警備開始
強制収容所―――パルコフ水産の第一工場を始めて目にした時、頭の中に浮かんだのはそんな物騒な単語だった。
ナチス・ドイツの強制収容所にソ連の強制収容所。国は違えどやる事は同じだ。犯罪者や政治犯、それから国にとって好ましくない個人に敵国の捕虜がぶち込まれ、過酷な労働をなけなしの水と粗末な食事、劣悪な衛生環境で乗り切る地獄のような場所。
パルコフ水産第一工場は、遠目から見れば何の変哲もない工場だ。テーマパークでも作れそうなほど広大な敷地いっぱいに巨大な倉庫や何かのタンク、配管が所狭しと詰め込まれている。敷地と資金の制約、既存の設備との関係で後付けに後付けを繰り返した直径2mくらいの巨大な配管が複雑に絡み合うさまは、まるで巨人の腸のよう。
正面ゲートで見張りの兵士に停められた。身に着けているコートは騎士団の支給品ではなく、パルコフ家の家紋と思われるエンブレムのワッペンが肩にある。
手にしているのは旧式のマスケットでも、今主流になりつつある後装式の単発ライフルでもない。トリガーを保護するように伸びる、トリガーガードを兼ねたレバー。間違いない、あれはレバーアクションライフルだ。
史実においては西部開拓時代のアメリカで流行し、多くのカウボーイや保安官、先住民たちがこれを手に戦ったとされている。コルト・シングルアクションアーミーと並び、アメリカにおける銃の歴史を語る上では決して外せない伝説中の伝説だ。
とはいえ当時のレバーアクションライフルは構造が脆弱で、ライフルを名乗りながらも拳銃弾を採用するのがやっと、更に構造は複雑で泥や砂塵などに弱く、軍に採用されたものはごく少数に留まる(※とはいえライフル弾を使用できるよう構造を強化、7.62×54R弾と銃剣を使用できるよう改造されたウィンチェスターM1895がモシンナガンの不足を補う形でロシア帝国軍にて採用、モシンナガンと共に第一次世界大戦を戦い抜いた記録がある)。
現代では軍隊に採用こそされていないものの、ライフル弾を始め多種多様な弾薬に対応したモデルが製造されており、競技用から娯楽目的の射撃、ホームディフェンスに狩猟用など、様々な分野で活躍を見せている。
さて、こっちの世界ではどうかというと―――レバーアクションライフルの認識は概ね前世の世界と同じだが、それにさらに”極めて高価”という特徴がつく。
というのも、こっちの世界のレバーアクションライフルの多くは旧人類のダンジョン(おそらくは銃器工場だったのだろう)から発掘されたものが大半で、その個体数もそれほど多くはなく、腕のいい銃職人が汗水垂らして複製したものも含めてかなりの高値で取引されている。
拳銃弾を使用するため威力、射程において劣るが、速射が可能で近距離においては強力な銃、というのがこっちの世界におけるレバーアクションライフルの評価だ。
なんでも1丁あたり60万から80万ライブル、状態の良い個体ならさらに値段が跳ね上がるので、どれだけ高価なものかはご想像いただけるだろう。
今しがたトラックに停まるよう指示をした警備兵の他にも、その後方にある検問所の小屋の前でこっちに水冷式重機関銃を向ける警備兵も、スリングを介してレバーアクションライフルを背負っているようだった。
彼らだけではない、遠くに見える見張り台やキャットウォークの上を歩く警備兵もみんな、レバーアクションライフルで武装している。
なるほど、金にものを言わせてアメリア合衆国から取り寄せたか、国内の銃職人に複製させたのだろう。
こんな広大な工場に、この世界では最先端の大規模冷蔵施設を保有するパルコフ水産の財力だからこそできる芸当だ。リガロフ家じゃあ無理である(そもそもミカエル君の実家その1は没落しているので、現役で事業を展開する貴族と比較するとどうしても財力に差が出てしまうので決して比べないであげてくださいお願いします)。
「ここはパルコフ水産の第一工場です。入場許可証はお持ちですか?」
トラックのエンジン音と、外で吹き荒れる風の音に負けじと警備兵が声を張り上げる。暖房の効いた車内から入場許可証を取り出したカーチャが「パルコフ氏から依頼を受けてきました、血盟旅団です!」と大きな声で返すと、許可証を提示された警備兵は納得したように頷きながら許可証を返却してくれた。
「ああ、よくお越しくださいました! 第七ゲートまで誘導いたします、先導車から離れないようお願いします!」
警備兵が後方に合図を送ると、検問所の傍らに停車していたクーペの丸いライトに光が燈った。後方のトランクにスペアタイヤを背負ったクーペが走り出し、雪の降り積もる工場の敷地内をゆっくりと走り始める。
ついて来い、とランプを点滅させたその車に、クラリスの運転するウラル-4320はゆっくりと随伴し始めた。
外から見れば巨大な水産加工工場だが、しかし銃を持った警備兵に警備されたメインゲートを抜けた先は、先ほども述べた通り独裁国家の強制収容所を彷彿とさせた。
フェンスで仕切られた区画の中では、痩せこけた従業員たちが木箱を乗せた台車を押したり、建物の中でエビやカニ、それからザリガニの殻を剥いたりしている姿が見える。一応はそれなりに厚着をさせてもらっているようだが、その枯れ枝のように細い首にはしっかりと首輪が取り付けられており、銃を突きつけられながら過酷な労働を強いられる彼らの多くが奴隷である事が分かる。
積み重なる疲労に耐えかねたのだろう、台車を運ぶ途中に転倒してしまった女性の奴隷に、警備兵の1人が容赦なく襲い掛かった。レバーアクションライフルの銃床で思い切り殴りかかるや、何やら罵声を浴びせている。
あの警備兵はベラシア出身なのだろうか。聞こえてくる単語のうちいくつかは意味が分かったけど、訛りが強いうえにベラシア地方でしか話されない単語も混じっていたしアクセントも異なるものだから、全部は聞き取れなかった。
ただ、女性の尊厳を踏み躙るような汚い言葉のオンパレードだという事は分かる。
ああいう場面を何も事前知識無しに見ると、圧政を敷く支配者の軍隊が住人を虐げているようにも見える。が、ノヴォシアという国家の司法制度を知識として頭に入れていれば違う側面が見えてくるのだ―――ここは奴隷を多く雇用する工場、人権の無い奴隷たちで稼働する職場。その多くは重罪人で、人を殺したり、盗みを働いたり、大金を横領したり、あるいは敵国のスパイだったり。死刑を言い渡されてもおかしくなかった罪人たちが首の皮一枚で命を繋ぎ、放り込まれる実質的な刑務所なのだ。
だから情けはかけようとも思わなかったし、救いの手を差し伸べるつもりもなかった。
《奴隷共、再び人間に戻りたければ死ぬ気で働け! 金を貯めて人権を買い戻せば、この地獄ともおさらばだ》
ベラシア訛りのある標準ノヴォシア語で、そんな放送がスピーカーから聴こえてきた。
二列に並んで歩く警備兵たちの隊列の脇を通り過ぎると、これ見よがしに『07』と記載された巨大なゲートが見えてくる。傍から見れば巨人の家の入り口にも見える扉の傍らでは、厚着姿の奴隷3名が警備兵に銃を突きつけられながら、配管を火炎放射器で炙っているところだった。
今の気温は-30℃、冷却水用の配管は凍結対策を怠ればあっという間に凍り付き、水を必要とする機械の故障の原因となる。配管が凍結してしまったら一番手っ取り早いのはああやって火炎放射器で炙る事だ―――ただし消防士さんのお世話にならないよう、火の取り扱いには十分に注意を。
火は人類に進化をもたらした良きパートナーだが、少しでも機嫌を損ねると災厄に変わるのだ。
先導してくれたクーペが停まり、Uターンしてこっちに戻って来る。トラックの隣につけたクーペの運転手が窓を開け、「この近辺の警備をお願いします!」と大きな声で指示してからさっきの検問所へと引き返していった。
なんだろ、奴隷への待遇と俺たちへの待遇の温度差でミカエル君ヒートショック起こしそう。アレですか、これが人権があるか否かの違いですか。すごいね人権って。
キャンディを1つ口に放り込み、手袋をはめた。それから目出し帽で顔を覆い、首と服の繋ぎ目をネックウォーマーでしっかりとカバー。眼球保護用のゴーグルを装着し、頭にウシャンカを被った。
「それじゃあ事前の打ち合わせ通りに」
「はい、お気をつけてご主人様」
「1時間たったら連絡するわね」
「はいよ」
3つのチームがローテーションで警備にあたるように、俺たちもローテーションで警備を実施する。
まず最初の1人、つまり俺が車外に出て警備。事前に決めておいた巡回ルートを周りながら不審な人物がいないか、侵入者の形跡はないかをしっかりとチェック。そしてトラックで待機しているクラリスがドローンを操縦して広域を警戒、不審な人物や接近する車両を俺に無線で連絡する。そして1時間後、クラリスは俺とバトンタッチし外の警備へと向かう。
カーチャは最初は休息から入り、次はドローンの操縦で広域警戒しつつクラリスのサポートを行う。そして1時間後にはカーチャが外を巡回し俺がドローンを操縦、巡回中のカーチャを支援する……と言った感じに分担するのだ。
これならば一番苛酷な外での警戒業務が1人1時間で合計4回で済むし、1時間だけだが休息も摂れるというわけだ。それにトラックの荷台には食料や嗜好品、それから基本的にエンジン付けっぱなしで暖房を使うトラックのための予備の燃料に武器、弾薬などが積み込んである。
しばらくはあのゲートの傍らに佇むガントラックが、俺たちの”家”になるというわけだ。
「うお寒っ」
防寒用のインナーの上に3枚くらい重ね着し、更に手袋とネックウォーマー、バラクラバにウシャンカという防寒ガチ勢装備でもこの寒さである。まるで真冬の青森に半袖短パンで遊びに来たような……いや、それは誇張し過ぎか。それでも十分寒い。
バラクラバ越しに白い息を吐きながら、事前に頭に叩き込んだ巡回経路を歩き始める。防寒タイプのブーツが水を吸ってシャーベット状になった雪に沈み込み、バシャバシャと涼し気な……いや、寒そうな音を奏でた。
水産加工工場というわけあって、周囲からは生臭い臭いが漂ってくる。魚の臭いだ。向こうではブロック状に固めた魚肉を台車に乗せ、冷凍庫があるであろう大きな建物の中へと入っていく姿が見えた。
初めて訪れる工場の中、ちょっとした冒険気分だった。巨大な配管やクレーン、籠にぎっちり詰め込まれたエビやカニ。敷地の片隅には不要となったエビやカニの殻、それから貝殻が積み上げられた廃棄物置き場らしきものが見え、これがまた凄まじく生臭い悪臭を放っていた。
ハクビシンはそれなりに嗅覚が良い動物なので、ミカエル君的にこの臭いはキツい。さっき夕食に食べてきたウハー(魚のスープ)とザリガニの塩茹でをぶちまけそうになるほどだ。
小屋の陰から台車を押してきた奴隷が、俺の姿を見るなりびくりと身体を震わせ、そそくさと工場の中へ入っていった。あの怯えよう、おそらくは日常的に暴力を受けているのだろう。警備兵に目をつけられたら何をされるか分からない、目立つ前にさっさと逃げよう……そんな意図が感じられる。
中学校の時、クラスメイトに苛められていた同級生がいたが、彼もあんな感じだった……苛めてた奴をボッコボコにしてからは、彼とは週末に一緒にゲームしたりアニメを見たりする良い仲になったが。
前世の世界でも見た仕草に、ちょっとだけ心が痛くなった。
分かっている、奴隷たちは大罪人で、本当は処刑台に送られていてもおかしくない連中なのだと。もしかしたらさっきの奴隷だって人を殺しているかもしれない、他人の財産を盗んでいるかもしれない。けれどもそういった実情を知っているからこそ、目の前の光景と頭の中にある情報の乖離に胸が痛くなる。張り裂けそうになる。
「……」
落ち着け、仕事に集中しろ。
相も変わらずお人好しだな、と自嘲しながら緩やかなタラップを登った。水分を含んだ雪で滑りそうになっていると、頭上を音もなくパヴェルお手製のドローンが飛んで行くのが見え、今コケそうになったの見られてないよな、と少し不安になる。
時刻は20時23分。
闇は深まり、風は容赦なく吹雪く。舞い上がった雪がゴーグルの表面に付着して視界を塞ぎ、それを手袋で払い落としながら巡回ルートを歩いた。
全ては報酬のため―――仲間を養うため。
こういう時に身体を張らなければ。
……いや、ハクビシン的にこの寒さは辛過ぎた。
風邪ひくわこんなん。




