アンラッキー・デイ 前編
地獄、という言葉があるとすれば、それはきっと今のような状況を指し示すのだろう。
雪に埋もれた廃村の中、ふらつくようにして歩く無数の人影。
-38℃の極寒の中、しかしその人影たちが身に纏うのは防寒用の厚着ではない。誰もが全員、薄着だった。
半袖短パンとか、そうじゃなくても暑さをやり過ごすための薄着姿なのだ。中には上着すら身に着けていない人影もいるが、しかし彼らに共通しているのはそんな事ではなく、身に着けている服がボロボロで、よく見ると肉体に大きな損傷がある事だ。
服は何かに食い千切られたり、風化した布切れのようになっていて、その下から覗く肌は血の気がなくどこか蒼白い。中には腕がなかったり、皮膚に何かに噛まれたような傷跡がある人もいるがそれはまだマシな方で、顔から眼球が飛び出していたり、腐敗した側頭部から中身が零れている人もいる。
ざく、ざく、と雪を踏み抜く音を発しながら徘徊する無数の人影。明らかにそれはこの世のモノではない―――まるで墓穴の中から飛び出した死体が蘇り、歪な魂を内包し歩いているかのような、死者の尊厳を踏み躙るが如き冒涜的な光景が目の前に広がっている。
呼吸を整え、バクバクと高鳴る心臓を何とか落ち着かせながら、AK-19からマガジンを取り外し残弾をチェック。少なくともあと10発程度は残っているが、それを含めてマガジンがあと2つ、手榴弾2個、サイドアーム用の予備マガジンが2つ……そろそろ新しい武器を用意しておくべきか。
《ミカ、ミカ。状況―――しろ、聞こえ―――》
「聞こえない、繰り返せ」
《状況は悪―――吹雪―――いる、すぐ―――》
「パヴェル、聞こえない。繰り返してくれ」
クソ、忌々しいノイズめ。
舌打ちしながら、白く濁った息を吐いた。
クソッタレ……今日はろくな事がない。
1889年 1月31日 午前8時
今から12時間前
《それでは本日の最もラッキーなあなたは……山羊座のあなた! 今日は何をやっても上手くいくでしょう! 何もかもが成すがまま、王様になったような一日を過ごせそうです》
射撃訓練場に設けられた休憩スペースに置いてあるラジオが、民謡をポップな感じにアレンジしたBGMを背景にアナウンサーの声を発する。占いコーナーは人気だそうだが、ミカエル君的にはあまり意識した事はない。
何故ならば、ミカエル君はどちらかと言うと常に幸運だからだ。
PP-19のヘリカルマガジンに9×19mmパラベラム弾を装填する手を止め、試しにポケットから100ライブル硬貨を取り出す。今の皇帝、『カリーナ・ニコラエヴナ・ロマノヴァ』の横顔が刻まれた表と、ノヴォシア帝国の象徴である双頭の竜の姿が刻まれた裏面をチェックしてから、ミニマムサイズの指でコインを弾いた。
手の上に落ちてきたそれを見てみると、やっぱりコインは表を向いていて、表面に刻まれた皇帝カリーナが微笑みかけているようだった。
今しがたやってみせたように、どういうわけなのかは分からないが、ミカエル君がコイントスをすると100%の確率で表が出るのである。
何度やってみても絶対に裏は出ず、常に表だけ。ギャンブルでのイカサマはミカエル君の十八番だけど、コイントスに関しては何も手を加えていない。弾き方にコツがあるとかそういうレベルじゃないのだ。
クラリス曰く「賭けが成立しなくなるレベル」。100%コイントスで表が出るので、まあミカエル君は色々とツイてるのである。
生まれた時から(それにしては生まれた環境がアレだったが)こんな調子なので、占いの運勢とかあまり気にした事がない。
傍らではリーファが風水の本(ジョンファ語だ。台湾や香港の繫体字のような漢字がびっしりと記載されている)を読んでいる。やはり運勢とかそういうのを気にするタイプなのだろうか。
《―――では逆に一番ツイてない人は……乙女座、9月生まれのあなた!》
……俺やんけ。
ミカエル君、実は9月21日生まれの乙女座なのだ。見た目がこれでよく性別を間違えられ、星座まで乙女座ってもうコレ女として生きろって事なのだろうか。ミカエルママになれと? メスガキママになれと申すか???
《今日は不運の連続です、何をやっても上手くいきません。大人しく家の中に引きこもり、安物のスナック菓子をパクつきながら一日を乗り切りましょう。申し訳程度のラッキーアイテムはキッチンナイフです》
ちょっとコレ罵倒してない?
何なのさラッキーアイテムがキッチンナイフって。ヤンデレか。アレか、両目のハイライト消して刃物片手に意中の相手の家に押しかけろってか。
言っておくけどヤンデレが常に刃物持ってるとかそういうわけじゃないからな。世の中ヤンデレとメンヘラを混同する輩が多すぎるので良い機会だから言わせてもらうが、ヤンデレとメンヘラは全然違う。相手のために全てを投げ打って尽くすのがヤンデレであって、基本的に自己中心的で思い通りにならない時に凶暴な本性を見せるのがメンヘラなのでその辺間違わないように。間違うとヤンデレガチ勢を敵に回す事になる。
「あら、ダンチョさん今日不運か?」
「っぽいね」
「うーン……」
風水の本をじっくりと読みながら、リーファはジョンファ訛りのノヴォシア語で言った。
「ダンチョさん、風水的に”雪”良くないヨ」
「雪?」
「運気遠ざけるネ」
雪がダメって……。
射撃訓練場のある3号車には窓がないので外の様子は伺えないが、しかし今外がどうなっているかは分かる。本日も例に漏れずドチャクソ積雪、朝っぱらから地獄のような除雪作業である(ついでに同盟を結びに来たギルドを今の時点で2組追い返している)。
アレじゃん、ダメじゃん。外出たら死ぬじゃん俺。
「……外、雪ヤバいんだけど」
「じゃあダンチョさん、今日外出ちゃダメネ?」
「いや~……それは駄目だろ、仕事しなきゃ」
冒険者界隈はまさに資本主義の極致、すなわち”仕事した分だけ金がもらえる”、そんな職業だ。確かに仕事をせずにギルドの事務所とか列車に居れば安全だけど、それでは収入が減る。
ましてや今は厳しい冬、少しでも収入を得なければ高騰する燃料費や食費を賄いきれない。最悪の場合個人資産を切り崩してギルドに収める事も考えているが、仕事で報酬を得た方が得策なのは火を見るよりも明らかだ。
冒険者は金がもらえるし、依頼主は悩みの種が減る。冒険者と依頼主は一種の共生関係と言えるだろう。
というわけで、ギルドのためにもお仕事をしなければならない。そうでなければ俺だけではなく、仲間たちが―――まだ前線に出る事も許されぬルカやノンナにも辛い思いをさせる事になる。
「まあ、不運は実力で跳ね除けるさ」
「うーン、ダンチョさんなら大丈夫だけド……無理は禁物ヨ?」
「ははは、ありがとう」
まあ確かに、無理は禁物だ。
冒険者とは常に死と隣り合わせの職業なので、特に魔物討伐を専門とする武闘派冒険者はジンクスとかそういうのにも気を配るらしい。例えばこれは縁起がいいとか、これは縁起が悪いからやめておけ、とか……まあ誰でも命懸けの現場に出るとなれば神に祈るものなのだろう。
「そういや、リーファって占いとかに興味あるの?」
「あるヨ~。今まだ勉強中、でもいつか習得してみんな占うネ♪」
「勉強家だなぁ」
「むふー」
誇らしげに胸を張るリーファ。チャイナドレス風の民族衣装の上からでも分かるFカップの大きなOPPAIがぶるんっ、と重そうに揺れた。
「勉強して得たもノ、一生の宝物ネ。積み重ねはいつか宝物なるヨ」
「なるほど……そういやリーファのノヴォシア語、独学だもんね」
「是(ええ、そうよ)」
カタコトで訛りもあるけど、翻訳装置を介さずに意思疎通できるレベルというのはかなりのものだ。きっと血の滲むような努力を積み上げてきたに違いない。
翻訳装置を使わないのも、そうやって積み上げてきた自分の知識を信じているからなのだろう。彼女なりのプライドなのかもしれない。
「あ、じゃあさ、簡単に占ってくれる?」
「構わないヨ。ダンチョさん生年月日いつネ?」
「1870年9月21日」
「ふむ……ちょっと待ってネ」
ページをペラペラとめくり、顎に手を当てながら唸るリーファ。ノヴォシアでの占い結果はアレでも、せめてジョンファ式の占いではちょっとは良い運勢だといいな……なーんて淡い期待を、現実はあっさりと打ち砕いてくれた。
「……最悪ヨ」
「ああ神様……」
マジか……嘘やろ?
あれ、今年のミカエル君って厄年だっけ?
「ま、まあ、何とかなるネ」
「うん、ありがとうリーファ」
それじゃあ仕事行ってくるよ、と彼女に注げ、食堂車を後にする。
今日あたり何かデカい報酬の仕事ないかな、と思いつつ、適度に占いの結果を気にしながら出入り口のドアへ向かう。
ホームに降りた途端、足を滑らせて思い切りコケた。今朝の除雪作業で溶けた雪が凍っていたようで、それが良い具合にミカエル君の足にジャストフィットしたらしい。
ずだーん、とギャグマンガみたいに豪快に転倒したミカエル君(18)。誰も見ていない事を確認してからレンタルホームの階段へと向かい、連絡通路を歩く。
あれ、これって今日もしかして本当にダメな日なのでは……?
「いやー、悪いねシスター。付き合わせちゃって」
「いえいえ、お気になさらず。困っている人には救いの手を差し伸べるのは当然の事ですから」
ヴェロキラプター6×6の助手席に座りながら声をかけると、運転席でハンドルを握るシスター・イルゼはこっちにちらりと視線を寄越しながら柔和な笑みを浮かべた。
血盟旅団に加わる前はエレナ教のシスターとして人々の悩みを聞いたり、相談に乗ったり、懺悔を聞き入れたりと信者たちの心の支えだったというシスター・イルゼ。確かに彼女のような大人の女性にこのような笑みを浮かべられれば、誰だって安心して悩みを打ち明ける事ができるだろう。
それでいて慈悲深く、まさに聖母のようだ。
さて、今回のお仕事は支援物資の配達だ。
冬になればドチャクソ積雪のせいで各地の往来が事実上不可能(陸路は全滅、空路も吹雪で危険なのだ)になるのは周知の事実だと思う。都市部であれば食料の備蓄もあるし、ノヴォシア地方であれば地下鉄という移動手段があるのでまだ何とかなるが、地下鉄も無くまともなインフラも無い、更には都市部から離れた位置にある集落や村などは本当に死と隣り合わせの環境下に置かれる。
事実上孤立するので食料や燃料は春からの備えた分の備蓄を切り崩して何とかせねばならず、それでいて魔物の襲撃に備えたり、家屋を潰しかねない程の積雪に対処しなければならない。
だから農村部に住むのは大変で、そう言ったところに住む住人たちは屈強な人が多い。
それで今回の依頼に話を戻すのだが、マズコフ・ラ・ドヌーから東に行ったところに『グラニネツ村』という村がある。豊かな自然に囲まれた場所だそうで、農業と狩猟、それから豊富な木材の販売で収益を得ている村だ。マズコフ・ラ・ドヌーで使用される木材の大半はここが供給源らしい。
そんなグラニネツ村が、救援要請を発したのだという。何でも、最近の降雪量が想定以上で家屋が複数倒壊、食料も底をつき凍死者が出そうだ……というのが、救援要請の内容だった。
なのでそのグラニネツ村に支援物資をお届けする。それが、血盟旅団として引き受けたお仕事の内容だった。
だから後部座席には食料や日用品、清潔な毛布にチョコレートなどのお菓子(子供もたくさんいるそうなのできっと喜ぶだろう)を満載しているし、機関銃を下ろしてスペースに余裕ができた荷台には燃料と、それとペイロードが許す限りの食料を満載している。
それに加え、荷台の後ろには支援物資を満載したカーゴも連結している。物資を手配してくれた騎士団の担当者曰く「これで短くても半月は持ちこたえられる」との事だ。近いうちに二度目の補給依頼を直接契約で回すという話だったので、まあグラニネツ村の皆さんとはそれなりに長い付き合いになりそうではある。
騎士団としても、木材の供給源を失いたくはないのだろうし、こうやって辺境の村にも補給依頼を出しておく事で『下々の民も気に掛ける優しい皇帝陛下』を演出したいという思惑もあるのだろう。
まあ、そういう政治的思惑はどうでもいい。今回の仕事は人道支援、人助けだ。銃で人を殺すよりはよっぽど有意義だと俺は思う。
「しかし、心配ですね」
「……ああ」
グラニネツ村の様子もそうだが、依頼書には留意事項として『近隣に魔物が出没、他の冒険者ギルドに依頼し討伐を命じている』という一文があった。
その魔物討伐を引き受けている冒険者たちがヘマをしなければいいのだが。
彼らがそのまま魔物を仕留めてくれればそれでよし、しかしもし仕留め損ねていたとしたら、腹を空かせた魔物が壊滅寸前の村に侵入し……という最悪のシナリオも想定される。
パヴェルも常々言っていた。「常に最悪を想定しろ」と。
今回の仕事は平和的な人道支援だが……しかし、どうあっても俺たちとAKは切っても切れない関係にあるらしい。
AK-19を肩にかけながら、祈った。
何事も無くこの仕事が終わりますように、と。
そして村人たちが無事でありますように、と。




