車用の倉庫と廃棄物置き場の間にあるくっせえくっせえ路地を通過した先にあるフェンスのところに、確かに見知らぬ背中があった。警備兵のものとも違うコートを身に纏った人影が、ニッパーでフェンスを切断、侵入経路を作り今まさに侵入しようとしているところだった。
銃を構え、ソイツをライトで照らしながら叫んだ。
「動くな!」
「!!」
ぎょっとしながら、ニッパー片手にこっちを振り向く人影。
ファーのついたフードの下には若い顔があった。見た感じ17か18くらい、俺と同年代か。腰にはグロックの収まったプラスチック製ホルスターがあり、背中にはホロサイト付きのHK416がある。
「武器を捨てろ。両手を頭の上に」
「……」
「頼む、撃たせるな」
侵入者の少年の目つきが変わる。
確かな覚悟と、それから憎悪を燃やす目つき―――おそらくは奴隷を助けねばというちっぽけで安っぽく、短絡的極まりない正義感と、彼らを酷使するパルコフ水産の狗に成り下がった俺の姿を見て憎悪を燃やしているのだろう。
「お前だな、工場を以前に襲撃したのは」
「だったらなんだ」
「……お前が逃がした3人の奴隷、うち2人は死んだぞ」
「馬鹿な」
ぎょっとしながら、少年は口元を震わせた。
「ろくな防寒着も無しに、雪原を彷徨っていた……可哀想に、いきなり着の身着のままで雪原に放り出された挙句、脱走+余罪で死刑判決とは」
「そんな……そんな、彼らが……そんな」
「……お前が殺したようなもんだな」
自由になるチャンスを求め苛酷な労働を送る毎日と、一時の希望に身を委ね未来を摘み取られるのでは、果たしてどっちが彼らにとって幸せだったのだろうか。
彼に言いたいことは山ほどあった。奴隷たちにまともな逃走手段も用意せず、雪原に放り出し、自分は奴隷を逃がした解放者だという独り善がりの善意に酔う本当の意味の偽善者だとか、この世界の仕組みも知らず感情で物事を言うケダモノだとか、この世界の仕組みに異を唱え自分のやり方を押し付ける傲慢の擬人化とか、糾弾してやりたい言葉は山のように出てくるが、ここで感情的になったらそれこそアイツと同じだ。
理性と言う枷で感情を抑え込み、淡々とタスクをこなす。それがプロだ。
「もう一度言う、武器を捨てろ。地面に伏せて両手を頭の上に」
「……」
撃たせるな、と祈ったが―――その祈りは届かなかったらしい。
直後、少年が足元の雪を蹴り上げていた。真っ白な雪は散弾となってミカエル君の視界を遮り、彼の姿を見失わせる。
クソが、と悪態をつきながら彼の背中を狙った。バンッ、と重々しい銃声が響くが、しかし平然と走っているところを見ると当たらなかったのだろう。
追わねば、とフェンスに穿たれた穴を潜って侵入者を追った。
「クラリス!」
《追っています!》
「カーチャ、予備のドローンで周辺警戒! 他にも侵入者がいる可能性がある!」
《了解!》
クソッタレが。
俺に……俺に撃たせるか。
活動家共……解放者気取りも今日までだな。
貴様らには雪の下がお似合いだ。




