水牢
《さぁ、いよいよ2人目の血盟旅団団員の登場です! 青コーナーより入場するのは血盟旅団所属、モニカ選手! あのガノンバルド討伐で重要な役割を果たしたという実力者です!!》
会場の中が一気に騒がしくなった。
ガノンバルド、という魔物の名前が出た途端にこれ。討伐が難しく、その際には大きな被害を覚悟しなければならない強力な竜―――だからこそ、それの討伐というのは冒険者の実力を推し量る指標としても機能している。
まあ、あたしとしてはちょっとした恨みのある相手なんだけどね。危うく機甲鎧のコクピットごと潰されるところだったし(あれマジで死ぬかと思ったわ)。
いぇーい、と客席に向かって手を振ると、歓声がより一層大きくなった。ふはは、いいわねなんかコレ。湧きなさい、あたしのために……なんちゃって。
腰のホルダーから魔導書(あたしの触媒よ)を取り出していると、反対側にある選手入場口から相手が入場してくる。
《彼女の対戦相手は彼! 冒険者ギルド”コバルトクラウン”所属の『エルンスト・クルーガー』選手!》
ずん、と大きな足音を響かせながら入場してきたのは、随分と大柄で筋骨隆々、更にその筋肉の上から金属製の防具を身に纏ったクソデカ騎士だった。
左手には壁のような大きな盾を、左手には巨大な槍を持っている。サイズと柄の長さ的に歩兵が持つ代物ではなく、馬に跨った騎兵が突撃の際に用いる騎兵用のものだという事は明白だった。明らかに、常人が地上で振り回すには大き過ぎる。
そんな巨大な得物でも、これほどの巨躯の持ち主ともなれば釣り合いも取れるというもの。盾に防具という点からも、相手が防御を重んじるスタイルの冒険者である事が分かる。
相手の装備から戦闘スタイルを予測しつつ、所属ギルドの名前を思い出し苦笑いを浮かべた。
コバルトクラウン―――血盟旅団に同盟を持ち掛け、一番最初に断られた記念すべき第一号じゃないの。
ミカの話では、コバルトクラウンは冒険者ギルド以外にも商業ギルドとしての側面も持っているみたいで、各地に支部を持ち商品流通の一角を担っている商人たちである、とされている。
そしてその行商人たちを野盗や魔物から守るための自前の軍事力も持ち合わせている、大きなギルド。
なるほど、そういう組織の実態も考慮に入れると相手の装備は納得できる。今では廃れつつある金属製の鎧に大型の盾、そして破壊力とリーチに優れる騎兵用の槍。おそらくは行商人たちや商隊の護衛、あるいは物資集積所の防衛を想定した装備なんでしょう。
《防衛なら彼1人で十分! 単騎で飛竜の撃退にも成功した経験がある実力者です! 守りを重んじる騎士と竜殺し、勝利の女神が微笑むのは果たしてどちらか!?》
闘技場のグラスドーム、上面に配置されたパネルが回転して、オッズが表示される。どうやら観客席を埋め尽くしているギャンブラーたちは彗星の如く現れた血盟旅団より、手堅く実績を残しているコバルトクラウンの冒険者の方が勝つ、と予想しているみたい。
ちょっと癪だけど―――でも、そんくらいの逆境の方が燃えるのよね、あたし。
いいじゃない、あたしに賭けた連中は大穴狙い。だったら叶えてあげるわ、その予想を。
「ほう、血盟旅団にゃムキムキのむさ苦しい男ばっかりいると思っていたが、こんなヒョロヒョロの女もいるのか」
金属製の兜の下で、相手の選手―――エルンスト・クルーガーがあからさまにこちらを見下す感じで言った。
「レオニートの申し出を断ったんだって? 後悔するぜ、お前ら」
「あっそ」
レオニートってアレだっけ、コバルトクラウンの代表。
ミカに正論突きつけられてあっさり撃退されてたけど……商業ギルドっていうからもっとこう、詐欺師みたいに言葉巧みに要求を呑ませてくるんじゃないかなって心配してたんだけど、そんな事はなかったみたい。
《では念のためルール説明を。相手が降参するか、戦闘不能と判断されたら敗北です! 死んでも敗北ですがなるべく殺さないように! あとその他の傷害は自己責任で!》
物騒だけどそうでしょうね。エントリーの時、誓約書にはきっちりサインしてきたわ―――死んでも怪我しても全ては私の責任であり、闘技場主催者側は一切責任を負わないものとします、という文言の下にね。
《では、試合開始!》
カァン、とゴングが鳴った。
「―――捻り潰してやるぜ!」
エルンストが動いた。
重そうな金属の鎧を見に纏い、盾を構えながら前進してくる。
ああいった金属の鎧に大きな盾がなぜ廃れたか? 理由は単純明快、”銃の登場”が理由よ。
今では世界中に普及、先進国では二線級兵器扱いされているマスケットやマッチロック式の銃は、命中精度こそ劣悪だけど騎士の鎧を易々とぶち抜く威力がある。
だから重く、使用者の動きを阻害し、著しい体力消費を強いる金属製の鎧はどんどん廃れていった。遠距離から銃でタコ殴りにするのが主流の時代に、銃弾を防げるかどうかも怪しく、更に動きを阻害する鎧は邪魔でしかなかったから。
盾も同様の理由で、戦場ではあまり見かけない。
けれども冒険者という界隈の中においては例外―――特に、レギュレーションで銃の使用が明確に禁止されている闘技場では。
存在を脅かし、戦場の主役の座から引き摺り下ろした銃の脅威は、少なくとも闘技場の中には無い。ならば対処法は魔術か、剣で鎧の繋ぎ目や隙間を精密に狙うか、メイスやハンマーなどの鈍器で鎧ごと相手を叩き潰すか。
後方へとジャンプし、距離を取った。
相手の身長は2mオーバー、体格に見合う筋肉もあるし、あんなドチャクソ重そうな防具と武器を身に纏っているのに疲れを感じさせない程の動きを見せている点からも、相手の冒険者が馬鹿力と鬼のような持久力の持ち主である事が分かる。
近距離戦、単純な力比べでは不利なのは明確だった。
一応あたしも筋トレはしてるし、冒険者の平均以上の体力はあるという自負はある。けれどもレベルが違い過ぎるし、それに加えて相手は男性―――女性よりも、肉体的に戦闘に向いている。
魔力を放射、目の前に水の球体を1つ生成する。
水属性魔術”水球”―――空気中の水分、あるいは周囲の水源から水分を収縮、球体状に集めて相手に撃ち出す初級魔術。多くの水属性魔術師が最初に習得する、一番単純な魔術だった。
熟練者になれば限界まで水圧をかけ、弾丸みたいに撃ち出し飛竜の外殻すら撃ち抜くらしいけれど、残念ながらあたしはまだそこまでの境地に至っていない。
射出された水球は真っ直ぐに飛翔、剛速球さながらのスピードでエルンストの構える盾を直撃した。
ドパッ、と水が周囲に飛び散る―――当然ながら、あの巨大な盾には傷一つついていない。表面に撃ち込まれた鋲が水で濡れ、不気味に黒光りしている。
「ハッ、そんな攻撃で―――俺の守りが崩せるかよぉ!!」
ドン、と右足を大きく踏み出しながらやり(ランス)を突き出してくる。
後方―――に回避するのは愚の骨頂、両足に力を込め右へと飛んだ。猫のジャンプ力と瞬発力の恩恵で事なきを得たけれど、もしあのまま後ろに回避していたらどうなっていたか。
人間の歩幅よりも遥かに長い槍の一撃、更に身長2m以上の巨漢の踏み込み付きともなれば、後ろに下がったところでその穂先に捉えられるのが当然というもの。だからこういうリーチの長い得物を回避する時は真横に避けるのが正解なのよね。
ふっふっふ、パヴェルの開発したゲームアプリをやり込んだあたしを舐めんじゃないわよ?
「チッ、ちょこまかと!」
薙ぎ払った槍をしゃがんで回避。ぶん、と頭上を騎兵用の槍が通過していくけど、この程度そよ風みたいなものよ。シスター・イルゼがたまーに持ち出す10tハンマー(アレ本当に10tあるのかしら?)に比べれば全然心臓に優しいわ。
バックジャンプしながら水球を連射、周囲に5つくらい召喚して矢継ぎ早に撃ち出す。もちろん相手の防具を撃ち抜くには圧力も魔力も全然足りないし、全く効いている様子はないけれど、今はこれでいい。
相手の周囲をぐるぐると、そりゃあもう地球の周囲をぐるぐる回る月のように移動しながらひたすら水球を連射。バシャバシャと相手の防具がどんどん濡れていき、エルンストが苛立っているのがここに居ても分かる。
目の前を遮るように突き出された槍を姿勢を低くしたり、あるいは飛び越えたりして回避。どれもこれもが紙一重で、一歩ミスったら身体を持っていかれそうなスリルがあるけれど、私だって猫の獣人。ハクビシンほどのバランス感覚はないけれど、屋根の上を走り回ったりするのは造作もない。
「クソが、逃げてばかりか! 正々堂々戦え!」
何も言い返さず、淡々と水球を連射。さすがに相手には水球を回避するだけの機動力はないみたいで、撃てば撃った分だけ着弾、自慢の鎧や槍、盾がどんどん濡れていくばかりだった。
さて、あたしは何を狙っているでしょう?
相手の攻撃はひたすら回避し、効きもしない魔術を連射するばかり。相手はイライラしていくし、こっちは体力と魔力を徐々に消費していくばかりの無意味な消耗戦。
観客の歓声にもブーイングがちらほらと混じり始めたのが聞こえた。逃げてばかりかとかチキン野郎とか、それからもうR-15の範疇では絶対記述できないレベルのクッソ汚ねえ言葉とか、青少年の健全育成に深刻な影響を与えそうな言葉とか、聞いただけでPTAがブチギレそうな罵声が聞こえてくる。
水球を6つ召喚し連射、予想通り全弾着弾。空気中の水分を収縮した澄んだガラス玉のような水球が盾を直撃、水飛沫を飛び散らせながら試算して、エルンストの足元に降り注ぐ。
彼の足元は、いつの間にか大きな水溜りになっていた。
さーて……相手も適度に小馬鹿にしたし、観客のストレスもそろそろ発散させてあげようかしら。
突き出された槍の一撃を回避、後ろに大きくジャンプして距離を取りながら、ぐっ、と左手を突き出した。
「……あ?」
手のひらを上に向け―――魔力を放射しながら、そっと指を閉じる。
変化が起きたのは、その直後だった。
彼の足元に生じた水溜りや、防具に盾を濡らす水滴たち―――それらがまるで意志を持ったかのように浮き上がり始めた。
「!?」
さながら上下の重力が逆転したかのような現象が、エルンストの周囲で発生していた。
今まで着弾した水球の連射、それで生じた水たちが一斉に浮き上がるや、エルンストの頭をあっという間に覆い尽くしてしまう。まるでガラス張りのヘルメットを持つ潜水服とか、SF小説の挿絵に登場する宇宙飛行士の宇宙服を思わせた。
「ゴボッ!? ゴボ、ゴボボッ……!」
首から上をすっかり水で包まれ、空気を求めてじたばたと暴れるエルンスト。ついには両手から槍と盾を手放し、何も無い空中に救いを求めて両手を振り回したり、少しでも水を取り除いて呼吸しようともがくけれど、無駄な努力だった。
剛腕で振り払われた水は、まるで磁石にくっつく砂鉄のようにすぐに彼の頭を覆う水の塊に戻っていき、再び呼吸を阻害し始める。
水属性魔術”水牢”。
水を操り対象を捕縛、あるいは溺死させる魔術。適正Sの魔術師であれば街1つを水没させることもできるらしいけれど、あたしには到底無理な話。こうして相手の身体を水で包み込み、呼吸を阻害して窒息あるいは溺死に至らせるくらいが精一杯。
「なんであんたの罵声に応じなかったか、分かる?」
「ゴボッ、ゴボッ」
「―――”弱い犬ほどよく吼える”、極東の言葉よ。あたしはあんたとは違うの」
って、聞こえてないか。
がくっ、と相手の腕から力が抜けた。
左手の指を鳴らすと、それを合図にエルンストの頭を覆っていた水が一斉に弾けた。再び彼の周りに水溜りが生じ、力を失ったエルンストが崩れ落ちていく。
大丈夫、加減はした―――気を失っているだけよ、彼は。
《しょ、勝負ありぃーッ!! 何という事でしょう、モニカ選手の華麗な逆転劇ッ! 最初から放っていた魔術も全てはこのための布石だったのかぁーッ!!》
「むふー」
どうよ、って感じて客席に手を振った。
エルンストに賭けていた連中は頭を抱え、大穴狙いであたしに賭けていた客は座席から立ち上がって万雷の拍手を送っている。
どうもどうも、と応援してくれた観客に手を振り、ミカたちのところへと戻った。
「どう、ミカ? 見てた!?」
「すげーよモニカ、期待以上だ!」
目を輝かせ、子供みたいにはしゃぎながら駆け寄って来るミカ。頭にあるハクビシンのケモミミがピコピコ動いてて可愛いんだけど何この可愛い生き物、持ち帰っていい? 一生モフモフして過ごしたいんだけど。
ぎゅー、と抱きしめたい衝動に駆られながらもとりあえず喉元を撫でておく。ゴロゴロと気持ち良さそうな声を発するミカが尻尾を振り始める。
「いやーお見事、あれを最初から狙っておられたとは。モニカ殿は智将でござるな」
「ふふふ、もっと褒めなさい?」
「さあ、次はワタシの出番ネ」
ボキ、と指を鳴らすリーファ。やはり彼女もこういうのは好きみたいで、交戦的な笑みを浮かべている。
パンダって愛らしい顔をしてるけど、れっきとした猛獣らしいのよね……怖っ。
まあいいわ、あたしは勝った。
後は仲間たちが続くのを祈るだけ。




