高みへと這い上がれ
「うひー、寒っ……」
「早く終わらせないと氷漬けになるよ、お兄ちゃん」
「ひー」
本日の気温、-40℃。
3枚くらい生地の厚い服の上にコートを羽織り、ネックウォーマーにウシャンカ、手袋という防寒装備ガチ勢だというのに、まるで全裸で真冬の海に飛び込んでいるかのような、そんな感覚すら覚える。
なんでもかんでも凍らせてしまうバチクソ氷点下でも、俺たちのやる事は変わらない。除雪作業に冒険者のお仕事、手が空いたらレンタルホームで干している洗濯物にひたすらジャコウネコパンチ。そうして真っ赤になった手をさすりながら暖房の利いた車内に戻って洗濯物を畳み、昼食にありつくのだ。
今日なんか日中でありながら気温が-40℃にまで達しているので、重ね着していても外に長時間いたら凍死してしまいそうだ。早いところ終わらせて車内に戻らなければガチで命の危険がある。
ノンナ、ルカ、ミカエル君の3人で寒い寒い言いながら必死のジャコウネコパンチ。右手を振り上げ凍てついた洗濯物をバシバシ、3人仲良く並んでひたすら洗濯物をパンチする。
以前にも述べたけれど、これがノヴォシアスタイルの洗濯物の乾かし方だ。こうして氷点下の外気に洗濯物を晒しておくことで水分が全て凍り付くので、後は棍棒なりバットなり持ってきてバシバシ殴って氷を叩き落とせば、水分は全て取り除かれ洗濯物は乾くというわけである。
先人の知恵であるが、極寒の中でそんな作業をしなければならないのは普通に命に係わるし、氷の落とし方が甘いと結局びしょびしょになるので、効率的な作業と忍耐力が求められる苛酷な仕事だったりする。
だからノヴォシアのお母さんは辛抱強いし、メンタル的に強い人が多いのかもしれない(ウチの母さんもまさにそうだ)。
というわけで、ハクビシン、ビントロング、パームシベットのジャコウネコ科獣人×3が仲良く並んで洗濯物に本気のジャコウネコパンチ。干してあったコートやらシャツやらの氷をあらかた叩き落としたところで大きめの籠に洗濯物をまとめて後退。
素早い作戦行動だ。さすがだなジャコウネコブラザーズ(シスターズじゃないよ)。
「てっしゅー、てっしゅー!」
「寒いよミカ姉、早く!」
「総員退避ヨシ!」
クソ真面目に全員の退避を確認、ぶるぶる震えながら列車のドアを閉めた。
食堂車の中はいつも暖房が効いている。-40℃の外から戻ったばかりだからなのだろう、今のところは特に暖かいとかどうとか、そういう感覚はない……あれ、寒さに神経やられたとかそういうのじゃないよね。違うよね?
じんわりと生じてきた暖かさに安堵しながら2階に上がると、食堂車のど真ん中でパヴェルとモニカが何やら変な事をしていた。
いつもの服装で椅子に座るモニカ。そんな彼女をちらちら見ながら、パヴェルが画用紙に鉛筆を走らせているのだ。
「あ、おかえりミカ」
「何してんの?」
「えへへー。今ね、パヴェルにあたし描いてもらってるの」
「ごめんモニカ、ちょっと動かないで」
「あっはい」
自画像的なアレか。
そういやパヴェルの奴、前は特殊部隊の隊長をやりながら副業でイラストレーターやったり動画配信したりと、随分と多才な男だったようだ。しかも時にはテレビに出演したり、彼の率いていた部隊をモデルにした映画では本人役でカメオ出演した事もあるらしい。
いいよね、何でもできる人って。ミカエル君はと言うと走ってAK撃ってクラリスの膝の上で丸くなるだけの男の娘ですが何か?
俺もイラスト練習してみようかしら。自分の新たな可能性を模索しながら洗濯物を畳んでいるうちに、「よーしできた」というパヴェルの声が聞こえてきた。
範三の袴を畳みながらちらりと視線を向けてみると、パヴェルから画用紙を受け取ったモニカが大はしゃぎしているところだった。
「おーいいじゃん! あんた凄いわねパヴェル、絵で食べていけるんじゃない!?」
「はははっ、副業で少し考えてみるか」
「え、見せて見せて」
「ふふーん、良いわよ~?」
すっかり調子に乗るモニカに、パヴェルが描いた彼女の姿を見せてもらう。
画用紙には確かにモニカの姿が描かれていた。とはいっても本職のイラストレーターがガチで色塗りまでやったようなハイクオリティなものではなく、鉛筆で描いたかなーり丁寧な下書きのようなものだったが、それでも誰が描かれているのかは分かる。
パヴェルの癖なのか、それともモニカ本人からの注文なのかは分からないけれど、違和感がない範囲でデフォルメも入っている。総じてラノベのヒロインっぽい感じの仕上がりになっており、しかしモニカの特徴はしっかりととらえたハイクオリティーな作品と言えるだろう。
「どう? どう???」
「すっげえ可愛い」
「わぁー……すごーい! モニカお姉ちゃん漫画のヒロインみたい!」
「ふっふっふー♪ ノンナもお世辞が上手くなったわねぇ、このこのぉ♪」
「にゃふー♪」
モフられるノンナも幸せそうな顔をしている。
へえ、いいなぁ……と思いながら範三の袴を畳み終えたところで、モニカが言った。
「あ、ミカも描いてもらったら?」
「はぇ?」
「ん、次はミカか? 別に構わんぞ、鉛筆だけになるけど」
「え、いいの?」
「ああ」
「あー……じゃあ、お願いしようかな」
「よっしゃ任せろ。じゃあそこの椅子に座ってじっとして」
言われた通りに椅子の上に座り、パヴェルの方をじっと見ながらぴたりと静止。ちらりと目を動かして洗濯物の方を見てみると、モニカが代わりに畳んでくれているようだった。
椅子に座ったまま待つこと15分と少しくらい。よっしゃできたぞ、という彼の声に反応して立ち上がり、画用紙に描かれているであろうパヴェル流の画風で描かれた自分の姿を確かめる。
少し厚めの画用紙に鉛筆で描かれていたのは、小さな前足で大きなリンゴを抱き抱えた可愛らしい獣の姿だった。くりくりとした丸い目にすらりとした鼻、猫のようなヒゲに眉間を走る特徴的な白い線。耳の先端までもっふもふの体毛で覆われていて、思わずモフりたくなる。
画用紙の中に佇んでいたのは、椅子の上に座るミカエル君の姿―――ではなく、ただのリンゴを抱き抱えたハクビシンの幼獣だった。
「自信作」
むっふー、と胸を張るパヴェルから画用紙を受け取り、そっと彼の肩に手を置いた。
「 お 前 こ れ リ ア ル ミ カ エ ル 君 じ ゃ ね え か 」
ミカエル君のイラストお願いしたのにお前コレ……お前お前お前。
誰 が ハ ク ビ シ ン を 描 け と 言 っ た ?
しかも地味に上手いの腹立つんだよなコレ……近くで見ると絵だって分かるけど、遠目に見たら白黒写真に見えなくもないクオリティー。お前この才能をもっと他の事にだな……。
困惑しながらリアルミカエル君のイラストを見ていると、後ろから覗き込んできたモニカとノンナ、それからルカが吹き出しそうになっていた。
「ちょ、これ……ぶふっ」
「ハクビシンwwwミカじゃなくてwwwハwクwビwシwンw」
「はい、ミカにプレゼント」
「ありがとう、かほうにするよ(棒読み)」
ま、まあ、せっかく描いてもらったんだし貰っておこう……。
しかしなぁ……リアルミカエル君は予想外だったよ……。
ノヴォシアの冬は長いが、しかし明けないわけではない。
半年間―――6ヵ月にも及ぶ永い冬は、しかし4月の訪れと共に雪解けへと転じ、泥濘の大地を残して春の前触れの中へと消えていくのだ。
カレンダーの日付が進み、2月下旬。
雪解けまであと2ヵ月。
ガッ、と木刀同士がぶつかり合う音が、広間の中に響き渡った。
柄を握る両手に走る、骨の髄がびりびりと痺れる感覚。眉間をカチ割らんと振り下ろされた本気の一撃を受け止めたは良いが、しかしその衝撃に腕を砕かされたかのような、そんな錯覚を覚える。
汗が頬を滴り落ち、心臓はバクバクと高鳴った。
少しでも注意を欠けば、たちまち必殺の一撃が飛んでくる。そんなものを喰らえばどうなるか―――骨の一本や二本で済めばまだ良い方で、下手をすれば後遺症が残るレベルの致命的な大怪我を負うか、最悪死ぬであろう。
少なくとも相手は、こちらを殺すつもりで来ている。
ああ、そうだろう。
そうしてくれと頼んだのは、この俺だ。
防戦一方というのも性に合わず、今度はこちらから打って出た。身長の小ささと腕の短さから来るリーチの短さを踏み込みの深さで補い、相手にとっては手の出しにくい斜め下からの斬撃で反撃を試みる。
これはどうだ、受けられるものならば受けてみろ―――これならば当たる、行ける、という確信を持って放った一撃は、しかしその鍛え上げられた腹筋にめり込むよりも先に、ガツンッ、と立ち塞がった木刀の刀身に遮られ、手のひらには鈍い衝撃のみが残った。
ならば、とさらに右足を一歩前に出して踏み込み、弾かれた反動を使用して反時計回りに一回転。体重の軽さを回転の遠心力を用いることでカバー、これで少しは重い斬撃になってくれるだろう。
しかし、その一撃が相手の脇腹を打ち据える事はなかった。
ガンッ、と両腕に生じた激しい衝撃。まるでそのまま肘から先が捥ぎ取られるのではないか、と思ってしまうほどの衝撃に、脳が一時的にバグを起こす。両腕の消失、もちろんそれは誤報で、凄まじい衝撃とそうなってしまって当然だろうと思ってしまうほどの相手の攻撃力があってこそだ。
両手を離れた木刀が宙を舞い、カラン、と広間の床の上に落ちる。
目の前に突き付けられた木刀の切っ先―――それを握るのは筋骨隆々の、秋田犬の獣人だった。
「……参った」
「はっはっはっ、上達されたなミカエル殿」
笑いながら言うなり、範三の顔から威圧感が消える。
ぺこり、と剣術の訓練に付き合ってくれた彼に一礼し、試合を終えた。
「銃の扱いに魔術、格闘術、そして剣術まで。ミカエル殿の向上心には感服させられる」
「いつ銃が使えなくなるか分からないからね……」
さっき吹っ飛ばされた木刀を拾い上げ、苦笑いを浮かべながら言った。
この現代兵器を召喚する能力は借り物の力―――あの”自称魔王”から貸し与えられている力に過ぎない。『イキるならば自前の力で』という自分の美学に反するし、何よりいつ”自称魔王”の気まぐれで使えなくなるかも分からない(その可能性は低いが)のだ。そうなった場合、頼れるのは魔術と自分が真面目に特訓し身に着けた格闘術や剣術のみとなる。
戦いの選択肢は多い方が良い。
それに万一、銃を紛失したり銃が使えない状況での戦いを強いられた場合、こういった剣術の訓練は必ず役に立つだろう。
そういう考えもあり、仲間たちの中では最も剣術に精通している範三の胸を借りたというわけだ。結果はもちろん惨敗、一度たりとも彼に攻撃を当てる事が出来ず、毎回こうやって木刀を吹っ飛ばされて勝負あり、というのがテンプレと化している。
けれども、成長は実感している。最初の頃は瞬殺されていたのが、やがて10秒、20秒、30秒、1分……といったように、生存時間がちょっとずつ伸びているのである。
今日に至っては最高記録の3分40秒。最初の一撃による必殺を是とする薩摩式剣術を相手に、よくここまで持ちこたえたものだと思う。
「しかしミカエル殿、お主の剣術は本当に我流か?」
「うーん……厳密に言えばイライナ式の剣術が下敷きになってる……のかな」
キリウの屋敷に居た頃、ミカエル君は他の兄姉たちのように剣術や魔術の訓練、ピアノやバレエといった習い事は一切やらせてもらえなかった。いつも薄暗い部屋の中、本を読んで過ごすか窓から庭で鍛錬する姉上や兄上たちの姿を遠巻きに見下ろし、その動きを模倣していた程度である。
範三の指摘通り、ミカエル君の剣術の下敷きとなっているのは姉上や兄上たちの模倣だ。
「失礼だが、ミカエル殿はパヴェル殿やクラリス殿のように、なんでもかんでもすぐに習得していく天才の類ではござらん」
「バッサリ言うねぇ……」
「うむ、だが正論でござろう」
さすが倭国のサムライ、忖度はナシか。
けれどもそのくらい真っ直ぐな方が、聞いているこっちのためにもなる。
「思うに、ミカエル殿は何度も努力を重ねた果てに1つを極めるような、そのような類に思える」
「やっぱり、か」
ここは前世の自分と同じだった。
はっきり言って、自分に才能があるなんて思った事はあまりない。大抵が平凡か他人、平均的な数値を下回る程度で、いつも他人の背中を見ながら追いかけるばかりだった。
正直、何でもすぐに身に着け、すいすいと成長していく他人が羨ましくて仕方がなく、悔しさに涙を流した日々は一度や二度ではない。
おそらくそれが、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ―――倉木仁志という男の”魂の在り方”なのであろう。
そっと手のひらを見た。
範三と一緒に剣術の稽古を始めてから、今日でちょうど1ヵ月。吹雪の日だろうと、猛吹雪の日だろうと、終末級のドチャクソ吹雪の日だろうと関係なく、毎朝早起きして素振り1万回。ただの一撃として手を抜かず、この一撃で確実に殺す、という信念を抱いた本気の一撃を1万回だ。いったい何度、腕が捥げそうになった事か。
おかげで手のひらは肉刺と、それが潰れた痕でいっぱいだ。
今思えば、転生する前もどん底から這い上がっていた。
何をやっても平凡かそれ以下、そこから上へ上へと這い上がるのは兎にも角にも苦難の連続で、何度も何度も挫折しそうになった。心が折れ、投げ出したくなった。
けれどもそんな俺を支えてくれたのは、結局のところ家族だった。周りにいる人たちだった。
人は独りでは生きられない、というのはまさにこういう事なのだろう。
そして今の世界でもそうだ。
庶子として生まれ、望まれずに生まれてしまった忌み子としての、どん底からのスタート。
なかなかにハードモードである。
でも。
どん底にいるなら―――あとは這い上がるだけで良い。
何も考えず、愚直に上へと這い上がっていけば良い。
今は何も見えないかもしれないが、いつの日かその苦難の果てに少しくらいは光が見えてくるだろうから。
だから何も考えずに這い上がろう。そしてその光を身体いっぱいに浴びて、至った高みで笑うのだ。
俺はここにいるぞ、と。
ここまできてやったぞ、と。
「……ごめん範三、もう一本付き合ってほしい」
「む? ……ふふっ、うむ。お付き合い致すぞミカエル殿」
そっと腰を落とし、訓練用の木刀を構える。
手の肉刺がまた潰れ―――範三の本気の一撃で吹っ飛ばされたのは、その3分後だった。




