完全消去
雪が紅く染まっている。
どこを見ても死体の山だ。五体満足で綺麗に死んでいる死体なんてものはまあ贅沢なもので、中には手足が千切れ飛んでいる死体、頭が割れている死体、五体満足かと思いきや腹が裂け、内臓を雪の上にぶちまけている死体、真っ黒に焼け焦げた死体など、その死に様は多種多様である。
多様性に富んだ死に方だ。
戦場において、全ての人間は平等となる。
権力があろうとなかろうと、肌の色が何だろうと、性別がどうであろうと、文化、言語、価値観、あらゆる要素が戦場に蔓延る”死”を前に同じスタートラインに立つ。
何度も目にしてきた事が、異世界でも繰り返されている。
それがちょっとだけ、哀しかった。
次元の壁を超えてもなお、人類は同じ過ちを繰り返している。
ここまでくるともう、争っている方が人類にとって自然な姿なのではないか―――そんな、倫理観という概念を土足で踏み躙るかのような事が頭の中に浮かんでくる。
雪の上を覆い尽くす死体の山を睥睨しながら、パヴェルは平然としていた。
どこを見ても死体だらけ―――そんな地獄を何度も目にしてきたような、そんな感じがする。この程度が何だ、俺はもっと地獄を見てきたんだ……惨状を目の当たりにしても眉ひとつ動かさないその横顔には、そんな貫禄があった。
そこでやっと、俺は察する。
戦闘中、ずっとパヴェルに対して感じていた違和感の正体。
コイツはきっと、”戦士”であって”兵士”ではないのだ。
殺しに特化した存在。合理的に戦闘を有利に進めていく、現代の軍事面での常識を一切合切無視し、殺しのみを追求した果てに立っているような、そんな男だ。
まるで敵を殺す事だけをプログラムされた殺戮マシンが、ヒトの皮を被って立っているような……そんな感じすらしてしまう。
燃え盛るT-55の炎に照らされた、パヴェルの陰。
血で赤く染まった雪の上に伸びる影が、悪魔の姿に見えた。
「カルロス」
土嚢袋の近く、50口径が据え付けられていたMGネストの傍らで、彼は地面に転がる敵兵の死体を見下ろしながら俺の名を呼んだ。
何事か、とライフルを担ぎながら傍らへ歩みを進めると、彼は首から上を吹っ飛ばされて息絶えている兵士の死体を視線で指し示す。
もう肉体は生命活動を停止し、とっくに兵士としての役目を終えたというのに、首から上、ちょうど喉の辺りから上が消失したその死体は、生真面目な新兵のようにHK416のグリップをぎゅっと握り続けていた。
軍曹殿、命令を―――そんな堅苦しい声が、今にも飛んできそうだ。
なぜパヴェルがその死体を指し示したのか、何となく理解した。
この死体だけではない、他の死体もだ。HK416を握ったまま、あるいはスリングに預けたまま倒れている兵士の死体。MINIMIを抱えたまま倒れている機関銃手……床には5.56mm弾や空の薬莢が散らばり、中にはどこの誰のものかも分からぬ右腕が、腕だけになってもなおUSP拳銃をぎゅっと握っている。
「……武器が消えていない」
こっちの世界にやってきて、分かった事がある。
原則として、『転生者が死亡した場合、ソイツが召喚した銃や兵器などは直ちに消滅する』という法則があるのだ。
例えば俺が死んだ場合、今こうして俺が持っているSCAR-H TPRは直ちに消滅し、この世界に痕跡を残す事はない。
おそらく、これはこっちの世界に無用な技術が漏洩する事を防ぐための処置なのだろう。いったいこんな仕組みを用意したのが誰かは分からないが、随分と手の込んだ、しかし合理的な事をするものである。
それはさておき―――確かにそうだ。ここにいる兵士たちが持つ兵器は、未だに消えていない。
「ターゲットは殺したんだよな」
「ああ」
ふー、と煙を吐き出しながら、パヴェルはさらりと言った。
「殺したよ」
「……彼らに兵器を供与していた奴が他にいる、と?」
「そうなるな」
この一件、単なる反転生者を掲げるテロリストによるものではないのか?
予想以上に根が深いのではないか―――ミカエルたちを襲った連中と、今回の報復攻撃。これはもしかして氷山の一角でしかなく、本当はもっと奥深く、深淵の底で蠢いているのではないか。
まるで足のつかない、深い海の上に浮かんでいるような気味の悪さを覚えたその時だった。
唐突に風の流れが変わったような……というよりも、風が”揺れた”ような感覚を覚えた。まるで何もない空間に、それなりの質量を持つ異物が無理矢理捻じ込まれ、空間そのものが悲鳴を上げているような、そんな不穏な感覚を覚えたのである。
同じくそれを感じ取ったのだろう、パヴェルが顔を上げたのは俺と同時だった。
「なんだ……あれは……」
こっちの世界にやってきてからというもの、以前まで培ってきた常識を覆す事ばかりを見せつけられてきた。
冒険者の間では『有り得ないなんて事は有り得ない』という言葉も罷り通るほど、この世界ではあらゆる常識が通用しないらしい。
が、しかし。
―――それにも限度というものがある筈だ。
血のように紅く染まった夕陽の中―――夕陽を遮り、雪で覆われた大地に巨大な影を落とす異物を見上げながら、素直な感想が思考の海から顔を出す。
いつの間にか、そこには巨大な艦が浮かんでいた。
いや、あれは艦などと呼べる代物だろうか。
艦首にあたる部位はまるでF-35の機首のような、ステルス性を考慮したかのような形状になっている。事実、おそらくその巨大な―――目測だが全長500mオーバーの超巨大飛行物体にはステルス性があるのだろう。推力を得るためのエンジンポットもステルス機のような形状をしており、船体には極端な凹凸は認められない。
艦首下部には、まるで昆虫の複眼のように発光する部位がある。おそらくあそこが艦橋なのだろう。大昔の飛行船のゴンドラを思わせるが、しかし飛行船のゴンドラと違って船外にぶら下げる形で露出してはおらず、完全な埋め込み式となっているようだが。
艦尾には巨大なX字型の尾翼があり、船体の左右から突き出た複数のエンジンポッドには二重反転プロペラがある。
真っ黒に塗装されたそれは、まるで原子力潜水艦を上下反転させ、船体左右にエンジンを取り付けたような―――何とも珍妙な、しかしSF映画に出てきそうな姿をしていた。
「あれは……なんだ、あれは……」
「空中……戦艦……?」
そうとしか形容できない。
SF映画の中だけだった空中戦艦―――そんな正体不明の飛行物体の船体には、赤い金槌と鎌が交差しているようなエンブレムが描かれている。
エンブレムの周囲には複数の星が散りばめられており、さながら中国とソ連の国旗を組み合わせたような、資本主義者ならば卒倒しそうな組み合わせのエンブレムとなっている。
「まさかあれは……」
「知ってるのか?」
そんな、とパヴェルが声を漏らした直後だった。
ゴウン、と重々しい音を響かせ、”空中戦艦”の腹がゆっくりと開いた。まるで空を泳ぐクジラがその腹を開き、肉と骨の中に収まっている内臓を見せつけようとしているようにも見えるが、解放されたハッチの中から覗いたのは生々しい内臓などではなく、巨大なアームで吊るされた葉巻型の物体だった。
ウェポンベイなのだろう。
やがて、そこからレーザー誘導爆弾にも似た形状の何かが投下される。
航空機に搭載できる爆弾と比較すると、明らかに巨大だった。いや、下手をすると航空機よりも巨大だ。F-22の1.5倍はあるだろうか。ラグビーのボールをサイズアップし、X字形の安定翼を取り付けたようなそれは、するすると天空から地上へと投下されてくる。
落下地点は間違いなく、このセメント工場だった。
「いかん、走れ!!」
パヴェルが顔を青ざめさせながら叫んだ。
彼の声に突き飛ばされるように、あらん限りの力を込めて全力で走る。
何となくだが分かる。あの投下された爆弾は、ただのレーザー誘導爆弾などではない。死闘の最中でさえあんなに冷静で、むしろ戦闘を愉しんでいるかのような素振りすら見せたあのパヴェルがこれだけ焦っているのだ。彼はこの兵器を知っている―――そして何より、あれはただの兵器ではない。それは確かだった。
振り向く余裕すらない。
獣人としての肉体が、そして細胞の1つ1つに宿る本能が、これ以上ないほど警鐘をガンガンと打ち鳴らす。早く逃げろ、このままでは死ぬぞ―――分かっている。分かりきった事ではあるが、しかしどこまで逃げればいいのか。そもそもヒトの足で走って逃げられる代物なのか。
今はそんな疑念を抱く事すら無意味だった。時間の許す限り、ただただ走らなければならない。そうでなければ、想像もつかないほど恐ろしい結末が待ち受けている……それだけは確かだった。
石灰石の山を通過し、停止して久しいベルトコンベアを飛び越えて、パヴェルが進入時に使ったフェンスの穴を潜って外に出る。
俺に続いてフェンスの穴を潜ろうとしたパヴェルに手を貸し、彼のヒグマみたいな巨体をフェンスの穴から引っ張り出す―――その瞬間、俺は見た。
投下された巨大なレーザー誘導爆弾が、真っ白な光を放ったのを。
まるで地上のすぐ近くに、太陽が生じたかのようだった。直視すれば目が焼けてしまうのではないかと思ってしまうほどの閃光の中、真っ白な光の泡が弾けるのを確かに見た。
その泡はまるでアメーバのように増殖するや、セメント工場の煙突や事務所を真上からすっぽりと包み込んだ。泡立つ洗剤のようなその光の泡に触れた煙突はまるで溶かされたように触れた部位を消失させられ、虫に食われたような、あるいは穴あきチーズのような姿に変貌していく。
それが瞬時に、幾重にも繰り返され、あっという間に煙突や事務所が消失していく。
それは工場の敷地内に存在する無機物だけに留まらなかった。
積み上がった石灰石も、敷地内に転がる無数の死体も、そして撃破されたT-55の残骸も等しく同じ運命を辿った。真っ白な光の泡に触れた物体が消滅し、閃光の中でその痕跡を完全抹消されていく。
核兵器……では、ない。もし核兵器だというならば今ごろ俺たちは熱線に焼かれ、あるいは衝撃波に吹き飛ばされ無残な最期を遂げているだろう。あんなにも暴力的で、威圧的で、時には政治の駆け引きにも使われるような抑止力とは違い、この兵器は随分と大人しく、けれども獰猛な代物のように思えた。
やがて閃光が消え去る。
光が去った後の静寂―――その後に広がっていたのは、信じがたい光景だった。
「……!」
フェンスの向こう―――セメント工場など、もうどこにもなかった。
そこにあるのは、大穴だ。
まるで隕石が落下したような、あるいはSF映画やファンタジー小説に登場する得体の知れないワームが派手に掘り返したかのような擂り鉢状の大穴が、雪の降る大地にぽっかりと穿たれていたのだ。
隕石落下時のクレーターに見えなくもないが、それと異なるのは表面にまるで泡が弾けたような穴が幾重にも穿たれている点であろう。
驚愕しながらも、とにかくパヴェルの手を引いた。
あまりにも衝撃的な光景を目の当たりにしたものだから―――彼の身体がやけに軽い事に気付くのに、少しばかりの時間を要した。
「パヴェル……」
フェンスの穴から這い出てきた彼の両脚―――太腿から下が、綺麗に消失していたのだ。断面からは人工筋肉と思われるファイバー状の部品や人工骨格と思われるフレームが覗いているが、しかしその断面にもよく見ると虫に食われたような穴が開いているのが分かる。
彼の両手両足がそれぞれ義手と義足である事は知っている。破損した手足は取り換えればいい―――ある意味でこっちの方が便利な身体だ、と言っていた彼に狂気を感じたものだが、しかし今は身体が機械である事に安堵していた。
生身の足だったら、もっと大変なことになっていただろうから。
「無事か、カルロス」
「あ、ああ」
平然としながら言うパヴェルに生返事を返しながら、視線を空へと向ける。
あんな恐ろしい爆弾を投下した空中戦艦が、役目は終わったとばかりに高度を上げていく。
反撃する手段はないが、しかしせめて情報を持ち帰る事は出来るだろう。そう判断するや、すぐさまカメラを取り出しシャッターを切った。何度も何度も、最大望遠でその姿をフィルムに焼き付けた。
次の瞬間だった。
F-35の機首を思わせる艦首から、キラキラと輝くガラス片のような粒子を無数に放出したかと思いきや―――目測とはいえ、推定全長500m以上の巨体が、艦首側から段々と薄れ、そのまま消えていったのである。
巨大な空中戦艦の姿が完全に消え、血のように紅い夕陽の中へと完全に溶け込んだのは、それからすぐの事だった。
あんなサイズの物体が飛行しているだけでも信じられないというのに、姿まで消すとは……。
「あれはいったい……?」
「……痕跡を消しに来たんだ」
雪の上に、両足を失い転がりながらパヴェルが言う。
「あんた、あれを知ってるのか」
「ああ、知ってる……だが言えん」
知っているが言えない―――こいつの抱えている秘密の一面を目の当たりにし、俺は目を細めた。
真相がどうであれ、この世界にはヤバい連中がいるらしい。
”転生者殺し”すら捨て駒にするような、得体の知れない連中が。




