第二の太刀
「……ミカエル殿、少し昔話を良いか」
血盟旅団のメンバーに貸し与えられた控室の中、30分後に試合を控え、鞘から抜き払った満鉄刀の手入れをしながら範三がぽつりと言った。
傍らに座り、その様子を見ていた俺は首を傾げ、「構わないよ」と短く返答する。
そういえば、範三の過去の話って例のマガツノヅチの一件以外にあまり聞いた事がない。というより、血盟旅団のメンバーの過去についてはあまり掘り返さないようにしている。そういったところはしっかりと守られているべきだと思うし、相手の過去に土足で踏み上がるのはプライバシーの侵害に他ならない。
どれだけ親しい人間にも、土足で踏み込んではならない心の領域というのは必ず存在するのだ。
そういう俺のスタンスもあって、血盟旅団の仲間の中ではっきりと過去が明らかになっているのはクラリスくらいのものであるが、そんな彼女の過去も旅の最中に明らかになったものだ。
打ち粉を使って満鉄刀の刀身を手入れをしていた範三は、小さな声で話を始めた。
「昔、某がお世話になった薩摩の道場に恐ろしく強い男がいた」
範三について知っている事は、元々は南部藩、今でいう岩手県の辺りの出身で、故郷を滅ぼしたエンシェントドラゴン『マガツノヅチ』を討ち取り仇を取るために単身薩摩まで渡り、そこで修業を積んだという事くらいだ。
当時の倭国では藩を跨いで移動するだけでも大変だっただろうに、そこから北方ノヴォシアへと逃れたマガツノヅチを海を越えて追ってくるとは、彼の執念には凄まじいものがある。
「ミカエル殿、齢は確か18であったか」
「うん」
「なるほど……ではあの男と同い年だな」
紙を使って刀身を拭き、曇りの無くなった満鉄刀を眺めながら範三は話を続けた。
「稽古の折、何度も胸を借りたが手も足も出なかった。力を求めていた某にとって、彼は絶対に越えられぬ壁のように見えた」
「……そんなに強かったのか」
「うむ、恐ろしく強かった。道場の師範とも真剣で試合をし、師範に”油断すれば殺される”と言わしめるほどの実力者であった。兄弟子たちですら太刀打ちできず、他の道場の者にもとにかく恐れられていた。もしあの者が今の倭国ではなく戦国乱世にでも生まれていたならば、きっと武勇を倭国中に轟かせていただろうよ」
範三をして”恐ろしく強い”と言わせる男……俺からしたら範三こそ”恐ろしく強い”剣豪だと思うのだが、そんな彼ですら越えられぬ壁と評するほどの剣豪が倭国にいたとは驚きである。
本当に、「上には上がいる」とはよく言ったものだ。世界は広い。
「……で、その人は今どこに?」
薄々答えは分かっていたが、聞かずにはいられなかった。
範三がお世話になっていたという薩摩式剣術の道場は、マガツノヅチの襲撃で彼を除き全滅していると聞いている。もし当時もその人が道場に居たのならば、彼もまたマガツノヅチの餌食となったのではないか。
しかし、返ってきた答えは意外なものだった。
「3年前であったか。海龍討伐に出かけた折、実の弟を庇い右目と右腕を失ったのだそうだ」
「え」
「利き手と利き目を失い、剣士としての生命を絶たれたその男は江戸の実家に戻った。確か実家は造船業やら鉄砲鍛冶の専門だったか。”速河重工”という、幕府お抱えの企業だと聞いている」
才能が潰される瞬間というのは、他人であっても辛いものである。
それさえなければ、もし違う結末だったらと思いを馳せずにはいられない。話を聞いただけの赤の他人ですらコレなのだ、片腕を失った当人からすればこれ以上ないほど悔しい思いをしたであろう事は想像に難くない。
「というか、俺と同い年で3年前って15歳だろ? その年で海龍と戦ったってどういう事だ?」
原則として、冒険者登録が許されるのは17歳からだ。実務経験が3年以上の冒険者が同伴するという条件であれば、15歳から仮登録が許される”冒険者見習い”という制度も存在するが……。
「最近は知らぬが、当時の倭国では特例があってな。元服を迎え成人となった男性であれば冒険者登録は自由に行えたのだ」
「あー……」
元服……そうか、そういう事か。
「いずれノヴォシアの地で修業を積み、武勇を倭国まで轟かせた暁にはもう一度手合わせを願いたかったものであるが……実に残念だ」
「そんなに強い人だったのか」
「ああ、気が付くと天井が目の前にあったわ」
がはは、と笑いながら満鉄刀を鞘に戻す範三。いや笑い事じゃないと思うんですが……。
「ミカエル殿、某は強くなろうと思う」
笑うのをやめた範三の表情は真剣そのものだった。
「いずれ刀の時代は終わるだろう、これから先は鉄砲の時代だ。ならば時代が完全に変わる前に、侍たちが刀を手に戦った古き時代―――その幕引きの一翼を某も担いたい」
「……ああ、範三ならできるさ」
《血盟旅団、市村範三選手。間もなく試合ですので選手入場口までお願いします》
「む、出番か」
腕が鳴るわ、と床に座っていた範三は好戦的な笑みを浮かべた。
「応援してる」
「うむ、行って参る」
立ち上がり、戦いへと赴く範三。
前々から思っていた―――常に覚悟が決まっているからこそ、彼の背中はこんなにも大きく見えるのだろう、と。
《さあて、今のところ連戦連勝をキメている血盟旅団4人目の出場です。青コーナーから入場するのは、なんとこの国では珍しい倭国のサムライ! 市村範三選手です!! サムライといえばハラキリが有名ですが、この試合でも炸裂するのかァーッ!?》
ステレオタイプで草。
……と言いたいところではあるが、無理もない事だ。インターネットもないこの世界では見聞で情報が広がっていく。その精度はどんなもんかと言うと国境を跨いだ伝言ゲームのようなもので、情報は過程を経る度に変質していくのが常だ。
だからまあ、切腹が何かの必殺技とか儀式みたいな扱いでノヴォシアに伝わっているのも仕方のない事だが、そんな紹介を受けた範三の心境や如何に。
あ、ホラ。あんなステレオタイプな紹介をされるものだから範三が困惑してる。「え、なにコレ」と言わんばかりの困惑した顔でこっちを振り向く範三。待て待て、それ反則だから。レギュレーション違反だからこっち見んな。
しばらくして、反対側にある赤コーナーからも相手の冒険者が入場してくる。
私服の上に部分的に金属製の防具を装着し、腰には鞘に収まった2本のロングソードを装備している。腰の後ろにあるのは牽制用の投げナイフのホルダーだろうか。接近戦用のダガーにしては柄が細く短いからおそらくはそうなのだろう。
顔立ちはすらりとしていて黒髪だ。頭からはミカエル君やルカ、ノンナと同じく、ジャコウネコ系のものと思われるケモミミが覗いている。
《さあそんな倭国からの刺客と激突するのはこの男! 飛竜討伐で頭角を現し始めた新人、”ニコライ・シャウビフコフ”! 特定のギルドには所属しない独立冒険者として名を馳せている男です! ベラシアの剣士と倭国のサムライ、果たして勝利するのはどちらか!?》
暑苦しいアナウンスを聞き流し、範三と相手の剣士―――ニコライは静かに剣を抜いた。
範三が薩摩式剣術を使う剣士であるのに対し、相手は二刀流。それも構え方から判断するに我流ではないだろう。長い歴史の中で進化と淘汰を繰り返し、洗練されてきた剣術特有の”重み”を感じさせる。
ゴングが鳴ったのと、範三が動き出したのは同時だった。
《おーっと範三選手が先に動いたァーッ! 先手必勝!!》
様子見などせず、初手から全力で―――範三自身の性格と、薩摩式剣術の性質が良く現れた一手と言える。
薩摩式剣術の特徴は”一撃必殺”にある。最初の一撃を全力で振るい、その一撃で勝負を終わらせる短期決戦型の剣術であり、そのための技術も短期決戦という目的のために最適化されている。
一日一万回の素振りも、初手から最高の一撃を振るうためのものなのだろう……たぶん。
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇいッ!!」
甲高い猿叫を高らかに響かせ、相手の懐へと踏み込んだ範三が刀を振るった。
ニコライはその一撃を両手の剣で受けようとして―――咄嗟にガードを中断、ジャコウネコ科特有の瞬発力と素早い身のこなしで、左へとローリングして回避する。
ブンッ、と荒々しく空気を切り裂く音。あまりにもの威力にちょっとした衝撃波が生じ、彼の足元にあった石畳が軽く抉れた。
「避けられた!?」
「―――直感したんだ」
「直感?」
隣で驚くモニカに、冷静に解説する。
「相手も剣士、敵の振るう攻撃でそれがどれほどの威力を持つものなのか、何となく分かるんだろう。それできっと”この攻撃は受けたら拙い”と直感したんだ」
それは事実であろう。
範三の本気の一撃―――100㎏以上の体重に180㎝以上(身体測定の結果190㎝という事が判明している)の身長という恵まれた体格に加え、長年鍛錬し鍛え上げた筋力と技術。相手を一撃で屠る事に最適化されたその一撃の脅威を、相手は直前になって直感したのだろう。
もし仮にあれを受けていようものならば、ガードに使った両手の剣は叩き折られ、ガードもろとも切り崩されていたに違いあるまい。
しかし「当たらなければどうという事はない」という言葉の通り、外れれば何の脅威ともなり得ない。特に一撃必殺に最適化されたが故に、外れた後はというと隙だらけだ。
ここぞとばかりにニコライは仕掛けた。両足のバネをフル活用し跳躍、両手の剣を逆手に持ち替え、落下する勢いを乗せて範三を串刺しにしようとする。
回避から反撃までの一連の流れがあまりにも速く、会場がざわめくのが分かった。
「範三さん!」
「大丈夫、シスター」
致命傷は避けられない―――誰もがそう思い、シスター・イルゼが思わず言葉にしたそれを、俺はそっと制止する。
「―――勝つよ、範三は」
「え」
一緒に鍛錬してきたからこそ、ぼんやりとだが見えてきたものがある。
「薩摩式剣術は最初の一撃が全ての剣術」―――それが世間の一般認識なのだろうが、それは半分正解でこそあるものの、半分は不正解だ。
なぜ、薩摩式剣術がそのような認識を受けるようになったか?
答えは単純明快だった。
最初の一撃で多くの剣士が斃れるため―――誰も見た事がないのだ、”第二の太刀”を。
どん、と範三が一歩踏み込んだ。左斜め上から右下へ振り払った刀を翻し、頭上から襲い来る相手を睨む。
必中の一撃を確信していたニコライの顔が、その瞬間に青ざめた。
まるで草食動物が、天敵たる肉食動物と遭遇し己の死を確信したような、そんな顔だった。
踏み込んだ勢いを乗せ、範三は刀を振り上げた。右下から左斜め上へと、先ほどの軌道を逆側からなぞるような本気の一撃。
ぎょっとしたニコライは攻撃を中断、落下中であるが故に身動きが取れず、しかし直撃するよりはマシと判断し両手の剣で範三の一撃を一か八か受け止めようとする。
それがどれだけ致命的であるか―――ニコライも分かっていたのだろう。
範三の振り上げた刀を受け止めたロングソードの表面に、亀裂が走った。
それは瞬く間に面積を広げていったかと思うと、まるで床にたたきつけられたマグカップの如くあっさりと砕け散った。両手の剣を砕かれぐらりと揺らぐニコライの胴体へ、圧倒的な破壊力を秘めた範三の満鉄刀が牙を剥く。
胴体を直撃する寸前、その刃はくるりと後ろを向いたのを俺は見逃さなかった。
ドフッ、と人体をバットで殴るような鈍い音が響いた。峰打ちだ。相手の胴体に刃が届く寸前に刀を翻し、必要以上に相手を傷付けぬよう峰打ちを選択したのだ。
それは範三の情けであったが、しかしそれにしては破壊力があり過ぎた。
相手の脇腹へとめり込んだ満鉄刀の峰。それの衝撃は純粋な破壊となってニコライの体内を駆け抜け、肋骨を砕き、内臓を圧迫し、破壊の限りを尽くして背中から突き抜けていく。
ニコライが目を見開き、開け放った口からは微かに血が溢れた。
彼の華奢な身体がボールのように吹っ飛ばされ、石畳に落下する。何度もバウンドを繰り返し、グラスドームの縁に背中を思い切り殴打してやっと止まった。
あれだけの致命傷を受けてもなお、ニコライの闘志は折れない。
血反吐を吐きながらも、折れた剣を投げ捨て、非常用のダガーを抜くニコライ。まだだ、まだ俺は戦える―――吐いた血でべっとりと塗れた口が、そんな言葉を紡いだように見えた。
しかし―――ぐるん、と両目が白目を剥き、そのままうつ伏せに崩れ落ちていった。
《そ、そこまでぇッ! 勝者、市村範三選手!!!》
観客の声が闘技場を揺るがした。
客席でチケットを投げ捨てているのは、おそらく相手に賭けた観客だろう。オッズを見る限りでもニコライが勝つと賭けた客が多い事から、今日の血盟旅団はとんだ番狂わせ集団である。
刀を鞘に納め、相手に一礼してから踵を返す範三。やがてこっちに戻ってきた彼にシスター・イルゼが水筒とタオルを渡し、労いの言葉をかける。
「お疲れ様でした、鮮やかな剣術でしたよ範三さん」
「さすが範三、やるじゃない!」
「うむ……しかし相手も手練れであった。またいつか戦いたいものだ」
そう言いながら試合場の方を振り向く範三。気を失ったニコライの周囲には医療関係者や魔術師が集まっている。
さて―――次は俺だ。
血盟旅団団長として、ここで負けるわけにはいかない。
今度は俺が腹を括る番だ。




