奴隷たち
ノヴォシア帝国には、刑罰の一つとして『人権剥奪』という刑罰が存在する。
読んで字の如く、本来すべての国民に保障されている基本的人権を凍結、その刑罰を与えられた人間をヒトとしてではなく”モノ”として扱うというものだ。前世の世界、基本的人権がキッチリと尊重されていた日本においては考えられない刑罰である。
そんなレベルの代物だから、基本的には重罪人にばかりこの罰が科される。どれだけ重い刑かというと死刑や無期懲役と並ぶレベルであり、人権を剥奪された人間は大抵の場合奴隷商人の元へと送られ、そこからは奴隷として過ごす事になる。
人権も無く、物として扱われ、主人の元で強制労働に従事させられたり、慰み者にされるのだ。しかも法律上は人間ではなく物なので文句も言えない。酷いケースでは研究所へと送られ人体実験に使われる事もあるのだとか。
だからまずはマシな主人に買われるのが第一関門で、そこを乗り越えても子供のお菓子すら買えないレベルのクッソ安い賃金を貯め、自分の人権を買い戻すまで壊れずに働き続けるという第二関門が待つ、極めて苛酷な刑罰と言えるだろう。
ちなみに重罪人を貴族などの富裕層相手に売買するため、意外かもしれないがこの世界の奴隷商人は公務員扱いになるというちょっとした面白い事実がある。
国家によって認められた人身売買。しかしそれは刑罰の一環としての事であり、確かに過酷な労働を課せられる奴隷たちに対して哀れだと思う事はあるが、彼らとて罪人なのだ。金目当てに何人もの男を手にかけた女とか、一家を全滅に追いやった凶悪犯とか、罪状を聞くだけで「そうなって当然だ」と思うレベルの重罪人たち。だから日本人の尺度で「可哀想、助けなきゃ」なんて思わない。
日本には日本の司法があるように、この世界にもこの世界の司法が存在するのだ。「郷に入っては郷に従え」の言葉通り、前世の日本の尺度でこの世界の物事を推し量り変えようとするのは余計なお世話、傲慢にも程があるというものだ。
「さて、どうしたものかね」
腕を組み、奴隷たちを見下ろした。
彼らが奴隷だと分かった時点で、すぐに手足は縄で縛った。逃走した奴隷を発見した場合はすぐ当局に申し出なければならないし、彼らの脱走を幇助すればこっちも罪に問われる。最悪の場合、ギルドの解散命令からの逮捕で俺たちにまで人権剥奪の刑罰が科されてもおかしくないのだ。
というわけで、この3人組はマズコフ・ラ・ドヌー当局に突き出す事にした。これは決定事項だ、例外はない。
「待ってくれ、やめてくれ……」
「そう言ってもね」
声を震わせる奴隷の1人が懇願するが、俺にはどうしようもできなかった。
彼らは罰を受けているのだ。どうやって逃げ出したかは定かじゃあないが、あんな雪原のど真ん中をこんな薄着で彷徨い、挙句の果てには当局へと突き出されるともなれば哀れに思えてくるが、そんな彼らを逃がすという事は刑務所の中の囚人を脱走させるのと同じ事。それが人権が保障される刑務所の中か、それとも人権の無い奴隷としての生活かの違いだ。
「もう嫌、嫌よあんな生活……もう痛いの嫌ぁ……!」
一緒にいた奴隷の女がすすり泣く。やはり、女の奴隷という事は使い道はまあ……アレだったのだろう。哀れではあるが……しかし情に任せて動いていては司法制度の意味がなくなる。こういうのは粛々と規定通りに進め、規定に何か問題があるならば訴えを起こすほかない。
涙をハンカチで拭き取り、奴隷たちを見下ろしながら問いかけた。
「アンタら、どこから逃げてきたんだ?」
「……マズコフ・ラ・ドヌーからだよ」
ぽつりと、絶望を滲ませながら男の1人が答えた。
俺たちもマズコフ・ラ・ドヌーからやってきた。という事は彼らはマズコフ・ラ・ドヌーから逃げ出し、雪原の中でUターンしていた事になるが……?
いや、ありえない話ではない。遠くに何か大きな木とか建物のようなランドマークがはっきりと見える状況ならばともかく、どこまでもただただ真っ白で、空と大地の境界線すら定かではないレベルに真っ白な雪原の中であれば方向感覚も狂うというものだ。そうやって本来の目的地へのコースを大きく逸れて遭難してしまうというのも、ノヴォシアの雪原の恐ろしいところである。
「どうやって逃げた?」
「……逃がしてくれた人が居たんだ」
「何者だ?」
「そいつは分からない……でも、若い人だった。優しそうな人で、”逃げろ”って」
「……」
噂で聞いた程度だが―――人権剥奪刑の廃止を求める活動家の一部が先鋭化し、貴族の元で働く奴隷を逃がして回っている団体がいる、と新聞記事で見た事がある。とはいえ最後に見たのは俺が11歳の頃のキリウ・タイムズの記事で、しかも活動家全員が憲兵隊に摘発されブタ箱にぶち込まれたという記事だった。それ以来この手の活動は下火になってきたと思っていたが……。
哀れなものだ。
彼らを助けたという何者かは、きっと偽善者なのだろう。
本当に奴隷たちを助けたい、と思うならば彼らを助け出し、逃走手段まで用意するのが普通だ。例えば車、最悪でも馬車くらいは用意して然るべきだろう。あんな極寒の雪原に着の身着のままで放り出すなんて考えられない。
だからミカエル君的にはこう思う。彼らの脱走を幇助したのは、奴隷が可哀想という短絡的な思考回路の持ち主で、奴隷たちを救う事よりも「自分はこんなに良い事をした」という善意をアピールし自分に酔っている、そういう輩だ。
胸糞悪いったらありゃあしない。ミカエル君の嫌いな人種トップ5に入る。
幌を捲ってみると、もうすぐそこにマズコフ・ラ・ドヌーの街並みが見えていた。
この3人ともお別れの時が近付いていた。
「ご協力ありがとうございます」
ビシッとした敬礼でそう言われ、俺も見様見真似で憲兵に敬礼を返す。
その後ろでは手錠をかけられた3人の奴隷たちが、他の憲兵に誘導されながら護送車の後部座席へと乗り込んでいくところだった。
「彼ら、これからどうなるんです」
敬礼していた手を下ろしながら、つい口にするつもりのない言葉を発してしまった事に自分でも驚いた。そりゃあ、心の底では彼らをほんの少しだけ哀れむ思いがあった、というのが実情で、法に照らし合わせて淡々と処理するのがどれだけ難しい事かを殊更意識させられる。
結局、人間は感情を優先してしまいがちなのだ―――それは旧人類も、新人類たる獣人たちも変わらないのだろう。
「脱走した分も罪に問われます。今まで稼いだ資産は没収、余罪次第では死刑もあり得るでしょう」
そう答えたドーベルマンの獣人の憲兵はハッとしたような顔でこっちを見るや、苦笑いしながら小声で言った。
「……ま、まあ、まだ確定ではないですよ」
「ええ、他言無用はこの業界では常識です、そこはご安心を」
人権剥奪も十分に重い罰だ。
実際、主人の元から脱走を図った奴隷が隣の街で確保され、そこから死刑判決が下った―――という事例もある。あの3人もそうなるのだろうか。
ブロロ、とエンジンの音を響かせ、護送車が走っていった。
「あの3人、”アーセナル・オメガ”の連中です」
「あいつらが?」
アーセナル・オメガ。
グラニネツ村にゾンビを殺到させ、壊滅の原因を作った冒険者ギルドだ。奴らが仕留めた魔物の死体処理を怠ったせいで血の臭いは風に乗り、汚染地域を跋扈するゾンビたちを刺激した。結果として血の臭いのせいでグラニネツ村を汚染地域から守っていた香木の森は天然の防壁としての機能を果たせなくなり、大雪で被害が出ていたグラニネツ村の壊滅へと繋がったのである。
生存者僅か6名―――何とも痛ましい事件だった。
あの後味の悪さが口の中に蘇り、手のひらに爪が食い込んだところでやっと、自分が無意識のうちに拳を握り締めていた事に気付いた。
あいつらのせいで、グラニネツ村の人たちは……。
「……法に則った処罰を……お願いします」
「承知しています。では、私はこれで」
本日はありがとうございました、と言い残し、若い憲兵は傍らに停まっていたパトカーへと乗り込んだ。
走り去っていくパトカーを一瞥し、俺も踵を返してトラックのキャビンへ。
幌で覆われている荷台よりも、やはり暖房が効いてるキャビンの中は暖かい。シートベルトを締めると、パヴェルはトラックを走らせ始めた。
「なんだか、ただのザリガニ釣りが大事になっちまったな」
そう言うパヴェルだったけど、バックミラー越しの彼の目つきは思ったよりも鋭かった。
「……パヴェル」
「んぁ」
「あの奴隷、マズコフ・ラ・ドヌーから逃げ出した奴隷らしい」
「ほー?」
「え、この街から逃げてまたこの街に走って戻ろうとしてたって事?」
「あの真っ白な雪原です、方向感覚もおかしくなってしまいます。きっと寒さの中、逃げ道を見失い彷徨っていたのでしょう」
まあ、ランドマークも何もない雪原をずっと逃げていればそうもなるだろう。
哀れではあるが、まあそれだけの事をしたのだ。
しっかり罪を償ってほしいものだ……人生を買い戻すだけの金が手に入るのは、一体いつになるのか分からないけれど。
踏切から線路に入り、パヴェルがクラクションを鳴らす。すると第一格納庫の側面にあるハッチがスライドし、中からクレーンアームが伸びてきた。巨大な4本のマニピュレータを持つそれが開き、トラックの車体をなるべく傷付けないように挟み込み、持ち上げていく。
車体が格納庫内部に降ろされるのを待ち、ドアを開けた。
嗅ぎ慣れた金属と機械油の臭い。クレーンの操作室から出てきたツナギ姿のノンナに大きく手を振り返し、荷台からザリガニの入った容器を5つ、ルカやパヴェルと一緒に抱えて持ち出す。
「おかえりー!」
「ただいまー。ほらこれ」
「うわ、すご……!」
さすがに容器のガラスの蓋の向こうでカサカサと蠢く大量のザリガニにドン引きするノンナだったが、ザリガニは嫌いじゃないらしい。ただこの密度でカサカサされたら怖いよな、俺もだよ。
泥抜きのためにこいつらの入った容器は全部食堂車へと持っていった。全部食堂車へと運び込み、とりあえず一息つく。
こりゃあしばらくザリガニは獲りに行かなくていいな……ざっと数えただけで70匹は捕まえた。多すぎるとも思うが、これくらい捕まえておかないとね、誰とは言わないがどこぞの高身長で巨乳でショタ&ロリコンのメイドさんが全部喰い尽くしてしまう。
「まあ、たくさん獲れましたわね」
口の端からよだれを垂らしニッコニコでそう言うのは、やっぱりどこぞのメイドさんことクラリスだった。うん、この調子だとまた獲りに行く必要がありそうだ。今日の倍は獲らないと。
厨房ではいつの間にかエプロン姿に着替えたパヴェルが今日の夕食の仕込みに入っているところだった。昨晩の夕飯に出たザリガニ料理に使った殻を何やら鍋で煮込んでいる。出汁か何かをとっているのだろうか。
その隣ではツナギからエプロンに着替えてきたノンナが、ジャガイモを水で洗い始めた。以前から彼女はああやってパヴェルと一緒に厨房に立ち、彼から料理を学んでいる。最近では多忙なパヴェルに代わってノンナがご飯を作ってくれる事も多くなった。
鼻歌を口ずさみ、パームシベットの尻尾をぴょこぴょこと振る姿が実に愛らしい。
さて、俺もそろそろ自室に戻るか。
夕飯まで時間があるし、なんだか疲れた……少し昼寝でもしよう。
「ご主人様、ご主人様」
「うにゅ?」
せっかく綿あめをお腹いっぱい食べる夢を見ていたというのに、もう少しくらい寝かせてくれてもいいじゃないか……そんな抗議の意思とは裏腹に、身体はすんなりと動いていた。
瞼を擦りながらベッドから起き上がり、起こしてくれたクラリスの顔を見上げる。
「何、ご飯?」
「いえ、その……お客様が」
「はあ」
まーた同盟か。
武器の供与とかなんかそういう条文があったら追い返してやる、と思いながら、新たな触媒”天使の杖”を手に寝室を後にする。
クラリスが案内してくれたのは食堂車……ではなく、客車だった。空き部屋になっている一室の前には私服姿のカーチャがいて、腰にはグロック17が収まったホルスターがある。
「お昼寝中ごめんなさいね」
「また同盟?」
「いえ、お仕事よ。”直接契約”のね」
「……?」
コンコン、とドアをノックしてから中に入る。
2人部屋―――しかし客車のサイズが大きいが故にそれなりのスペースがある寝室には、既に依頼人と思われる小太りの男性が座って待っていた。
二段ベッドを撤去して代わりに設置したソファに背中を預けながら座る彼の傍らには、羊の獣人の女性が控えている。メイド服に身を包んだ彼女の首には金属製の首輪があり、半ばほどで千切れた鎖がまだ残っている。まさかな、と思いながら手の甲を見ると、そこにはやはり×印の焼印があった。
「すみません、お待たせしました」
向かいに腰を下ろし、笑みを作りながら自己紹介する。
「血盟旅団団長、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフです」
「おや、こんな小さい子が? そうかそうか、まあ人は見かけによらないというしな」
にっこりと笑みを作り、小太りの男性は手を差し出した。
「アンドレイ・イワノヴィッチ・パルコフだ。このマズコフ・ラ・ドヌーで水産加工工場をいくつか経営している」
握手を交わし終えると、クラリスが紅茶の入ったティーカップとジャムの乗った小皿、それから小匙を持ってきた。
「いやあ、闘技場の試合は私も見たかったんだがね、あいにくVIP席が埋まっていたものだから……」
「あはは……それはそれは」
「ラジオ中継で我慢したが、まさかこんな小柄な女の子だとはね。あの魔犬を退けた実力、ぜひ私に貸してほしい」
パルコフが言うと、控えていたメイドが書類をカバンから取り出した。
依頼の内容が記載された書類のようだ。
「さあ、仕事の話をしようかリガロフ君」




