死闘を終えて
真っ白な空間の中、ぽつんとコタツが置いてあった。
背景手抜きかと思ってしまうほど何もない空間の中、コンセントも無しに佇むコタツと、それを取り囲む二頭身の謎の生物たち。もふもふの体毛で覆われた尻尾とケモミミ、それからくりくりとした大きな目に愛らしい顔立ち。真っ黒な頭髪の前髪の一部は白いコントラストを刻んでいて、傍から見ると仮面のようにも見える。
ハクビシンの獣人―――そう、ミカエル君の脳内に生息している二頭身ミカエル君ズだ。
コタツで暖をとっていた彼らのうち一匹がケモミミをひょこっと起こしたかと思うと、他の個体が一斉にこっちを振り向いた。
「ひっ」
『ミカ?』
『ミカァ?』
なんか変な鳴き声を発しながら、こっちに向かってぞろぞろとやって来る二頭身ミカエル君ズ。小さければマスコット感があって可愛いのかもしれないけれど、身長がミカエル君と変わらないせいなのか、コタツに入っていた個体が全て一斉にこっちに迫って来るのは正面から見るとなかなか怖い。
なにこれ、なにこれ。
後ずさりするもあっという間に追い付かれ、やけに圧を感じる二頭身ミカエル君ズに囲まれるミカエル君。何だこれ、絵面が酷ぇ。
『ミカ、ミカミカー』
『ミカァ? ミカーミカミカー』
『ミカミカ』
未知の言語で個体同士のコミュニケーションを取り始めるミカエル君。するとそのうちの1匹が眠くなったのか、どこからか取り出したお布団にくるまってそのままお昼寝タイムに突入してしまう。
残った3体がしばらくごにょごにょと話したかと思いきや、真ん中に立っていたリーダーと思われる二頭身ミカエル君が何もない空間から巨大なハンマーを取り出す。
ゴゴゴ、と巨人の剛腕の如き圧を発しながら召喚されたそれには、これ見よがしに『100t』と刻まれていた。
「み、ミカァ……?」
『ミカー』
『ミカミカ』
え、嘘……嘘だよね二頭身ミカエル君ズ……?
俺アレよ、本体よ? 君たちのご主人様よ……? なのにこんな、こんな仕打ちが許されるわけ……。
暴力反対、と平和的解決手段の模索を訴えるも時すでに遅し。
半ば涙目になりながら暴力反対を訴えようとするミカエル君へと、無慈悲にも100tハンマーは振り下ろされたのだった。
「どぉぅわぁ叛乱だァァァァァァァァァァ!!!???」
「にゃぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
がばっ、と飛び起きたのと、すぐ目の前でモニカが全身の毛を逆立ててびっくりしているのが見えたのは同時だった。ぴーん、と猫の尻尾を伸ばしながらびっくりする彼女に「あ、ゴメン」と平謝りしつつ、周囲をきょろきょろと見渡す。
薪の燃える臭いと薪ストーブの発する熱気。懐かしい空気が充満したここは、どうやら列車の中にある客室―――俺とクラリスが使っている自室のようだった。本棚にはパヴェルに描いてもらったり、書店で買いそろえたマンガやらラノベ(転生者が普及させたのかこっちの世界でも娯楽として定着しつつある)が並び、その隣にはクラリスが所有する薄い本が、隠す気などないと言わんばかりにドドンと置かれている。
ベッドから起き上がろうとして、手にまともに力が入らない事に気付いた。物を握れないほどではないけれど、力を入れても指が痙攣してなかなかいう事を聞いてくれないというか、半分はもう既に自分の身体ではないようなもどかしさがある。
何やったんだっけ、と混濁する記憶を手繰り寄せ、思い出した。
そうだ、闘技場だ。俺はロイド・バスカヴィルと戦って……限界まで魔力を使って身体に負荷をかけ……そして確か、確か……。
「俺……勝った……のか……?」
実感はない。
ただ―――大剣をへし折られ、仕込み杖の刃を突きつけられたロイドが降伏の意を表したのは覚えている。が、それが夢だったのか現実だったのか判別がつかない。魔力消費で混乱した脳が見せた都合のいい幻だったのか、それとも逆境の果てに掴み取った勝利だったのか。
勝負はどうなった、と困惑しながらモニカの方を見ると、彼女は何も言わずに抱きしめてくれた。
そっと、まるで実の弟を抱きしめる姉のように優しい抱擁。彼女の甘酸っぱい香りに目を丸くしていると、モニカは耳元で囁いた。
「頑張ったわね、アンタの勝ちよ」
「勝った……」
やはりあれは、夢なんかじゃなかった。
勝ったのだ、あのロイド・バスカヴィルに。
異名付きの冒険者に。
銃を、自称魔王から与えられた借り物の力にも、イリヤーの時計にも頼らずに―――自分の力で。
じわり、と目尻が熱くなった。今までの努力は決して無駄ではなかったのだ、という事が結果として残った。今までの血反吐を吐く思いで積み重ねてきた鍛錬が実を結んだのだ。
モニカに悟られないように涙を拭き取り、彼女に手伝ってもらいながら何とかベッドを抜け出す。
外はすっかり暗くなり、レンタルホームに立つ照明灯が雪で覆われたレンタルホームをぼんやりと照らしている。駅の周囲から線路への侵入を防止するためのフェンスの向こうにはマズコフ・ラ・ドヌーの夜景が広がっていて、その夜景が闘技場の巨大な建造物をぼんやりと照らし出していた。
「ほら、みんな待ってるわよ」
モニカに誘われるがままに食堂車に向かうと、扉の前でクラリスが待っていた。目を覚ました俺を見て安堵したような表情を浮かべた彼女は、いつものようにロングスカートの裾を摘まみ上げ、「お待ちしておりました、ご主人様」と出迎えてくれる。
「ああ、ありがとう」
「さあ、どうぞ中へ。パヴェルさんが祝勝会の準備をしてくださっています」
2人に案内され、連結部を飛び越えて食堂車の扉を開けた。
薪ストーブの熱で暖かい食堂車の中には、バターや焼けた肉に魚の匂いが充満していた。ここにきて空腹である事を身体が思い出したようで、ぐぅ、と腹の音が鳴る。
「おー、来たな大将!!」
「ミカエル殿、立派な試合でござったぞ!」
「ダンチョさんこっちヨ!」
「ミカ姉お疲れ様! ラジオ中継聞いてたけど凄かったよ!!」
駆け寄ってきたルカとノンナに手を引かれ、カウンターの向かいにある4人掛けのテーブル席へ。ラジオ中継、という言葉を聞いてふと視線をカウンターの上のラジオへと向けた。パヴェルがスクラップから自作したお手製のラジオからは、ノイズ交じりに今日の闘技場の試合を伝えるニュースキャスターの声が聞こえてくる。しかも今は最終試合、俺とロイドの試合の内容について論評を繰り広げているようで、なんだか恥ずかしくなってしまう。
《いやー、最終試合に相応しい一戦でした》
《この試合、ミカエル選手の執念が掴み取った試合に思えますがいかがですか、解説のヴィニコフさん》
《ええ、私も手に汗握りました。まさかあそこでミカエル選手が反転攻勢に転じるとは予想外でしたね。魔力欠乏症で倒れるほどの死力を尽くした戦い、本当に見事な一戦です。両選手ともに最高の賛辞を送りつつ、今後の活躍にも期待したいですね》
とんでもなくべた褒めされ、恥ずかしくなって窓の外に視線を向けた。
もう3月、来月になれば雪解けが始まり列車での移動が解禁される。そうなればカルロスともお別れになるし、俺たちも次の目的地を求めて旅を続けることになる。
そろそろ次にどこを目指すか、仲間たちと話し合ってもいいかもしれない。
「あれ、そういえば姉上は?」
「呼び出しがかかったって仰っていましたわ。ご主人様の試合の後、すぐ闘技場を離れましたが」
「まあ、仕方ないよね……」
姉上は特殊部隊”ストレリツィ”を率いる中将閣下、帝国の運命を背負って戦う精鋭部隊の長なのだ。有休を使っているとはいえ、非常事態となれば呼び出されもするだろう。
身体には気を付けてほしいものだ。まあ、あの姉上が体調を崩すなんて絶対考えられないが。
「さーてお前ら、席に着いたか?」
クラリスがグラスにタンプルソーダ(メロン味)を注いでくれた後、パヴェルがカウンターの奥から酒瓶を片手に姿を現した。
「じゃあ今日の試合の全勝を祝して乾杯だ! 乾杯!!」
『『『『『かんぱーい!!』』』』』
かんぱーい、とまだ本調子とは言い難い身体に鞭を打ち声を発しながら、仲間たちとグラスを軽くぶつけて中身を一気に飲み干した。喉を流れ落ちていくぴりぴりとした炭酸の刺激にメロンの風味、疲れた身体に染み渡るこの甘さ。何とも心地良いものである。
未成年は普通の飲み物を、成人済みの大人たちはお酒をそれぞれ飲み干し、料理に箸やらフォークやらを伸ばし始めた。
料理とはいっても冬季で食料消費は計画に則って行われるから、それほど豪勢な食事にはならないだろうとは思っていたのだが……保存食中心の食事ではないかという予想とは裏腹に、テーブルの上に並んでいるのは焼き魚にボルシチ、ハーピーの香草焼きにオムレツ、そしてその辺の水路で獲ってきたであろうザリガニの塩茹でが並んでいた。
「あれ、こんな食料をどこで……?」
ザリガニの殻を剥きながら訪ねると、カウンター席にいるカーチャのグラスにウォッカを注ぎながらパヴェルは言った。
「いやぁ、ミカが見事な試合を見せたもんでなぁ。闘技場の主催者からの厚意で食料を貰ったのよ。まあ、賞味期限が迫っている訳アリの品らしいから、今日の内に使ってしまおうと思ってな。宴会にちょうどいいだろ」
そういうことか。
主催者側も太っ腹だと言いたいが、まあ、今日の分はかなりの儲けになったのだろう。試合前に聞いた話では観客席は満員、通路での観戦も観客でごった返していて立つ場所を見つける事すら難しく、せめて会場内の試合の実況音声だけでも聞こうと場外にまで人が集まっていたというのだから驚きである。
それだけ客を呼び込んでくれたのだから、という厚意には感謝したい。
それに加えてマズコフ・ラ・ドヌー沖のアラル海で獲れた魚にザリガニの料理。なるほど、豪勢な食事はそういうわけだったか。
塩茹でのザリガニをもぐもぐしながら納得する。
うん、この塩加減が絶妙だ。イライナハーブか何かを一緒に煮込んだのか、さわやかな風味がザリガニの泥臭さを消してくれている。エビともカニとも言えない食感の身を堪能しながらハーピーの卵で作ったと思われるオムレツにフォークを伸ばし、自分の皿にとって食べ始めた。
《おっと、今情報が入ってきました。何と本日の試合、1試合目から最終試合まで全ての予測を的中させた観客がいたようで、本日闘技場の記録を塗り替えるものすごい配当が出た模様です》
ラジオから流れてくるその音声を聞いたカルロスは、ハーピーの香草焼きをナイフで切り分けながら何故か舌打ちをした。
「チッ」
「え、何? どうしたの?」
「……なんでもない」
同じくカウンター席でウォッカを呑んでいたカーチャが問いかけるが、カルロスはさらりとそう返すのみだった。羨ましいのか、それともその歴代最高額の配当を受け取った人物に心当たりでもあるのか。
しばらく料理をもぐもぐしていると、カルロスが席を立った。トイレかな、と思っていると、彼は傍らに置いていた鞄の中からカメラを取り出し、こっちにやって来る。
「さて、せっかく血盟旅団が知名度をドカンと上げたんだ。どうだ、記念に一枚」
「おー、いいじゃないカルロス♪」
はしゃぐモニカがそう言うと、闘技場に出場したメンバーたちも食事の手をいったん止めた。ナイフとフォークの扱いに苦戦していた範三も、ボルシチに舌鼓を打っていたリーファも、そして俺の隣でブラックホールと化していたクラリスも手を止め、カルロスに視線を向けながらVサインをしたりする。
俺もフォークを一旦皿の上に置き、まだ痙攣する指を伸ばしてVサインを作った。
「それじゃあいくぞ。はい、チーズ」
パシャッ、とシャッターを切る音。
新しい旅の思い出がフィルムに刻まれた音だった。




