同盟
対戦車ライフルが対戦車兵器として活躍したのは、第二次世界大戦までの事だ。
それまでの戦車は距離と角度、使用弾薬次第では装甲を弾丸で貫通する事も期待でき、仮にそうでなくても戦車の戦闘力を削ぐ程度の運用は可能だった事から、特に対戦車用のロケットランチャーの開発が遅れたソ連では引き続き運用され、ドイツ戦車相手に猛威を振るったり、長距離狙撃に用いられたり、変わったところでは対空戦闘に転用されドイツ軍の航空機に損傷を与えたりしたらしい。
対戦車ライフルは発達した対戦車ミサイルやロケットランチャーに取って代わられ、それっきり廃れてしまったが、しかしそれらが使用する大口径の弾薬には意外な使い道があった。
装薬量が多く長距離射撃に向き、弾丸が重いため風の影響を受けにくく、単純な破壊力では戦車の撃破は絶望的であるものの、軽装甲の車両のエンジンブロックをぶち抜く事も出来たためだ。
それが今の対物ライフルである。
有名なのはアメリカのバレットM82シリーズだけど、他にもフランスのヘカートⅡやロシアのOSV-96、中国のQBU-10などもそういった大口径の対物ライフルとして運用されており、長距離狙撃から敵車両のエンジンブロックの破壊、不発弾の爆破処理などに使用されている。
そして今、俺の隣にいる相方のカーチャが構えているのも、そんな対物ライフルの中に名を連ねる新型モデルだった。
ウクライナ製対物ライフル『アリゲーター』。弾数5発、使用弾薬はかつての対戦車ライフル用弾薬、14.5mm弾……その絶大な威力と2kmという長大な射程距離は、遮蔽物の無い雪原ではこれ以上ないほどの脅威となる。
冬用に真っ白に塗装した潜望鏡の向こう、最大望遠に切り替えたレティクルの向こうにはゴブリンの姿が見える。
冬眠に失敗したか、それとも住処が雪崩に飲まれて脱出せざるを得なくなったか、理由は分からない。しかしここから5kmも南下すればマズコフ・ラ・ドヌー市街地が見えてくる。そんな目と鼻の先とも言える距離を魔物にうろつかれるのはあまり気分の良いものではないだろう。
だから駆除の依頼が回ってきたのだ。しかも、またしても騎士団からの直接依頼という形で。
例によって報酬は全額前払い。気前がいいのはこちらとしてもありがたいが……。
「距離1200、北方より微風……やれるか」
「―――外さない」
スコープを覗き込むカーチャの目。それはネコ科の肉食獣が、獲物に狙いを定めた時のそれだった。
彼女の息遣いが消え、ああ、撃つんだな……と何となく察した次の瞬間、ドカン、とアリゲーターが吼えた。
北方からの冷たい微風をものともせず、一発の14.5mm弾は十分すぎる運動エネルギーを保持したまま、平原の向こうでどこかいい穴倉はないものかと彷徨っていたゴブリンの頭をスイカの如く叩き割った。
うわぁ、と朝食の黒パンをぶちまけそうになる。潜望鏡の最大望遠でその瞬間をはっきりと見ていたものだから、とにかく気分が悪い。
元々、14.5mm弾は侵略してくるクソッタレファシスト共を食い止めるぞ、と本気になったソ連がドイツの戦車を撃破するべく対戦車ライフルと共に実戦投入。祖国の危機に奮い立ったソ連兵と対戦車ライフルの組み合わせは、ドイツ戦車に決して少なくはない損害を与えた。
つまり何が言いたいかというと、これはそもそも戦車の撃破を期待して製造された大口径弾薬であり、人間の兵士など最初から眼中にないのだ。たかが5mm前後の風穴を穿たれるだけで虫の息になる脆弱な人体が、戦車の装甲すらぶち抜いた弾丸の直撃に耐えられる筈もない。
そしてそれは、小柄なゴブリンも同様だった。
人間よりも体が小さく、骨格も脆弱なゴブリンがそれに耐えられる道理もない。直撃を許したゴブリンは頭を叩き割られ、紅とピンクの破片を周囲に撒き散らしながら崩れ落ちていった。
一体何があったか、そしてその激痛を知覚する間もなく逝けたのはせめてもの救いだろう。
同胞の死を目の当たりにし、後続のゴブリンたちが戦闘態勢に入る。が、どこから狙われたのか……いや、一体どんな手を使って殺されたのか見当もつかないのだろう。棍棒や槍、石器で作ったナイフを手に姿勢を低くしながら、周囲に対し威嚇したり吼えるような仕草を見せている。
ボルトハンドルを引き、クソデカ薬莢を排出したカーチャが無慈悲な第二射。圧倒的な運動エネルギーのドレスを纏った獰猛な弾丸は、凶暴極まりないワニの如くゴブリンの胸板に食らい付いた。
成人男性の腰くらいまでしかない小柄な魔物が血煙と化し、雪原の一角を真っ赤に染め上げる。
原型など留めてはいなかった。いたるところに内臓や骨の破片が飛び散って、”死体”という表現すら不適切な―――”残骸”と呼ぶべきレベルの尊厳もクソも無い死をもたらした結果がアレだ。
ボルトハンドルを引き、無慈悲な第三射。潜望鏡の向こうで紅い血飛沫が飛び散り、戦いは終わった。
いや、”戦い”なんて崇高なもんじゃない。
ただの虐殺だ。こんな一方的な結果を”戦い”と呼んではならない。
潜望鏡を外し、三脚を折り畳んで背中に背負う。ダンプポーチに入っていた信号拳銃(大口径のフリントロック・ピストルを改造したものだ)を取り出して信号弾を装填、雪雲舞う天空へ銃口を向け、引き金を引く。
点火の遅い、相変わらず質の悪い黒色火薬。前回のもなかなか低品質だったが今回のは前回の比じゃなかった。引き金引いてから点火、発砲まで2秒のラグってなんだよコレ。不発疑うレベルだわコレ。
後で騎士団にクレーム……というか申し入れしておこう。もしかして連中、冒険者に業務を委託しているのを良い事に俺たちを都合のいい捨て駒だと勘違いしてるんじゃないか?
マガジンを取り外し、薬室に弾丸が装填されていない事を確認したカーチャと共にヴェロキラプター6×6に乗り込んだ。ケースに収められたアリゲーターを後部座席に積み込んでいるが、運転席と助手席の間からケースの端がにょっきりと伸びている。
そりゃあそうだ、全長2mにも達する超大型のライフルである。超遠距離狙撃能力と圧倒的破壊力を両立したこれは遠距離戦闘において理想的な武器の1つであるが、運用もまた困難を極めるのだ(特にこの取り回しの悪さが挙げられる)。
「ミカ、ありがとね」
運転席に座り、ヴェロキラプター6×6を走らせ始めたカーチャがそう言った。
「仕事……付き合ってくれて」
「いいって、仲間だろ」
カーチャと他の仲間たちの間にはまだ、ほんの少しだけ距離が開いているように思えてならない。
そりゃああんな経緯で仲間になったのだ、今すぐ仲良くしろなんて言う方が無茶というものだろう。クラリス、リーファ、範三辺りは態度を軟化させているものの、それでもまだ親密な関係とは言い難い。
そしてカーチャもまた、俺に対して負い目を感じているようだ。
何とかならんかね……まあ、時間をかけて信頼を勝ち取っていけば過ごしやすくなるだろうが、助けになるなら何でもしてあげたい。
そういう想いもあって、今回の仕事に同行を申し出た。
「一緒に来てくれるの、今のところミカくらいですもの」
「それは……」
同行するのは今回だけじゃない。
スノーゴーレム討伐の時だって、そしてそれ以外の長距離狙撃訓練の時も、俺が観測手を担当している。
特に長距離狙撃訓練は大変だ。列車でも射撃訓練は出来るけれど、列車の中という限られたスペースの関係でレーンはせいぜい25mちょいという至近距離仕様。以前のようにどこかの空き家とか倉庫を借りて訓練しようにも、防音壁がないと銃声がそのまま騒音になって近隣住民から苦情が……ということになりかねない。
血盟旅団は新興ギルドという事もあり、法令順守には特に気を使っている。
え、強盗はさすがに法令を遵守してないじゃないかだって? しーっ、しーっ!!
ええと、何だっけ? そうそう、カーチャの狙撃訓練の話だ。
なので1㎞超えの超遠距離狙撃を行う際は騒音を考慮しなくてもいい平原までわざわざ出張って来る必要があるのだ。そして最近では、その相方が俺で定着しつつある。
クラリスが強引に同行を申し出て来ない辺り、彼女からの信頼は勝ち取りつつあるのかもしれないが……すべてはウチのメイドのみぞ知る。
「ところでそれシートベルト大丈夫?」
「ん? うん」
ヴェロキラプター6×6はアメリカ製のピックアップトラックだ。開拓者魂に満ち溢れたアメリカ人向けのサイズで製造されているので、ミニマムサイズのミカエル君にはちょっと大きい。こうやって助手席に座っていると目の前のダッシュボードが邪魔で前がちゃんと見えないほどだ。
「後ろにチャイルドシートあるわよ?」
「 い ら ね え 」
ミカエル君の尊厳破壊やめて。
バックミラーをちらりと見てみると、彼女の言う通り後部座席にはチャイルドシートが備え付けてある。まあ、今のところあれは使うとしたらノンナくらいのもので、ミカエル君は使っていない。
こらそこ、お似合いだとか言わない。
車を運転しながら人の尻尾をもふもふしてくるカーチャ。触り心地が良いのか、なかなか離してくれない。
ついにはケモミミにまで手を伸ばしてきて、オイオイ貴様運転大丈夫かという心境になる。
「ミカってふわふわしてるわよね」
「何が? 雰囲気が?」
「毛」
「毛」
毛……ああ、そうですか。
そういう毛の質だからなのかもしれない。髪も尻尾も、そしてケモミミの先っぽから生えている体毛も全部もっふもふのふわっふわなのだ。特にケモミミの先端部から生えてる毛はミカエル君の個人的なチャームポイント、手入れには気を使っている。
黒猫獣人のクールなお姉さんにモフられているうちに、窓の外にマズコフ・ラ・ドヌーの市街地が見えた。どこもかしこも雪が降り積もっていて、街中には火炎放射器を脇に抱え、燃料タンクを背負った世紀末婆ちゃんが大量発生していて草生えた。汚物ではなくちゃんと雪を消毒してほしいもんである。
踏切から線路に入り、駅の方へと走っていく。血盟旅団の列車が見え、カーチャがクラクションを2回鳴らした。
それで俺たちの帰還を察知したのだろう、第一格納庫の側面ハッチがスライドし、中からクレーンアームが伸びてきたかと思いきや、がっちりとピックアップトラックを鷲掴みにし、そのまま車内へと引き込んでいった。
格納庫の床にタイヤがついたのを確認し、助手席のドアを開けた。
後部座席を開けてチャイルドシート……ではなくカーチャのライフルが入ったケースを頑張って引っ張り出していると、すぐ後ろにクラリスの気配を感じた。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ああ、ただいま」
いつものようにロングスカートの裾を摘まみ上げてお辞儀するクラリス。彼女に笑みを浮かべながら応じると、クラリスはメガネをクイっと指先で押し上げてから、飛んでもねえ事を耳打ちしてきやがった。
「……あの泥棒ネコに変な事をされませんでしたか?」
全然信頼勝ち取れてない!?
「……ナニモナカッタヨ」
「本当ですか?」
圧。
いや、本当の事を言うとここに来るまでひたすら尻尾とケモミミをモフられ続けてました。
なーんて事を考えている間にクラリスの匂いチェックが開始。すんすんとケモミミやら髪の毛やら肉球の匂いを嗅ぎ始めるクラリス。やめて変態かお前は。あ、コイツ変態だったわ……。
「あ、そういえばご主人様」
「ナンデスカ」
「お客様がお見えですわ」
「そっち先に報告するべきでは???」
優先順位おかしい……いや、どんな時でも主人であるミカエル君を第一に考えるメイドの鑑……? いやでも変態だしな、下心剥き出しだしなぁ……プリーズ除夜の鐘。
などと脳内の二頭身ミカエル君ズがクラリスの行動について『ミカー!』『ミカミカー!』という感じ(※二頭身ミカエル君ズの鳴き声である)に激論を交わしている。たぶん一生終わる事はないだろう……あ、一匹お昼寝タイムに入った。
「申し訳ありません。ご主人様が心配ですっぽ抜けておりました」
「うん、心配ご苦労」
「ご案内いたします、こちらへ」
「カーチャ、悪いけど武器の返却は」
「ええ、やっておくわ」
武器の返却をカーチャに任せ、クラリスの後に続いて2号車へ。階段を上がって2階へと上がると、食堂車の窓際にあるテーブル席には、いかにも冒険者と言った感じの男女が1人ずつ座って、俺の事を待っているようだった。
どちらも冬季用のコートに身を包んでおり、その上に革の防具を身に着けている。防御力よりも動きやすさとアイテムの収容能力を重視したもののようだ。
食堂車の入り口にはカルロスが待機していて、背中を壁に預けながら寄り掛かる彼の傍らには2本のショートソードがあった。他にはピストルにクロスボウもある。
あの冒険者たちの武器なのだろう。”会合”の間は預かっておく、という事か。
過剰かもしれないが、必要な備えだ。交渉決裂の瞬間に武器を引き抜いて首をバッサリ……なんて事になったら笑えない。
「ごめん、遅くなった」
「お客さんだぞミカ」
カウンターの向こうでグラスを磨きながら言うパヴェル。彼の言う”お客さん”に視線を向けると、紅茶を飲みながら待っていた2人の冒険者はこっちを振り向き、友好的な笑みを浮かべながら立ち上がった。
「ああ、君が血盟旅団団長のミカエル君だね?」
男の方の冒険者がそう言いながら、俺……ではなく、案内してくれたクラリスの方へ手を差し出す。
すると案の定、クラリスは不機嫌そうに咳払いをした。
「失礼ですが、私ではなくこちらのお方がミカエル様でございます」
「え、こんなちっこいのが?」
ぶち転がすぞコラ。
いかん、笑顔笑顔……と意識はするが、喉の奥からはどうしても唸り声が漏れてしまう。
「あ、ああ……失礼」
「お間違いのないようお願いしますわ。ご主人様はこう見えてもリガロフ家の―――」
「クラリス」
いいよそこまで言わなくて、と制すると、彼女はぺこりと頭を下げながら一歩後ろに下がった。
出だしからアレだけど、まあ本題に入ろう。そう思いながら席に着くと、クラリスがすぐにジャム付きの紅茶を運んできてくれた。
「……ええと、それでお話というのは?」
「ええ、見ての通り私たちも冒険者ギルドを営んでいましてね。中堅ではありますが」
そう言いながら、男の冒険者は1枚の契約書をテーブルの上に置いた。
「用件は単純です―――私たちのギルドとあなたのギルド、血盟旅団で”同盟”を組みたいのです」




