尻拭い
昔、イライナに『オレクシー・ヤヴロチェンコ』という思想家がいた。
映画や小説で、これ以上ないほど悪い状況をよく”地獄”だと表現するのを目にした事があると思う。これは現実でもやりがちな表現だけど、そのヤヴロチェンコは『そういった地獄は所詮は人間が勝手に作り上げたものであり、全てまやかしである』と断じた。
本当の意味の地獄は、雲の上―――すなわち神々が、罪人たちを裁くために用意した地獄ただ一つである、と。
そして彼はこうも説いた。『ヒトの手で始めた地獄は、ヒトの手で終わらせなければならない』と。
ヒトはよく、神に祈る。日常の中から絶望の中まで、あらゆる状況で神に縋る。
しかし神とは都合よくヒトを救う存在ではない―――だからヒトが始めてしまった地獄は、ヒトの手で終わらせなければならない。要するにヤヴロチェンコの主張は『自分の尻は自分で拭け』的な意味の主張である、と現代においては解釈されている。
それは別に良い。自分の尻くらい自分で拭けてこそ、一人前の冒険者を名乗れるというもの。
だが、名前も知らぬ赤の他人の尻拭いを強いられるというのはなかなか気に食わないものだ―――そう思う俺の傍らに停車したIT-1の、おまんじゅうを思わせる砲塔(しかし今となってはぺたぺたと追加装甲が搭載されタクティカル饅頭と化している)の上部が展開、内部から姿を見せたのは発射機の上にででんと居座るミサイルだった。
ソ連が西側戦車の脅威に備えて開発し、短期間のうちに消えていった対戦車ミサイル―――”ドラコーン”。
それをベースにパヴェルが製造した、対人用のクラスターミサイルだった。
砲塔上部に搭載された小型ターレットが旋回。レーザーを照射し、ミサイルに対し目標を指示し始める。
パヴェルが造り直したIT-1の武器システムだ。ミサイルに対しレーザーで目標を指示するという仕組みは一致しているが、発射されたミサイルはレーザーで指示された目標の頭上を取るように飛行するという点では大きく異なる。
「攻撃開始」
《了解、攻撃開始》
攻撃開始を命じるや、IT-1の砲塔から露出していたミサイルが火を噴いた。後端部に搭載されていたロケットモーターの轟音を高らかに響かせ、燃料を燃焼させながら、大きく重いミサイルが射出されていく。
やがて雲の切れ目から青空の覗くノヴォシアの冬空を背景に舞い上がったミサイルは、レーザーで指示される攻撃目標へと進路を修正、空を切り裂かんばかりの勢いで飛翔していく。
やがて、ガギン、と重々しい金属音を響かせ、後端部で火を噴き続けていたエンジンノズル周りを切り離した。ロケットモーターが燃料を使い果たしたか、攻撃目標が十分に近付いたと判断されたのだろう。
炎の代わりに後端部からするすると伸びてきたのは、黒を背景に血盟旅団のエンブレム―――剣を口に咥え、翼を広げる飛竜のエンブレムがこれ見よがしに描かれたパラシュートが展開、ミサイルが一気に減速し高度を落とし始める。
その矛先が睨むのは、雪で覆われた大地―――そしてその上を蠢く、本当であれば墓穴の中で眠っているべき”歩く死者”たちだった。
生と死、その摂理を捻じ曲げてはならない―――過ちは正さねばならない。
唐突に、ミサイルの外装が剥がれ落ちた。
急激な減速で接続用のボルトが緩み、空中分解を起こしたわけではない。元々ああいう構造なのだ。
剥がれ落ちた外装の内側から姿を現したのは、互い違いにセットされた無数の手榴弾だ。『RGD-5』と呼ばれる、ソ連製手榴弾―――今なおウクライナやロシアなど、かつてのソ連の版図だった地域で運用が続いている老兵である。
互い違いにセットされたそれは、さながら鋼鉄の葡萄を思わせた。
直後、セットされた手榴弾たちが一斉に放たれた。小型発射機に充填された高圧ガスに押し出された手榴弾たちは雨の如く大地に降り注ぎ、柔らかい雪の上に突き刺さる。
頭上からの脅威も知らず、目の前の生者の肉を貪る事しか能のない亡者共―――そんな、余りにも哀れな彼らの足元が、さながらジャグジーの如く一斉に泡立った。
雪に埋もれた合計40個の手榴弾が一斉に起爆したのである。
雪の中に埋もれたせいで効果は幾分か軽減されてしまったものの、それでも腐乱した歩く死体には十分すぎる殺傷力があった。雪を払い除けて噴き上がった爆風はゾンビの手足を容易く引き千切り、飛び散る破片たちは弾雨の如くその腐敗した肉体を十重二十重に撃ち抜いていく。
昨晩の吹雪から一夜明け、グラニネツ村から生者を求め彷徨っていたゾンビの一団が、ただの一撃で吹き飛んだ。
今回は積雪の影響を受け効果が軽減されたものの、もしアレが投下された手榴弾が埋もれる事の無い地面であったならば、あの散布範囲内に居た敵兵の群れは一撃で全滅していたであろう。
かつて大型で取り回しが悪かったが故に歴史の闇へと消えていったソ連製対戦車ミサイル、ドラコーン。そのサイズの大きさを逆手にとって改造された対人用クラスターミサイルは、異世界で多大な戦果を挙げていた。
IT-1の発射台が回転しながら車内へと潜り込んでいったかと思いきや、30秒足らずで次のミサイルを乗せ、ぐるりと縦に回転しながら再び顔を出す。そして新たに装填されたミサイルはすぐさまロケットモーターから緋色の炎を閃かせ、太陽を目指したイカロスの如く飛んで行った。
一応、中距離戦闘を想定してAK-308にLCOとD-EVOを乗せて持ってきたのだが、コイツの出番はもっと後になりそうだ。
用意できた対人用クラスターミサイル『ドラコーン改』の数は15発。既に10発発射しており、そろそろミサイルの弾切れも近付いてきている。そうなったらあとは俺たち歩兵部隊の出番だ。
安全圏から一方的にぶん殴れる展開は終わり―――そこから先は、グラニネツ村へと突入しゾンビの殲滅を行う事になる。
まったく、もう日付は変わり不幸な一日は終わったというのに、まだ貧乏くじを引かされるとは。こうも不幸が続くとお祓いとか真面目に検討した方が良いのかもしれないが、この世界のどこかにエミリア教徒を受け入れてくれるお祓いとかあるのだろうか。
こうなったのも、全ては森に魔物の討伐に出かけた冒険者連中のせいだ。
パヴェルから事の真相を聞かされた。このグラニネツ村に起こった惨劇の原因―――それは森へ魔物討伐に向かった冒険者の連中が死体の処理を怠り、よりにもよって汚染地域側へと抜けていった風に乗った血の臭いでゾンビたちは刺激された。
血の臭いでゾンビたちが嫌う香木の香りも掻き消され、天然の防壁としてグラニネツ村を長年守り続けていた森はその役目を果たせなくなった。
しかもゾンビたちがグラニネツ村に殺到した時、タイミング悪く村では雪で倒壊した家屋からの住民の救助作業を行っていたところだったというのだ。
ノヴォシアの村でも過疎化が深刻な問題となっている。若者の大半は仕事を求めて大都市へ移住し、地方には子供や老人しか残らない―――そんな村に襲い掛かったゾンビたちは抵抗すらできぬ人々を容赦なく餌食にし、俺たちが教会から救い出した6名を除くすべての住民を食い殺した。
こういう惨劇に繋がるから、死体処理については厳格な規定があり、違反者には厳罰が科されるのだ。
俺は法律の専門家ではないので刑罰の相場とかは分からないが、おそらく良くても無期懲役、悪くて人権剥奪か死刑だろう。
人権剥奪―――読んで字のごとく、与えられている人権を剥奪され、奴隷にその身を堕とす刑罰だ。こうなるとヒトではなく”モノ”として扱われ、男ならば強制労働、女ならば性欲の捌け口として酷使される。
一応は人権を”買い戻す”という救済措置もあるが、慈悲深い主人に買われない限り、大抵の奴隷はその手足から枷が外れるその日の前に命を落とすという。
もちろんすべての人間に保証される基本的人権の剥奪なので、その適用は重罪にのみ限定される。そういう事もあって、この世界には異世界転生モノのラノベみたく奴隷がいるが、そのほぼ全員が重罪人なのだ―――だから「可哀想、助けなくちゃ」なんて思った事は一度もない。
ちなみにだが、そういう罪人を売買する事もあって、この国の奴隷商人は”公務員扱い”されるという変わった規定がある。まあ、早い話お巡りさんが『この犯罪者元気だけどいる?』みたいなノリで奴隷を売っているようなもんだ。
とにかく、この惨劇をもたらした連中には厳罰が下される事を願ってやまない。死んでいった人たちのためにも、だ。
《最終弾発射、最終弾発射》
ドウ、と最後の1発がロケットモーターの唸り声を高らかに響かせ、飛んで行く。
AKの安全装置を外したのは、最後のミサイルが手榴弾をぶちまけたのと同時だった。
この世界のゾンビほど、ONとOFFのギャップが激しい奴もそういないだろう。
この世界のゾンビは、普段は緩慢な動きで汚染地域内を徘徊している。フラフラと歩きながら、裂けた腹から肋骨や内臓を覗かせ、おぼつかない足取りで歩いているのだ。あるいは生前の行動をとろうとしたり、特にアクションを起こさずぼんやりと空を見上げていたりと個体差がある。
しかしひとたび生者を発見すると、緩慢な動きだったゾンビたちは一気に目を覚ます。腰の曲がった老人のような動きから、活力と勢いに満ち溢れた短距離ランナーの如く走り出し、生者に殺到してくるのである。
ゾンビとの交戦の際に特に気をつけなければならない事は、まず『接近戦は避ける事』、『出血したらとにかく逃げる事』、『面で攻める事』、『単独で突出せず仲間との連携を密にする事』……挙げたらキリがないが、個人的に教本で読んで大事だなと思ったのは接近戦を避ける事と、出血したら逃げる事の2つだ。
接近戦は言うまでもない、ゾンビ相手にはNGだ。こっちは向こうに引っかかれたり噛まれたり、最悪の場合体液が粘膜に接触するだけでもアウトなのに対し、向こうは心臓か脳を大きく損壊しない限りは動き続けるためフェアではない。ゾンビだけに留まらず、相手の土俵での戦いが非推奨なのはどれも同じだ。
そして血はゾンビたちを興奮させる上、ゾンビたちは出血している相手を優先的に狙う習性がある(昨日の村での戦闘で俺が囮になれたのもこの習性を利用したからだ)。だから出血したらその辺一帯のゾンビが興奮し殺到してくるのでとにかく逃げよう。彼らの仲間入りをしたいのならば話は別だが。
とにかく教本に載っていた通りに、距離を離した状態で射撃する。ドットサイトのレティクルに映るゾンビの頭を狙撃、的確なヘッドショットでその物理的に腐りきった脳味噌を上顎諸共吹き飛ばしてやった。
よく「教科書通りにしかできないのは馬鹿」だの何だの言うベテラン気取りの奴がいるが、教科書には必要なすべてが詰まっており、まず教科書通りの動きを覚える事が何事も初心者から高みへと足を進める第一歩だと思っている。
教科書通りにできない奴は馬鹿にすらなれない。
ズドン、と九九式歩兵銃が吼える。銃剣付き(なんで白兵戦やる前提なのか)の九九式歩兵銃を構えた範三が、熟練の日本兵さながらの速度でコッキング、剣術一辺倒だった彼とは思えぬ素早い照準で次のゾンビの頭をぶち抜く。
彼のコッキングの隙を埋めるため、接近してくるゾンビをとにかく狙撃する。的確に頭を潰し、心臓を撃ち抜き、着実にその数を減らしていった。
ガガガガ、と後方から飛来した機銃弾がゾンビの群れを薙ぎ払う。ミサイルを撃ち尽くし、後は機銃を搭載したトラクターと化した後方のIT-1が機銃掃射を始めたのだ。
腐敗した肉体に7.62mm弾が食い込み、足や下半身を吹き飛ばされたゾンビたちが雪の上に転がった。
地面を這うばかりとなったゾンビたちに、確実にヘッドショットを叩き込んでいく。
「……」
唸り声を発するゾンビの中に、一際小さな影があった。
子供だ。子供のゾンビだ。
顔の半分は食い千切られ、腐敗した筋肉繊維が露出した子供のゾンビ。腐敗の状況は比較的マシで、酷い大けがを負った子供のようにも見えるだろう。
おそらくグラニネツ村に住んでいた犠牲者だ。
「……ミカエル殿」
辛いならば、某が。範三はそう言いながら俺の肩に手を置いたけれど、彼への返答は横に振った首と銃声だった。
頭を割られた小さな死体が、雪の上に転がる。
「ミカエル殿」
「……ごめん、心配かけた」
帰ろうか、と誰もいなくなった雪原の一角を見渡しながら、小さな声で仲間に告げる。
何とも後味の悪い結末だった。
《―――それでは、次のニュースです。グラニネツ村がゾンビの襲撃で壊滅した事件を受け、マズコフ・ラ・ドヌー憲兵当局は冒険者ギルド”アーセナル・オメガ”の構成員を死体処理法違反の容疑で逮捕したと発表しました。同法は厳罰ばかりが規定されており、最低でも無期懲役、最高で死刑となっています。法律の専門家によりますと、容疑者が起訴され裁判となれば無期懲役、あるいは人権剥奪が求刑される可能性が高いとの事ですが、憲兵隊は余罪についても調べており、その結果によっては死刑が求刑される可能性が跳ね上がるとの事です》
食堂車のカウンター席、その片隅に置かれたラジオから流れてくるのは深夜のニュースだ。
今回の事件を引き起こすきっかけとなった大馬鹿野郎が逮捕された、というのは喜ぶべき事だろう。あれだけの惨劇を引き起こしてお咎めなしなんて事になったら、死んでいった人たちが浮かばれない。
バーテンダーみたくグラスを磨いていたパヴェルが、そっとグラスにタンプルソーダを注いでくれた。
「……ありがと」
「まあ……辛い仕事だったが、お前がやらなきゃあの6人は助からなかったんだ」
グラニネツ村の生存者―――6名の村民は、マズコフ・ラ・ドヌーに急遽用意された避難所で受け入れられる事となった。ゾンビの掃討を終えたグラニネツ村で回収できた物資の中から使えそうなものを彼らのために支給し、生活が安定するまで国が定期的な支援をするとの事だ。
今回のゾンビ掃討作戦の報酬金は、彼らの支援のために全額寄付している。俺たちが懐に入れていい金じゃない、助かった命を、その存在を肯定するためにあるべき金だと俺は思う。
「お前が救った命だ、胸を張れ」
「うん……ありがと、パヴェル」
いつの間にかウォッカの酒瓶を手にしていた彼と、タンプルソーダの入ったグラスを軽くぶつけ合う。
胸を張れ、か。
そうだよな……。
もう少し、前向きになろう。




