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地獄と日常の境界線


《なんだい、これは》


 無線機の向こうからは、相方―――コールサイン”サイト3-1”の驚愕するような声が聞こえた。


 サイト3-1はマレーバクの獣人だ。こうやって無線機や携帯電話越しに会話する事が殆どで、しばらく本人とは顔を合わせていないが、それでもいつも刺激がなく、どこか退屈そうな声が印象的だった。


 マレーバクの獣人として生まれた彼が持つ能力―――それは”夢”に関するものだが、特に救われているのはその中の1つ、『予知夢』であろう。


 未来を夢として事前に”見る”事で、未来に潜む危険を回避する事ができる。よくある、日常のとある場面で既視感を感じるような類の予知夢とはレベルが違う。より具体性があり、彼は明確にそれを夢であると区別する事ができる。


 そしてその的中率は100%。予知夢の内容が覆された事は、少なくとも彼と組んで仕事を始めてからは一度もない。


 だから彼はいつも退屈そうな声をしているのだ。本人曰く「休んだ気がしない」。それはまあ、起きても仕事の光景、眠っていても夢の中で仕事に関連する光景を見るのだから仕方がないだろう。


 そういう能力を持つ獣人だから、彼はギャンブルにはめっぽう強い。この前なんかスロットで随分と稼いできたらしく、その時はやけに声が弾んでいたのを覚えている。


「コイツは予知夢では見なかったのか?」


 無線機越しに問いかけると、サイト3-1はまだ驚きを隠せないような声音で応えた。


《悪いねぇ、俺が見た予知夢はセメント工場襲撃であの……パヴェルとかいう転生者がターゲットを仕留めるところまでなんだ。まさかこんなバケモノが出てくるなんてね……》


 彼が言う”バケモノ”が何なのか、俺には分かる。


 先ほど撮影した画像データを全て、ノイズを除去し着色した上で彼に送信した。僅か十数枚の写真のみではあるが、しばらくはあの謎の飛行物体―――”空中戦艦”が分析の対象になるだろう。


「類似の兵器を運用している勢力の情報は?」


《残念ながら1つも。ああ、でもグライセン王国で”ツェッペリン”とかいう飛行船のテストが行われてるらしい……》


「確かそいつはまだ実験段階の代物だろう?」


《ああ、その通りだよ。アナリアでもライト兄弟が飛行機の実験中……いずれにせよ、この世界じゃあまだ空を飛ぶ乗り物は軒並み実験段階、もう4、5年ま待つ事になりそうだね》


「ということはこいつらは……」


《おそらくだけど、転生者絡みの組織である可能性が高い》


 転生者絡み……本当にそれだけか?


 自分で撮影した写真の画像データを見ながら訝しむ。


 あの時目にした空中戦艦は、目測ではあるが明らかに500m以上の巨体だった。それほどの金属の塊が浮力を得て、空を泳ぐかのように飛び回る……そんな非現実的な事を可能とする技術力を持つ集団、と見て間違いはないだろう。


 あのドイツのヒンデンブルク号ですら全長245mなのだ。あの怪物じみた空中戦艦はその倍以上のサイズである。


 そしてあの爆弾―――明らかにあれは、核弾頭ではない。


 しかし燃料気化爆弾の類でもない……俺たちにとって未知の技術で製造された兵器と見ていいだろう。


「それともう一つ」


《ああ、何となく察しがつくよ》


 無線機の向こうのサイト3-1が―――そして俺が注目している点は、同じだった。


 艦首付近に描かれた艦籍番号らしき記号『Д-001』、そしてその傍らに描かれたエンブレム。


 赤い金槌と鎌が交差し、その上と右側に同色の星が散りばめられている様子が描かれたエンブレム。それはまるで崩壊した旧ソビエト連邦の国旗と、現代の共産主義国家の盟主たる中国の国旗を足したような、生粋の資本主義者が目にしたら冷戦が再燃しそうなエンブレムだった。


「これに見覚えは?」


《さあね……こっちにソ連や中共(アカ)が来てる、なんて情報は入ってないけど》


 いずれにせよ、この世界には警戒すべき相手が潜んでいる、という事だ。


 他に誰もいない地下鉄のホームで待っていると、電話ボックスで誰かとの通話を終えたパヴェルがこっちに戻ってくるのが見えた。


「また後で連絡する。アウト」


 それだけ告げ、通信を切った。


 義足を引き摺るようにして歩いてきたパヴェルが半ば転がり込むように座り込む。


 彼の”友人”のところで移植を受けた義足は随分と簡素な粗悪品のようだ。ここに来る時に彼が身に着けていた義足はシリコン製の人工皮膚に覆われ、近くでよく見てみないと作り物とは気づかないレベルで精巧に作られた代物だった。


 しかし、今のパヴェルの義足はと言うと、ただの鉄パイプを球体関節で繋ぎ、その先に鉄板を溶接しただけの簡素極まりないものだった。太腿の断面はカップ状の大きなアダプタで繋がれていて、絞られた先端部からは簡素な鉄パイプが伸びている。その先に膝の代わりの球体関節があり、その先の部位が繋がれているのだ。


 あれでは立って歩くのも一苦労だろう。


「タバコ吸っても?」


「構わんよ」


 葉巻を取り出し、トレンチライター(12.7mmNATO弾の薬莢を利用して作ったようだ)で火をつけるパヴェル。戦闘が終わり、これから列車に戻ってまた日々の業務が待っているのだ。少しくらい休ませてやってもいいだろう。


 それにしても、例の空中戦艦の件……。


 明らかにパヴェルは何かを知っているようだった。彼の”友人”のところで何を話してきたのかは分からないが、隣に何事もなかったかのように座り煙草を吹かす彼は、しかしどこか急いているようにも思える。


 一体何があったのか、それは分からない。


 しかしあの空中戦艦の事に関しては、パヴェルとしては「知ってはいるが詳細は話せない」という立場なのだろう。こちらも機密を扱う事は多いのであまり深入りはしない(というか自力で調べる他あるまい)が、しかし……。


 勝利こそしたが、後味の悪さを残しながら終わった今回の戦い。新たに生じた疑念に困惑している間に、ノヴォシア地方の民謡をアレンジしたチャイムが鳴り響いた。


《間もなく、3番線にマズコフ・ラ・ドヌー行きの列車が参ります。危険ですので白線の内側までお下がりください》


「さ、帰ろうか」


 短くなった葉巻を携帯灰皿の中に押し込んで、パヴェルはよろよろと立ち上がった。


「手伝わせてすまなかった。今夜は豪勢にするから、まあ楽しんでくれ」


「ああ……だが無理はするな、あんたこそ疲れてるだろ」


「なーに、あんなもん朝飯前だ。地獄の東部戦線と比べれば全然マシさ」


 ”前職”の経験談だろうか。


 まあ、人間誰しもが地獄を経験するものだ。それがどれだけの地獄かというのは、個人によって大き過ぎる差が生じるものであるが。


 果たして彼はいったいどんな地獄を見てきたのか、と想像を働かせている間に、地下鉄の狭い線路の上をライトで照らしながら、これまた小ぢんまりとした機関車が滑り込んできた。日本のC11型蒸気機関車を思わせる、除煙板付きの小型蒸気機関車だった。


《ツァリーツィン、ツァリーツィンでございます。お降りの際はホームとの隙間にご注意ください。ツァリーツィンの次は、終点マズコフ・ラ・ドヌーに停車したします》


 ここが宗教都市という事もあり、降りてくる乗客の大半が宗教関係者ばかりだった。修道服に身を包んだシスターや神父もいれば、僧衣に身を包んだ坊主頭の僧侶もいる。


「さあ、家に帰ろう」


 そう言い、パヴェルはよろめきながらも客車に乗り込んだ。


 大半の乗客がツァリーツィンで降りるからなのだろう、列車の中はがらんとしていた。乗客もまばらで、空いたドアの向こうから流れてくる喧騒もどこ吹く風といった感じで眠りこけている仕事帰りの労働者らしき男性もいれば、障害者用の優先席に座る傷痍軍人と思われる乗客もいる。本来左足が収まっているべきズボンの裾はやけにひらひらしていた。


 切符に記載されている番号の座席に座ったところで、列車はゆっくりと動き出した。


 これから戻っていくのだ―――束の間の日常に。


 ここが地獄と日常の境界線なのだろう。


 兵士というのはこういった境界線を経て、戦場と日常を切り替えるものだ。そうじゃなきゃPTSD待ったなしである。


 とにかく、これで戦いは終わり―――そう思ったら眠気が襲ってきた。


 ここから終点マズコフ・ラ・ドヌーまではかなり距離がある。少なくとも40分くらいは眠れるだろう……。













「はぁ……」


 足さえあれば。


 腕さえあれば。


 手足を失ったあの日を後悔しない日なんて無い。


 溜息をつき、飾ってある写真立てに視線を移した。そこにはまだ五体満足だったころの自分が水兵の制服姿で写っていて、隣にはサクヤが、そして俺の前には随分と大きな水兵帽をかぶった娘のシズルが笑顔で敬礼をして写っている。


 装甲艦『ナヴァリン』の砲手として配属が決まった日、母港のマズコフ・ラ・ドヌーの港で撮影した写真だ。そしてこの二週間後、聖イーランド海軍所属の巡洋艦『インターセプタ―』との砲撃戦が勃発。俺がいた左舷の6番副砲に敵の放った砲弾が被弾し、そこで右足と左腕を失う羽目になった。


 失った手足の代わりに得たのは上辺だけの”祖国の英雄”という称号と投げれば遠くまで飛ぶ勲章、それからなけなしの手当だけ。


 こんな身体では働く事も出来ず、家で娘に勉強を教えながら面倒を見て、収入は妻のサクヤに任せっきりだ。


 どうしてこんな事になったんだろうな……絵本を読み進める手が止まった事が不満だったようで、シズルが母親そっくりの目でじっとこっちを見上げていた。ぷくー、と頬を膨らませる表情が実に愛らしい。


「ああ、ごめんね。ええと……どこまで読んだっけ?」


「もう、パパったら」


「ごめんごめん……あはは」


 この状況、何とかしたいんだが……。


 せめて義肢、最低でも義足があれば……そう思っていた時だった。コンコン、と玄関のドアをノックする音が聞こえてきたのは。


 誰だろうか。サクヤが帰ってきたわけではないだろう。彼女は電話局で交換手の仕事をしているが、勤務時間は朝8時から夕方の4時まで。今はまだ午後の1時、最愛の妻が帰ってくるまでは時間がある。


「はーい!」


 とととっ、と元気に走っていくシズル。こらこら走らないの、転んだら大変でしょ、と何度も言い聞かせているんだが、一向に言う事を聞いてくれる気配がない。サクヤは落ち着いた女性なので、多分あのやんちゃなところは俺に似てしまったのだろう……いや、そりゃあ俺も若い頃はやんちゃだったけども。


 そうじゃなきゃ、倭国を飛び出てシズルを身籠ったサクヤと共に遠い北の異国へやって来ようとは思わない。


 松葉杖を手に、シズルの後を追って玄関へと向かった。知らない人だったらどうするんだ、とシズルの無鉄砲さを咎めながら玄関へ向かうが、しかし玄関のドアを開けた愛娘の視線の先に人影はなく―――代わりに、木箱が1つだけ、ぽつんと置かれているだけだった。


「パパ、おにもつとどいてる」


「なあにこれ」


「わかんない……『はやかわさんへ』って書いてるの?」


 見てみると、確かにそこには標準ノヴォシア語で『Дорогой Хаякава-сан(親愛なるハヤカワさんへ)』と記載されていた。


 何だろうな、と木箱を抱えて家の中に戻り、テープを剥がして蓋を開けてみる。


 中には大量のおが屑に混じって、袋に収まった何かが入っていた。


 小さな袋の中には札束が入っていた。見た感じでは明らかに100万ライブル以上は入っている。夢ではないか、と思ったが、しかしこれは現実だ。


 そして大きな方の袋には―――。


「……!」


 入っていたのは、義手と義足だった。


 それもその辺の傷痍軍人がやっとの思いで稼いだ金で購入するような安物ではない。しっかりとした人工皮膚に人工筋肉があり、更には生身の手足に似せて精巧に作られた高級品のようだった。


 袋から取り出して試しに腕の断面に義手を近づけてみるが、一体どこで俺の体格を知ったのか、義手のサイズも、そして義足のサイズもぴったりだった。


 そして袋の底には一通の手紙があり、そこにはこう書き記されていた。


『Пожалуйста, встаньте снова с этими руками и ногами. Я желаю тебе счастья(その腕と足でもう一度立ち上がってください。あなたの幸せを願っております)』


 視界が涙で霞んだ。


 いったいどこの誰かは分からないけれど……つまりは、そういう事なのだろう。


 この機械の手足は、もう一度立ち上がるため。


 あの封筒の中身は、これを移植してくれる技師を雇うため。


 残った右腕で涙を拭い去りながら、何度も何度も呟いた。


 『ありがとう』と。













「ただいま~」


「おかえりー。遅かったわねパヴェル」


 射撃訓練帰りだったのだろう。モシンナガンを担いだカーチャと鉢合わせになる。彼女はそのまま何食わぬ顔で武器庫の方へと歩いていった。


 真面目なものだ。


 工房へと戻るや、整備を終えたばかりの義足を取り出した。粗悪品であるクソの如き義足をマッハで取り外し、いつもの義足に取り換える。カチリとソケットにはまり込む音と共に、義足の足の指が動くのを感じた。


 動作は滑らかだ。立ち上がってみるが、バランスもこっちのほうが遥かにとりやすい。そして何より、自由だ。まるで失った足がもう一度生えてきたかのような、一度手足を失う絶望を知っているからこそ泣きそうになる自由がそこにある。


 さーて、このクソのような安物の義足はどうするか。まあいい、こんなんでも立派な資材だ。後で何か加工するのに使わせてもらおう。


 いつもの義足に取り換えて食堂車に向かうと、広いスペースにはもっふもふの絨毯が敷いてあって、その上にはコタツがででんと置いてある。


 ああ、もうそんな季節か。


 そういや出してなかったな、とコタツを見下ろしながら思った。既にコタツにはモニカが居座っていて、備え付けのお菓子をボリボリ食いながら漫画を読み散らかしている。


「あ、おかえりー」


「ただいま。お前コレちゃんと片付けろよ」


「へぇ~い」


 片付けなかったら耳元で軍歌熱唱してやる。


 呆れながらもコタツの中に足を突っ込むと、むにゅ、と何かもちもちしたものに右足がめり込んだ。


 ん、何だこれは。


 コタツをめくって中を見てみると、そこには爛々と光る2つの眼光があった。


 くりくりとした丸い眼光。コタツの中にはハクビシンの獣人であるミカエル君が丸くなった状態で潜り込んでおり、そんな事も知らずに足を突っ込んだものだから、ちょうど右足がミカエル君の頬っぺたにめり込んでいたのである。


 ハクビシンって怒ると目を見開くらしいが、今のミカエル君もちょうどそんな感じだった。目を見開き、一体どこから出しているのか、『クゥ~……』とやけに可愛らしい高い声で唸っている。


 いやゴメン、ゴメンて。


 ぺちぺちと俺の右足に猛威を振るう猫パンチならぬジャコウネコパンチ。こっちも負けじと足の指でミカエル君の頬っぺたをもちもちするが、今度は脛を噛まれた。


 たまらずコタツから退避すると、ひょっこりとミカも顔を出す。


「おかえり」


「お、おう……ただいま」


 あと帰還早々にごめん、ミカ……。








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― 新着の感想 ―
[良い点] やはりパヴェル、この世界のハヤカワさん一家に何か思うところはあったんですね。あるいは元の世界がもう少し平和だったら、彼にも十分あり得たであろう平和な家庭の肖像ですから。 彼が戦死してしまっ…
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