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炸裂、くまパンチ


《マズコフ・ラ・ドヌー、マズコフ・ラ・ドヌー、お降り口は左側です。ボロシビルスク、ツァリーツィン行きはお乗り換えです。本日はノヴォシア地下鉄をご利用いただき、誠にありがとうございました。お降りの際は足元にご注意ください》


 民謡をアレンジしたチャイムと共に、車内に響くアナウンス。窓の外を流れていたクッソ暗いトンネルの壁面が緩やかになり、やがて窓の向こうに駅の明るいホームの様子が見え始める。


 マズコフ・ラ・ドヌー、ノヴォシア地方最西端にある都市の駅だ。


 ノヴォシア地方は便利だ。地下鉄網が発達しているから、ドチャクソ積雪のせいで街ごとの往来が著しく制限されている冬季でも関係なく、金さえ払えば遠隔地に好きなだけ移動できる。もちろん車両は地上用のものと比較すると小型で、機関車もそれ相応のサイズとなるので馬力にも制限が生じるが……この地下鉄網があるおかげで物資や人員の輸送に余裕があるというのは大きい。


 イライナ地方にも導入するべきと私は積極的に進言しているのだが、世界一肥沃な土壌と、それに伴う穀倉地帯でもあるイライナ地方はそういった地下開発に大きな制限が生じてしまうのでなかなか難しいのだそうだ。うーむ……そこを何とかしてくれないものか。


 地下鉄から降りた。


 乗っていたのは二等車両。ごく普通の、労働者や庶民向けの車両だ。貴族などの富裕層向けの一等車両も連結されていたがそっちには乗らなかった。何というか、豪華な装飾だとか高級な椅子とか、そういうのにばかり囲まれた空間に居るとアレなのだ。落ち着かないというか、何というか。


 このアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァには炎舞い血飛沫飛び散る戦場こそが似合うというか、まあそんな感じだ。少なくとも屋敷の中でお淑やかにしているようなタイプではないのだよ私は。前線で剣を振るっている方が性に合うし精神衛生的に好ましいのだ、分かるか。


 改札口で駅員に切符を渡し、地上へと上がっていった。


 ボイラー室で作られた蒸気が駅構内の配管を通っているおかげで、地下鉄の駅構内は暖かい。防寒着姿ではじんわりと汗をかくほどだが、しかしそれも地上に上がるまでの話。石畳の階段を上って地上に出ると、-35℃の外気温と風が猛威を振るう。


 まさに天国と地獄と表現するに相応しい気温差だが、しかしこの程度で引き返すなど論外だ。


 目指すはマズコフ・ラ・ドヌー闘技場。


 今そこで、ミカ率いる血盟旅団の冒険者たちが戦っているのだ―――それを応援するために私はここへとやってきた。


 案内板で闘技場の位置をチェックし、雪の降り積もった石畳の道を歩いていく。


 待ってろ、ミカ。


 今お姉ちゃんがモフり―――ゲフン、応援に馳せ参じる。






















 わぁぁぁぁ、と会場が湧いた。


 それもそうだろう―――初参戦の血盟旅団、それだけでも十分に高い注目度だというのに、あんな一方的な試合を2回も見せられては観客が盛り上がらない筈もない。


 クラリスの丸腰での魔物殲滅に続き、モニカの無傷での相手選手撃破。どちらも観客の多くが、勝ち目のない戦いだと断じていただけに、その期待を2度も裏切った……私たちからすればいい意味で、だ。


 「三度目の正直」という言葉が言い表す通り、今度は今までの試合とは違う。


 観客席から聞こえてくる歓声を浴びながら、試合場に立って指を鳴らした。


 私の武器はこの身体ひとつ―――槍だとか刀剣だとか、そんなものは持ち合わせていない。この拳が、両足が、そしてこの身に宿す”気”が私にとっての最大の武器であると昔から信じているし、この時のために鍛錬を続けてきた。


 退屈な宮廷での生活も、拳法の鍛錬の時間だけは毎日楽しみにしていた。もちろん、教えてくださった師匠には手も足も出なかったしまだまだ私も青い。今が到達点などと言うつもりはないし、鍛錬あるのみだとは思っている。


《さあ、本日3人目の血盟旅団のメンバーが登場です! 赤コーナーから入場いたしましたのは、血盟旅団のチャン・リーファ選手! 中華ジョンファ帝国からやってきた冒険者です!》


 別に、ノヴォシアでジョンファ人は珍しくないだろう。ジョンファ人は世界中どこにでもいる―――あらゆる場所に、あらゆる新天地に一攫千金を求めて足を運ぶ、世界を股に掛けた商人たちだ。特にそのジョンファと国境を接するノヴォシアでは、仕事を求めて隣国へ出稼ぎにやって来る冒険者や商人、労働者というのは多い。


 まあ、だからこそ彼らのおかげで異国の地でも祖国の味が恋しくならないのだけど。


 屈伸したり、アキレス腱を伸ばしたりして相手選手の入場を待っていると、やがて向かいの選手入場口―――青コーナーの方から人影が走って来るのが見え、グラスドームの中の空気が一瞬にして殺気に満ちた、鋭く刺激的なものへと変わっていった。


 入場してきたのは狼の獣人。骨格がヒトよりも獣に近い、第一世代型の獣人だった。防御力よりも動きやすさと機能性を重視したのであろう革製の防具に身を包み、手には斧槍ハルバードがある。


 滑り止め代わりに柄に布を巻いたそれを肩に担ぎながらやってきた狼の獣人。彼に向かい、手のひらに拳を合わせて一礼すると、相手も小さく頷いた。


《対するは冒険者ギルド『チョルナヤ・グローザ』所属の”ダニール・カミンスキー”選手! 元一匹狼で活動していた冒険者で、従軍経験もある実力者です! 果たして勝利の女神は異国の戦士か、それとも元軍人のどちらに微笑むのか!? 間もなく試合開始です!》


 アナウンサーの白熱した語りに、観客席から響く歓声はより一層白熱していった。


 頭上にあるパネルにはオッズが表示されている。金を払って座席を得た観客は、どちらの冒険者が勝利するのかを賭ける賭博を楽しむ事ができるという。悪趣味だとは思うけれど、祖国ジョンファにも似たような仕組みはあったし、別にあっても良いとは思う。


 オッズによると、観客たちの予想は五分五分―――ダニールとかいう槍使いと私、どちらが勝ってもおかしくないという事。


 息を吐き、足を開いて腰を落とす。両足は肩幅くらいの広さに、重心は前方に寄せて踏ん張る格好で、それでいて踵は浮かせた。


「師曰(師曰く)―――」


「?」


 話し慣れた母語で言うと、試合開始のゴングが鳴り響いた。


「―――”勝利是靠自己的能力取得的(勝利とは己の実力で掴むものである)”」


 だから、勝利の女神とやらには頼らない。


 勝利とはあくまで結果であって、そこに至るまでに何をするべきか、何をどうしたのかが重要なのである―――師匠はそう仰った。


 だから私は鍛錬を続けてきた。その日々の鍛錬、その積み重ねこそが勝利を引き寄せるのだと信じて。


 それが異国の地でも通用するのか、それを試す時だ。


 右足を前に踏み出し、こちらから仕掛けた。


 相手選手―――ダニールもそれに素早く反応した。両足を前後に広げて構えた状態から、肉食獣特有の瞬発力で動き出したかと思いきや、全体重を乗せた強烈で素早い刺突で、前進する私を出迎えてきた。


 重心を右へと傾けた直後、ボッ、と鋭利な穂先が左肩を掠めた。


 喰らってはいない―――けれども今しがた脇を通過していった穂先と左肩との距離はまさに紙一重、髪の毛1本分程度の隙間しかなく、もし反応が遅れていたら最初の一撃で串刺しになっていたであろう事は言うまでもない。


 ―――この人、強い。


 しかしハルバードにも欠点はある。


 リーチの長さは有利に作用するし、一流の使い手の手に渡れば懐に入る事すらままならないけれど……逆に言えば、一度でも懐に入ってしまえば後はこちらのもの、という事。


 だから何とかして懐に入らなければ、攻守逆転とはならない。


 攻撃のチャンスを求めて踏み込むけれど、しかしダニールはそれを許さない。巨体である事に加え、ハルバードを手にしているとは思えないほど軽やかな動きで後ろに飛ぶと、ハルバードを左から右へと薙ぎ払ってくる。


 足元を狙った一撃をジャンプして回避―――したところで、己の失策を悟った。


 どんなに鍛錬を重ねた武道家や戦士でも、決してできない事というのはある(というより、ヒトの身である以上できない事の方が多いのが世の常である)。


 その中の1つが今まさにこの状況だ。


 私は今、足元を狙った一撃を躱すために跳躍した―――そう、空中に居るのだ。


 地に足がついていない状態では、踏ん張る事も躱す事も出来る筈がない。


 身動きが取れない―――そのチャンスを、相手は見逃さなかった。


「―――!」


「もらった」


 引き戻されたハルバードの穂先が、ギラリとこちらを睨む。


 これは腹を括るしかない。


 息を吐き、”その瞬間”に備えた。


 白銀のハルバードが、ダニールの体重と瞬発力を乗せて撃ち出され―――。






 ゴギィンッ、と重々しい音が会場内に響いた。





「―――!?」


 キラキラと、白銀の破片が雪のように舞う。


 砕けたハルバード、その柄の部分の破片だった。


《―――お、おぉっとリーファ選手、一体何をしたというのでしょうか……!? ダニール選手のハルバードがっ、く、砕けたぁッ!?》


「―――馬鹿な」


 必殺の一撃を放った筈のダニールが目を見開いた。


 簡単な事よ―――こっちに向かって突き出されたハルバードの穂先と柄の接合部を狙って、左の裏拳を思い切り振り払っただけ。


 最初の一撃で、このダニールという男の攻撃速度と”クセ”は見切った。彼は槍を突き出す直前、落とした腰を更に落とす癖がある。後は最初に見た一撃の速度と組み合わせれば、このダニール・カミンスキーという男が繰り出す攻撃のタイミングを推し量る事は容易い。


 後は私の度胸次第だった。


 しかし、これで攻守逆転とはならない。


 武器を破壊され驚愕こそしたダミールだけど、その程度で彼の士気は挫けない。穂先が使い物にならなくなったと知るや、残った柄の部分をぐるりと振り回し、棍棒のように殴打してくる。


 勢いを乗せた殴打を両腕で受けつつ踏ん張り、前に出て拳を振り抜いた。


「ぬぐっ……!」


「ィ……ッ!!」


 渾身の一撃はハルバードの残った柄で受け止められてしまうけれど、柄は大きく”く”の字に折れ曲がった。これではもう、棍棒としても使えない。


「なるほど……強いな、お前」


「あなたもネ」


 こんな強い人と戦えるなんて―――これだから戦いはやめられない。


 武器を破壊されてもなお闘志を失わず、残った部位を棍棒代わりにしてすぐさま反撃に転じる判断力と度胸は、さすがは中堅の冒険者と言ったところ。あの程度で驚愕し士気を挫かれていたら本当に面白くなかったし、興覚めも良いところだった。


 振り抜いた拳を引き、姿勢を低くしながら床に手をつく。そのまま左足を伸ばし、遠心力を乗せた後ろ回し蹴りでダニールの足を狙う。


 そのまま直撃するならばそれで良し、当たれば打撲、最悪の場合骨折は確定するレベルの威力はある、という自負はある。


 けれどもダニールも、そうそう簡単に喰らってはくれなかった。


 ぶんっ、と低い軌道で振り払った足が空振りする。遠心力を乗せた踵は空気だけを切り裂き、相手の足を砕いた手応えは一切感じなかった。


 後ろに飛んだか、あるいは……。


 石畳に刻まれた影を見て、相手がどうやって回避したのかを悟る。


 跳躍したのだ。


 先ほどの私が、足を狙った一撃をやり過ごすためにジャンプした時のように。


 ダニール・カミンスキー……この男の最大の強みは槍の扱いに長けている事でも、瞬発力でもない。


 ―――反応の速さだ。


 腰を落としたまま右手を引き、相手を睨む。


 失策を悟ったダニールの顔が、私にははっきりと見えた。


 反応が速い、というのは、白兵戦において重要な要素となる。反応が速ければそれだけ相手に先んじて攻撃できるし、相手の攻撃にも対処する事が可能になる。これが速いか遅いかで生存率にも大きく影響してくるの。


 でも―――反応が速ければいい、というわけでもない。


 反応が速ければ速いほど、今度は捨て技(フェイント)にも簡単に引っかかる。


 左足を踏み込み、全体重を乗せた右の拳を突き放った。


 腰を落とし、肩を入れ、体重を乗せた一撃。余計な力は入れずに放ったその一撃は、獲物に喰らい付く大蛇の如く素早く、しかし相手を殴り殺す大熊のような荒々しさでダニールを捉えた。


 せめて急所だけは守ろうと、両手を交差させ腹を守るダニール。そんな彼の腕に、私の右の拳が吸い込まれていく。


 命中する瞬間に、右腕に力を入れた。


 人間の身体というのは、力を入れた瞬間が最も大きな力を発揮するようにできている。だから腕に力を込めた状態で殴るよりも、相手に命中する瞬間に力を込めるようにして殴った方がより大きな破壊力になるのだ。


 今回も、タイミングは完璧だった。


 拳に力が宿ったのと、皮膚と筋肉越しに骨が砕ける手応えを感じたのは同時だった。ごしゃあっ、と腕に右の拳がめり込み、その勢いと衝撃をダイレクトに受け止めたダニールの腕の骨がへし折れる。


 拳そのものは腕で受け止められたけれど、衝撃は見えざる槍となって彼の身体を真っ向から射抜いた。


 空中に居るが故に踏ん張る事も叶わなかったダニールは白目を剥きながら、そのまま後方へと吹っ飛ばされていく。球技の選手が投げ放ったボールのように石畳に叩きつけられた彼は、何度か石畳の上をゴロゴロと転がってやっと止まった。


 それでも立ち上がろうとするダニール。戦士としての矜持がそうさせているのか、割と本気の一撃を受けてもこの冒険者はまだ戦おうとしている。俺はまだ戦える、とその鋭い眼光が訴えていた。


 精神的にはまだ戦えても、肉体は限界だったようで―――がくん、と身体を大きく揺らし、ダニールは石畳の上に倒れ伏した。


 もう立てまい―――そう確信し、姿勢を正して拳と手のひらを合わせ相手に一礼した。


《しょ、勝負ありぃッ! 血盟旅団のリーファ選手、何とハルバードの使い手を徒手空拳で打ち破ったァッ!!》


 わぁぁぁ、と湧き立つ観客席。私に賭けた客は万雷の拍手を、相手に賭けた客は悔しそうにブーイングを送って来るけれど、そんな事は私の知った事ではない。


 私は客を儲けさせるために来たのではなく、己の実力を知るため……そして強敵と戦うためにここに来たのだから。


 医療スタッフが相手選手に駆け寄っていくのを尻目に、選手の入場口に戻った。


「勝ったヨ、ダンチョさん」


「お疲れ様、相変わらず凄いよなぁリーファ」


「大事なの、日々の積み重ねヨ。ダンチョさんも努力家、きっと大丈夫ネ」


「は、ははは……だといいけど」


 実際、ミカは努力家だと思う。


 己のため、やがて大きな力を掴むために、彼もまた鍛錬を続けている。パヴェルの課す苛酷な訓練に耐え抜き、魔術の鍛錬も怠らず、しかも最近では範三に頭を下げて剣術の指南も受けているというのだから本当に驚くべきだと思うし、もっと評価されてもいいと思う。


 その努力は手のひらに増えた肉刺の潰れた痕からも窺い知れるし、きっとその積み重ねは絶対的な勝利を引き寄せるでしょうから。


「さぁて、次は某の番か。皆が勝っているのだ、某ばかり格好悪いところは見せられんな。万一敗北するような事があらばこの腹を斬って―――」


「それはやめてくださいね」


 後ろに控えていたシスター・イルゼに真顔で言われ、困惑する範三。何で倭国のサムライは事ある毎に腹を斬ろうとするのか、それは私には分からない。


 イルゼから水筒とタオルを受け取って、礼を言ってから水分補給を済ませた。


 ともあれ、後は範三とミカの試合を残すのみだ。




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