さあ逃げろ
やる事は最初から決まっている。
屋敷の北西にある通気ダクトの入り口、そこから侵入し宝物庫へと向かう。それと並行しパヴェルが屋敷の警備システムをハッキング、ごく短時間のみ魔力センサーとレーザーセンサー、圧力感知式の床から発せられる反応を無効化してくれる。
時間は3分、長くても5分―――その間に必要なものを奪って脱出する。
簡単だ、こんなの……そう思いながら金網を外し、クラリスを先に行かせた。続けてモニカを通気ダクトの中へと突入させ、最後はミニマムサイズのミカエル君。金網を元通りにしようとしたところで、ズン、ズン、と重々しい足音が聞こえてきて、背筋に冷たい感触が走る。
金網を戻し、ダクトの奥へと引っ込んだ。その直後、針みたいに細い足で地面を踏み締め、例のカマキリみたいな機動兵器が姿を現す。
「―――!」
威嚇するように折り畳まれた両手のブレードをガチガチと鳴らしながら、頭部に搭載された眼球状のセンサーを旋回させて周囲を警戒する機動兵器。あと数秒遅れていたらどうなっていたか……ああやだやだ、考えたくない。
『こちらフィクサー、機動兵器の正式名称が判明した。ザリンツィク第7工廠で開発された”戦闘人形”という代物らしい』
「オートマタ?」
戦闘人形、ねえ。文字通り戦うためだけの人形、血も涙もない狂戦士ってか。
結局、戦いに向いてるのは機械なのではないかとつくづく思う。機械には人間と違って感情が無く、殺しに対する良心の呵責で精神を病む事がない。休息も必要なく、整備さえ受けられればいつでも戦える―――効率だけを突き詰めていけば、行き先はいつも機械だ。そこに人間の入り込む余地なんてほとんど残されちゃあいない。
怖いねぇ、と思いながら前を向いて進もうとしたミカエル君の顔面に、柔らかいモニカのお尻が激突する。むにゅう、とそれに跳ね除けられながらちょっと後ろにバックして、何事かと思いながら彼女を呼んだ。
「モニカ?」
「……ごめん、なんでもない」
「?」
ダクトの金網の上で下の通路を見下ろしていたモニカ。何事もないように前に進み始めたモニカの後をついていきながら、俺もちらりと金網の下を見下ろす。
そこは書斎だった。
随分と古く、埃の被った本がこれでもかというほど並んだ書斎。誰もそこに入り込んだ形跡の無い、時間が過去のまま止まっているかのような―――そんな場所だった。メイドたちが清掃に入った気配もない。
書斎のデスクの上にある小さな写真で、そこが何なのか察した。
小さな写真―――幼い少女を抱き上げて微笑む、猫の獣人の男性。その少女の顔つきはモニカに似ていて……というより、幼き日のモニカなのだろう。という事はあの男性は、在りし日のモニカの父親か。
母親と違い、彼女には優しかったという父親。モニカにとっての大きな支えであり、最大の理解者だったという肉親。
まったく、親がクソだと苦労するのはいつも子供だ。子は親を選べないというが、この理不尽な仕組みをそろそろ何とかしてくれないものですかねぇ、神様?
ブリーフィングで頭に叩き込んだ順番通りにダクトを曲がる。まっすぐ進んでから下へ2m、そのまま進んでからT字に分かれているところを右折、そこからさらに下へ3m。L字に曲がったカーブを曲がってしばらく進むと、明るい光が下から照らしつけてくる金網が映像に映った。
―――ここだ。
金網の下に見える金塊の山に宝石の山。いかにも分厚そうなショーケースの中に、まるで博物館の展示品のようにずらりと宝石が並ぶ。サファイア、エメラルド、ルビー、ダイヤモンド……ああ、ここで見ているだけでも眩しい。が、あの輝きが莫大な富を生み出すのだ、ぜひ手中に収めておきたい。
クラリスがダッフルバッグの中に手を突っ込み、中から太いアンカーを取り出した。それをダクトの天井へと突き立てて固定する。次にロープを取り出して、アンカーに穿たれた穴にそれを通して結び、ロープをがっちりと固定。これでどんな重さが加わってもロープが解ける事はないし、アンカーが抜けることも無い筈だ……多分な。
「フィクサー、準備ができた」
『了解、ハッキングを開始……もう少し待て』
小型のラチェットを使い、金網を押さえているボルトを緩めていく。手で回せるくらいに緩くしてからラチェットをダッフルバッグへ戻し、宝物庫への突入に備えた。
こういう事もあるから、工具も持っておいた方が良い。ドライバーにスパナ、ラチェット、この辺は必需品だ。
ボルトを手で回し、金網を外すクラリス。後はパヴェルのハッキング待ちという状況になったところで、無線機から低い声が聞こえてくる。
『よーし……ハッキング完了! 根こそぎ盗んで来い!!』
「降下、降下」
ロープを使い、宝物庫の中へと降りていくクラリス。床を踏み締めても警報が鳴る気配はなく、彼のハッキングはどうやら本当に機能しているようだった。短時間のみの限定だが、今まさにこの宝物庫は俺たちの支配下にある。それは確かだった。
モニカに続き俺も降下。AKのストックでショーケースを叩き割り、中に入っている宝石をとにかくダッフルバッグへ。
「……」
少しでも時間を稼ごう。そう思い、リガロフ家の宝物庫から盗んできた秘宝―――”イリヤーの時計”を使用する事にする。
時間を止めたい、と念じると、黒曜石で作られた古い懐中時計は持ち主の願いを察知したかのように時間を止めた。意気揚々と金塊をダッフルバッグへ詰め込むモニカも、淡々と宝石を盗んでいくクラリスの姿も、全てが静止する。
それは僅か1秒のみ―――でも、1分1秒を争う状況下ではありがたい事この上ない。
5秒のインターバルを挟み、時間停止を再度発動。ストックでショーケースを叩き割り、中でゴージャスな輝きを放つ金塊をダッフルバッグへ詰め込んでいく。
ここに来るまで、イリヤーの時計についての検証を重ねたのだが……分かっている事は『1秒だけ時間を止められる事』、『一度時間停止を使ったら5秒のインターバルが必要な事』、『使用するこっちに一切のデメリットがない事』、そして『時間停止を俺以外の相手に悟られることがない事』。
本当に便利な、ミカエル君の切り札である。
あ、もちろん時間を止めて女の子にえっちな事をしようなんて考えたことは一度もない。数分単位で止められれば実用性はあるかもしれないけど、1秒で何をしろと?
第一、そんなことにこれを使ったらあの世で英霊イリヤーが泣く。俺ハクビシンだけど、これでもれっきとしたイリヤーの末裔だからね? 庶子だけど。
そんな感じで5秒おきに時間停止を使い、雀の涙程度だが時間を稼ぎつつダッフルバッグの中へ盗品を収めていく。
『―――残り1分』
時間停止を乱発しまくったせいで何分経過したかもわからん。パヴェルのアナウンスでそろそろ脱出に移った方が良いかと判断、クラリスとモニカにハンドサインを出し、ダッフルバッグのチャックを閉めた。
こりゃあ大量じゃないか、と肩にかかる重みを噛み締めながら実感する。リガロフ家の時の比じゃあない―――しかも1人で盗品を詰め込んでいたあの時とは違って、今度は3人。単純に儲けの量も3倍だ。まあ、その後に分け前の分配があるので全部俺の懐に入るわけじゃあないのだが。
まず最初にモニカ、次にクラリスを上のダクトに昇らせる。2人が無事にダクトに戻ったのを確認してから俺もロープに手をかけ、するすると天井へ昇っていった。ふはははは、ハクビシンの獣人を舐めるんじゃない。
ダクトに戻ってから金網をかけ、ボルトを締める。ラチェットを回す手応えが硬くなったのと同時に、パヴェルのカウントダウンが始まった。
『5、4、3、2、1……ハッキング終了。どうだ、そっちは?』
「大漁だ」
ずっしりと重くなったダッフルバッグを撫でながら、満足げな声でそう返答する。こりゃあ大儲けできるぞ、とパヴェルに伝えると、『明日の夕飯は奮発できそうだ』と嬉しい返事が返ってきた。
『監視室にも警報の発令は見られない。上出来だ、脱出しろ』
「了解」
理想は発見されずに脱出する事だが……果たしてそう上手くいくか?
さっきとは逆の順番でダクト内を移動、侵入した時と同じ場所に出る。機動兵器―――戦闘人形の足音も、警備兵の足音も聞こえてこない事を確認してから金網を外し、モニカとクラリスを外へ出す。
さて、後は脱出だ。塀を飛び越え、逃走用の車両に乗れば―――と脱出までのシナリオを思い描いたところで、唐突に背中にライトが浴びせられる。
「!?」
「だ、誰だ!?」
しまった―――。
時間停止を発動、その隙にホルスターからMP17を引っ張り出す。伸縮式ストックを展開、装着したドットサイトで照準を合わせ引き金を引く―――装薬に押し出された麻酔弾がサプレッサーから放たれたところで時間停止が解除され、再び動き出した世界の中で麻酔弾が警備兵の眉間を直撃する。
咄嗟に放った一撃、完全に偶然なヘッドショット。ジギタリスとイライナハーブの作用であっという間に眠りの世界へ落ちた警備兵だが、彼の身体をどこかに隠している余裕も無い。今はただ、脱出を急がなければならなかった。
『グオツリー、早く』
無線機から脱出を促すモニカの声。振り向くと、塀の上から彼女が手招きしているのが見えた。言われるまでもなく走り出し、塀の僅かな突起に手をかけてよじ登る。
「バレそうだ、急いで逃げた方が良い」
「ええ、長居は無用ね」
2人そろって塀を降りたところで、一番聞きたくない音―――警報が、屋敷中に響き渡った。
「やべっ―――」
『グオツリー、急いで』
昏倒させたであろう2名の警備兵が横たわる向こうで、クラリスが手を振っていた。その手には麻酔弾が装填されたMP17―――ではなく、実弾を装填したQBZ-97がある。
車道を突っ切って反対側へと渡り、狭い路地へと入り込む。後ろを振り向くと、例のカマキリみたいな機動兵器―――戦闘人形が獣の唸り声とも、機械の軋む音とも受け取れる奇妙な”鳴き声”を発しながら、塀を飛び越えて屋敷の外周を見渡していた。
昏倒した兵士の倒れている位置から見て、こっちへ逃げたと判断したのだろう。随分と頭の良い機械だ。
モニカの手を引き路地の奥へ。停まっているバンに飛び乗り、ドアを閉めた。
「出します!」
「頼む!」
『各員、屋敷から戦闘人形が動いた。そっちに向かってる』
「確認してる。ちょっとヤバいかもしれない」
『ドローンで弱点をスキャンしているが……いいか、戦うな。逃げる事を優先しろ』
「了解」
急発進したバンの後方で、紅い光が踊った。車のテールランプ―――では、ない。アリクイ、あるいは鳥の嘴みたいな形状の顔に据え付けられた、眼球型のセンサーがぎょろりと旋回し、得物を見つけた肉食獣のような鋭い光を発しているのだ。
見つかった―――心臓を締め付けられるような感覚が消えるよりも先に、ジャキンッ、と戦闘人形の両手に搭載された超大型ブレードが展開した。
月明かりを受けて銀色に煌めくそれは、カマキリの鎌というよりは、これから人間の命を刈り取らんとする死神の鎌を彷彿とさせた。
『ギィィィィィィィィィィィ!!』
鎌を振り上げながら戦闘人形が咆哮。まるで喉を締め付けられている女性のような叫び声が、リーネ市街地全域へと広がっていく。
路地の壁面にサイドミラーが接触するか否か、というギリギリのところを爆走するバン。それを後方から、戦闘人形が死に物狂いで追いかけてくる。針みたいな足を壁面に突き刺し、上から覗き込むかのような格好で追ってくる機械のバケモノ。その距離は、着実に縮んでいるのがここからでもはっきりと分かった。
後部座席のドアを開け、AK-19を取り出す。一応スモークグレネードも用意したが、向こうは精密なセンサーの塊。真っ白な煙で遮ったところで何の意味もない。ならば殺られる前に殺るしかないのだ。
幸い、あれは無人兵器だという事がパヴェルの情報収集で判明している。どこを撃っても人間を殺傷する心配がないのならば、思い切りやっても良い筈だ。
セミオートに切り替えたAK-19で、追ってくる戦闘人形を撃った。PK-120のレティクルの向こうで火花が散り、弾丸が装甲に弾かれる嫌な音が響く。
やはり5.56mm弾では貫通出来ないか……ならば、と照準を関節の付け根や頭部の眼球型センサーに変更、立て続けに引き金を引く。
放った数発の弾丸のうちの1発が、頭部に搭載されたセンサーを捕えた。白くどろりとした人工血液のようなものが飛び散り、戦闘人形が苦しそうに怯む。
よし、これだ―――倒さなくても良い、逃げるだけの時間を稼げればそれでいい。
希望が見えた次の瞬間だった。
『ギョアァァァァァァァァァァァァ!!』
怒り狂ったかのように咆哮した戦闘人形が唐突に跳躍する。そのまま空の向こうへ飛び去ってしまうのではないかと思うほどの大ジャンプ。逃げたのかと思ったが……どうやら違うらしい。
機械に感情は無い。故に恐怖も無い。
あるのはただ、インプットされた命令に従うだけ。プログラムの羅列だけ。
奴にインプットされている命令、それは―――。
ヒュンッ、と空気を切るような音。砲弾が落下してくるような、空気を荒々しく引き裂く音が聴こえたかと思った次の瞬間だった。
バンの車体を、上から急降下してきた戦闘人形のブレードが貫いた。




