спляче насіння(眠れる種子)
「これはまた、手酷くやられたものですね」
獣人用の眼鏡をくいっと指先で上げながらマリクは呟いた。
それもそうだろう、今まで両足(とはいえ義足だから替えは利く)を失って戻ってきた事なんて一度もなかった……だから珍しいのだろう、こんな有様でカルロスに抱えられ、車の助手席に乗せられてツァリーツィンまで戻ってきた俺の姿が。
カルロスが用意してくれた車椅子に座りながら、破損した義足を外した。工具無しで取り外せるコイツは、万一戦闘中に破損したりしても交換が容易だし、緊急時の切り離しも迅速に行える。それでいて感度も良好、動作もスムーズと至れり尽くせりのスペックではあるが、神経を繋ぐわけではないので触れたものの感触が全く分からないのがネックか。
太腿から先がすっかり消失した義足をマリクに見せると、彼は興味深そうに唸りながら工房の奥へと戻っていった。
義手と義足は自作したものだ。その辺のスクラップや電気部品さえあれば、後はテンプル騎士団時代に培った手先の器用さと気合で何とかなる。さすがに、いつまでもフィオナ博士に頼りっきりというわけにはいかない……彼女はもう、いないのだから。
とはいえフィオナ博士純正の義肢ではないので、性能が低下している点は否めない。けれどもこっちの世界の技術水準でも頑張れば、それこそ中抜きされず現場までダイレクトに届く相応のコストと技術力さえあれば再現可能なレベルなので、別に鹵獲されたりして解析されても新たに得るものはないだろうが。
しばらくすると、工房の奥からマリクが申し訳なさそうな顔で戻ってきた。手には大破した義足の代わりに、随分と簡素な義足が2つある。
球体状の関節に剥き出しの金属骨格。足首から先にあたる部分なんかただ単に鉄板を取り付けただけという、工具さえあれば3分くらいで作れそうなクオリティだ。いや、さすがに電気信号を拾って動いたり、人工筋肉により生物の動きを模したしなやかな動作を可能とするレベルの期待したわけではないのだが。
「申し訳ありません、現状のスペアはこれしか」
「構わんよ。とにかく”足”をくれ」
これでは自力で立てない。
そう言うと、マリクは車椅子に座った俺の前で屈み、両足の断面にあるプラグにコネクタを差し込み始めた。カチカチと接続されていく音をしばらく聞き流していると、唐突にマリクが口を開く。
「―――遭遇したのですね、”奴ら”と」
「……ああ」
「やはり……あの傷、通常兵器や魔術によるものではありません」
「……」
「”テンプル騎士団”―――奴らと我ら暗殺教団は、決して相容れるものではありません」
マリクの声音はいつも物静かで丁寧、感情を表に出す事がないというか、滅多に怒る事がない紳士のような、そんな感じの口調だ。しかし今の彼の声には、微弱ながら明確な敵意が混じっている。敵対する者を前にしたような、臨戦態勢に入った獣を思わせる、そんな声音だった。
「私は奴らが気に食わない」
試しに義足を動かす俺を見ながら、マリクは続ける。
「知っての通り、我ら暗殺教団は【腐敗した貴族や政治家を粛清し、世界をあるべき形へと導く】事を目的とした秘密組織です。そのため、精強な暗殺者たちが日夜標的を狩り、教祖様の理想実現のために邁進しているのです」
それはよく分かっている―――とりあえずは、俺もその1人だ。
とはいっても実質的に籍を置いているだけで、もっぱら資金調達担当という事になっているが。
「しかしテンプル騎士団は、闇に隠れ世界を操ろうとしている……我らの理解も及ばぬ、何世紀も先の技術を使って」
「……手段は違えど、やってる事は同じだ。同じ穴の狢ってヤツだろ」
そう言うと、マリクの目つきが鋭くなった。
闇に隠れ、人間を機械人間にすり替えて世界を裏側から操ろうとしているテンプル騎士団と、同じく姿を隠しながら標的を暗殺、世界をあるべき姿へ再構築しようとしている暗殺教団。目的と手段は違うが、俺には同類にしか見えないのだ。
「―――いずれにせよ、教団は近いうちにテンプル騎士団と全面戦争に突入するでしょう」
「やめとけ、とは言わん」
義足の感触を確かめ、ゆっくりと立ち上がった。
自作した義足と比較するとバランスが悪く、戦闘中みたいな素早く柔軟な動きは不可能だ。人工筋肉も無ければ油圧フレームもない、ただの骨格代わりの鉄パイプに球体関節、それから鉄板をとりあえずボルト止めして接続したような、そんな簡素極まりない義足だ。
おそらくだが、足を失った負傷兵に”とりあえず取り付けて立たせておく”ための粗悪品なのだろう。
歩いてみるが、どう頑張っても足を引き摺っているような動きになってしまう事に苛立ちを覚えながらも、同時に諦めも覚えた。とりあえず今はこれで何とかしよう、列車の自室に戻れば予備の足がある……。
「だがな、マリク。これだけは覚えておけ」
「何です?」
「殺して、殺して、殺して……何人も処刑台に送って理想の世界を勝ち取ったところで、次に処刑台に送られるのはお前らだぞ」
マリクほどの男が、そんな事すら分からぬ筈がない。
暴力で平和を勝ち取ったとしても、役目を終えた暴力装置は平和な世の中では不要となる。そのまま無用の長物と化し、役目の巡らぬ日々の中で緩やかに壊れていくか、過去の破壊と殺戮を恐れた民衆に疎まれ、処刑台へと送られるか……。
それを覚悟のうえでやっている、というならば止めはしない。その時は処刑台で首を落とされる彼らの最期を、聴衆に混じって見届けてやるだけの事だ。
「努々(ゆめゆめ)忘れるな」
俺も他人の事は言えないが―――暴力で勝ち取った結果に、まともな結末は有り得ない。
それは自分自身がよく知っている事だ。
「ご忠告、痛み入ります」
あくまでも俺と教団はビジネスライクな関係だ。
こっちが欲する情報を彼らが持っている。それを与えてもらう代わり、俺は彼らに資金を提供したまに”仕事”もする―――。
その関係を維持していくのに、ミカたちには悪いが……血盟旅団はちょうどいい職場と言える。
移植されたばかりの粗悪品の感覚に未だ慣れず、何度かふらつきながら工房の外へと歩いた。
「……そうだ」
「まだ何か?」
「ツァリーツィンの外周部に住んでる民間人……”ハヤカワ”って家だが」
「ええ、いますね。東洋から渡ってきた家族が」
「俺の外した義足、修理して贈ってやって欲しい。できれば義手と移植手術代込みで。報酬はお前の口座に振り込んでおく、全額前金でな」
「……いいでしょう、すぐ取りかかります」
マリクにそう注文を付けてから、今度こそ彼の工房を後にした。
まあ……俺の義足だ、サイズは合うだろう。
よろよろと、いつ倒れるかも分からぬ覚束ない足取りで廊下を歩く。石造りの壁に床、そして天井。壁面の燭台で灯る炎がぼんやりと照らす薄暗い通路には、またあのしつこいお香の臭いが充満している。
仏壇に供える線香ともまた違う。つんと鼻の奥に駆け込んでくるような、刺激を伴った臭いだ。
「パヴェル」
気配も無しに、声が聞こえた。
振り向くまでもない。そこに居るのが誰なのか、俺には分かっている。
「”教祖様”がお呼びだ」
「……」
迎えに来てくれたスミカに案内され、壁に手をつきながら歩いた。そんなよろめきながら歩く姿が奇妙なのか、彼女が抱き抱えているグレイルが小さな指を咥えながら、こっちをじっと見つめている。
何だこのガキ、やんのかコラ。
しばらく通路を歩かされ、教祖様―――暗殺教団教祖、ハサン・サッバーフの部屋の前に案内される。
「……」
ノックしようと扉に手を近づけたが、そうするまでもなかったらしい。
義手が扉に触れるよりも先に、中から『入れ』と無愛想な声が聞こえてくる。何だよバレてんのかよ、と思いながら扉を開けると、中にはやはり例の小柄なスナネコの獣人―――何となく雰囲気がミカにそっくりな、ハサン・サッバーフがいた。
羽ペンで紙に何かを書き込んでいる。老眼鏡をかけているようだが、やはり700年以上も生きていれば視力も衰えるものなのだろうか。
「何だ、お勉強中だったか」
「―――【神は仰った、身の程を弁えよ。ヒトの身を知り、世界の理を知り、身の丈を知れ】」
「……ミリアム教聖典”マルアーン”第七章第六十一節」
「正解」
それはうんざりするほど読ませられた。暗殺教団が信仰の対象としている宗教、ミリアム教の信者はマルアーンと名付けられた聖典の暗記を義務付けられているらしい。
正直、暗殺教団に加盟した初めての夜、このハサン・サッバーフというスナネコ獣人の男の娘が耳元でASMRの如くマルアーンの音読を始めた時はマジでコイツぶん殴ったろうかと思った。でもおかげで暗記できた。
ありがとう、後で薄い本描いてあげる。ミカ×ハサン本とかウケるだろうか?
「で、用件は? まさかお勉強会ってわけでもねーだろ」
「テンプル騎士団と遭遇したそうだな、大佐?」
「……耳聡いな」
「まあ、自慢のネコミミだからな」
そう言いながらネコミミをぴょこぴょこと動かして見せるハサンだがそういう事ではないだろう。あの戦いをどこか遠くで監視していた暗殺者が居るか、独自の情報ネットワークを持っているかのどれかだ。
少なくとも無線を傍受されていた、という事は絶対にない。
「イライナに現れた連中がノヴォシア地方に現れた……何故か?」
「……まさか」
イライナ地方とベラシア地方で、テンプル騎士団は活発に活動していた。
ザリンツィクでの暗躍にアルミヤ半島での海賊の一件、そしてベラシア地方ではウガンスカヤ山脈……。
今まではせいぜい機械人間にすり替えて諜報活動に徹するか、ミカを消すべく刺客を送り込んでくる程度だったテンプル騎士団。しかしノヴォシア地方では証拠を抹消するため、あんな空中戦艦まで投入してきやがった。
それも、あの正体不明の新型爆弾まで投入してきたのである。
他の地方とは力の入れ具合が違う―――それが何を意味するか、今の俺には分かる。
「―――あるんだな、”イコライザー”が」
その兵器の名前を口にすると、にやり、とハサンは口元を三日月形に歪めて笑った。
かつてこの世界を訪れ、当時の旧人類たちが保有していた”対消滅エネルギー”の取引を持ち掛けたテンプル騎士団。着実に築いた信頼関係は、しかし当時のノヴォシア帝国側の一方的な攻撃によって脆くも覆され、両陣営は戦争状態に突入した。
圧倒的な軍事力でノヴォシア帝国の首都モスコヴァを攻め滅ぼさんとするテンプル騎士団であったが、しかし列強国を瞬殺するばかりの勢いでの進軍は他の列強諸国を刺激するには十分で、周辺諸国の参戦を招く結果となった。
ここで完全に強硬手段に切り替えた当時のテンプル騎士団団長タクヤ・ハヤカワ(あのバカ息子なんて事をしでかしてくれやがった)は、団長命令書第66783号に署名。
その結果、『絶対粛清兵器イコライザー』が実戦投入され、破滅的な結果を招いた―――。
そう、旧人類の滅亡である。
予想を上回る結果に恐れを抱いた当時のテンプル騎士団首脳部は、諜報部署”シュタージ”に厳命しこの事実を隠蔽。イコライザーも全て破棄し徹底的に記録から抹消した―――。
―――はずだった。
そこまでが、俺の知っている情報だ。
こう見えてもテンプル騎士団団長、セシリア・ハヤカワの右腕であり腹心。組織のトップとそれはそれはもうぶっといパイプがあったものだから、機密情報にアクセスし放題だった。事実上のフリーパスみたいなもんである。
「連中は見当をつけたのだ」
言いながら、ハサンは羽ペンをテーブルの上に置いた。
「全力投入されたテンプル騎士団の超兵器、イコライザー……その中で唯一起爆を免れた”不発弾”がまだ、このノヴォシア地方のどこかに眠っている、とね」
「―――!」
記録上ではすべて破棄されたとされている絶対粛清兵器、イコライザー。
1つの世界に生きる人類を全て抹殺し、今の獣人だけの歪な世界を構築するに至った破壊の力―――テンプル騎士団の闇。
その中で唯一起爆を免れ、破棄される事もなかった最後の1発が―――この世界のどこかに眠っているのだ。
今度こそ全人類を全滅させかねない、最も恐ろしい兵器が。
この世界はいつ炸裂するかもしれぬ時限爆弾を、その身に埋め込まれているに等しい状態にある。
もしその不発弾が炸裂したら、今度はどんな混乱をもたらすか分かったものではない。
そして―――不発弾を今のテンプル騎士団が手に入れたら何に使うのかなんて、考えたくもない。
「どこにあるかは分かるか」
「さすがにそれは。だが何か情報が入り次第すぐに伝えよう」
「……言っておくが、イコライザーを発見したら俺が」
「ああ分かっている。貴様の手で破棄してくれて構わんさ」
テンプル騎士団初代団長―――タクヤ・ハヤカワが遺した負の遺産。
この世界は常に、いつ崩落するかもしれぬ薄氷の上に成り立っていたなんて……いったいどれだけの獣人たちが信じるのだろうか。




