上がるハードル、迫る戦い
唖然としているのは一般の観客だけではない。
闘技場の遥か上層、一般観客席よりも上から闘技場を一望できるVIP席―――いや、席というよりは”部屋”と表現するのが適切か。上質な素材の座席に赤い豪華な絨毯。貴族の屋敷の一室かと見紛うばかりの贅を凝らした装飾品に加え、専属の執事とルームサービスまでつく。
民衆が下層で下品な野次を飛ばしながら、特に金を賭けた客たちは試合結果に一喜一憂するが、それは上層までは届かない。試合場を見下ろすための望遠鏡と、グラスドーム内に設置された収音マイクの効果により、遥か上層に居ながらすぐ近くで試合を見物しているような臨場感が得られる。
だからこそ―――臨場感のある落ち着いた環境でその試合を見ていたからこそ、VIPルームで試合を観戦する権利を買い取った貴族たちはより唖然としていた。
ゴブリンは恐ろしい魔物だが、しかし冒険者たちにとっては通過点、超えるべき壁というほどの強敵ではない。むしろこの程度で足が竦んでいては冒険者失格、試金石とでもいうべき立ち位置の魔物と評するべきであろう(しかしだからと言ってゴブリン相手に油断し命を散らす冒険者が後を絶たないのもまた事実である)。
しかしそれなりの腕と度胸がある冒険者に剣を1本渡せば、たちまち殲滅できる程度の魔物であるゴブリン。だがそれを素手で……それもより上位のオークを含めた合計21体の群れを、徒手空拳でたちまちの内に皆殺しにしてしまうメイドなど、聞いた事がない。
「……お、おい」
「……はい、旦那様」
凄惨な光景に目を覆う妻と泣き出す子供たちとは裏腹に、無残な姿になった魔物たちの死体が転がる試合場を見下ろしながら、腹に脂と贅肉をたっぷりとつけた貴族の当主は同伴した執事に問いかける。
「あれはなんだ」
「……血盟旅団という冒険者ギルドにございます」
「……聞いた事がないぞ」
「昨年から活動を開始した、イライナ人が率いる新興ギルドであるとか……」
「新興ギルド?」
驚くのも無理はない話である。
現状、冒険者ギルドの勢力図は大昔から大きく変わっていない。駆け出しの冒険者たちが中堅へと昇りつめ、しかし圧倒的な力を持つ上位陣の間に割って入る事が出来ず中堅で燻り、そのまま停滞していく―――中には中堅の領域に足を踏み入れる事すらできずに消えていく冒険者も決して少なくはなく、業界の苛酷さが窺い知れる。
だが、彼らは……血盟旅団は異質だった。
これまでに彗星の如く現れ、そして彗星の如く消えていった冒険者ギルドは数多い。最初の頃はよく名前を耳にしたり、「期待の新人」などともてはやされてこそいるものの、やがて名前を聞かなくなり、いつの間にか中堅に埋もれていたりギルドが解散していた……というのはよくある話だ。
「彼らの実績ですが、アルミヤ半島の解放にガノンバルド討伐、極東の未知のエンシェントドラゴン……”マガツノヅチ”の討伐、これらを活動開始から1年足らずでやってのけています」
「そんなにか」
「はい、聞き違いではないかと思い管理局に問い合わせましたが間違いありません。複数の情報源でも一致する情報です……聞くところによると、イライナ地方ガリヴポリからノヴォシア共産党を完全放逐したのも彼らの働きによるものと見られています」
「……信じられん、若手の冒険者がこうも」
いずれも、中堅の冒険者が数年かけてやっと打ち立てられるか否かという実績ばかりだ。そして多くの冒険者が、その栄冠を見ずに志半ばで散っていく。
が、しかし―――あのメイドの見せた力、血盟旅団の先鋒であれならば納得も出来るというものである。
「―――どうです、イライナ人も捨てたものではないでしょう」
唐突に室内に響いた、野太い男の声。
警備のものでも、ルームサービスの係員のものでもない……全く聞き覚えの無い男の声に、貴族の男とその妻、そして傍らに控えていた執事はハッとしながら後ろを振り向いた。
そこに立っていたのは1人の男だ。身長は180㎝程度だろうか。ノヴォシア人からすれば平均的な身長であるが体格は筋骨隆々、鍛え上げた見事な肉体である事が厚着の上からでも感じられる。
ウシャンカの下から覗くのは、西洋人にしては平坦な顔立ち―――東洋人だ。
ここノヴォシアでは、東洋人は決して珍しい存在ではない。東方の大モーゴル帝国、そして中華帝国と国境を接する関係上、それらの国から出稼ぎにやって来る労働者や行商人、一攫千金を夢見て渡って来る冒険者は数多い。
彼もそういった類の人間なのだろう、と貴族の当主は考えた。
が、しかし、それよりも深刻な問題が目の前にある。
ここは厳重に警備されたVIPルーム―――いったいどうやってここに入り込んだというのか? 警備はいったい何をしていた?
「け、警備兵っ! 何をしておるか!」
「お下がりください旦那様」
VIPルームを訪れた唐突な来訪者の前に、腰のホルスターへと手を伸ばす執事。あからさまな敵意を向けられてもなお、目の前に現れた正体不明の男は余裕を崩さない。
それどころか、笑みすら浮かべていた。
親し気な感じの笑みなどではない―――まるで「不思議の国のアリス」に登場するチェシャ猫のような、何とも気味の悪い笑みだった。
「何だ貴様は。警備兵をどうした?」
「お初にお目にかかります。私、血盟旅団のマネージャーを務めております”パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフ”と申します。以後お見知りおきを」
「な、なに? 血盟旅団の?」
血盟旅団、という名が、警戒心を一瞬のうちに吹き飛ばす。
「いかがでしたかな、我々の仲間の試合は」
「……予想外だ。丸腰で魔物をあんなに簡単に」
「ええ、そうでしょう。お察しの通り、我々は他の新興ギルドとは違います。いずれ中堅を抜け、上位陣にも食い込む事でしょう。今の我々にはその可能性が大いにある」
月並みな言葉だ―――いったいどれだけのギルドが、そんな威勢のいい言葉を並べ立て、志半ばで消えていった事か。
だがしかし、不思議だった。
あんな試合を見せられた後だからだろうか―――その言葉はまるで、魔法のように疑念を解消し、信ずるに値するとつい考えてしまう。
「報酬さえ支払っていただければ、我々血盟旅団はすぐにでもお力になりましょう。そしてその依頼達成率は100%、貴方様の願望を叶えるものであるとお約束いたします」
「ほう……宣伝のつもりか」
「ええ、この業界は知名度と信頼で成り立っていますので」
「面白い、気に入った。土いじりばかりのイライナ人にしてはやるようだ」
「お眼鏡に叶ったようで光栄にございます。では、私はこれで」
ぺこり、と頭を下げ、パヴェルと名乗った男は踵を返した。
彼が開けたVIPルームの入り口の向こう、気を失い床に倒れ伏す警備兵の姿が見えたが、そんな事よりも話題の血盟旅団とコネを持つきっかけを得た事の方が遥かに重要だ。
冒険者には任せたい依頼がいくらでもある―――特に巨万の富を築いた貴族や資産家には、堂々と管理局を通して依頼できないような案件が山ほど、だ。
少しばかり、仕事を任せてみてもいいかもしれない。そんな気がして、貴族の当主はいつの間にか笑みを浮かべていた。
やはり戦いは良い。
クラリスの戦いを見てから、その思いは一層強まるばかりだった。次はモニカ、その後に私。そして範三、最後に団長さんという順番だけど、早く自分の番にならないものかと思うばかりだった。
どこの誰かも分からぬ、けれども研鑽を積み上げてきた猛者と戦うのが楽しみで仕方がない。
控室を離れ、無料で試合を観戦できるエリアへとやってきた。座席はなく、通路の脇にあるスペースに立って観戦する事になるけれど、余計な料金はかからないし賭け事特有のストレスがないから、とにかく観戦に集中するならばここだろうと思ったけれど大正解だったみたい。
午前中最後の試合がちょうど、グラスドームの中で繰り広げられている。筋骨隆々の冒険者がフレイルを振り回し、細身の冒険者がそれを回避。針のようなレイピアを突き出して反撃に転じているところだった。
やはり人によって戦い方が違う。十人十色、こうして他人の戦いを見ているだけでも面白い。
中華にもこういった闘技場はあったけれど、どちらかというと武術大会としての側面が強いものだったり、罪人に残酷な死を強要する悪趣味な見世物(特に暴君の時代に多かったみたい)だったりしたから、冒険者同士の戦いをちゃんとした場所で見るのは初めてだった。
世界は広い。
4000年の歴史を持つ祖国も広大で、文化にはそれだけの重みがある。けれどもより広大な世界となればまだ見ぬ戦い方があるのは当然の事で、どれもこれもが目新しく映った。
会場が歓声に包まれたその時だった。ぽん、と肩に大きな手が置かれたのは。
範三……パヴェル? いや、違う。
範三のごつごつした、潰れた肉刺だらけの手ではないし、パヴェルみたいな機械特有の冷たい手でもない。がっちりとしていて、それでいて熱く、どこか懐かしいような……。
「沒想到會在這種地方遇見你……好久不見了、公主殿下(まさかこんなところでお会いになるとは……お久しゅうございます、姫様)」
ハッとした。
標準ノヴォシア語特有の、巻き舌発音を多用する異国の言語ではない。聞き慣れた言葉―――中華の言葉だった。
振り向くとやはり、そこには見慣れた顔があった。荒々しい虎のような顔―――人よりも獣に近い骨格を持ち、「二足歩行の獣」と表現するべき外見をしている第一世代型の獣人。
そこにいたのは、第一世代型の虎の獣人だった。
「劉……你怎麼來了?(リュウ……どうしてあなたがここに?)」
中華に居た頃から、常に私の傍らに控えていた武人―――”リュウ”だった。
「聽說這裡西邊有個競技場。我停下來測試我的技能並籌集資金(この西の地に闘技場があると聞きましてな。己の腕試しと、資金調達にと立ち寄ってみたのです)」
彼は昔と―――宮廷に居た頃と何も変わっていない。
飛竜討伐で負った眉間の古傷も、そして肩に担ぐ年季の入った大刀もそのままだ。
「我很高興公主過得很好。冒險家的生活是怎麼樣的呢?(姫様もお元気そうで何よりです。どうです、冒険者の生活は?)」
「不算太差(悪くないわね)」
むしろ、今の生活は良い。
宮廷に居た頃は窮屈だった。楽しみと言えば拳法を習うか、こっそり宮廷を抜け出して遊びに行くくらい。漢文の授業は退屈で、私はつくづく学問とは無縁の女だと痛感させられた。
けれどもまあ、リュウや家臣たちが色々と教養をつけさせようと努力してくれた事には感謝している。体力ばかり有り余るようでは……皇帝の娘としてはやっていけないから。
「―――對了、你找到長生不老的丹藥了嗎?(ところで、不老不死の霊薬は見つけた?)」
「還沒有。 不過、目前最有可能的可能性是……(いえ、まだです。ですが現時点で可能性が高いのはやはり……)」
「―――龍血(竜の血)」
やはりそうだった。
竜の血―――中華のあらゆる文献に登場する、不老不死の霊薬の正体とされる物質。
時にはヒトに永遠の命を、しかし時には未曽有の大災厄をもたらす代物。ノヴォシアの地にはそれを浴び、竜の呪いを受け、決して滅びる事が出来なくなったという英雄が今もなお存命中だという話があるけれど……。
いずれにせよ、急がなければならない。
皇帝の座を継承するため―――そして、父上のためにも。
「別擔心、劉。 我一定會把長生丹藥帶回皇宮(安心して、リュウ。不老不死の霊薬は必ず私が宮廷に持ち帰る)」
「是的、陛下會很高興的。 但是……不要做任何不合理的事。 陛下不想讓公主死(ええ、陛下もお喜びになられるでしょう。ですが……決して無理はなさらぬよう。姫様の死は陛下も望まれていないでしょうから)」
「謝謝你、我會小心的(ありがとう、気を付けるわ)」
父上も私の死を望んでいない、か。
それはどうでしょうね、とは思う。
私は所詮、次期帝位継承者の末席。24番目の妻に産ませた娘の1人。
私の本当の身分も、経歴も仲間たちには明かしていない―――もちろん、ミカにも。
ただ―――親からの愛情が得られない環境で育ったという点では、ミカと自分を重ねてしまうところはある。
団長さんなら理解してくれるかな、と思いながら、ぼんやりと試合を眺め続けた。
リュウの姿は、いつの間にか消えていた。
「ちょっとクラリスねぇ、どうすんのよあんないきなりハイレベルな戦い見せつけちゃって」
指を鳴らし、肩を回し、アキレス腱を伸ばしながら不満げに言うモニカ。しかしまあ、ああなるのは誰もが分かっていた事だろう。ゴブリンごときではクラリスの相手は務まらないという事くらいは。
血まみれのメイド服から新品のメイド服に着替えたクラリスは、ガッツポーズしながら鼻息を荒くしつつ無責任に言う。
「ファイトですわっ!」
「はぁ~~~。どこかのバチクソつよつよメイドさんのせいでハードルぶち上ってるんですけど? 次からは後に控えてる人の事も考えなさいよね?」
「む、そういえばパヴェル殿の姿が見えないが」
「どうせ売り込みに行ってるんだろ」
ちらりと上層のVIPルームの方を見た。きっと今頃、あの中のどれかを訪問しては金を持ってそうな貴族に血盟旅団の名を売り、コネを築いて回っているに違いない。いや、知名度が上がって仕事がたくさん回ってくるのはありがたいんだが……もう少しこう、なんというか、手段は選べというか。
どうせまたあのチェシャ猫スマイルを浮かべながら営業かけてるんだろうなぁ、と思っていると、試合の観戦に行ってたリーファが戻ってきた。
「ごめん、遅れたネ」
「遅いわよ、どこ行ってたの?」
「ちょっト、昔の知り合い居たヨ」
昔の知り合い?
あれだろうか、ジョンファに居た頃の知り合いって事だろうか。リーファは確か農村出身って言ってたし、同じ村の人なのかな?
異国出身の彼女に想いを馳せている間に、モニカの出番が回って来る。
「さぁーて、そんじゃあ天才魔術師モニカ様の力、見せつけてくるとしますか!」
「モニカならいけるよ、頑張って」
「うふふ、ありがとうミカ。勝って戻ってきたら何かご褒美ちょうだい」
「んじゃ、ジャコウネコ吸い1日フリーパス」
「よっしゃ燃えた」
にっ、と勝気な笑みを浮かべ、モニカは試合場へと足を踏み出していった。
彼女の勝利を祈りながら、俺は仲間の背中を見守り続けた。




