雪崩対策
ノヴォシア帝国での冬には、火炎放射器と大砲が欠かせない。
何を言ってるんだお前は、と言いたくなるかもしれないが、これは紛れもない事実である。旧人類の時代からそうであったように、ノヴォシア帝国においては苛酷極まりない冬とこの雪が臣民にとっての最大の脅威だった。
それらから身を守るためにも、火炎放射器と大砲は必要なのである。
火炎放射器は軍用のマスケットを改造、黒色火薬を用いて点火し火炎放射を行う代物だ。真冬の除雪作業には欠かせず(スコップなんかで悠長にやってたら家が埋まってしまう)、そういう背景もあって所持するハードルは銃よりも低い。
だから銃の撃ち方は知らないが火炎放射器の扱い方は分かる、というノヴォシア国民は多く、冬になると燃料タンクと火炎放射器を携え火を噴きまくる世紀末婆ちゃんが大量発生するのだ。ノヴォシア帝国の冬の風物詩である。
では大砲は何に使うのか、というとそれはアレである。
雪崩の防止のためだ。
「えー、誤差修正……右1度、仰角プラス3度」
Ⅰ号戦車で牽引してきたソ連製無反動砲『B-10』を操作するシスター・イルゼにそう報告しながら、持ってきた三脚の上に乗せた潜望鏡を覗き込み標的を観測し続ける。
標的は雪山の斜面だ。急勾配というわけではないが、そのアホみたいな加減を知らない全力全開バチクソ積雪が続けば雪の重みで斜面の一部が崩落、結果として局所的な雪崩に発展する恐れが常にある。ノヴォシア地方だけではなく、イライナ地方やベラシア地方でもよくある事だ。
だから山の麓とか、雪崩の怖れがある地域に居住地を設ける事は法令で規制……なんてできる筈もない。
なので冬季は定期的に騎士団の砲兵隊を派遣、偵察隊の観測を受け意図的に雪崩を引き起こす事により、大規模な雪崩で居住地が丸ごと埋もれてしまう惨事を回避しているのだ。
過去、これを怠り村や集落が丸ごと雪崩に飲まれ壊滅した……という痛ましい事件は何度も起こっている。だからノヴォシアの砲兵隊は支援砲撃だけでなく、雪崩の発生を防ぐための訓練も行っているのだ。
その装填した一発に、多くの人命がかかっているというわけである。
……というわけなのであるが。
どうやら砲兵隊の火薬の管理方法に何かしらの問題があったようで、雪崩発生防止任務のために用意していた火薬が湿気でダメになってしまい、砲撃ができなくなってしまったというのである。
なので火薬の再度の手配が済むまでの間、騎士団に代わって血盟旅団が山の斜面を砲撃、雪崩の発生を防ぐ事になった。これは冒険者管理局を介しての依頼ではなく、騎士団から直々に回されてきた直接契約での依頼である。
報酬は全額前払い、金は既に受け取っている。なので中途半端な仕事は出来ない……それはパヴェルに言われた事だし、その通りだと俺も思うが、しかし今頃騎士団の管理担当者は始末書モノだろうなぁ……考えるだけで背筋が冷たくなる。
よく会社とかで先輩が上司に怒鳴り散らされてるのを近くで見る事があったが、アレに似た感覚だ……あーやだやだ、パワハラ反対。ミカエル君は平和主義者なの。ラブアンドピース。
「―――発射」
「撃ちます」
コート姿のシスター・イルゼが引き金を引くや、ソ連製のB-10無反動砲が前後から火を噴いた。ラッパのような後端のノズルからバックブラストが噴出し、砲口から榴弾が解き放たれる。荒々しいまでのバックブラストで雪を巻き上げた無反動砲の一撃は、潜望鏡のレティクルの先にあった真っ白な斜面を直撃、雪の中で起爆した。
降り積もった雪の塊が泡立つように盛り上がり、2、3秒ほど遅れて、バムンッ、と炸裂音がここまで届く。
変化が起こったのは、その直後だった。
ずるずると真っ白な勾配が崩れていく。傍から見れば山の斜面そのものが滑り落ちて行っているようにも見えるが、違う。積もった雪が極めて限定的な規模で、ごく小さな雪崩を引き起こしているのだ。
それは人や家屋を呑み込むほどの規模とは程遠い小さなもので、やがて麓のほうへと滑り落ちてから完全に止まった。
「OKかな」
「大丈夫そうです?」
「うん、大丈夫そう」
これならばまあ、雪崩が起こる事はないだろう。
ノヴォシアの冬の降雪量は尋常ではない。放っておいたらどんどん雪が降り積もって、その重みで雪が斜面を滑り落ち大規模な雪崩を引き起こしていく……というヤバい事になる。だから必ず、こうやって定期的に斜面を観察し、場合によって砲撃を加え、意図的に雪崩を引き起こしてやらなければならないのだ。
騎士団からは既に報酬を貰っているので、中途半端な仕事は出来ない。血盟旅団が誠実なギルドであると喧伝する好機だし、そして何より人命が懸かっている。
「帰ろうか、シスター」
「ええ、そうしましょう」
そう言うと、シスター・イルゼは傍らに停車していたⅠ号戦車の運転席に乗り込んだ。バックオーライ、と声をかけながら誘導、良い感じの位置まで後退してきたところでブレーキをかけてもらい、その間に車輪付きのB-10無反動砲をⅠ号戦車車体後部に搭載したフックに連結、ロックしたのを確認し、俺も砲塔に乗り込んだ。
血盟旅団で運用されているⅠ号戦車は初期型ではなく、新規設計された車体と砲塔の機銃を1丁下ろし、セミオートマチック式の対戦車ライフルを搭載したC型……なのだが、運用面を考慮し機銃はどちらも日本製の74式車載機関銃に置き換えられている。
戦車、と名前がついているが、あくまでも銃弾や砲弾の破片から乗員を防護し、物資や装備を前線まで運搬する『自衛用武装付き装甲車』として運用しているのが実情だ。まあ、パヴェルが足回りとエンジンを魔改造した結果、整地であれば100㎞/h、不整地でも75㎞/hという爆速で走行する事が可能だ……不整地では乗員の三半規管が間違いなく死にそうである。
とりあえず、今日の分の雪崩防止活動は終了だ。偵察だけは騎士団の偵察隊がやってくれるので、俺たちは彼らからの要請を受け次第出動、目標地点に榴弾を叩き込んで観測、必要とあらばもう1発……といった感じに”仕事”をすればいい。
今日は早朝に出動要請がかけられたので、正直言うとまだ瞼が重い。起床ラッパで叩き起こされたわけじゃないけど、朝っぱらから『デェェェェェェェェェン!!!』で起こされた時は心臓が止まるかと思った。
「シスター、眠気は大丈夫?」
『ええ、大丈夫ですよ。しっかり寝てきましたので』
「健康的だねぇ」
砲塔内に備え付けてあるマグカップにコーヒーの粉末をぶち込み、角砂糖を2つ入れてから、ホットプレートで加熱して作ったお湯を注ぐ。
戦車の中に何でそんなものがあるんだよと思ったそこのあなた。血盟旅団仕様の兵器は居住性も考慮して色んな備品が用意してあります。BTMP-84-120に至っては紅茶を沸かすためのホットプレートと水、それからイライナ産茶葉が標準装備されているのです。
ちなみに何故かコーヒーはない。
紅茶原理主義者パヴェルの圧を感じるのは俺だけではないだろう。
操縦手の席にも同様に色々と備品が備え付けてあるが、今のところシスター・イルゼがコーヒーを飲み始めた様子はない。
どこぞの身長とOPPAIのデカいリガロフ家の竜人メイドさんとは違い、シスター・イルゼの運転は安心・安全そのものだった。法定速度を遵守し、不要な加速はせず、カーブもゆっくりと車体を揺らさずに行う。
日常に限って言えば実に模範的だろう。
おかげで車内で落ち着いてコーヒーを楽しむ事ができるというものだ……クラリスの運転ではこうはいかない。
郊外からマズコフ・ラ・ドヌー市内に入るや、後ろからやってきたトラックがやけに車間距離を詰めてくる。早く行けとでも言っているのかやたらとパッシングしてくる。ついにはクラクションまで鳴らし始めたので、砲塔から身を乗り出し後ろを睨んだ。
ハンドルを握っているのは小太りの中年男性。こんな朝っぱらから元気なものだ。
俺たちがトロトロ走ってるからだって思う人もいるかもしれないので明記しておくが、前方には他の車両がおり、十分な車間距離を維持して走っている。しかも追い越し禁止の道路なので遅いからといって追い越していくわけにもいかないのだ。
気持ちは分かるが煽り運転は感心しないな。
それでも大人かい、と肩をすくめてみせ、再び車内に引っ込んだ。
パヴェルだったら急ブレーキで追突させ、運転手をボコボコにしているところだろう。けれどもミカエル君は優しいのでそんな事はしない。平和主義者なのだ。
「ただいまー」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
格納庫にⅠ号戦車を戻してから客車に入ると、廊下で待っていたクラリスが深々と頭を下げて出迎えてくれた。
彼女には朝の除雪作業への協力をお願いしていたので、雪崩対策はシスター・イルゼの同行となった。そりゃあ、除雪作業は特に力がいる。朝になれば1階の窓がほぼ埋まってしまうほどの積雪なので、念入りに除雪作業をしなければ列車が雪に埋もれてしまうのだ。
「朝食はパヴェルさんが用意してくださっていますわ」
「うん、分かった。ありがとう」
礼を言い、遅れて格納庫からやってきたシスター・イルゼと一緒に食堂車へと向かう。
さて、大晦日のパーティーで食料を豪快に使ったわけだが、年明けからは保存食と現地調達した食材中心の食事になる。しばらくは肉類や卵とはお別れだ。
保存の利く缶詰や黒パン、後は大量に買い込んでいた小麦粉や蕎麦の実が当面の食材になるだろう。意外かもしれないがイライナ地方やノヴォシア地方では蕎麦の実が大量に生産されており、農民や庶民、労働者は口にする機会が特に多いのだ。
その気になれば蕎麦とか作れそうだな。後でリクエストしてみるか……範三も喜びそうだ。
食堂車からは香ばしいバターの香りが漂ってきている。朝食はなんだろう、カーシャ(※蕎麦の実などを使って煮込んだお粥だ)だろうか。
厨房では、パヴェルがいつものヒグマのイラストと「KUMA」という文字がでかでかとプリントされたエプロンを身に着け、頭にコック帽を乗せながら、大きな鍋の中身をぐるぐると掻き回しているところだった。
濃厚な蕎麦の実の香り。ツンとしたこの匂いはニンニクだろうか。
案の定、朝食はカーシャのようだ。ミカエル君もよく食べたものだが、貴族の屋敷で食卓に並ぶことは殆どない。平民の食事、という認識が貴族間では強く、こんなものを貴族は食べてはいけない、と考えている者も一定数居るのが実情だ。
美味いのにな。蕎麦の実とバター、意外かもしれないが実に合うのだ。
屋敷に居た頃、母さんがカーシャを持ってくる度に申し訳なさそうな顔をしていたのを思い出す。あの時の申し訳なさそうな表情は、きっとそのためだったのだろう。少しでも豪華に見せるためにベーコンとかグリンピースの塩茹でを添えてくれていたが、俺はあれが好きだった。
というか、母さんの手料理は全部好きだ。
カウンター席に着くと、パヴェルはロボットみたいな口調で言った。
「ナニニシマスカ?」
「何を言ってるんだ?」
「ナニニシマスカ?」
「ジョークが聞きたい」
「ナニニシマスカ?」
「……わかった、何があるか見てみよう」
何だこれ。
パヴェル氏の謎の圧に困惑していた俺とシスター・イルゼの前に運ばれてくるカーシャの皿。蕎麦の実を牛乳とブイヨンで煮込み、輪切りにしたジャガイモとベーコン、それからでっかいブロック状のバターを添えた特盛のカーシャが皿の上に乗っている。
いただきまーす、と言いながら手を合わせ、スプーンでカーシャを掬う。溶けたバターをじっくり煮込まれた蕎麦の実に絡ませて口へと運ぶと、もう口の中が幸せだった。蕎麦の実の香ばしさとバターの風味、そして適度な塩気。ガツンと来るこの濃厚な刺激はニンニクだろうか。
茹でたジャガイモやベーコンも口へと運び、よく咀嚼してから飲み込んだ。
朝早くから雪崩対策で出動していたので、とにかく疲れた身体にちょっとカロリー多めの朝食が染み渡る。こんなの運動もせずに毎日食べてたら生活習慣病と末永くお付き合いする事になるだろう。嫌だよ俺、パヴェル神父になんか読み上げられて「では誓いのキスをしてください」って死刑宣告受けるの。
だからみんなも適度な運動を欠かさずにね。ミカエル君との約束だぞ。
山盛りのカーシャを平らげ、ご馳走様、と作ってくれたパヴェルに言ってから食器を返却スペースへ。
十分なカロリーは摂取した―――冬季の冒険者の一日は、こうして始まる。
※カーシャ=ロシア、ウクライナなどで食べられる蕎麦の実などを使ったお粥
カーチャ=黒猫獣人、血盟旅団の仲間の1人
名前がそっくりなので執筆中何度も間違いそうになりました(半ギレ)




