魔犬のロイド・バスカヴィル
さてと。
仲間たちに一つ、血盟旅団団長として言いたいことがある。
お 前 ら よ く も ハ ー ド ル ぶ ち 上 げ て く れ た な ? ? ?
もうコレあれじゃん、敗北は許されない空気完全に出来上がってんじゃんコレ。
控室の席に着き、テーブルに用意されているクッキーをもぐもぐしながらとにかく落ち着こうとするが、緊張のあまり味が分からない。クッキーの袋には『ゴージャスなはちみつ味!!』なんて煽り文句がデフォルメされたミツバチのイラストと一緒に記載されてるけど、ハチミツの味なんて全くしない。水分を吸ってモッサモサの生地の食感しかしないぞ何だよコレ雑巾か???
「さあ、次はご主人様の出番ですわね♪」
「まあミカなら余裕でしょ」
「ダンチョさん頑張るネ!」
「がっはっは、某と共に剣術の鍛錬に励んだのだ。負ける筈がない」
「そ、そーッスね」
もうやめて、ミカエル君のライフは0よ。
「もう、良いですか皆さん。ミカエルさんの相手は異名付きの冒険者、しかも今日の闘技場の試合の大トリなんですよ? あまりプレッシャーをかけるような事は言わないでください」
両手を腰に当て、頬を膨らませながらそう言って庇ってくれたのはシスター・イルゼだった。ありがとうシスター、俺の味方はあんただけだよシスター。
隣に腰を下ろし、抱えていたファイルの束をテーブルに置くシスター・イルゼ。なんじゃいそれはと覗き込んでみると、その書類には対戦相手である”魔犬”ロイド・バスカヴィルの戦績や経歴が記載されていた。
「カーチャが調べてくれたロイド・バスカヴィルについての情報です」
カーチャもパヴェル同様、独自の諜報網を持っているのだろうか。それともパヴェルから諜報活動について色々と手ほどきを受けているのか。いずれにせよ、血盟旅団にとっては貴重な諜報員としての活躍も期待できそうではある。
それはさておき、シスターから貰った書類に目を通す事にした。
ロイド・バスカヴィル。1869年生まれの20歳、犬の獣人で犬種はドーベルマン。聖イーランド帝国グラガンプール生まれで父親は靴職人、母親は清掃員の仕事をしており、一人っ子として生まれたロイドは両親から十分な愛情を受けて育った……か。
それだけに危険な冒険者の仕事は猛反対されたようで、半ば反対を強引に押し切るように冒険者ギルドに見習いとして入団。イーランドの強豪ギルド”アルカディア”の見習いとして雑務をこなしながら熟練冒険者の戦い方を見て学び、やがて独立。そこからは特定のギルドには属さぬ独立冒険者として各地を渡り歩き、単独での飛竜討伐や盗賊団殲滅、汚染地域の掃討など数々の高難度依頼を単独でこなし今の地位を確固たるものにした……だそうだ。
戦闘スタイルは大剣と炎属性魔術を組み合わせた近距離特化型、属性適性はC+……見習いからの叩き上げだ、コイツは手強い。17歳で冒険者登録した俺よりも2年分下積み時代があり、しかも才能を頼りにしたタイプではなく努力してここまで這い上がってきたタイプだ。
おまけに”魔犬”の異名付きである。
異名は管理局から正式に与えられる称号ではなく、冒険者間で自然に広まっていくものだ。つまりここまでの5年間で異名が与えられるほどの活躍をし、実力を示して知名度を上げてきた本物の猛者である事が窺い知れる。
ガチの近接特化型の剣士―――ミカエル君としては、一対一ではあまり戦いたくないタイプである。
自分の弱点くらい自覚はしている。
銃と魔術を用いた中距離戦闘を徹底し、近距離戦は極力避けてきた理由。その要因はこのミニマムサイズの体格に他ならない。
ミカエル君の身長は150㎝、体重は53㎏。一応は戦うために必要な体力と筋肉はあるが、それでも身体の小ささと体重の軽さは接近戦において不利に作用する。
身長は近接戦闘における攻撃のリーチに直結するし、体重はそのまま攻撃の重さに影響する。つまり攻撃力と勢いに任せて相手をガードの上から吹っ飛ばしたり削る、という力業が事実上不可能という事になるのだ。
真っ向勝負だが、小細工山盛りで挑むしかあるまい。
こちらの武器は新たにパヴェルが用意してくれた、賢者の石を使用した杖型の触媒『天使の杖』と雷属性魔術、それから1秒のみ時間を止めることができる『イリヤーの時計』。
作戦は考えてあるが、果たしてそれがどこまで通用するか……そこまで考えたところで、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
おそらくパヴェルだろう、ドアを叩く手の音がやけに機械的だ。どれだけシリコン製の人工皮膚で表面を覆っても、内に秘めた金属骨格の音までは消せない。
売り込みが終わって戻ってきたのだろう。「はーい」と返事を返すが、俺はすぐに軽率に返事を返した事を後悔した。
安全だと思っていたら、唐突に身の危険を感じる瞬間。まるで息を潜めていた肉食獣、絶対的捕食者の存在に、後になって気付いた草食動物の心境だった。
何が言いたいかと言うと、部屋を訪れたのはパヴェルだけではなかったのだ。
ガチャ、と開くドアの向こう。そこに立っていたのは防寒着姿のヒグマみたいな体格の男、パヴェルと―――私服姿で「私中流階級のありふれたどこにでもいる女ッスよ」的なオーラを発しているけれども威圧感を完全には消し切れていない、どこか残念な金髪の美女が一緒に立っていた。
なんかその顔に見覚えがある。
その……実家にいらっしゃった方ではないでしょうか。
一番上の姉というか、なんというか。願わくば単なるそっくりさんであってほしかったんだが、しかし俺と目があった瞬間の彼女のリアクションを見る限り間違いない、この女本物である。本物のアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァその人である。
「ミカ、お客さ―――」
パヴェルが言い終えるよりも先に、彼の隣を疾風が突き抜けた。
そして俺の目の前に、腹違いの姉の顔があった。
「ひっ」
「ふふふふふふ、会いたかったぞミカ! 闘技場に出場するとは、貴様も戦の何たるかが分かってきたようだなフハハハハハハハ! いやぁ関心関心!」
「あ、姉上? どうしてここに?」
「決まっているだろう、貴様が闘技場に出場するとラジオで聞いたのでな。有休をとって応援に馳せ参じたのだもふぅ」
「話しながら吸わないでください」
「アナスタシア様、ご主人様は耳が弱点でございます」
「裏切り者!」
「む、そうか。ふーっ」
「にゃぁん……♪」
ああダメ耳だけは……じゃなくて!
「わ、わざわざ有休とったんですか?」
「うむ、有休消化の一環でな」
「は、はあ」
「なんか今日は国境警備隊の視察の予定があったから副官のヴォロディミルに頼んできた」
ヴォロディミル氏なんかアレじゃね、大変じゃね?
お疲れ様です……あとすいませんホントにウチの姉がいつもご迷惑を……こりゃあ後で菓子折りを持っていくべきかもしれない。
「むふふぅ~久しぶりのジャコウネコ吸い、相変わらずいい匂いだなミカ。干した洗濯物みたいなフレッシュな香り。それにミカ特有の甘い香りも合わさって実に吸い甲斐があるというものだ。髪の毛とかケモミミの毛もちゃんと手入れをしてるな、このふわふわ具合で分かるぞクンカクンカ」
「やめてくださいよくすぐったい」
「アナスタシア様、クラリスも反対側を失礼いたします」
「うむ、良きにはからえ」
「「すぅ~♪」」
「ふにゃぁ~ん」
右からは姉上が、左からはクラリスが。長身でスタイルの良い美女×2に挟まれ吸われるミカエル君、何コレ新手のおねショタ? おねショタなのコレ?
しかもクラリスの奴、わざと胸を肩に乗せてそのまま頬に押し付けてきやがる。それに姉上も気付いたようで、クラリスと比較すると一回り小さな(しかしそれでも十分でっかい)胸をミカエル君の肩に乗せ、そのまま押し付けて挟んでくる。
え、なにこれ。なにこれ? 俺これから試合控えてるんですけど?
ちょっと待って助けて、と視線で助けを訴えるが、さすがのシスター・イルゼも最恐のアナスタシア姉さんが相手となっては迂闊に止めに入る事も出来ず、申し訳なさそうな、しかしどこか羨ましそうな(……ん? シスター?)顔でこっちを見つめている。
「あ、じゃあワタシ前失礼するヨ~♪」
「ファッ!?」
ミカエル君の前に回り込み、前髪辺りを中心に吸い始めたのはリーファ。左右と前から髪やらケモミミやらを吸われ、甘噛みまでされ、でっかいOPPAIまで押し付けられてもみくちゃにされる。
なにこれ、なにこれ。
あれ、もしかしてこれミカエル君ワンチャン食われるのでは? いつか近いうちにエロ同人的展開になってしまうのでは?
いやいや拙いでしょ、だってミカエル君まだ18……あ、もうエロ本合法的に購入できる年齢だったわコレ。
でもね、そんな事はどうでも良いんです。
とりあえずね、誰か助け……と救いを求めるが、パヴェルは何を思ったか今のミカエル君をモデルになんかイラストを描き始めるし、範三は「俺関係ありませんよ」的なオーラを出しながらもパヴェルのイラストをガン見してて草生える。
何で俺の身の回りにはヤバい人しかいないのか、永遠の謎である。
転生前、空手を習っていた時の事。
試合の前はいつも緊張していた。空手を習い始めたばかりの頃だけではない、黒帯を身に着ける事を許された後もだ。
周りからは「倉木先輩を見てみろ、試合前なのに落ち着いてる」なんて言われていたが逆だ。水面下ではめっちゃテンパってたし、今にも張り裂けそうなくらい緊張していた。
結局のところ前世の人生を、倉木仁志という男の人生を終えるその日まで、緊張する物事には半ばヤケクソで挑んでいた。資格試験の時も、空手の試合の時もだ。
そしてそれは異世界転生を果たした、今も変わらない。
新たな触媒『天使の杖』を握る左手がじっとりと汗ばんでいる。鼓動も早く、乱れそうになる呼吸を深呼吸で何とか落ち着かせる。
「ご主人様」
傍らにはいつも、彼女がいた。
クラリス―――俺を信じてここまでついて来てくれた、最初の仲間が。
彼女だけではない。
姉さんも、シスター・イルゼも、モニカもいる。リーファと範三、パヴェルもいる。
いつも仲間たちが、すぐそこにいる。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
「ああ」
いつまでもビビってられないよな。
息を吐き、踵を返しながら右の拳を振り上げた。
「勝つよ、俺は」
一歩―――選手入場口から踏み出した途端、観客の歓声が響いた。試合を行うグラスドームをぶち割り、闘技場の天井を打ち貫かんばかりの大歓声。そりゃあここまで連戦連勝の血盟旅団、その団長が出場するともなれば注目度は高いだろう。
しっかし、モニカの絶叫と比べれば子守歌みたいなもんだ……この大歓声をたった1人で圧倒する声量のモニカ、マジで何者なんだろうか。声帯にティ〇レッ〇スでも飼ってるのだろうか。
《さあ、いよいよ本日の最終試合です! 青コーナーから入場しましたのは血盟旅団団長、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ! アルミヤ半島の解放からガノンバルド討伐、マガツノヅチ討伐にノヴォシア共産党の放逐など、彼の率いるギルドの快挙はまるで息をするように偉業を打ち立て続けています! 雷獣の異名付き、その実力はいかに!?》
歓声の中にいくつか不穏なものが混じり始めた。なんか気のせいならいいんだけど、「可愛いなあの子!」とか「モフりたい」、「お持ち帰りしたい」、「結婚したい」とかなんか変なその、男共の欲望が滲んでいるのは気のせいか? 気のせいだよね? 気のせいだと言ってよバーニィ。
グラスドームの中に入り、直立不動で相手選手の到着を待つこと1分ほど。やがて向かいの赤コーナーからドーベルマンの獣人、ロイド・バスカヴィルが大剣を背負い入場してくる。
《対しますのは”魔犬”ロイド・バスカヴィル! 聖イーランド出身、言わずと知れた実力者です! ”魔犬”と”雷獣”、果たして最後の試合を勝利で飾るのはいったいどちらか!?》
観客の歓声に応じる事も無く、ロイド・バスカヴィルはそっと背負っていた鞘から大剣を抜いた。
特に装飾も何もない、実用性のみを考慮した質素な剣だった。
「―――お前が雷獣のミカエルか。異名付きの冒険者とやり合うのは初めてだ」
期待するような、そんな様子を込めた声音。
ゴングが鳴り響き―――ロイドが大きく踏み込んだ。
「退屈させてくれるなよ……!」
難敵との試合が、こうして始まった。




