参戦表明
1889年 2月25日
両足に力を目一杯込め、大きくジャンプした。
疲労の溜まった身体が悲鳴を上げ、ここまで酷使する事を容認したミカエル君たちに訴えを起こすが、脳内の二頭身ミカエル君ズたちはどこ吹く風だ。各々スマホを弄ったり、同人誌を読んだり、おやつを食べたりして好き勝手に過ごしている。なんて羨ましい事か。
窓の縁をがっちりと掴み、そのまま這い上がる。少しでも壁面に凹凸があれば登れるし、細いロープでも生まれつき持ち合わせているバランス感覚で渡り切る事も出来る。加えて特に高所恐怖症というわけでもなく、前世の頃から高いところで恐怖を感じた事も無いので、真下が車両行き交う大通りであったとしても無問題なのである。
屋根まで上がり、電線を伝って大通りを通過。ジャンプして隣の電線に飛び移ると、空を舞う黒い影が目の前に舞い降りた。
カラスだ。
こんなクソ寒い冬でもご苦労な事だ―――前世の世界に生息していたカラスと比較すると、体格が一回り大きく目もぎょろりとしている印象を受けるこっちの世界のカラス。まあ、世界が違うから同一の種族というわけでもないのだろうが……。
「……」
「うー……!」
唸り声を発し、威嚇を試みる。
ミカエル君とカラスは犬猿の仲なのだ。前世ではそんな事はなかったけど、今は違う。コイツらを見るとなんだか無意識のうちに敵として本能が認識してしまうのだ。
脳内の二頭身ミカエル君ズも一斉にもふもふの体毛を逆立てながら目を見開き、威嚇を始めている。
「カァー!」
「がうっ!」
「カァー!?」
「うー……がうっ!!!」
牙を剥き出しにした本気の威嚇を前に、カラスは怯えたように飛び去って行った。
ミカエル君の勝利である。結局、可愛い獣が最後に勝つのだ。
ガッツポーズしながら勝利の余韻に浸っていたところで、住宅街の向こうに佇む巨大な建造物に視線が移る。真っ白なレンガ造りの建物―――ではなく、壁面はコンクリートでできているようだった。レンガ造りの建物が多いノヴォシアでは珍しい、近代的な建造物である。
が、目を引くのはそれだけが原因じゃない。
サイズだ。
周囲にある建物―――労働者向けの格安アパートや、貴族の屋敷が小さく見える程の威容。さながら城……いや、違う。神話の巨人が我が物顔で横たわっているかのような、そんな威容が確かにあった。
電線を渡り切り、建物の屋根の上を突っ切って、休憩中だったカラスの群れを蹴散らしその先へ。家の屋根の上から歩道橋へと降り、唐突に姿を現したハクビシン獣人の姿に目を丸くする通行人を一瞥しながらジャンプ。ちょうど市街地中心部へと向かうトラックの荷台に着地し、そこから酒場の看板を掴んで降車。勢いを使ってくるりと一回転、腹筋と背筋を総動員して看板の上に着地する。
びっくりして飛び出してきた酒場の店主の怒鳴り声を背に、店の窓枠に手をかけて屋根の上へとよじ登った。
雪の降り積もった屋根を突っ走り、路地の上を飛び越え、貴族か資本家の家と思われる豪邸の塀を易々と飛び越えて屋根に上り、煙を吹き出す煙突に手をかけながらさっきの巨大建造物に目を向ける。
その威容は、ここからならばよりはっきりと見えた。
―――『マズコフ・ラ・ドヌー闘技場』。
入り口には大きな旗やポスター、そして出場すると思われる冒険者の白黒写真がでかでかと掲げられている。周囲から聞こえてくる車のエンジン音すら掻き消さんばかりの歓声に加え、『Хорошо, убей монстра!(よしいいぞ、ぶっ殺せ!)』という物騒極まりない罵声が時折場内から聞こえてきて、その盛況ぶりが外からでも伺える。
そう、闘技場だ。
このマズコフ・ラ・ドヌーには闘技場がある。
ノヴォシア帝国は”芸術の国”と言われる事も多く、有名な画家や音楽家、演劇の劇団を数多く輩出している国家としても名高い(特にスケートやバレエ、オペラやサーカスが盛んである)。
しかしそんな優雅に見える帝国にも、攻撃的な一面があるのだ。
それがあの闘技場である。
あの巨大なコンクリート製の建物の中で、冒険者同士の戦いや魔物との戦いが繰り広げられているのだという。
観客は間近で冒険者の戦いを見る事ができるだけでなく、どの冒険者が勝つか賭け的中させる事で利益を得る事も出来るので、まあギャンブル場としての一面もある。
闘技場、ねぇ。そういう場所があるという話はキリウの屋敷にあった本で読んだきりだったけど、そういえばこの街にもあったんだよな……訓練に真面目に打ち込み過ぎてすっかり忘れてたけども。
「ふーむ」
余裕はあるし、俺たちもエントリーしてみようかな。
そんな事を考えながら、屋根から大きくジャンプした。塀を飛び越え、車道をちょうど通りかかったトラックの荷台に着地。そのまま駅の方まで乗せてもらう。
闘技場は戦いを見世物にする場だが、出場する側にもメリットはあるのだ。
「ぁえ、闘技場?」
ザリガニの塩茹でを口へと運んでいたモニカが、女の子が発してはいけないような声で聞き返してくる。お前仮にも元貴族なんだからもっとこう、こう……!
「そ、闘技場」
「はいご主人様、あーん」
「んぁー……はむっ」
「美味しいですか?」
「うまい」
薄くスライスしたパンに刻んだタマネギとニシンの塩漬けを乗せたものを口の中に押し込まれ、咀嚼しながらクラリスに親指を立てる。
いや、いくらミカエル君がミニマムサイズだからってね、毎度毎度クラリスの膝の上でご飯食べるわけにはいかないと思うの。俺だって仮にもリガロフ家の庶子、貴族の血が流れているイライナ男児。そしてこの血盟旅団の団長なんだからもう少し威厳というものをだな……。
「うふふ、ご主人様はケモミミの裏を掻いてもらうのがお好きでしたわね?」
「にゃふぅ~♪」
……いかん、ついロリボが。
おのれクラリス、付き合いが長いから俺の弱点を何でも知ってやがる……あっ待って喉ゴロゴロはダメ、ダメなのっ……にゃーん♪
「ゴロゴロゴロ……♪」
「はい、あーん♪」
「あーん……♪」
「いいなぁ~……ねえクラリス、あたしにも代わってよ」
「ダメですわ。これはご主人様のメイドたるクラリスの特権……いえ、義務ですわ」
「いいじゃないの。ねえミカ? たまにはモニカお姉さんにもふもふして欲しいわよね?」
「にゃぷ~……」
「無駄ですわモニカさん。クラリスはご主人様のお身体の事ならば何でも把握していますの。黒子の位置から枝毛の数に至るまで全てですわ」
「「ごめんそれはフツーに引く」」
ちょっと待ってお前どこまで把握してんの???
黒子の位置ならばうなじのちょい右側だ。そこにぽつんとミカエル君の黒子がある。
でも枝毛の数まで把握してるって何? ちょっと待って何? お前何???
「んで、闘技場が何だって?」
どん、とソーセージとジャガイモのスープが入った大きな皿をテーブルに置き、席に着いたパヴェルがスプーン片手に脱線したさっきの話に話題を戻そうとしてくる。
「ああ、闘技場に俺たち血盟旅団も出場してみたら面白いんじゃないかなって」
提案すると、食堂車で夕食を摂っていた仲間たちの視線がこっちに集まった。いつもカウンター席を好み、血盟旅団の面々とは一定の距離を取っているカルロスも、殻を剥いたザリガニの塩茹でを片手にこちらに視線を寄越している。
ポケットから折り畳んでいたパンフレットを取り出し、それをソーセージの盛り合わせの大皿の隣に広げた。仲間たちの視線が今度はそっちに集まり、モニカが広げたばかりのパンフレットに手を伸ばす。
「なになに? 『挑戦者求む、マズコフ・ラ・ドヌー闘技場! 参加者随時募集中! 命知らずの冒険者たちの参加お待ちしています!』……へぇー、面白いわねコレ」
最初は面白半分だったモニカの目が、まるで仕留めるべき獲物を目にした猫のように細められていく。
隣でむしゃむしゃと凄まじい勢いでスープやら蒸かしたジャガイモやらザリガニやらを口に押し込み、大食いキャラさながらの食べっぷりを見せつけていたリーファもそのパンフレットを手に取り、『看起來很有趣……(面白そうじゃないの……)』と笑みを浮かべながら母語のジョンファ語で呟く。
「ふむ、闘技場であるか」
ソーセージの盛り合わせを手づかみでむしゃむしゃ食べていた範三も興味津々……というより、合戦前の豪傑を思わせる笑みを浮かべた。何だこのギルドの仲間たち、みんな身体が闘争を求めているのか???
「腕が鳴るわ、ちょうど退屈しておったところだ……この市村範三の名、そして薩摩式剣術の武勇をノヴォシアの地に轟かせる好機」
ふっふっふ、と笑いながら、豪快にブラッドソーセージを噛み千切る範三。やっぱり退屈してたんだろうなぁ……冬の間ってこういう生活になりがちだし。
「一応調べたんだけど、個人戦と団体戦があるみたい」
「へぇー」
「んで、個人戦と団体戦でも冒険者同士で戦うか魔物と戦うかで部門が別れてるんだって。特にトーナメントとかリーグ戦じゃなくて、その日に参加の申し込みがあった冒険者を適当にシャッフルして対戦カードを組む仕組みらしい」
随分と杜撰……と言いたいが、事前準備が不要である事からすぐ試合ができ、観客を待たせる事なくショーを、そして冒険者たちには戦いを提供できる、というわけだ。
「ファイトマネーも出るから収入になるし、ギルドの宣伝にもなる……どう、良い提案だと思わない?」
「それはそうですが、変に目立ってしまってはまた同盟を持ちかけてくる輩が増えるだけなのでは?」
クラリスの指摘はもっともだ。最初は俺もその可能性を考慮し変に目立つよりも、淡々と仕事をこなして実績を作っていった方が良いのではないだろうか、という考えは常にあった。
けれども、それを覆したのはパンフレットに記載されていたレギュレーションの項目だった。
「闘技場では銃器の使用が禁じられてるんだ」
「銃が使えない?」
「そう」
おそらくだが、流れ弾とかそういう危険を考慮しての措置なのだろう。それだったらクロスボウとか弓矢とか魔術とか、規制すべき武器は他にもあるでしょと言いたくなるが……。
あるいは、冒険者同士の戦いの際にこの世界の銃では命中精度の関係で急所を外す事が難しく、相手を殺してしまう可能性が高いから……なのかもしれない。全ては主催者のみぞ知る。
「今まで俺たちに同盟を持ちかけてきたのは、どいつもこいつも血盟旅団が保有する武器を目的にした連中ばかりだった。だがこのレギュレーションなら俺たちは銃が使えず、剣と魔術で何とかするしかない。俺たち血盟旅団が、現代兵器ばかりに依存した新興ギルドだという偏見を払拭する好機だと俺は思う」
「なるほど、さすがはご主人様ですわもふぅ」
「感心しながら吸うな」
それにこれは、俺にとっての試練でもある。
”自称魔王”から貸し与えられた能力なしで勝ち進めるかどうか……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという冒険者の本当の実力は、ここで試されるというものだ。
腕が鳴る。
「みんなはどう思う?」
「クラリスは参加を希望しますわ」
「じゃああたしも」
「ワタシも出るヨ。勝てばお金貰えるネ」
「無論、某も参加しよう」
ちらりとカーチャの方に視線を向けると、ノンナの口の周りを拭いてあげていたカーチャはちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「私はちょっとパスかなぁ……ああ、でもその代わりサポートに回るわね」
「ミカエルさん、私もサポートに回ります。怪我人が出たら大変ですから」
「分かった、確かにサポートも必要だからな……パヴェルは?」
「俺は……参加しても良いが、参加したらしたで勝ちが見えちまうからなァ」
さらりととんでもない事を言いながら葉巻に火をつけようとするパヴェル。食卓では遠慮してください、とシスター・イルゼに咎められ、申し訳なさそうに懐に戻した彼は、皿の上で湯気を発するザリガニの塩茹でを義手で掴み、殻ごとボリボリと噛み砕いた。
「まあ、どうせ注目の的にはなるだろう。俺は裏でお偉いさんに血盟旅団を売り込んでコネを作っておく。そうすりゃ仕事もやりやすくなるだろ」
「まーたいつものチェシャ猫スマイルでか」
いつぞやの物資配達業務の時もそうだ。物資輸送の手段がなく困窮するベラシア騎士団に、不思議の国のアリスに登場するチェシャ猫みたいな下心丸出しの不気味な笑みを浮かべ、「ウチ、配達できまっせ」と血盟旅団を売り込みに行ったのがこのパヴェルだ。
にんまりとチェシャ猫スマイルを浮かべる彼の顔を見て、俺とモニカとクラリスは飲んでいたスープを吹き出しそうになった。
お前馬鹿やめろ馬鹿、スープ返せ。
ともあれ、これで方針は決まった。
マズコフ・ラ・ドヌー闘技場―――挑んでみる価値はある。




