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作戦開始


 城郭都市リーネの安寧が破られ、憲兵隊の名誉に大きな傷跡が刻まれてから、そろそろ48時間が経過する。


 リーネ憲兵隊の隊長は腕を組んで地図を見上げながら、心の中で沸き立つ焦燥感を何とか抑え込もうと必死だった。できる事ならばこの迸る怒りを周囲のあらゆるものに叩きつけてやりたい。テーブルの上のコーヒーカップを叩き割り、書類の山を薙ぎ払い、部屋の中が滅茶苦茶になるまで暴れ回ってやりたい。


 しかし指揮官という立場上、部下の目の前で取り乱すわけにはいかない―――そうなれば、その焦燥感は部下にも伝播する。部下たちが衝動ならば指揮官は理性、つまりは彼らを抑え込む枷だ。その枷が先に壊れてしまえば配下の部下たちも同じ道を辿る。


 城郭都市リーネの安寧を120年間にも渡って守り続けてきた、伝統あるリーネ憲兵隊。彼らの厳重な警備がありながら、目の前で強盗に花嫁を連れ去られるなど―――それも大貴族たるスレンコフ家の長男、エフィムの門出をこのような不甲斐ない結果でけがしてしまった以上、憲兵隊の信用失墜は免れない。


 この汚名を返上するには成果が必要だった。結婚式を襲撃した強盗を逮捕し、罪を償わせたという大きな成果が。それがあってやっと信頼は回復し、この深い傷は埋められるのである。


 そんな最中、その情報はもたらされた。


「隊長!」


「どうした!?」


 苛立ちを抑え込みながら、夕食代わりのピャンセを齧っているところに駆け込んできたのは、書類の束を脇に抱えた副官だった。最近は憲兵隊の信用にかかわる悪いニュース、それも下手をすれば責任者の首が飛びかねない案件ばかりで、報告をする前の彼の表情から大体の内容を察する事が出来たのだが―――今の彼は、まるで転がり込んできたチャンスを掴んだかのような、今までにない明るい表情をしているように思えた。


 という事は良いニュースか―――今まで散々渇望した強盗団に関する情報でも掴んだのだろうか。いや、そうであってくれと祈る隊長の前で、副官は敬礼をしてから報告した。


「強盗団の乗り捨てたと思われる車の残骸が発見されました。塗装、ナンバープレートの一致も確認済みです!」


「何だと? 場所は!?」


「ミリア森林の東方2km! 犯人はおそらく車を燃料切れで放棄し、徒歩で移動中と思われます……まだそう遠くへは行っていないかと」


 幸運の女神の微笑みが、やっとこちらを向いた―――隊長は確信していた。負け続きだった憲兵隊に、やっと幸運の女神が手を差し伸べてくださったのだ、と。勝利も名誉も何もかもを奪われていく彼らを哀れに思い、女神が微笑みかけてくださったのだ、と。


 そうなればこれを生かさない手はない。やるべき事は一つだけだった。


「動かせる人員を動員してミリア森林付近を捜索だ! 足跡に魔力の痕跡、奴らの残した僅かな情報も見落とすな!」


「はっ!!」


 残っていたピャンセを全部口の中へと押し込み、咀嚼してから飲み込む。スパイスの風味がまだ口の中から消えぬうちに憲兵隊の制帽を被り、椅子に掛けていたコートの上着を羽織って外に出た。詰所の外では既に憲兵隊のエンブレムがこれ見よがしに描かれた装甲車がエンジンをかけて待機しており、ピストルやサーベルを携行した憲兵たちが乗り込んでいる。


 部下たちに案内されて後部座席へと乗り込んだ隊長は、暗い車内で笑みを浮かべた。


 これはチャンスだ。


 城郭都市リーネの中で犯罪行為を働いた事を後悔させてやる―――そう意気込み、部下を引き連れ現場へと向かう憲兵隊の隊長であったが、彼らはまだ知らない。


 強盗団―――血盟旅団の作戦に、まんまと引っかかった事に。













 この世界に来て17年間、学んだ事は色々とあるが、獣人も人間とそう変わらない、というのもその中の一つと言っていいだろう。


 より獣に近い第一世代型はまあ、色々と例外がある。彼らとはメンタリティーの面で異なる部分が多いからだ。それ故に一部では差別する動きもあるようだが……。


 俺が言いたいのは第二世代型の方が優れてるとか、第一世代型の獣人は低能だとかそんな事ではない。獣人も人間と変わらない、それだけである。


 追い詰められ、成果を渇望したところに餌をちらつかせるだけで、こうもあっさりと引っかかる。まるで飢えた野良犬に肉をちらつかせればたちまち駆け寄って来るかのように。


 夜の闇に支配された城郭都市リーネの大通り、紅いランプを点灯させながら憲兵隊の装甲車やセダンが次々に、石畳で舗装された車道を通過して防壁の外へと抜けていく。どうやら動員できる憲兵の大半を捜索に割いたようで、時間が経つにつれてリーネ市街地の憲兵の数が目に見えて減っていくのが分かった。


 いくら何でも効果抜群すぎる。


 まあ、憲兵も今回の汚名返上に必死なのだという事を考えれば理解できないことも無いのだが……。


「こうも憲兵が減ると、逆に罠じゃないかって疑いたくなりますわね」


 強盗装束に身を包んだクラリスが、手にしたQBZ-97のコッキングレバーを軽く引き、薬室の中に弾丸が既に装填されている事を確認しながら言った。


 今回の仕事でメインアームとして用意したAK-19にも5.56mm弾が装填されている。ゴム弾ではなく実弾―――これはあの機械のカマキリ、レオノフ家がザリンツィクから買い付けたであろう機動兵器と一戦交える時のためのもので、人を撃つためのものではない。パヴェルは例外かもしれないが、俺は人を殺すために銃を手に取ったのではない。


 俺の本職は”殺し”ではなく”盗み”であって、その際に血が流れるような事があってはならない。それがミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという男の信条(やり方)だ。


 憲兵隊の装甲車がリーネ市街地から姿を消すのを待ち、雨樋を伝って路地裏へと降りた。10月上旬のリーネはさすがに冷える。グローブ越しでも、ひんやりとした雨樋の感触は手のひらを苛んだ。


 これが11月、12月にもなればもっと冷える。信じられない程の大雪―――それこそロシアの冬が可愛く見えるほどの雪がノヴォシアを襲い、帝国全域の物流が完全にストップする。列車、車、馬車……あらゆる物資の往来が止まるから、冬が本格化する前の蓄えで乗り切らなければならない。秋での貯蓄作業の怠りは、この国では死を意味するのだ。


 残念ながら、冬が本格化する前にアレーサへ向かうのは無理そうだ。おそらくはザリンツィクで冬を耐え、春の訪れを待つことになるだろう。そうなる前に一儲けしておくのも悪くない。


 強盗団のアジトが見えてきた。城郭都市リーネの防壁のすぐ近く、まるで意図的に壁際に追いやられたようにスラムが広がっているのだが、アジトはそのスラムのちょうど”入口”の辺りに位置している。労働者と貧民、彼らの住む場所の境界線がここだと告げているかのようにも見える。


 踏み込む前に、ここからアジトの様子を確認した。22時にもなればさすがに周囲は暗い。満足に灯りもないスラムの入り口ともなれば、光源はまばらな民家の灯りか街灯くらい。暗いったらありゃあしない。


 とはいえ、こちとらハクビシンの獣人。夜行性の動物の遺伝子が入ってるから、こういう暗い場所でもそれほど影響はない。


 アジトの入り口に2人、見張りだろうか。それにしては警戒心が無いというか、真面目さが感じられないというか……いや、犯罪者に真面目さを求めるのもおかしな話か。


 2人いる、とハンドサインでクラリスに伝えると、彼女は自分が何をするべきか瞬時に理解したらしい。頷いてから車道を渡り、反対側へと移動していく。俺はモニカを連れてその辺の小石を1つ拾い、同じように車道を渡ってアジトへと接近した。


 古びたバーか何かをアジト代わりにしているらしく、入り口のところにはここがまだ”真っ当に”経営していた頃の名残が見えた。キリウ産ウォッカ、入荷してます―――色褪せ、大半が破けたポスターだったものを一瞥し、小石をアジト目掛けて放り投げた。


 ガツッ、と鈍い音が響き、2人の見張りの視線がそっちへと向けられる。わざわざ音の発生源を調べに行く勤勉さは持ち合わせていないようだったけど、そこまではいかなくていい。今はとりあえず、車から注意を逸らす事さえできれば良かった。


 先に仕掛けたのはクラリスだった。夜の闇に紛れて接近したクラリスが、足音もなく見張りの片割れの背後に回り込んだかと思いきや、腕を蛇のように強盗団の男の首に絡みつかせ、そのまま首を絞め始める。


「カッ―――」


 必死に空気を求めて手足をじたばたと動かす男。相方が不審に思い様子を見ようとするが、相棒が悲惨な目に遭っているのを確認するよりも先に、彼の後ろにはミカエル君が回り込んでいた。


「……んぁ?」


「ちょっと痺れますよー」


 バチッ、と一瞬だけ蒼い電流が踊り、それが男の身体に牙を剥く。声を上げる間もなく筋肉の硬直を起こし、身体をぶるぶると震わせながら崩れ落ちていく見張りの男。ちゃんと脈がある事を確認してから、彼のポケットの中を物色。鍵が入っているのを確認し、ついでに一緒に入ってた財布も抜き取っておく。


 中身は300ライブルと……アレだ、未使用のアレ。近藤さんが入ってる。


 300ライブルだけ拝借し、近藤さんの入った財布は彼のポケットにそっと戻しておいた。後ろにいるモニカに300ライブルを渡し、車の鍵をクラリスに手渡して後部座席へ。


 黒塗りのバンに乗り込み、ドアを閉める。エンジンがかかったかと思いきや、クラリスはバンを急発進させた。


「おい、なんだ!?」


 さすがにエンジン音で気付いたのか、強盗団の何名かが慌ててアジトから顔を出す。が、彼らが目にしたのはきっと走り去っていくバンの後ろ姿、あるいはテールランプの赤い光くらいだろう。


 悪いが、この車は俺たちが有効活用させていただく。


「300ライブルかぁ……シケてるわねぇ」


「そう言うな、きっと下っ端だったんだ」


「強盗団っていうからもっとお金持ってるのかと思ったけど」


「強盗もピンキリなんだ。デカいヤマを狙える連中は稼げるが、そんな力の無い連中はショボい盗みしか働けない」


「もちろんクラリスたちは前者ですわ。ねえ、ご主人様?」


 左側にある運転席でハンドルを握りながら、クラリスがいつもの口調で言った。まあ、今のところはキリウの屋敷からしか盗んでおらず、その盗品も現金に変える前という状況。強盗の卵というべき有様だが、それはまあ今後に期待という事でお願いしたい。


 とりあえず首を縦に振り、ガスマスクを被った。モニカの実家はすぐそこだ。


「グオツリーよりフィクサー、車を確保した」


『了解、こっちは回収予定ポイントに到着している。以後はドローンで情報をそっちに送る』


「頼む」


『それにしても楽しくなってきたなぁ。血盟旅団の裏事業、本格始動してきたじゃあねえか』


「ああ、俺たちはこれからだ」


『例の業者には今回で稼ぐ分の資金洗浄マネーロンダリングも追加で依頼しておく。そっちの心配はしなくていい』


「そりゃあ楽しみだ」


 ザリンツィクに着いて金を受け取ったら、バスタブに札束を敷き詰めて……って、ウチの列車シャワールームしかなかったわ。後で改装を依頼しようかしら。


「ふふっ、いくらになるかなぁ。楽しみだなぁ☆」


 さて、俺の向かいに座ってるモニカさんはと言いますと、早くも目がお金のマークになっております。この人アレか、お金好きなのか。いや、お金が嫌いな人なんて多分この世に居ないと思うんだが、モニカは金に対して異常な執着を見せる事があるらしい。


 彼女の意外な一面である。


 バンが減速を始めたのが分かった。窓から外を見てみると、レオノフ家の屋敷がもうすぐそこにある。憲兵隊が出払い、市内がそれなりに静かになったにもかかわらず、ここだけはまるで別世界のようだった。純白の美しい屋敷の周囲には警備兵が巡回していて、敷地内では機械音を響かせながら、例のカマキリのような機動兵器が歩き回っている。映像でしか見た事が無かったが、こうして実際に見てみるとなかなか迫力がある。昔、恐竜の化石を見に行った時の事を思い出した。あの時、博物館で眠っていたティラノサウルスの化石もこんな感じではなかったか。


 違うのは実際に動いてる事と、それが侵入者を殺し尽くすための無慈悲な殺戮マシーンである事。そう考えるとなかなかに恐ろしく、手のひらにうっすらと汗が浮かんだ。


 屋敷の周囲をぐるっと一周。屋敷の軽い偵察と、警備兵たちに強盗団のバンがこの辺をうろついていた、と思わせるためだ。捜査を躱すために別の強盗団の仕業に見せつけるのも必要なのである。


 屋敷から少し離れた路地にバンを留め、車から降りた。AKを背負い、代わりに麻酔弾を装填したMP17に武器を持ち替える。ストックを縮めた状態では随分と大型のピストルくらいのサイズだが、ストックを伸ばす事で頼りになるピストルカービンに早変わりだ。


 サプレッサー付きのそれを用意し、路地の壁に手をかけて建物を上り始める。僅かな突起にも指先を引っかけ、ミカエル君の軽い身体を持ち上げてどんどん上へ。


「ちょ、ちょ、ちょっとミカ、待ってよ」


「んあ」


 下を向くと、モニカが建物の窓枠に足をかけながら戸惑っているようだった。そう言えば、モニカはこういうパルクールに不慣れだったか……。


 少し彼女の事を待ち、それからパルクールを再開。壁を上り切って屋根の上に出てから、レオノフ家の屋敷を見下ろす。


 さあ、お宝を貰いに行くとしよう。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] 獲物は、逃走用車両に詰める分だけなのかな? 大人数に、証拠を残さず獲物を載せたら、山の様にあるお宝のほんの一部しか運べませんね。 母親を凹ませるほどの大どろぼう、どうやるのだろ?
[気になる点] ピャンセって何や…と思って調べたらなるほどロシアで売ってる挑戦式肉まん的な食べ物なのですな。 ノヴォシアのピャンセは独自の味付けとか具あったら面白そう。 [一言] 近藤さん…しばらく使…
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