『ウェーダンの悪魔』
狙撃における鉄則は『撃ったら移動』、これに尽きる。
確かに狙撃は敵にとっては大きな脅威だ。どこに潜んでいるかも分からぬ相手から、精密で致命的な射撃が飛んでくるのだ。いつ撃たれるかも分からないし、何人いるかも分からない。その脅威は大きな抑止力として、相手に心理的なプレッシャーを与える。
しかし一度潜伏場所が割れてしまえばそれまでだ。
大口径の機関銃の制圧射撃に迫撃砲の徹底的な砲撃。そんなもので反撃されれば、優位に立っていた狙撃手はひとたまりもない。
だから狙撃地点を敵に探知されない事も重要だ。
狙撃ポイントを変更、バイポッドを展開し雪の上に伏せる。
その辺にあった雪をほんの少し、手に取って口へと放り込んだ。かの有名なフィンランドの狙撃手、シモ・ヘイヘもこうやって口に雪を入れ、吐き出す息の温度を下げる事によって白く濁った息を発する事なくソ連兵を仕留めていったという。
パヴェルの姿が見えた。アイツも真っ白なギリースーツ姿で非常に見辛いが、しかし奴は確かにそこにいる。倉庫から出て、AS Valを構えながら足音を立てないように移動、彼に背を向けている警備兵の首に両手を組みつかせるや、そのまま物陰まで引き摺って行ってから首をへし折っている。
アイツもなかなかわかってるじゃないか。
銃撃で仕留めたり、ナイフで仕留めるというのも間違いではない。が、潜入においてはとにかく自分がそこにいたという痕跡を残さない事が肝心だ。だから敵兵を殺したという痕跡……血痕すら残さずに敵を仕留めたいならば、ああやって首の骨をへし折って殺すのが一番である(とはいえ無論その難易度は恐ろしく高く熟練を要するのだが)。
しかしあの手際の良さ、ありゃあ何人も人間を素手で殺してきたかのようだ。
戦い方も、俺たちの知っている戦いとはかなり異なる。
基本的に、敵の身体のどこを狙って射撃するかというのは状況によって異なるが、多くの場合は胴体とか胸板、相手が防弾装備であれば腰回りが狙い目だ。頭は相手が人質を取っていたりとか、急を要する場合か。
何故かというと、頭と比較すると胴体は”的”が大きく、そして頭ほどグラグラと揺れない。つまりは命中率が高い部位なのだ。
相手を即死させることは難しいが、そうであれば死ぬまで撃ち込めばいいだけの話だし、こちらが使っている弾薬はそんな生半可な代物ではない。
しかし、パヴェルはどうか。
先ほどからアイツの動きを、狙撃手を始末する片手間で見ていたが……パヴェルは的確に頭をぶち抜いていた。
あれは標的を確実に仕留めるための戦い……いや、”殺し”だ。
相手を殺す事に特化したドクトリンの元で、アイツは徹底的な訓練を受けたという事なのだろう。ヘッドショットは正確無比で、敵兵の頭をライフル弾で吹き飛ばす事に微塵の躊躇も感じられない。
「……面白いな」
血盟旅団について情報を集める中で、パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフという男だけは不明な情報が多かった。
出身地、生年月日、過去のプロフィールの大半が一切不明。”相棒”の調査能力を以てしてもその全貌を明らかにする事は出来なかったが、しかし得られた数少ない情報の中に彼の異名と思われるものがあった。
―――『ウェーダンの悪魔』。
ウェーダン、とはおそらく地名だろう。フランスのウェルダン、あるいはこの世界のフランシス共和国にある地名『ヴォーダン』が近い。しかしどれだけ調べてもこの世界に”ウェーダン”という地名は確認できず、それは謎に包まれている。
何者だ、アイツは。
信用ならない、というわけではない。むしろアイツは信用するべきだろう。味方と信じた相手には献身的に尽くしてくれる、頼れる戦友と言えるような、そんな男だ。しかし一度敵に回せば厄介なことこの上ない。
パヴェルという男はこの世界の人間ではないのかもな―――ぼんやりとそう思いながら、無線で彼に警告する。
「アクーラ1、アクーラ1、キャットウォークに見張りが居る」
《こちらからは見えない》
パヴェルが居るのは降り積もった雪の上に乱雑に積み上げられたドラム缶の山、その影だ。ちょうど敵兵が居るキャットウォークはその死角になっていて、しかも間の悪いことにパヴェルの方に向かって敵兵が2人、並んで話をしながら近づいているところだった。
見張りの兵士の手にはHK416がある。
「キャットウォークのはこっちでやる」
《了解、こっちの2人は俺が》
「3つ数えたら仕留める」
照準をキャットウォークに居る敵兵に合わせ、呼吸を整える。
「3」
息を吐く。
「2」
レティクルはぴったりと、敵兵の心臓に向けられている。
「1」
引き金を引いた。
パスッ、とサプレッサーで減音された銃声が響き、6.5mm弾が真っ直ぐに、敵兵目掛けて伸びていった。雪原を飛び越え、工場を囲うフェンスを乗り越えたその一撃は、呑気に煙草を吹かしながら手摺に寄り掛かっていた兵士の心臓を的確にぶち抜いた。
おそらく、何が起こったのかも理解していないのだろう。先ほどまでのリラックスした表情のまま胸板を殴られたように仰け反らせ、HK416を抱えた兵士がそのまま後ろへと崩れ落ちていく。
俺のは仕留めた……パヴェルはどうだ?
仲間の戦果を確認するが、期待通りだった。
パヴェルのAS Valの銃口の前には、眉間を正確にぶち抜かれた2人分の死体が転がっていたのである。
難易度の高いヘッドショットを、それも2人並んだ兵士に的確に命中させる―――彼の技量の高さが窺い知れる。
《始末した》
「確認した」
《……これより事務所に突入する》
「了解」
という事はつまり、そろそろ真っ向からやり合う準備をしておけという事だ。
しくじるなよ、パヴェル。
さっきからマジで過去の記憶を探っているのだが、”土屋宏典”という転生者にはマジで心当たりがない。
俺が知ってる転生者といえば、リョウ(”前の職場”で一緒だった戦友だ)とかウチの妻、あとは信也くらいか。敵にもクソッタレな転生者はいたし、そういう連中を片っ端から狩って絶滅寸前まで追い込んだわけだが、もしかしたらその中に土屋なんちゃらとかいう転生者も紛れていたのかもしれない。
いや、だっていちいち殺した相手の顔なんて記憶しないからな。
ただ、死んだ戦友の顔と名前は全て記憶しているし、ドックタグも全て回収した。仲間たちの遺体が家族に見せられるよう繋ぎ合わされ、祖国の国旗に覆われて墓地に並ぶ度に心を痛め、彼らの安らかな眠りを祈ってみんなで乾杯したものだ。
仲間は生かす、敵は殺す。敵にはかけてやる情けなんてものはない。
ポーチからスタングレネードを取り出し、息を吐いた。
相手は転生者―――それもこれだけの武装勢力を率い、あれだけの部隊を訓練できるような相手だ。現代兵器や戦術に関する知識はあるだろう。一筋縄ではいかない。
事務所の2階に上がり、扉に手をかけた。軽くドアノブを回してみるが、鍵がかかっている様子はない。
呼吸を整える。
《室内に目標を確認、トラップの類は無し。他に護衛の兵士……いや、指揮官か? ターゲット意外に4人いる。いずれも軽装、USPとMP7で武装》
「了解」
トラップは無し、か。扉を開けた瞬間にドカン、みたいなサプライズを期待してたんだが。
まあいい、ならばいつも通りにやるだけだ。
―――見ててくれ、シズル。
目を瞑り、僅か5年でこの世を去った愛娘の顔を思い浮かべる。
パパ、因縁を断ち切るからな……。
ドアを開け、中にスタングレネードを投げ込んだ。
床にスタングレネードが落ちる音と、室内で会議中だった指揮官たちの慌てる声。ガタン、という音は机か椅子の倒れる音だろうか?
強烈な閃光と轟音を喰らうまいと身を隠した直後、凄まじい轟音が部屋の中で響いた。マグネシウムの燃焼と轟音により、相手の平衡感覚と視覚、聴覚を完全に殺すスタングレネード。これはいくら転生者であろうと耐えられまい。
間髪入れずに室内へと踏み込んだ。
元々は工場の事務所だったであろう建物の2階は今や彼らの作戦指令室と化していて、ノヴォシアの地図やターゲットの顔写真などがコルクボードに貼り付けられている。
そんな物騒な部屋の中、4人の指揮官と思われる男たちが床に倒れ、しゃがみ込み、あるいは頭を押さえながらも辛うじて立っていた。
そんな彼らに、俺は容赦なく9×39mm弾を見舞った。
頭を抱えながらふらついていた男の眉間に一撃。7.62×39mm弾よりもサイズアップした重い一撃を至近距離で受け、頭を大きく揺らしながら崩れ落ちていく。
続けてしゃがみ込んでいる奴にも一発、床に倒れ込んでいる連中にも叩き込んだ。埃の沈殿した床の上に紅い血飛沫と、それからピンク色の破片に真っ白で硬そうな破片が降りかかる。
さて後の1人は、と思ったところで、頭の中に冷たい感触が走った。
このままでは拙い、と理屈抜きに本能で理解し飛び退いた次の瞬間、5.56mm弾のフルオート射撃が頭のすぐ脇を掠めていった。ピッ、と右の頬を掠めた弾丸が、シリコン製の人工皮膚の表面を浅く切り裂いていく。
時折、こういう事がある。
殺気を感じ取ったとか、そんなものではない。まるで戦場で戦うすべての兵士たちの命を弄ぶ死神が、何かの気まぐれで死を回避する方法を教えてくれているような、そんな感じだ。
あるいは、これを”第六感”と呼ぶのであろう。
木製の椅子をいくつか倒しながら床の上に転がり、負けじと撃ち返した。パスパスパスッ、と静かな銃声に、しかし相手はサプレッサーなしの粗暴な、けれどもありのままの銃声で応じた。
なるほどな、と思う。
スタングレネードを投げ込んだ時に聞こえてきた、机が倒れるような音。あれはおそらく、咄嗟に近くの机を倒してその陰に隠れ、轟音と閃光を遮るのに使ったのだろう。いずれにせよスタングレネードの影響は受けるが、しかしもろに受けるのと比べると幾分かマシだし、倒れた机がその後に始まるであろう銃撃戦から身を守る遮蔽物になる、という事だ。
先ほど撃ち殺した敵の中にターゲットは居なかった。
つまり、今俺に撃ち返してくる礼儀知らずのアホンダラがその土屋なんとかって奴か。
「弁えやがれ」
空になったマガジンを交換、コッキングレバーを引いた。何発か撃ち返しつつ、手榴弾の安全ピンを引っこ抜き、レバーも外して投擲。テーブルの向こう側に投げ込んだ。
ドンッ、と爆風が室内で荒れ狂い、破片が窓を割る。
とにかく、短期決戦で終わらせなければならない。こうして強引に突入した以上、この爆音は外にいる敵兵の耳にも届いているだろう。すぐにここにも敵の警備兵がなだれ込んでくるだろうし、場合によってはRPGのデリバリーが来るはずだ。
こんなところで遮蔽物を挟んでの銃撃戦なんて悠長にやってる場合じゃない。
立ち上がり、倒れたテーブルを飛び越えた。
血痕がある。さっき仕留めた指揮官たちのものではない―――おそらくは土屋のも
「―――会いたかった……会いたかったぞ、速河力也」
「―――人違いだろ」
眉間に突き付けられる拳銃の感触。マズルガード付きのUSP拳銃を握り、怨嗟の表情を浮かべながら俺を睨むのは、まだ20代前半の若い男だった。顔立ちは東洋人のそれで、身に纏うのは軍服だ。
見覚えはある。この世界の軍隊の軍服ではない。
ありゃあかつて俺が散々血祭りに上げ、そして今頃は最愛の妻たちにぶっ潰され地図から姿を消しているであろう”ヴァルツ帝国”の軍服だ。
転生者と絶対的な力による世界の統治を謳った、幼稚園児が思いついたようなナチズムこそが救済だと信じた頭スカスカの連中。陰謀論者と同レベルのクソ野郎が身に纏っていた軍服に、”前世”の記憶がフラッシュバックする。
「俺はパヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフ。そのハヤカワなんちゃらとかいうヤツは死んだよ……何年も前にな」
「嘘をつくな。知っているぞ、貴様の正体を」
「……バレたか。俺が同人作家だって事が」
おちゃらけてみるが、案の定こいつには通じなかった。
「お前の妻は無残な最期を遂げたぞ?」
「……」
「それなのに貴様ときたら、こんな辺鄙な世界で仲間を作って仲良しごっこか。これがあの、ヴァルツ軍人を畏れさせた”ウェーダンの悪魔”の姿か? 今頃地獄でお前の妻や娘たちはどう思っているだろうな?」
「……」
「安心しろ、今すぐお前も地獄に送ってや―――」
振り向き、突きつけているUSP拳銃のスライドをがっちりと掴んだ。
予想外の反撃に、土屋が驚いた表情を浮かべながら引き金を引こうとする。が、無駄だ。スライドが若干後退した状態で握り込んでるものだから、銃弾はどう頑張っても飛び出してくる事はない。
そのまま土屋の顔面に頭突きを叩き込んだ。ポロリと零れ落ちたUSP拳銃を奪い取り土屋に銃口を向けるが、しかし土屋も行動が早かった。すぐにHK416を拾い上げるや、ドラムマガジン付きのそれのフルオート射撃を射かけてきたのである。
床を転がりながら反撃、弾切れになるまで引き金を何度も退き、ホールドオープンとなったUSPを投げ捨てる。
腰の鞘からカランビットナイフを引き抜いた。
刀身だけで30cm―――俺の義手のサイズに合わせて仕上げられたそれは、小型のモデルが主流となるカランビットの中では異例のサイズとなる。
かつて前の職場―――そう、『テンプル騎士団特殊作戦軍』に所属する兵士の1人として、多くの獲物の首を切り裂いてきた代物だ。
左手で頭を守りつつ、立ち上がって全力ダッシュ。椅子を思い切り土屋に向かって蹴りつけ、彼がそれを銃撃で撃ち落としている間に接近。慌ててHK416の銃口を向けてくる土屋だったが、しかしこっちが懐に飛び込む方が遥かに早かった。
さながら恐竜の爪を思わせる巨大なカランビットナイフの刀身が、土屋の肩口に食い込む。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「―――俺を嗤うのはまだ赦そう」
ぐっ、と力を入れる。
ブヂヂ、と肉や骨が断たれる手応えが確かにあった。
生きながらにして解体される苦痛を、土屋は現在進行形で味わっている。
「だが―――俺の家族を嗤うのだけは許さん」
両手で、突き刺さったカランビットナイフの柄にあるリングを掴んだ。
そのまま全体重―――100㎏の体重をかけ、強引に彼の肉体を切り裂く。
「―――ぶっ殺してやるぜジュテェェェェェェェェェェェェェェム!!!!」
バッ、と大量の血糊が噴き出した。
左の肩口から右の脇腹に至るまでを切り裂かれ、大量の血を吹き出しながら崩れ落ちていく土屋。禍々しく紅い流星のような傷口からは、内臓が零れ落ちている。
「あ……ぁ……」
血を吐き出しながら土屋は手を伸ばした。
「みんな……ごめん……」
「……」
それが、土屋宏典という転生者の―――あのヴァルツの学園都市で俺に復讐を誓った少年の、最期の言葉だった。
土屋宏典……彼の事を覚えていないと言ったが、ありゃあ嘘だ。
あの時の憎悪に満ちた目、あれはよく覚えている。いつか彼ならばその憎しみを糧に、更なる高みへ上り詰めてくれるだろう、と。
そしてあわよくば、道を踏み外しつつあった俺を止めてくれるかもしれない、などと期待を抱いていた。
彼がまだ、手段を選ぶような理性を持っていたならば、彼に討たれてもよかった。復讐を遂げさせてやっても良かった。
けれども、それはもう無理だ。
救いようがないほどどす黒く、真っ黒な深淵の底にまで、彼は沈んだ。
もうヒトの手では、救う事ができない程に。
「……馬鹿だよ、お前」
葉巻に火をつけながら、そう呟いた。
「もっと強くなれ、土屋宏典」
ポケットの中から端末を取り出した。
AS ValとマカロフPBを装備している銃の中から解除。愛用のAK-15(M203付き)と機関銃のPKPブルパップ、それからサイドアームにRSh-12を選択し、短くなった葉巻を携帯灰皿に押し込む。
「もし”次”があったら……その時はまた相手してやるよ」
《―――アクーラ1、どうなった?》
「ターゲットは始末した。そっちは随分騒がしいようだな?」
《ああ、どこかの誰かさんが派手な突入をかましたせいで、外は建国記念日の花火みたいに騒がしくなってる》
「OK、お祭りは大好きだ。加勢するぞ」
ジャキン、とPKPブルパップのコッキングレバーを引いた。
外に出ると、そこはもう地獄のような有様だった。警報が鳴り響き、ありとあらゆる国の言語で戦闘態勢に入れだの、侵入者を探せと言った声が聞こえてくる。
ああ、あの時と同じだ。
泥と死肉に塗れ、銃剣付きの小銃で敵を殺し殺され合ったあの塹壕―――あの戦場。
―――俺の居るべき場所。
―――俺の還るべき場所。
世界が変わっても、人間の本質は変わらない。
「―――クソ野郎は、狩る」




