さよなら、1888年
今年最後の更新となります。
よろしくお願いします。
1888年 12月31日
ノヴォシア帝国 ノヴォシア地方最西端
マズコフ・ラ・ドヌー
1888年ももう終わる。
つまりは今日は大晦日。相変わらずのバチクソ積雪に苛まれながら年を越すのがノヴォシア人やイライナ人、ベラシア人のいつもの大晦日なのだが、日本に居た時とは違って何か特別な事があるかと聞かれればそうでもなく、びっくりするほどいつもと変わらない。
客車の屋根の上に据え付けられた連装型のブローニングM2重機関銃を清掃、凍結していた部位にお湯をかけて解凍してから拭き取っていく。
この時注意しなければならないのは、素手では絶対に金属部分を触ってはいけないという事。今朝の気温は-42.2℃、そんな猛烈な寒波の中外に野ざらしにされていた機関銃の金属部分は崩壊寸前のソビエト経済のようにキンッキンに冷えていて、特に濡れている場合は素手で触ると皮膚が貼り付いてしまい悲惨な事になる。
なので冬季の機関銃の整備点検・清掃時は必ず手袋を着用する事……と、パヴェルが作成したいイラスト付きのマニュアル本に記載されている。しかもそれの解説をしているのは何故かデフォルメされた二頭身ミカエル君に限りなく近い何かなのだが、アレ本当に何なのだろうか。
というか、息をするように人の肖像権を侵害するのやめてもろて。
他にも銃の分解整備や戦車、装甲車、機甲鎧の整備マニュアル、ノンナ用のお料理レシピ本にも事ある毎に二頭身ミカエル君が出演しているので、血盟旅団の関係者だったらまあ見慣れているというか、馴染み深いとは思う。
念のため断言しておくけれど、俺は許可を出した覚えはないです。
手袋をはめた手で水分を拭き取り、チェックリストに従って清掃と整備を済ませる。手順通りに手を抜かず、細部まで点検するのは重要だ。いざという時に機関銃が故障しましたとなったら笑えない。
清掃を終え暖かい車内に引っ込み、戦車のハッチみたいなデザインのハッチを閉じる。潜水艦のようなハンドルがあるが、場合によってはすぐ銃座について応戦しなければならない事もあるので夜間を除いてはロックはしていない。
車内に戻ると、レンタルホームで洗濯物を取り込んでいるクラリスの背中が見えた。
手伝おうかな、と外に出る。現在の気温は午後になり少し温かくなって-37.7℃、依然として地獄である。マジでノヴォシア人って何を思ってこんなところに住もうとしたのだろうか。
「手伝うよ」
「あら、ありがとうございますわ」
こんな苛酷すぎる寒波の中だというのに、クラリスは相変わらずいつものメイド服姿だ。ロングスカートに白タイツ、半袖の上着に二の腕から指先までを覆う白い長手袋。明らかに寒冷地向きの服装ではないのだが、しかしクラリスが寒そうにする素振りはない。
うーん、やっぱり竜人だから違うのだろうか。寒さに耐性があるとか?
それに対してミカエル君はと言うと、もこもこのフード付きコートにウシャンカ、手袋とガチの防寒装備である。ハクビシンは寒さに弱い(原産地が台湾とか中国南部とか東南アジアという温暖な地域なので当たり前である)ので、これくらい着こまないとマジでフローズンミカエル君になってしまう恐れがあるのである。
さて、こんなバチクソ寒波の中で何を思って洗濯物を外に干したのかというと、これがノヴォシア帝国のスタイルだからである。
すっ……と腰を落とし、レンタルホームに干してある洗濯物へ、俺は本気のジャコウネコパンチを見舞った。
パキ、と氷の割れる音が連鎖して、凍てついた洗濯物から氷がパラパラと落ちていく。
同じようにひたすらジャコウネコパンチ、打つべし打つべし。べしべしと何度もジャコウネコパンチを叩き込んであらかた氷を取り除き、その洗濯物を列車の中へと取り込んでいった。
冬になると、ノヴォシアの家庭ではみーんなこれをやる。冬の寒さで洗濯物の中にある水分が全て凍り付いてしまうので、それを叩いて取り除いてしまう事で水分を除去、洗濯物を乾かすというわけだ。
苛酷な北国で昔から行われている効率的な洗濯物の乾かし方である。
ただし氷バシバシが中途半端だと車内や屋内に取り込んだ洗濯物が悲惨な事になるので、そうならないように徹底的にジャコウネコパンチするか、あるいは諦めてストーブなどを使って乾かす事だ。
洗濯物を籠に詰めてクラリスと一緒に食堂車(食堂車は暖房が効いてるしコタツもあって暖かいのでだいたいみんなここに集まる)に行くと、案の定コタツにはモニカ……ではなく、珍しくカーチャが居た。コタツに入りながらオレンジの皮を剥いてもぐもぐしている。
あれ、モニカは? と思いながらコタツの方を見ていると、カーチャが苦笑いしながらコタツをめくった。
中ではモニカがネコのように身体を丸くして暖まっているところだった。さすが白猫の獣人、行動がまんまニャンコである。いや、ミカエル君もコタツで丸くなった事あるから分かるよその気持ち。
洗濯物を畳んでいると、ルカもやってきて手伝ってくれた。あ、それ俺のパンツね。
「手伝うよミカ姉」
「ありがとう、それ俺のパンツね」
「ご主人様のおパンツ!?」
「いいかルカ、クラリスにだけは絶対渡すな」
「うんわかった」
「何故ですのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
お前が煩悩にまみれとるからじゃ。誰か除夜の鐘探してきて。
そんな感じでキャッキャしながら洗濯物を畳んでいる向こうでは、パヴェルとノンナが厨房でなんかやってるところだった。今夜の夕飯は豪勢にでもするつもりなのだろうか。
確か去年は何だっけ、と記憶を掘り起こしてみる。ザリンツィクで冬を越した時はそれどころではなく、夕飯がいつもよりちょっと豪華だった程度だったのは覚えている(賞味期限切れ間近のチキン消費のため大量のフライドチキンを食わされたっけ確か)。
今年は何をするつもりかと厨房の方を見てみるが、気のせいでなければ大きめの土鍋が置いてあって、中ではぐつぐつと大量の具材が煮込まれているところだった。
この香りは味噌だろうか。味噌ベースの鍋……範三が大喜びしそうである。
具材は何だろう。そろそろ肉類とかは賞味期限の関係もあって使い切らなければならない時期に差し掛かっていると思われるので、具材は豪華なものであるとは思う(さもないと貴重な食材を無駄に腐らせる結果になる)。
ここから見える範囲で見えるのは……鶏肉とつくね的な何か、豆腐と白菜、ジャガイモ、ニンジン、あとザリガニ。ザリガニは出汁を取るためなのか、それとも茹で上がったら殻を外して食べてねって事なんだろうか。
「じゅる」
「よだれよだれ」
ミカエル君の上着を畳んでいたクラリスが厨房の方を見ながらよだれを垂らし始める。おい馬鹿それ俺の上着なんだけど。おい、おい? クラリスさん? クラリス氏?
ともあれ、今夜の夕飯は期待していいだろう。
そして来年からは保存食中心のご飯が始まる。そう思うと憂鬱だが、今年は自力で食料を調達できる環境での冬越えなのでまあ……少なくとも食事に飽きるという事はない筈だ。
たぶん。
日課の射撃訓練を終え、銃を武器庫に返却。空になったマガジンも所定の位置に戻したところで、食堂車の方から美味しそうな香りが漂ってくる。
味噌ベースの鍋の香りと、焼けた肉の匂い。何かスパイスでも使ったのか、異国感溢れる香りが武器庫まで漂ってくる。訓練と日々の家事で適度にカロリーを消費し空腹となったミカエル君の胃袋に、この暴力的な香りはダイレクトに届いた。
「変わった匂いがするわね」
「味噌の匂いだねこれは」
「ミソ?」
「倭国の調味料。大豆で作るんだよ」
「え、大豆ってあの大豆?」
「そうそうあの大豆」
ノヴォシアでは、大豆といえば家畜の餌という認識が強い。特にイライナ地方で盛んに生産されているが、その用途はほぼすべて家畜用の餌であり、人間が口にする事はよほどの非常事態にでも陥らない限り有り得ない……そういう食文化の違いがあるのだ。
だからカーチャが驚くのも無理はない。
「え、待って。大豆って食べれたの?」
「倭国とか東洋の国だと普通に食べるよ。豆腐っていう白くて柔らかい食品に加工したりもする」
「ミカ、貴方って物知りなのね」
「まあね……というか、現地からやってきた人居るし」
そう、範三殿である。
「さあご主人様、参りましょう。じゅる」
「よだれよだれ」
クラリスさん、食欲には正直な女である。
呆れながらも食堂車に向かうと、既に食堂車には全員の姿があった。大きめのコタツに集まり、みんなで暖まっているところだ。
「あ、ミカ!」
「ダンチョさん遅いヨ!」
「おお、待ちくたびれたぞミカエル殿!」
「いやーごめんごめん」
カーチャが先にコタツに入り、続けて俺……というところで、コタツに入れるスペースがあと1人分になってしまう事に気付く。
あちゃー、これは拙い……どうしよう、と思ったところで、クラリスがコタツに入るや自分の太腿をぽんぽんと軽く叩いた。上に座ってくださいませ、という事なのだろう。
いやーしかし……ああ、もういいや。
ぽすっ、とクラリスの膝の上に座ると、早くも頭の上でジャコウネコ吸いが始まった。
「なあクラリス?」
「もふ?」
人のケモミミをふがふがしながら聞き返してくるクラリス。お前これもしかして狙った?
「俺ももう18歳だしさ、あまりこういうのは……」
「ですがご主人様、そのままお座りになられては料理に手が届かないでしょう?」
「うぐ……」
こんなところで150㎝というミニマムボディが仇になるとは。
この身長なので一般的な身長の人向けに作られている設備を利用する時は苦労しているのだ……椅子が高すぎたり、踏み台が必要になったりなどだ(だからそういう場合はクラリスに抱っこしてもらったりしている)。
そうやってクラリスの成すがままになっていると、エプロン姿(KUMAって文字とヒグマのイラストがプリントされている)のパヴェルがでっけえ土鍋を持ってきた。それをコタツの上に豪快に置き、大きな鍋蓋を取る。
「「「「「お~!!!!!」」」」」
鍋の中、ぐつぐつと煮え立つ味噌ベースのスープで煮込まれていた食材に、血盟旅団一同は目を輝かせる。
豆腐に鶏肉、白菜に輪切りのジャガイモ、ニンジン、なんかよく分からんキノコ(食えるのかコレ)、ヴォジャノーイの肉のつみれにザリガニなど、日本の伝統的な食材とノヴォシアのご当地の食材がぎっしり詰まった寄せ鍋だ。
「いや、まさか異国の地でこんな鍋を目にするとは。いやあ有り難い」
「範三の国だとこんな料理あるネ?」
「うむ、稽古の後に師範がよく作ってくださった……いやあ懐かしい」
「他にもフライドチキンあるからねぇ~じゃんじゃん食べてねぇ~」
どん、と骨付きのフライドチキンが山のように盛り付けられた皿も運ばれてきて、見てるだけでもうカロリーが……カロリーが……。
そしてその様子をカメラに収めるカルロス。何だお前ブレないなお前。
エプロンを片付けたパヴェルも近くに椅子を持ってきたかと思うと、カウンター席に座るカルロスの隣に着席しウォッカの酒瓶を開けた。
「んじゃあまあ、今日が1888年最後の日という事でね。明日から新年だ。冬もまだあと4ヵ月続くけど頑張りましょうって事で。それじゃあ乾杯の音頭はミカ、頼む」
「俺か」
クラリスに注いでもらったタンプルソーダ入りのグラスを手に、仲間たちの顔を見渡した。
「それじゃあ、来年も無事に乗り切れるように、団員皆の武運と幸運、それから健康を祈って―――かんぱーい!」
『『『『『かんぱーい!!!!』』』』』
グラスを軽くぶつけあう音と、泡立つタンプルソーダやウォッカを飲み干す仲間たち。
ぷはー、とまだ炭酸の刺激が残る口から息を吐きながら、思った。
こんな日がいつまでも続けばいいのにな、と。
ともあれ、みんな良いお年を。
来年もよろしく!!
第二十一章『二度目の冬』 完
第二十二章『1889年の雪解け』へ続く
というわけで皆さん、良いお年を!!




