魔犬VS雷獣
『ロイド、お前には家業を継いでほしい』
『ダメよロイド、冒険者なんてダメ。危なすぎるわ』
冒険者になる、と言った日の夜だったか。困惑した両親にそう言われたのは。
親父の言う通り、靴職人の仕事を継いで安全な生活を続けても良かったかもしれない。少なくとも、労働者向けの靴や富裕層向けのちょっとお高い靴を作り続ける生活であれば、魔物や他の冒険者に脅かされる危険とは無縁であったはずだ。
けれどもそんなリスクの渦中へと飛び込んでいったのは、単純に莫大な利益が見込める事と―――何よりも”強くなりたい”という想いからだった。
俺は嫌だったのだ。何の変哲もない、平和な生活の中で時を重ねていくばかりの未来が。
『バスカヴィル、だったか。お前には剣の才能がある。どうだ、ウチのギルドで見習いでもしないか』
酒場で出会った冒険者に誘われ、両親の反対を押し切って強豪ギルド”アルカディア”に入団、見習いとして雑務と鍛錬を積み上げた。文字通り血反吐を吐くような地獄で、何度も心が折れそうになった。両親がいるグラガンプールの街が恋しくなった日は一度や二度ではない。
そしてまだ―――自らの思い描く高みには至っていない。
開幕と同時に踏み込んだ。
相対するミカエルはと言うと、それに対応するかのように後方へと飛び退く。
やはりな―――こいつ、接近戦を苦手としてやがる。
体格を見れば分かる。小柄で、鍛えているだろうが体重も軽い。銃撃や魔術を交えた中距離、遠距離戦ならば問題にはならない(むしろ小柄である分被弾面積が小さく有利に作用する)が、しかし接近戦では逆だ、不利に作用する。
身体の小ささはそれだけで手足のリーチの短さに繋がるし、体重の軽さは接近戦における押し合い、つまり単純な力比べで不利になる。体重は力比べに必要な要素だ。これがなければ、例えば相手をガードの上から押し崩すという戦法が取れなくなる。
それに奴の持つ武器も杖である事から、一定の間合いを常に確保して魔術による中距離攻撃を主体としている事が分かる。自分の身体的特性を自覚して組み立てた作戦なのだろうが―――俺に果たして通じるか?
飛び退いたミカエルが、右手を大きく振り上げた。間髪入れず、その指先の軌跡をなぞるかのように蒼い電撃が出現、合計5本の雷の斬撃が、扇状に拡散しながら放たれる。
雷属性魔術―――”雷獣”の異名はそこからなのだろう。
しかし、臆することなく斬撃の間をすり抜けた。微かに空気の焼ける臭いが鼻腔に流れ込み、蒼い光芒の向こう側のミカエルが次の魔術を放つ。
小さな雷球を散弾状に撃ち出してきた。
なるほど、点ではなく面で攻めるか。確かに突っ込んでくる相手を足止め、あるいは制圧するならば理に適った攻撃と言えるだろう。魔術による射撃戦闘を得意とするだけあって、定石はよく弁えている。
―――だが。
そんな小細工のオンパレードで、この”魔犬”ロイド・バスカヴィルを止められるか?
「―――かぁッ!!」
咆哮を迸らせ、両手で握った大剣の切っ先を足元の石畳に突き立てた。
ドン、と空気が震える。石畳のうちのいくつかが柱状に隆起し、飛来する雷の散弾を遮った。
「!?」
予想外……そんな顔をしている。
《おぉーっと両選手、開幕から手を抜かない! いきなり魔術と剣術の応酬です!!》
アナウンスに触発された観客たちが湧き立つ。
頭上のパネルにはオッズが表示されているが、そんなものはどうでもいい。今はただ、このミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという猛者と―――この”小さな獅子”との戦いを楽しみたい、それだけだ。
「なるほど、異名付きにまで上り詰めるだけの事はある」
コキッ、と肩を鳴らしながらミカエルに言った。
「正直楽しいよ、お前と戦ってるのは」
「―――お褒めに預かり恐悦至極だ。”魔犬”ロイド・バスカヴィル」
余裕を崩さず、ミカエルも言う。
「あんた程の猛者が相手なんだ、こちらもいい勉強になる」
「ハッ、そりゃあ嬉しいねぇ」
彼女の話すノヴォシア語にはなんだか、訛りがあった。イーランド訛りのノヴォシア語を話す俺も他人の事は言えないが……そういえば、彼女のプロフィールにはイライナ地方出身とあったな。そっちの言語の関係なのだろうか。
まあいい―――試合時間は無制限、ここに居るのは俺とミカエルの2人きりだ。ならば思う存分、相手への敬意を払って全力で戦うまでの事!
「じゃ、続けようか」
剣を低く構え、突っ込んだ。
今しがた自分で隆起させた石畳の床を足場に駆け上がり、大ジャンプしつつ空中で一回転。回転の勢いと落下の勢いを乗せ、ミカエルの頭上から斬りかかる。
空中でこっちは身動きが取れない状態だ。ここでどう対応するかで相手の性格が分かる。
リスクを承知の上で果敢にカウンターを狙うか、それとも慎重に回避し反撃のチャンスを狙うか。中距離戦を好み、自分の身体的特徴も自覚していて、それでもなお接近戦という博打に打って出る事の無いミカエルの事だから、もう薄々どちらを選ぶかは分かるのだが。
案の定、ミカエルは退いた。左へと大きく跳躍、そのまま空中で右手に魔力を集束させ、雷の槍をその右手に握る。
空中で、奴はそれを投げ放った。細く鋭い魔力の槍―――蒼い電撃で形成されたそれが、周囲の空気を焦がし、触手の如く電撃を周囲に伸ばしながら迫って来る。
石畳を豪快に殴ったばかりの剣を引き起こし、魔力を込めて振り払った。放射状に、三日月形の炎の斬撃がその軌跡をトレースするかのように広がっていく。
1秒も立たぬうちに、雷の槍と炎の斬撃が真っ向から激突した。熱風と火の粉、電撃が混ざり合い、グラスドームの内側で派手な爆発が起こる。
その爆炎の中へ、躊躇せずに突っ込んだ。
やはり異名付き、戦っていて判る―――コイツは強い、と。
決して弱くはない。かといって、ギルドの仲間の力に頼っているような奴でもない。地道に努力を重ね、少しずつ這い上がってきたような……奴の力にはそんな”重み”を感じられずにはいられない。
きっと俺と同じタイプだ。
何も持たぬ凡人から、努力を重ねて今の地位へと至ったのだろう、このミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという少女は。
爆炎を突き破り、ミカエルの前へと躍り出た。
「!」
彼女もこれを予測していたのだろう。魔術のぶつかり合いで生じた爆発を隠れ蓑に、俺は距離を詰めてくると。
手にしていた杖を頭上に放り投げ、両手を振り上げる。
その軌跡をトレースするように蒼い電撃の斬撃が5×2……最初に披露した雷属性魔術、その2倍の量の斬撃が至近距離から放たれる。
さっきはそれなりに距離が開いていたから、間をすり抜けて回避するという手が使えた。しかし今回は違う―――至近距離で、しかも飛来する魔術の量は2倍。これは避けようがない。
ジャンプして躱しても、身動きの取れない空中で隙を晒す事になる。ミカエルならば間違いなく、その機は逃さないだろう。むしろ俺を上空へと追い立て、必殺の一撃を必中タイミングでぶち当てるための布石だったのではないか、とすら思えてくる。
ならば、と腹を括った。
全身から魔力を放射、そのまま斬撃の中へと突っ込んだ。
「!?」
ミカエルが驚いたのが分かった。さすがにこの数の斬撃の中へと突っ込んでは来るまい、と踏んでいたのだろう。
確かにそうだ、常人ならばそうするだろう。
しかし―――俺は”魔犬”。
たとえこの剣が折れ、手足が千切れ飛び、肉体が滅びようとも相手に喰らい付く魔犬、ロイド・バスカヴィル。
拡散していく斬撃と、真っ向からぶち当たった。
バヂンッ、とスパークが走り、身体中が一瞬ばかり痺れる。電撃による筋肉の硬直、これには抗いようはなかったが―――しかし、全身から放射していた魔力が身を守ってくれた。
魔術は魔力を動力源とし、信仰する神や英霊の力を借りてその奇跡を再現する術である。しかし動力源が魔力である以上、指向性を持ったその魔力に逆の指向性を持った魔力をぶち当ててやれば、相殺、あるいは軽減する事が可能なのだ。
これでミカエルが魔術の適正の高い魔術師であったならば、俺はここで倒れていただろう。しかし俺程度の適正……C+でも何とか持ちこたえたという事は、少なくともミカエルは俺と同格の魔術師(推定でC~C+)である事も分かった。
身体を張った大博打だったが、それに俺は勝利したという事だ。
続けて魔術を放とうとするミカエルだったが、もう遅い。
俺の剣の方が先だ。魔術を放つよりも一瞬先に、こっちの刃がその身体を刈り取るだろう。
勝利を確信したが―――しかし、相手も異名付きの冒険者、そう簡単には終わらせてくれなかった。
「!?」
ぐにゃり、と剣の軌道が上へと逸れたのだ。
さながら、金属製の球体の表面を上から流れてきた水が流れていくかのように―――右から左へと薙いだ剣が、ミカエルの左肩を切り裂くよりも先に上へと受け流されていく。
結局、大剣の一撃はミカエルのケモミミの上を掠めて空振り。俺は奴の目の前で、とんでもない隙を晒す事となった。
―――なんだ、今のは。
予想外の出来事にぎょっとしたが、そんな場合ではない。
このまま隙を晒していたらやられる―――その危機感が、身体を動かしていた。
剣戟を空振りした勢いを乗せ、左足で後ろ回し蹴りを放つ。今が好機とばかりに魔術で追撃する態勢に入っていたミカエルが咄嗟にガードするが、そのまま後方へと吹っ飛ばされていく。
辛うじて被弾は防いだが……危ないところだった。
さっきのは何だ? 剣が受け流された……?
「!?」
本能が危険を察知したのは、その直後だった。
大剣を掲げ身を守る。自分でもなぜそうしたのかは分からない。獣人としての第六感なのかは分からないが、このまま様子見をしていたら危険だ、と思えた。
結果的に、それは正解だった。
ガギィンッ、と重々しい金属音が響き、大剣を握る手に痺れるような衝撃が走る。
「これは……!?」
今しがた、大剣に激突したもの。
それはミカエルの放った魔術などではなく―――先ほど俺が肉薄した際、彼女が頭上に放り投げた魔術師の杖だった。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという主の手を離れた杖が、まるで意志を持ったかのように、あるいは透明人間が手にしているかのように宙を舞い、俺に襲い掛かってきたのである。
「ッ!?」
今の一撃が防がれたと知るや、彼女の杖は軌道を変えてさらに襲い掛かってきた。
下段、中段、中段、下段、上段、突き―――決して重くはないが、多彩な攻撃を執拗に繰り返され、瞬く間に防戦一方になる。
一体何が……と思ったところで、ミカエルの姿が目に入った。
彼女の左手―――幾何学模様で縁取られた六芒星の紋章、おそらくはミカエルが信仰する宗教の紋章なのだろうが、それが蒼い光を放っている。
そしてその左手は、まるでオーケストラを指揮するかの如く振るわれていて―――その軌跡をなぞるかのように、この杖は動いているようだった。
そうか、魔術だ。
雷属性魔術の特性は大きく分けて『電撃』と『磁力』の2つ。他にもいくつか特性はあるのだろうが、この2つが大半を占めている。
先ほどの剣が受け流されたのも、そしてこの杖が宙を舞う奇妙な攻撃も全てはそれだ。アイツは磁力特性の魔術を使って周囲に磁界を展開、磁力の反発を利用して剣を受け流し、杖を飛んでいるように見せかけているのだ。
なるほど、ネタが分かれば対処法はあるが、しかし何も知らない状態で見ればさながら魔法使いのようだ。
剣が受け流されるのならば―――。
大剣を鞘に戻し、襲ってきた杖をミカエルの方に蹴り飛ばす。
「……いやあ、こんなに面白い戦いは久しぶりだ」
右手に魔力を込めた。
手のひらで炎が踊り、やがてそれは身の丈以上もある炎の大剣へと成長していく。
鉄製の剣が受け流されるというならば簡単だ。魔力と炎で構築した大剣で接近戦を挑めばいい。これならば、少なくとも磁力による影響は受けない。
「そうだな、こっちもだよ」
蹴り飛ばされた杖を磁力で拾い上げ、ミカエルはそれを握った。
「……?」
杖を握ったミカエルが、その柄を90度捻る。
カチッ、とロックが外れるような音がこちらにも聞こえた。
ゆっくりと柄を握ったまま杖を引くミカエル。杖の中から姿を現したのは―――紅い刃に縁どられた、細身の剣だった。
―――仕込み杖だ。
あの杖の中には細身の剣が仕込まれている。
なるほど、単なる魔術師の杖だとは思っていたが……あれで接近戦にも一定の対応はできる、という事なのだろう。接近を許してしまった反省から対応を見直したか。
彼女の手を離れた仕込み杖とその鞘だった柄が、磁力を受けてふわふわと浮遊する。
あの空飛ぶ杖の打撃と斬撃、それに加えて雷属性魔術……なるほど、コイツは難敵だ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……強いぞ、この女は。




