『教祖様』
「……それでは、全員集まったようなので本日の定例会議を執り行います。皆様、ご起立を」
参集した団員たちを見渡し、マリクはそう宣言する。
薄暗い部屋の中に置かれた円卓。15人分の席が用意されたそこには、しかし”№2”の席だけが空席となっている。
あれだけ遅れるな、と言ったのに……自由奔放な№2”大佐”の振る舞いに溜息をついている間に、集まった全員が立ち上がった。
「―――理想の世界実現のために」
『『『『『理想の世界実現のために』』』』』
同じ言葉を全員で唱えるが、しかし1人だけ着席せずに立っている団員が居て、マリクは目を細める。
「……ハーシム、何を突っ立っているのです」
「なあマリクさんよォ……№2、大佐だか何だか知らねえが、空席なんだったらソイツのために席を空けておく必要も無いんじゃあねえか?」
その一言に、円卓に参集した全員がハーシムへと視線を向ける。
誰もがそう思っていた事だ。この円卓に居る暗殺教団の上層部、序列1位から15位までの上位陣の中で、いつも当たり前のように空席となっている№2―――そこに本来いる筈の男、”大佐”の姿を目にした事があるのは、№1の”教祖様”、№3”スミカ”、№4”マリク”、そして会計担当の№5”ネロ”の4人のみ。
他の上位陣は世代交代が進み、今では誰も大佐の正体を知らないのだ。
実際、彼が顔を出したのは、序列2位まで上り詰めた大佐が前任の№2とその派閥を丸ごと消し去り、力ずくで地位を奪い教団に加盟した最初の定例会議くらいのものであり、それ以降はちょくちょく教団の本部を訪れていたものの、定例会議に顔を出す事はついになかった。
教団の理想にも協力的とは言えず、教祖への忠誠心も薄いその男が、追放されず、暗殺対象にもならずに今日まで№2の座で居られる理由―――それは彼が教団の活動を資金面で支援している事と、単純な戦闘力の高さを警戒しての事だ。
教団の中で唯一、最強の存在である教祖を打ち破る事ができる男なのである。下手に反感を買ったとなっては、抹殺する事は出来るだろうが、教団側も再起不能となるレベルの損耗は覚悟しなければならないだろう。
そういう事もあって、教団としてはとりあえず大佐は好きにやらせるという方針となっていた。
実際、資金面での支援も無視できない規模であり、放し飼いにしておく旨みも教団側には確かにあるのだ。
それが、上位陣の中でも古参となっているメンバーの中では暗黙の了解となっている。
しかしつい最近”世代交代”を果たし、円卓の席に座る事を許された者の中には、それを弁えない者も確かに存在する。
この血気盛んな若者、ハーシムもその中の1人なのであろう―――目を細めながら、マリクは少しばかり呆れていた。
「またか」、と。
「マリクさんよ、教団のルールはアンタだってよく知ってるだろ? 特に上位陣の”世代交代”については」
「……ええ」
定めたのは教祖様と私ですから、と続けながら、マリクは溜息をつく。
「―――原則は”下剋上”、殺される方が悪い」
それが、上位15名―――円卓に座る事を許された、上位陣のルールである。
序列を上げたければ、自分よりも上の№の幹部を殺す事。そうすれば実力の証明にもなり、また幹部側も常に狙われるリスクに晒され、暗殺に備えるようになる。
今の地位で胡坐をかく勿れ、常に鍛錬あれ。
強制的に向上心を刺激するためのルールとして、教団のトップたる教祖と法務担当のマリクが適用したものである。
事実、大佐―――パヴェルという男もまた、前任の№2とそのシンパを皆殺しにして今の地位についている。そしてその地位は、加盟から5年が経った今もなお揺るがず、№2の椅子に座る事が出来た教団の暗殺者は誰もいない。
今やその実力を知るのも、古参の幹部だけになってしまっているが……。
「会議に顔も出さない、教団のための活動もしない……こんなの居ないのと同じだろ」
そう言いながらつかつかと歩いたハーシムは、№2と記載された椅子に腰を下ろした。
「弁えろ、ハーシム」
腕の中でグレイルに哺乳瓶でミルクを与えながら、スミカが咎める。
「そこに座るのならば、最低でもこの私を倒す程度の実力者でなければ務まらん」
「あ? 何なら今ここで殺ってやろうか? その無愛想なクソガキと一緒によぉ?」
スミカの言葉が逆鱗に触れたのか、ハーシムは殺気を発しながらナイフを抜いた。教団幹部の証でもある、ナンバーが刻まれた黒いジャンビーヤ。中東諸国では護身用の武器として以外にも、身分を証明するものとして、あるいは宗教的な儀式にも使用される装飾品の類として知られる短剣である。
暗殺教団の場合、団員幹部としての身分証明及び武器として機能する代物だ。
「つけ上がるなよ、末席の分際で」
「ほざいてろ。そうやって、どこの男と作ったかも知れないガキのお守りをしてるのがお似合いだぞ雌犬が」
「けっ」
哺乳瓶を口から放したグレイルが、あからさまに煽るかのようにハーシムに向かって中指を立てるような仕草をする。
赤子にまで煽られて怒りが頂点に達しかけたハーシムだったが―――しかし鞘からナイフを抜き払い、激昂した感情のままに振るうよりも先に、背後から伸びた機械の腕が2つ、ハーシムの首に絡みついていた。
悲鳴を上げる暇すら与えられない。
後ろに誰かいる―――やっと今になってその事を知覚した頃には、もう何もかもが遅すぎた。
次の瞬間には首に絡みついた剛腕に力が加わり、パキュ、と首の骨を捩じ切られていたのだから。
頸椎をものの見事に捩じ切られ、そのまま前へと崩れ落ちていくハーシム。今しがた彼の首の骨を捩じ切った剛腕が彼の襟を掴んだかと思いきや、まるで目の前にあったゴミを退けるかのように、ポイっと後ろへ放り投げてしまう。
代わりにどっかりと腰を下ろしたのは、ヒグマのような体格の東洋人だった。
身に纏うのは僧衣でも修道服でもなく、黒い軍服だ。その上に士官用のコートを羽織っており、明らかにここに集う暗殺者たちとは異なる出自の者である事が一目でわかる。
「たわけ、殺す事は無かろう」
「ん」
ちらり、とそのヒグマのような男―――パヴェルは後ろに投げ捨てたばかりの、ハーシムの亡骸を振り返る。
首の骨をへし折られ、二度と動く事の無くなったハーシム。その傍らには見習いと思われる中東系の少年(フード付きの僧衣を身に纏っており、暗殺者の見習いの紋章がある)が立っていて、今しがた死んだばかりのこの男をどうするべきか、指示をくれと視線で訴えかけていた。
「坊主、悪いがその死体を片付けておいてくれ」
「は、はい」
「まったく……お前のせいでまた№15が空席になったぞ」
「ん、アイツ№15だったのか」
てっきり№2の椅子に座ってたから知らぬ間に席を取られたかと……と真顔で続けるパヴェル。その様子を戦慄したかのような面持ちで見つめるのは、彼を、№2”大佐”という男を知らない新参の幹部たちだった。
―――いったいどこから現れた?
彼らの思う事は、ただそれのみだった。
扉を開ける音も、足音も一切しなかった。殺気も、気配も何もない。ありとあらゆる気配に鋭敏な獣人の五感や第六感を以てしても、その存在を捉える事は出来なかった。
その事実だけが告げている。
№2―――”それ”と自分たちの間には、あまりにも大きく隔絶した差があるのだ、と。
「遅刻ですよ、大佐」
「すまん」
ハーシムの死を何とも思っていないかのように、遅刻の件だけを咎めるマリク。それに平謝りするパヴェルは、円卓の上に用意されていたお茶菓子に手を伸ばす。
「さて、それでは会議に入りましょう。まずは最近、リュハンシクであった”転生者殺し”の一件について」
転生者殺し―――この世界に流れ着いた転生者たち、そんな彼らに恨みを抱くテロ集団。
転生者の大半は前世の知識と、圧倒的な能力を持っているのが大半だ。常人では成し得ないような魔術を短期間で修め、魔術とも”魔法”とも知れぬ特殊能力を振るい、その圧倒的な力で名を挙げていく転生者たち。
しかしそれは本来あるべき世界の形を、そしてそこに住まう人々の運命をも捻じ曲げ、歪ませてしまう副作用を持つ。
転生者たちの活躍により長年の研究を台無しにされた科学者たち。彼らが前世の知識を披露したがために事業を台無しにされた実業家たち。そして彼らの力に巻き込まれ命を落とした者たちの遺族―――そういった、歪んでしまった世界の在り方に取り残され、あるいは弾き出された者たちが寄り集まって結成されたのが”転生者殺し”であるという。
そこまでは、パヴェルもよく知る事実だ。
確かに哀れだとは思う。しかし―――復讐という大義名分の名の下に、無関係な転生者や一般市民を巻き込むようなやり方では、決して賛同者を得る事はないだろう。
「リュハンシクで勃発した、血盟旅団及び複数の転生者による”転生者連合”と転生者殺しの抗争により、結果として転生者殺しの連中は主力部隊を喪失。組織としては再起不能と言ってもいいダメージを受けており、現在では末端の数少ない生き残りが散発的な活動を続けている程度です」
マズコフ・ラ・ドヌーの市街地で、ミカエルが襲われた件も記憶に新しい。
目の前に置かれた資料を手に取ったパヴェルは、まだ転生者殺しの事件は終わっていないのだと実感した。そこに掲載されているのは世界各国の新聞記事を切り取ったものでご丁寧に記事の内容は標準ノヴォシア語に翻訳されている。
イーランド首都ロードウ地下鉄で起こった爆発により39名死傷、ドルツ諸国ブレンダンブルク門にて銃乱射事件、倭国首都エドにて自動車暴走事故……いずれも犠牲者は転生者と見られている。
(いよいよ手段を選ばなくなってきたな)
主力を喪失し、組織としてのネットワークも機能しなくなったことで、ついに理性の箍が外れたか。そう思いながら腕を組むカーネルに、マリクは言う。
「この事態を収拾するためには、転生者殺しの頭目を始末する他ないでしょう」
「……奴は今どこにいる?」
「―――それは私が」
薄暗い会議室の中、変声期を迎える前の少年を思わせる、まだ幼さを残した声がはっきりと響いた。
その声を発した人物が居るのは、パヴェルの席の隣―――”№1”と記載された席に腰を下ろす、小柄な人物だ。
彼を目にする度に、パヴェルはどうしても今のボス―――ミカエルを重ねてしまう。顔が似ているというよりは、雰囲気が似ているからなのかもしれない。そしてミカエルを目にする時、また頭のどこかでこの”教祖様”の事を思い出してしまう。
ちょっとした呪いのようなものだ。
視線を向けると、そこに座る”教祖様”―――スナネコの獣人が、まるで親友に語り掛けるような親し気な笑みを浮かべていた。
暗殺教団の教祖―――『ハサン・サッバーフ』。
見た目は身長150㎝ほどの小柄で、中性的な容姿の少年だ。やや斑模様の入った砂色の頭髪からはスナネコの耳が伸びていて、口の中に並ぶ牙はネコ科の動物のように鋭い。笑みを浮かべると悪戯好きの少年あるいは少女のように見えるが、しかし愛らしさよりも威圧感の方が勝るのは、暗殺教団という”力こそすべて”を是とする組織の頭目ゆえであろう。
永い間、あらゆる歴史の分岐点で暗躍したという中東地域の秘密結社にして暗殺組織、”暗殺教団”。実に700年間も続く教団の歴史の中で、今日までトップとして君臨し続ける得体の知れない指導者……それが、このハサン・サッバーフである。
その容姿は、700年を経ても変わっていないという。
「パヴェル、勝手だがお前の名で連中に手紙を送っておいた……無論、貴様の本名でな」
「また勝手な事を」
にい、とハサン・サッバーフは笑う。
「連中の頭目、”土屋宏典”とかいう男は貴様を心底憎んでいる。連中は今、手紙の内容を受けツァリーツィン郊外の廃工場を拠点化しているところだ。そこを急襲し全てを終わらせよ」
「拠点化してるところに乗り込めってか? 随分とまあ、ご丁寧なお膳立てで」
「ふふふ……丹精込めて作り上げた拠点、それを真っ向から堂々と打ち滅ぼす事ほど相手の尊厳を踏み躙る事はあるまいよ」
「そりゃあそうだ」
「なあに、”仕事”の礼だ。楽しんでくるといい」
「……礼、ねぇ」
葉巻を取り出し、火をつけながらパヴェルは問うた。
「アンタ、ただ単に因縁が終わる瞬間が見たいだけだろ」
「はて、何の事か」
わざとらしく笑みを浮かべ肩をすくめるハサン・サッバーフ。しかし彼の本音はパヴェルにはお見通しだ。
世界とはすなわち、無数の人間の運命が複雑に絡み合う”砂場”だ。互いに結ばれ、敵対し、あるいは殺し合う。世界に生きる人間の数だけ、複雑な物語が無数に散らばっているのだ。
そんな混沌の坩堝がこの世界の正体と言っていい。
そしてハサン・サッバーフという男は―――700年間、容姿を変える事無く生き続け、世界の歴史の裏で暗躍し続けるこの男は常に、その世界を主観ではなく俯瞰で見ている。
無数の人間の運命を弄び、それを愉しむかのように。
パヴェルはそんな彼の姿が気に入らなかった。
「ヒトとしての物語を終えるのは土屋か、それとも貴様か……これほどまでに面白い戦は他にあるまい?」
「……まあいい、連中についての情報に関しては礼を言う」
そう言い残し、パヴェルは葉巻を咥えたまま席を立った。
「大佐」
扉を開け、会議室を後にしようとするヒグマのような巨漢の背中を、ハサン・サッバーフが呼び止める。
「―――たまには茶でも飲みに来い」
まるで祖父母が孫に言うかのような優しい口調ではあったが、しかしそれに対するパヴェルの返答は冷淡極まりなかった。
「ハッ……あの犬のションベンを?」
バタン、と扉が閉まる音が会議室に響く。
しんと静まり返った会議室の中―――まるで久しぶりに面白いものを見た、とでも言わんばかりに、”教祖様”のけらけらと笑う声がいつまでも響いた。




