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焼印


「うへー、いっぱい獲れたねミカ姉」


 ザリガニがどっさりと入った容器を覗き込みながら、ルカは笑みを浮かべた。


 前世の日本じゃ信じられない話だが、ノヴォシア帝国ではザリガニは割とポピュラーな食材だ。スープの具材にしたり、焼いたり、すり身にして揚げたりと幅広く使われるが、最も一般的なのはやはり塩茹でだろう。1日くらいかけて泥抜きをした後、イライナハーブなどで香りをつけながら塩茹でにするのだ。


 食卓に並ぶこともあれば酒類のつまみになったりと、ザリガニは大活躍の食材なのである。


 まあ、そういう食べ方をするのは庶民や労働者などで、貴族が口にするものではないのだが。


 色んな水路や水辺に生息しているし、この世界のザリガニは季節問わず捕獲できるので、近くにこのクッソ寒冷な冬でも凍り付かない流れのある水場がある地域であれば盛んに捕獲される。そして苛酷な冬を乗り切るための食料の足しにされるのだ。


 というわけで、俺たちがやってきたのはマズコフ・ラ・ドヌー郊外にあるとある農村付近の川。ドン川へと続く支流の1つだが流れは緩やかで、ミスって転落してもそのまま流される恐れはない……まあ、死ぬほど寒い思いをする事になるが。


 しかし、本当にザリガニは優秀な食材だと思う。泥抜きをしっかりやれば味は悪くないし、過熱を徹底すれば寄生虫も問題はない。そして何より、ワンコインで購入できるような安物のニシンの缶詰と釣り糸さえ用意できれば簡単に捕獲できるのでお財布にも優しいのだ。そういうところも庶民に人気の食材たる所以なのだろう。


 大きめの容器の中でわさわさカサカサと蠢くザリガニたち。彼らは今日から泥抜きされ、明日か明後日には調理されて食卓に並ぶのである。余命1日となった彼らを見下ろし、満足しながらトラックの荷台に腰を下ろした。


 3月―――冬ももうじき終わる。


 4月になれば雪解けが始まり、雪原に代わって泥濘が顔を出す。そこら中に底なし沼が出現し、イライナ地方南部ではヴォジャノーイが活動を始める季節だ。こっちの方にはあまり生息していないようなので、少なくとも泥道を歩いていた最中にいきなり襲われた……なんて事にならないのは素晴らしいと思う。


 鞄の中から黒パンとケースを取り出し、ナイフで黒パンを薄くスライス。その上にサワークリームを塗り、刻んだタマネギを乗せて、後は余ったニシンの塩漬け(ザリガニ用の餌として用意したものだ)の身を1つ乗せ、隣にやってきたルカに差し出した。


「いただきまーす」


 もっちゃもっちゃと幸せそうな顔でパンを頬張るルカ。そんな彼の隣でトラックの荷台に腰掛けながらパンを切り分け、サワークリームを塗り、タマネギとニシンの塩漬けを乗せて俺も昼食にありついた。


「しばらくはザリガニ三昧だねぇミカ姉」


「そうだなぁ。まあ、嫌いじゃないからいいけど」


 それにマズコフ・ラ・ドヌーのすぐ近くには海がある。ザリガニに飽きたら釣りにでも行けばいい。凍った海面にテントを張ってその中で氷に穴を開け、そこから魚を釣り上げるのだ。この前食べた魚のフライの盛り合わせは絶品だった。


 ちなみに範三は刺身にしてもらって食べていた。「ワサビがないと物足りないでござるな」なーんて言ってたけど、まあそうだろう。刺身にワサビは付き物だ。あと意外とすりおろしたニンニクもいける。


 昼食を済ませてトラックのキャビンの方へと回り込むと、運転席ではパヴェルがハンドルの上に義足を乗せ、成人向け雑誌をアイマスク代わりにしながら寝息を立てているところだった。何も知らない人が見れば何ともだらしない成人男性の図だが、彼の毎日の激務っぷりを知る俺たちからすればまあ、寝たくなるのも無理はないだろうなという想いである。むしろ休んでパヴェル。


 助手席でコーヒーを飲んでいたシスター・イルゼが、俺たちに気付いて窓を開けてくれた。


「お疲れ様。どうです、釣果は」


「大漁だよシスター。明日の夜はザリガニ祭りだね」


「うふふっ、それは楽しみですねぇ」


 後部座席のドアを開け、キャビンへと乗り込んだ。ルカの手を掴んで引っ張り上げ、着席しつつシートベルトを装着。本来、ウラル-4320に後部座席はない。運転席と助手席が収まったキャビンの後方に荷台がででんと鎮座しているのだが、この血盟旅団仕様のウラル-4320は車体を延長してキャビンを延長、後部座席の天井に連装式のブローニングM2を据え付けてガントラックとしている。


 また、荷台は必要に応じてクレーンや各種武装を搭載可能となっているのだそうだが、今のところ使った事はない。


 前では眠ってしまったパヴェルを、シスター・イルゼが優しく揺すりながら起こしているところだった。


「んぉ、帰るか」


 出すぞ、と起きたばかりのパウェルがアクセルを踏み込んだ。オフロードタイヤが回転し、雪原に巨大な轍を刻みながらトラックはマズコフ・ラ・ドヌー市街地を目指して突き進み始める。


「そういやミカよ、次の目的地どうする?」


「それなんだよね」


 マズコフ・ラ・ドヌーから北東に進めば首都モスコヴァが、東に進んで行けば学術都市アカデムゴロドクボロシビルスクがある。


 モスコヴァは首都の名に恥じぬ栄華を極めた大都市で、皇帝陛下ツァーリの住む宮殿や帝国騎士団本部もここにある。姉上の職場だ。というかここから飛竜をチャーターしてキリウまで戻って来るって姉上の行動力おかしい。


 そして一方のボロシビルスクはというと、”学術都市アカデムゴロドク”の通称の通り、帝国の頭脳が集まる都市だ。最先端技術の研究や旧人類の遺構から発掘されたロストテクノロジーの解析及び軍事転用、魔物の生態研究などもここで行われている。学者たちにとってはまさに「学問の聖地」であり、最近発見された新種のセミ(発見者にちなみ”モニカゼミ”と名付けられたアレだ)の生体サンプルが送られた場所でもある。


 メスガキ博士ことリュドミラ・フリスチェンコ博士もここから何度もスカウトが来ていたそうで、それはもう大変名誉な事なのだそうだが断っているらしい。本人曰く「散々イライナ人を”畑仕事(土いじり)しか能のない農奴”と見下す穀潰し連中に奉仕するつもりはさらさらない」との事だ……まあ、イライナ自体、帝国への併合は強引に推し進められた部分も多く、イライナ人のノヴォシア人に対する印象の悪さは群を抜いている。


 まあ、帝国が何度もしつこく博士を学術都市アカデムゴロドクに招聘しようとしているのは、彼女ほどの技術者をイライナに留まらせていたら何をするか分からない、というのが本音なのだろう。帝国が一番恐れているのはイライナにおける叛乱、公国復古を掲げる独立派によるイライナ独立なのだから。


「俺の一存じゃ決められないよ」


「ダハハッ、それもそうだ。ウチは民主主義的に行くってルールだからな」


 そういう事は仲間たち全員に話を通し、議論を重ねてから納得のいく結論を出したいところである。変なところで仲間同士の軋轢は作りたくない。


「ただ、悩むんだよな。モスコヴァはいつか行ってみたいと思ってたところだし、ボロシビルスクの最先端技術を見てみたいって思いもある」


「ねーねーミカ姉、その”サイセンタンギジュツ”ってなんだ?」


「例えば新型の戦闘人形オートマタとか、空飛ぶ機械とか、あとは大昔に廃れてしまった魔術や錬金術、それから”魔法”の解析もやってるらしい」


「ふーん」


 ルカ的にはあまり興味が無さそうだ……俺としては滅茶苦茶興味があるのだが。


 まあ、魔術とかは信仰関係以外にも基礎理論とか色々勉強しているし、そういうのをきっかけとして興味を持ったに過ぎないんだけどね。


「ボロシビルスクの神学校には、エレナ教出身者も数多く在籍していると聞いています。いつか、彼らと信仰に関する話をしてみたいですね」


 そんな事を言い出したのは、エレナ教のシスターであるシスター・イルゼ。血盟旅団に所属する魔術師の中でも特に信仰深く、宗教の戒律をキッチリと守っている模範的な信者だ。


 エレナ教では”愛”が重要視されるらしい。隣人や家族を愛し、他人にも愛を差し伸べよ―――前にエレナ教の経典をちょっと読ませてもらったけれど、冒頭にいきなりそう書いてあった。


 結局のところ、”愛”って何なんだろう。定義がないふわっとした概念だけど、これに定義を当てはめて言語化するならどんな感じになるのだろう……そんな、哲学的な事を頭に思い浮かべながらぼんやりと窓の向こうに視線を向けた。


 そしてたまたま、異変に気付いた。


「?」


 ぴょこ、とハクビシンのケモミミが立つ。


「どした?」


「いやあれ……人じゃね?」


「え?」


 窓の向こう、雪原のど真ん中に人影が見える。


 腰まで雪に埋まりそうになりながらも、必死に雪原を走る人影たち。こんな雪の降り積もった雪原を徒歩で横断するなんて自殺行為だ。特にスノーワームの生息地だったら、大概は目的地に到着する前に骨まで食い尽くされ、春になり次第大地の肥料と化すのがオチである。


「助けるか?」


「まあ、そうするしかないだろうな」


 荷台にも空きスペースあるし、乗せていってもいいだろう。


 運転席の座席の下から金属製のボックスを取り出した。中にはいざという時のために信号拳銃が収めてある。中折れ式のそれに付属の信号弾を装填、安全装置セーフティを解除し、シートベルトを外して銃座へと上がる。


 ハンドルを切ったウラル-4320が進路を変え、その人影の方へと向かっていく。グリルガードに装着された超大型除雪板が雪を強引に押し退け、トラックの進路を確保していった。


 ここってスノーワームの生息地から外れてたっけ、と心配になりながら、雪雲の埋め尽くす空へと目掛けて信号弾を放った。


 真っ赤な光を放つ信号弾に、その人影たちの視線が集まる。


 大きく手を振りながら、あらん限りの大声で叫んだ。


「おーいこっちだ! こっち!!」


 聞こえたのか、それともこちらの意図が伝わったのかは定かではないが、雪の中を移動していた男女はまるで遭難中の海原で船を見つけたかのように、大きく手を振りながらこっちに向かってくる。


 やがて、停車したトラックに3名の男女が縋りついた。荷台に乗るよう指示し、銃座での監視をルカにお願いしてから、俺も荷台の方へと移動する。


 先に荷台に乗り込み、彼らに手を貸して引っ張り上げた。


 そこで気付いた。雪の中を必死に走っていた彼ら(男性2名、女性1名の合計3名)がやけに薄着で、肌や髪も薄汚れ、身体も全体的に痩せている事に。


 信号拳銃のグリップで荷台をガンガン叩くと、行ってよし、という合図と受け取ったパヴェルはトラックを再び走らせた。


「あなたたちはここで何を?」


 ガタガタと震える彼らを寒さから守るため、荷台の幌を閉じて風をできるだけ遮断しながら問いかけた。


 明らかに普通じゃない。普通なら、あんな雪の降り積もった雪原を徒歩で移動しようなんて考えないし、しかもこんなぼろ布と見分けもつかぬ薄着で雪原に立つなんて自殺行為も良いところだ。


「い、いや、俺たちは……」


 若干、言葉にベラシア訛りがあった。


 おそらくは西部地域なのだろう。そんな感じのアクセントがある。


 いくら何でもおかしい、普通じゃない―――彼らの格好と行動を見ていたが故に芽生えた警戒心に従い、俺は彼らをよく観察する事にした。


 そこで気付いた。全員、先ほどからぼろ布で左手の甲を隠している事に。


 魔術師だろうか? 魔術師は洗礼を受けると、利き手とは逆の手にその宗派特有の紋章が刻まれる。俺が信仰するエミリア教の場合は幾何学模様と六芒星、と言った具合にだ。だからその紋章でどのような魔術を使ってくるのか把握されてしまう可能性があるため、魔術師は紋章を手袋で隠したりする。


 そういう理由ならば分からなくもないが、しかしこんな状況でも紋章を隠したがるものか?


 まさかな、と思いつつ、ホルスターに手を近づけた。中にはブレースとフラッシュマグを装着したグロック17Lがある。


「……手の甲を見せてほしい」


「……」


 要求すると、3人の顔色が明らかに変わった。


 男の1人に近寄り、左手に手を近づけようとする。すると男はまるで証拠を隠そうとする犯人のように必死になり、声にならない叫びを上げながら腕を振り回し始めた。


 が、それは予想できた事だし、あんな極寒の中で体力を消耗しきっていた相手だから鎮圧するのは簡単だった。振り回された腕を掴んで受け止め、L字に曲げた右腕で相手の腕をしっかりとロック、そのまま背負い込むように投げ飛ばす。


 高校の体育の授業以来となる一本背負いが炸裂し、バンッ、と荷台が大きく揺れた。


 前の方から「オイオイ、今の揺れ何!?」という声が聞こえてくるが、構わず投げ飛ばした男の喉元にナイフ(さっきパンを切り分けるのに使ってたやつだ)を突きつけながら告げる。


「頼む、変な気は起こさないでほしい」


「……」


 観念したかのように、男は目を瞑った。


 彼の左手の甲―――そこには大きく、×印の焼印があった。


「あんた……」


「……」


 この焼印が意味する事は―――彼らには人権がなく、社会の、そして特定個人の”所有物”に成り下がった”奴隷”である、という事だ。


 そう、奴隷だ。


 彼らは奴隷なのだ。




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