「小さなご主人様」
「ぜひウチのギルドと同盟を!」
「お断りします」
「お願いです武器を売ってください!」
「帰ってください」
「おいクソガキ、同盟を結ばねえとどうなるか分かってんのか?」
「〇〇〇〇潰すぞハゲ」
コバルトクラウンとの同盟を断ってから今日で一週間。
まるであの一件が呼び水となったかのように、次から次へと他の冒険者ギルドが同盟を持ちかけてきたり、武器の取引をしたいと毎日のように申し出てきてもうミカちゃんへとへとです。
はーやんなっちゃう。
憂鬱で憂鬱で仕方がなく、今はこうしてクラリスの膝の上で丸くなって喉を撫でてもらわなければやってられない。白タイツとロングスカート越しの柔らかい太腿の上で、色々とでっかいお姉さんによしよしされながら喉を撫でてもらっていると、段々と無意識のうちにゴロゴロとネコみたいな声が漏れ始めるし、段々と瞼が重くなってくる。
結局、ジャコウネコ科でハクビシン獣人なミカエル君はクラリスの膝の上が一番落ち着くのだ。
転生前、俺には夢があった。『もし生まれ変わるならセレブの家で飼ってもらってる猫に生まれ変わって何不自由なく暮らしたい』という夢が。
まあ、結局は没落貴族の庶子として、ハクビシンの獣人に転生したのでだいぶ的を外している感じはあるのだが。
「うふふ、よしよし。お疲れ様ですわご主人様」
「にゃぁ~……やんなっちゃうにゃあ~……」
ケモミミをぺたんと倒しながら、そんな弱音をポロリと零した。
このまま眠ったらどれだけ心地良い事かにゃ……。
自室でクラリスに疲れを癒してもらっていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえてきた。誰かにゃ、とケモミミがぴょこりと立つ。獣人のケモミミは高感度の収音センサーのようなもので、ヒトとしての耳では聞き逃してしまうような音すら拾う事ができる。
その気になれば足音で誰がやってきたのかを判別したり、遠くの音を聞いたり、後は自分と同じ種類の動物(ミカエル君の場合ハクビシンだ)と意思の疎通ができる優れものである。欠点は感度が良すぎるので使い続けていると疲れてしまったりするし、いきなり近くでデカい音を聞かされると耳が死ぬ。
こりゃカルロスかな、と思いながら「どうぞ~」と今にもとろけてしまいそうな声でOKを出すと、寝室のドアが開き写真家……という事になっている謎の狙撃手、カルロスが姿を現した。
彼はこの冬の間、血盟旅団と行動を共にする”契約”になっている。彼への報酬はパヴェルが支払っているのだそうだ。
「……取り込み中だったか」
「当たり前のように一枚撮るんじゃない」
パシャッ、と自然な流れでメイドさんの膝の上で丸くなるミカエル君をカメラに収めるカルロス。後で一枚くださいとでも訴えているのか、クラリスがアイコンタクトで何かを要求しているのを上目遣いで見つめているとウインクを返された。
最近、クラリスは物事を誤魔化す際にウインクする変な癖がついたようだが何なんだろうかアレ。
「で、何の用だにゃ?」
「にゃ?」
「……何の用?」
「テイク2」
※ハクビシンはジャコウネコ科の動物であり、ネコ科ではありません。なので間違っても「にゃー」とは泣きません(「ピーピー」とか「キューキュー」みたいな感じの鳴き声です)。
「ところでお客さんだ」
「また同盟?」
「……うん」
がっくりと肩を落としながら、そっとクラリスの膝の上から立ち上がった。すぐ後ろで「あっ……」とクラリスが寂しそうな声を発したので申し訳なくなったけれど、いくら断るのが前提の同盟の申し出とはいえ門前払いというわけにはいくまい。
もしかしたら何かいい条件を提示してくれるかもしれないし、今まで断ってきたギルドの連中みたく血盟旅団の保有する兵器や技術を目的として接近したわけではない……可能性も排除しきれないからだ。
そういうギルドであれば、交渉次第では首を縦に振るかもしれない。
ウシャンカをかぶり、服装を正してから部屋を出た。先ほどまでミカエル君をなでなでするだけだったクラリスもいつの間にかクールビューティーっぽい感じのキリっとした顔つきに変わっており、そのまま黙っていればクールで何でもこなす完璧メイドに見えなくもない。
食堂車に向かうと、そこには既に狼の獣人の男性が座っていた。カウンター席には刀を肩に担いだ範三が待機していて、客人が変な気を起こさないか睨みを利かせている。
「お待たせして申し訳ない。血盟旅団団長、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフです」
「え、こんな子供が?」
……何、アレか? 初対面のミカエル君に対して「え、こんなチビが?」とか「こんな子供が団長?」って言うのが一種のテンプレートとでも化しているのか?
まあいい、今まで断ってきた連中も同じようなリアクションだったがそろそろ慣れた。というかコレ、もはやフラグと化しているのではあるまいか? 交渉決裂フラグなんじゃないのコレ?
咳払いしながら着席し、早速交渉を始める。
「えー、それではですね、早速で申し訳ないのですが契約書を見せていただきたいのですが」
「はい、こちらです」
受け取った契約書によると、今回同盟を持ちかけてきたのは冒険者ギルド『オープン・ファイア』。物騒な名前だがその名の通り戦闘系の依頼を主に請け負う冒険者ギルドのようで、代表と思われるこの狼の獣人男性もなかなか鋭い眼光をしている。
んで肝心な条文のところに視線を向けるが―――全部読み終わる前に、俺は半ば反射的に契約書を破り捨てていた。
条文の一番最初の部分に【武器の供与について】という記載があり、そこには血盟旅団からの武器の供与についての規定がびっしりと書かれていたのである。
「ああッ!?」
破り捨てた契約書を淡々と拾い集め、ゴミ箱にぶち込むクラリス。仕事増やしてごめんとアイコンタクトしてから、迸る怒りを言葉に変換、それも可能な限りオブラートに包んで形にしていく。
「武器を寄越せとしつこい中堅ギルド、頭の悪い代表共……どいつもこいつもこのミカエル君を苛立たせる……!」
「き、貴様、契約書を破り捨てるなんてどんな教育を受け―――」
「―――〇んで平伏しろ! 私 こ そ が 企 業 だ ! ! 」
「おわーッ!?」
ミカエル君、怒りの台パン。
もちろん交渉は決裂、それも最短記録だった。
クラリスのご主人様について語らせていただいてもよろしいでしょうか?
もちろん拒否権はありません、最後まで聞いて行ってください。
まず、クラリスのご主人様はミニマムサイズです。もう年齢は18歳、クラリスとは2つか3つくらい年の離れたご主人様ですが、身長は僅か150㎝。確かにその体格と幼い容姿では子供と勘違いされても仕方がありません。
けれども、だからこそ可愛らしいのです。
だってほら、見てくださいこの寝顔。無防備で、すやすやと寝息を立てるご主人様。いつもは時に凛々しく、時に仲間を優しく見守るご主人様ですが、一度クラリスと一緒にベッドに入るとこの通り。まるで姉に……いえ、母親に甘える子供のように抱き着いています。
あ、寝言でしょうか? ちゃんと聞き取れませんでしたが、何かぶつぶつと呟きましたね。一体どんな夢を見ているのでしょうか。最近は同盟という建前でご主人様の力を求め近付いてくる不埒な輩が多く、ご主人様はそれらの相手でお疲れのご様子。もしかしたら夢の中でも交渉に追われているのかもしれません。
それではいけませんね。せめてご主人様が楽しい夢を見れるよう、リガロフ家の……いえ、ご主人様、ミカエル様のメイドとしてサポートしなければ。
むにゃむにゃぴーぴーと何やら呟くご主人様を抱き寄せてよしよしすると、寝言がぴたりと止まりました。すう、すう、と落ち着いた寝息がクラリスの耳にかかって、その……むふふ、ご主人様の吐息生ASMRとかご褒美すぎませんかでゅふふ……あ、いえ、これはメイドとして、そう、メイドとしてのお仕事です。
クラリスの役目はご主人様の身の回りのお世話をする事。食事……は残念ながら用意できませんが、お着換えのお手伝いからシャワーを浴びる時はお背中を流したり、眠る時はこうやって抱きしめて寒くないよう暖めて差し上げながら眠るのがお仕事なのです。別にご主人様の裸が見たいとか、せくしーな姿を目に焼き付けたいとか、無防備なご主人様にエロ同人の如くあーんな事やこーんな事をしたいだなんてそんな事はありません。
第一、仕えるべき主人をそのようなえっちな目で見ているようではメイド失格です。煩悩退散、メイドとは清楚で、主人を守る剣でなければならないのです。
だからこんな、こんなご主人様の吐息を至近距離で浴びたくらいで興奮してはいけないのです。ところでここが天国ですか?
ご主人様の身の回りのお世話がクラリスのお仕事なので、もちろんご主人様が望むのであれば……その、えっちな事だって全然OKです。むしろいつかご主人様の方から手を出してくださらないかと毎晩流れ星にお願いしているのですが、なかなかその様子がありません。
おかしいですね、ご主人様は童貞の筈……モニカさんにキスをされた(唇ではないようです)事は匂いチェックで把握済み。はい、ご主人様はまだその段階です。少なくともその、ええ、”大人の階段”を上った形跡はありません。
ご主人様が本棚の裏に隠している秘蔵の薄い本コレクションに年上のメイドさんとえっちな展開になる薄い本をこっそり忍ばせ、ご主人様の性癖を歪める計画を遂行中なのですがなかなか上手くいかないようです。
こうなったら、いっそのこと食べちゃいましょうか?
ごくり、と息を呑みながら、すやすやと寝息を立てるご主人様を見下ろしました。
……いいえ、いけませんそんなの。自分の性欲を優先しご主人様を襲ってしまうなど、メイドにあるまじき行為。はしたないにも程があります。そう、メイドは清楚でなければならないのです、清楚。
ご主人様の喉をなでなでしていると、もっとやってと言わんばかりにご主人様が手を伸ばして来ました。お望み通り喉を撫でて差し上げると、ご主人様は気持ち良さそうに喉をごろごろ鳴らし始めます。可愛いですね。
実はですね、クラリスの性癖的にご主人様はどストライクなのです。軽度のケモナーでロリorショタ、これがクラリスの性癖です。ええ、ミニマムサイズであれば男だろうと女だろうと大丈夫なのですクラリスは。
まあ、ご主人様に好意を寄せている理由はそれだけではありませんけど。
このお方が居なければ、今のクラリスはありませんでした。
記憶を取り戻す事も無く、あの冷たい地下の遺伝子研究所で眠り続けていた事でしょう。記憶がなければ身寄りもない、ましてや言葉も通じなかったクラリスを拾い、居場所を与えてくださったご主人様は命の恩人……クラリスにとっての光なのです。
だからクラリスは仕え続けます。この”小さなご主人様”に。
1人のメイドとして。
―――いつの日か、それが主人とメイドの関係ではなく、1人の女として隣に立つ事を許していただければ嬉しいのですけれど。
「愛しています、ご主人様」
そっと、もちもちした頬に唇を押し付けました。さすがに唇は奪いません、それはクラリスが勝手に奪うものではなく、ご主人様が認めた相手にのみ許す行為ですから。
さて、そろそろ眠るとしましょう。明日も朝早くから除雪作業がありますし、下手をしたら明日もまた血盟旅団の兵器を狙って中堅ギルドの輩が交渉にやってくるかもしれません。
瞼を瞑ろうとしましたが、クラリスの指を寝ぼけたご主人様が甘噛みし始めたせいで鼻血ブー、安眠どころではなくなりました。
クラリスもまた、ご主人様に性癖を破壊されているのです……ぐふ。
なんかね、すっごい甘酸っぱい夢を見た。
クラリスに添い寝してもらう夢―――いや、いつも寝る時そうでしょとか、毎晩抱き枕状態なのに何言ってんのって言われるかもしれないが確かに見たんだ、嘘じゃない。
それどころか左の頬にキスまでされちゃって……ぐふふ。
「……」
アレ、夢じゃないよな?
射撃訓練用に持ってきたPPK-20用のマガジンに9×19mmパラベラム弾を装填しながら、片手でそっと左の頬に触れてみる。
あれは夢だった筈―――自分でも理解しているんだけど、しかしそこには確かに彼女の残り香とあの甘酸っぱい感じが残っているような気がして、思わず顔を赤くしてしまう。
ちらりとクラリスの方に視線を向ける。彼女は彼女でPP-19の射撃訓練に精を出しているところで、強靭な腕力で強引にSMGを固定、反動とは無縁と言うべきレベルでがっちりとホールドし、殆どブレる事の無い銃口から凄まじい勢いで9×19mmパラベラム弾を放ち続けている。
あれ、本当に夢だったのか?
……いかんいかん、切り替えないと。
夢か現実かもわからん記憶に振り回され、ミスるなんて危険にも程がある。
頭を切り替えて訓練を始めるが、しかしこの甘酸っぱい感触はしばらく消える事はなかった。




