破壊工作とイタズラは紙一重
「すぅ~♪」
「もふぅ~♪」
「……」
”ネコ吸い”、猫を飼ってて猫が大好きな飼い主の人ならば一度はやった事があるだろう。気持ちは分かる、俺もそうだった。転生前、捨てられていた仔猫を拾って岩手県の実家で飼っていた時に誘惑に負け、モフってしまった事はある。
だが、俺はハクビシンの獣人―――ネコはネコでもジャコウネコ科である。
ネコ吸いならぬ”ジャコウネコ吸い”が流行り始めるとはどういう事か。
さてさて、そんなジャコウネコ吸いが始まってからそろそろ1時間。人の事を子供みたいに膝の上にちょこんと乗せては、ミカエル君のもっふもふの髪をすーすー吸ってるクラリス。その隣ではモニカも同じように人の頭を吸いながら、手のひらの肉球をぷにぷにもにもにしている。
くすぐったいったらありゃあしない。
「……ねえこれまだやるの?」
「当然ですわ?」
「だってミカの頭、干した洗濯物みたいな良い匂いするんですもの♪」
ああ、そうですか……。
なんだろ、最近というかギルド結成当時からというか、なんかミカエル君マスコット的な扱い受けてない? 一応俺団長なんだけどね……威厳ゼロですかそうですか。
肉球を揉まれ頭をハスハスクンカクンカされる事1時間と20分。そろそろミカエル君も味のしなくなったガムみたくなってきたでしょとは思いつつも、未だ終わりの見えないジャコウネコ吸いに辟易していたところで、ぴょこんと起き上がったハクビシンのケモミミがモニカの鼻をふんわりと直撃した。
「にゃぷ」
「あら、どうなさいましたご主人様?」
「……なんか知らんけどどこかで肖像権が著しく侵害されてる気がする」
「「???」」
まあ、どうせパヴェルだろう……俺の肖像権を平気で侵害してくる奴って言ったら、アイツくらいしかいない。
今は外出しててこの列車にはいないが……けれどもまあ、上手くやってるか心配にはなる。
どうか無事に帰ってきてほしいものだ。
頼むぞ、パヴェル。
ふう、と息を吐く。
ノヴォシアの冬は苛酷であるとか、冬に行くのはオススメしないなんて情報は山ほど見てきたが、しかし書籍でそういった情報に想像を膨らませるのと実際に現地に行って経験するのとでは全く違う。
狙撃手にとって重要な要素はいくつもあるが、今に限って言うならば偽装をしっかりと行う事―――動かず、目立たない事だった。
防寒用の装備をぎっちりと着込み、純白のギリースーツに身を包んでいるとはいえ、それでも寒い。とにかく寒い。まるで雪の降り注ぐ真冬の海に肩までどっぷりと浸かり、じっとしているかのような苛酷さがある。
こんなところにずっといたら凍えてしまいそうだ。
SCAR-H TPRを構え、スコープを覗き込む。
標的までの距離は500m、それほど遠くはない。
セメント工場の煙突の付け根にあるメンテナンス用の足場の上に、白と灰色を織り交ぜた迷彩模様のコートに身を包んだ兵士が立っていて、SR-25を装備している。狙撃手である事は一目瞭然だが、それにしては落ち着きがない。
先ほどから転落防止の手摺に寄り掛かったり、手足をぶらぶらさせたり、とにかく身体を動かしている。寒さを紛らわそうとしているのだろうか。
狙撃手に必要なのは忍耐力なのだがな……。
しばらくして、ソイツは懐から煙草を取り出した。箱の中から真っ白な煙草を1本取り出し、ライターで火をつけようとする。
まったく呑気なものだ。そんなにニコチンが恋しいか。
そう思う一方で、冷静に敵兵の行動や装備を分析する。見たところ、以前の血盟旅団との戦闘の際に派遣された兵士のような防弾装備はない。厚手のコート姿ではあるが、そんなもので銃弾は阻めない。
距離もあり、頻繁に小刻みに動く事を考慮すると狙うは胸だ。ライフルに装填してある6.5mm弾の殺傷力は7.62×51mmNATO弾と遜色ない。命中すれば確実に、こちらが求める結果をもたらしてくれるだろう。
「―――」
息を止め、引き金を引いた。
サプレッサーで十分に静かになった銃声と共に、必殺の意志を宿した6.5mm弾が500mの距離を駆け抜けた。
風は弱く、雪による視界の悪化もあったものの、しかしそれでも一発の弾丸は狙い違わずに敵兵の胸板を見事に撃ち抜いた。
煙草を咥え、煙を吹かしていた狙撃手がまるで転んだかのように崩れ落ちる。吹っ飛んだり、いかにも撃たれたというのが分かるような倒れ方をするのはアクション映画の中だけだ。実際はもっと地味で呆気の無い……人の死とは、そういうものである。
転んだかのように倒れたきり、その狙撃手は動かなくなった。胸板を砕かれ、心臓を正確に射抜かれたとあってはそうもなるだろう。
《ナイスキル》
パヴェルから届いた称賛の言葉に、そりゃあどうも、と心の中でそっと返しておく。言葉を返さなくても、アイツなら分かってくれるだろう。俺とは色々とベクトルの違う人間ではあるが、見た感じアイツも元は”プロ”のようだから。
次の標的はアイツだ。ここから見るとアーチ状に見える巨大な配管、それに沿うように設置されたメンテナンス用の高台に居る狙撃手だ。こっちはさっきの兵士と比較すると幾分か真面目なようだが、既に口元には煙草がある。ニコチンの誘惑には勝てなかったらしい。
狙いを定め、撃った。
距離523m。先ほどの標的と比較すると動きも少なく、ほぼ直立不動で警戒にあたっていた敵兵は、しかし首元に飛び込んできた6.5mm弾の直撃には耐えられなかった。ネックウォーマー越しに首を撃ち抜いた一撃に屈するや、そのまま後ろへと崩れ落ち、首元を手で押さえた格好のまま動かなくなる。
これで2人……狙撃兵はあと3人か。
できるなら、パヴェルが大暴れし始める前に済ませたいところだ。
ちょっと、俺の”前の職場”について少し話しておこうと思う。
前の職場―――まあ、ナチやアカが裸足で逃げ出すレベルのやべえ職場だったんだが。そこで教え込まれた事はただ一つ、『敵は原則皆殺し』だ。
捕虜を取る事なんてほとんどなかったし、今思えば当時、敵に対する降伏勧告なんて聞いた事がない。必死に白旗を振り、カタコトのクレイデリア語で降伏の意思を訴える敵兵に容赦なく機銃掃射を叩き込んだことがあるし、民間人を手にかけた事がある(女子供に対してもだ)。
殺すか、殺されるか。
強ければ殺して生き延び、弱ければ殺される。そんな思想教育が徹底された職場だったから、俺もそれに倣った。
そういう職場の中で特殊部隊、その中でも特に精強だった第一分隊を預かる身となってからは教育にも力を入れたのだが、そこでは通常の部隊とは違って的確に敵兵にヘッドショットを決める技能が求められた。
腹とかであれば、まあワンチャン生存の可能性があるが頭はそうではない。一発でも喰らえば基本的に即死、相手を確実に殺すのであれば頭を撃ち抜く事がベストだ……しかし通常は、胴体よりも的が小さく揺れるせいで狙いにくい頭より、狙いやすい胴体に死ぬまで弾丸を撃ち込んで無力化する方がメジャーだ。
けれども前の職場じゃあ、逆だった。
頭が狙いにくいのであれば、確実にヒットさせられるまで訓練を続ければいい―――そんな極端なドクトリンもあって、少なくとも俺を含めた部下たちは皆、中距離までであれば敵兵の眉間に弾丸をプレゼントできるだけの技量を持っていた。
そんな彼らを、少なくとも俺の存命中1人たりとも失わず無事に家に帰してやれたのは、胸を張れる数少ない成果と言ってもいいだろう。
そしてその的確にヘッドショットを決める技術は、三度目の異世界転生を経てもなお健在だった。
警備兵の眉間に9×39mm弾の迅速な配達。熱々の弾丸を眉間で堪能した敵兵の死体を倉庫の外にあるドラム缶の中に押し込んで、ドローンでの偵察の際に見た倉庫の中へと潜入した。
この中だ。この中で、2両のT-55が整備を受けている筈だ。
倉庫の中は黴臭かったが、それ以上にエンジンオイルやら燃料やらの臭いがキツかった。血盟旅団の格納庫の方がまだマシだ。あそこは換気にも気を配っている(換気を怠ると蒸発した燃料にちょっとした火気が引火したりして危険だからだ)。
倉庫の中には確かにT-55が眠っていた。真っ白な冬季塗装で、どの勢力の所属かを識別するためのエンブレムも何もない。のっぺりとした白い砲塔はさながらおまんじゅうのようだったが、それにしちゃあ武骨すぎる。
可愛げもクソも無い。
接近する前に周囲を確認すると、戦車にはそれぞれ2名ずつ整備員がついているようだった。手前側の戦車はエンジンの点検を受けているようで、奥の方は履帯のチェックを受けているらしい。
さてどうするかな……視線を周囲に巡らせ、乗り捨てられたフォークリフトの座席の辺りに積んであったレンチが目に入った。
錆び付き、かなり使い込まれたと思われるレンチ。それを足元に落とす。
カァンッ、とコンクリートの床に金属音が響いた。
「Что это за звук сейчас?(今の音は何だ?)」
「давай искать(調べてみよう)」
標準ノヴォシア語での短い会話が聞こえ、2人分の足音が近づいてくるのが分かる。ヨシいいぞ、こっちの思惑通りだ。
近付いてきたのは手前側のT-55の面倒を見ていた整備兵たちだった。
倉庫内のトラックを間に挟んで回り込み、その隙に先へと進む。
奥側のT-55へと接近し、AS Valのハンドガードを横から握り込んだ。ストックを肩にしっかりと押し付け、車体の前から飛び出す。
履帯の点検をしていたツナギ姿にニット帽の整備兵と目が合った。誰だ、と叫ぼうと大きく開いたその口に、しかし飛び込んできたのは9×39mm弾。そのまま喉の奥から後頭部までを撃ち抜かれ、その整備兵は声を発する事すらできずに崩れ落ちた。
続けて車体の後ろ側に回り込み、今の仲間が倒れる音に反応して顔を出した整備兵の眉間にヘッドショットをお見舞いする。
2名の排除を確認したところで後ろを振り向き、足音を立てずに進んだ。そろそろ、さっきの物音に反応して様子を見に行った整備兵が戻ってくる頃だろう。
その見立ては当たっていたようで、トラックの向こうから2人の整備兵が歩いてきた。
床に倒れている仲間の死体と、銃を向けている真っ白なギリースーツ姿の侵入者の姿を認めた2人の整備兵が慌てるが、しかし叫んだり走り出すよりも先に、2人の眉間と後頭部に9×39mm弾が食らい付き、その命を散らす羽目になった。
4人分の死体をとりあえず片付ける。乗り捨てられ、エンジンを取り外されたトラックの車体の下や荷台に死体を隠し、床の血痕も出来るだけ拭き取った。
念のためAS Valのマガジンを交換し、そうしてからT-55と向き合う。
面倒を見てくれる整備兵も居ないし警備兵は始末した。後はコイツをどうしようと俺の勝手だが、出来るならば笑えるイタズラをしたいものである。
とはいえエンジンに砂糖は使えない。最初の1両で貴重な、それはそれはもう貴重なお砂糖を使ってしまったからだ。
じゃあどうしようか、と考えながら周囲に視線を巡らせる。
そういえば、ここはセメント工場だ。
という事はどこかに完成品がある筈……そう思い倉庫の中を軽く探してみると、確かにあった。セゲトフセメント工場のロゴマークが描かれた大きく重そうな袋の中、パンパンに詰め込まれたセメントが。
ニヤリと笑いながら、その辺にあったバケツと鉄パイプをスタンバイ。バケツに穴が開いていない事を確認し、その中にセメント袋の中身をどっさりとぶち込んだ。
懐から水筒を取り出し、中身を全部バケツの中へ。足りない分は外に降り積もった雪を溶かして”調達”すればいいだろう。
鉄パイプを使って水と混ぜたセメントをこねくり回す事数分、砂っぽかったセメントは立派なコンクリートになりつつあった。
そろそろいいかな、と重いバケツを抱えながらT-55の上に登り、ぽかーんと口を開けている100mm砲の砲口へとコンクリートを流し込んでいく。石膏は混ぜていないのですぐに固まるだろう。
これでヨシ、こんなんで砲撃なんてできない。やったとしても砲身内部で砲弾が止まるか、榴弾だったら砲身内で爆発して綺麗な花を咲かせてくれる筈だ。仮にぶち抜かれたとしても命中精度は散々だろうし、まあなんか、何かしらの悪影響は生じるだろう(適当)。
空っぽになったバケツを手に、一旦倉庫の外に出た。雪を半分くらいまで入れてからライターでバケツの底を加熱、雪を溶かして水になったのを確認し倉庫内に戻る(倉庫内で火をつけたらなんか爆発しそうな気配があった)。
倉庫内に戻るや、すぐにセメントをバケツに入れて鉄パイプでこねくり回す。良い感じのコンクリートになったところでもう1両のT-55の砲口にも同じように、コンクリートを流し込んでいく。
空っぽになったバケツを手に、再び外へ。雪をライターで溶かして水にして、また倉庫内へ戻る。
2袋目のセメント袋を開け、水とセメントをよく混ぜてから、今度はエンジンのところにある排気口へとコンクリートを注いでいった。
そういえばこんな絵画あったよな、とぼんやり思い出す。フェルメールの『牛乳を注ぐ女』だったか。
牛乳を注ぐ女ならぬ、パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフの『コンクリートを注ぐ男』……そう思ったらちょっと笑えてきた。
もう一度外に出て雪を溶かし、同じようにセメントと水を混ぜ合わせてコンクリートにして、もう1両のT-55の排気口にコンクリートを流し込む。
なんかこういう破壊工作をしていると昔を思い出す。学生の頃のイタズラ、あれは楽しかった(そして先生に見つかって怒られるまでがテンプレである)。
童心に帰りつつも破壊工作を終え、バケツを適当なところに隠してから倉庫を出た。
「―――アクーラ1よりレンズ0-2、破壊工作を終えた。これよりターゲットの始末にかかる」




