宗教都市ツァリーツィン
《ツァリーツィン、ツァリーツィン。お降りのお客様はお忘れ物にご注意ください》
カルロスを連れて列車を降りる。
地下鉄の駅というのはどこも似たようなものだが、それも仕方のないことだろう。地下という環境である以上、地上のように外の風景を背景として個性を出す事が難しいのだ。申し訳程度にその街を想起させるデザインが駅のホームに盛り込まれているが、それでも分からんものは分からん。
ホームから階段を上がり、改札口で駅員に切符を渡してから、外に繋がる階段を上がっていった。石造りの階段を一歩一歩上がっていく度に、ボイラーの熱と駅の床や天井を循環している蒸気のおかげで十分な暖かさがあった駅構内が遠退き、地獄のような寒さがじわりじわりと近付いてくるのがはっきりと感じられた。
外に出るといよいよ寒さは手加減をしなくなり、首元や顔など、防寒着で覆われていない部位を凍てつかせようと牙を剥いてくる。
「ここが……」
隣を歩いていたカルロスがぽつりと呟く。
ツァリーツィン―――ノヴォシア地方南方に位置する”宗教都市”だ。
雪をかぶっているものの、極寒の中でも教会の尖塔ははっきりと見える。先端部に十字架や六芒星など、その宗教のシンボルとなる意匠が用意された教会群。街中を歩くのは住民だけでなく信者や宗教関係者も多く、いたるところに修道服に身を包んだ人の姿が見える。大通りの向こうでオレンジ色の僧衣に身を包んだ坊主頭の人たちは、おそらく東洋からこの地にやってきた僧侶たちなのだろう。
あらゆる宗教がひしめき合い、共存し合い、時折互いの信奉する教えを語り合い信仰を探求する者たちの街、ツァリーツィン。この街がこうなったのは、遥か昔の話だと言われている。
元々ここは、外部の勢力(具体的には隣国である大モーゴル帝国である)に対抗するための最前線として要塞があった場所だ。しかし大モーゴル帝国が勢いを衰えさせ、侵略の恐れなしと判断されてからは帝国を守る防波堤としての機能を残しつつも、東西を結ぶ交易の拠点として栄えた。
東西からはあらゆる文化が行き交い、ノヴォシア帝国はそれを取り込んでいったが、宗教もその例外ではなかった。西洋からは宣教師が、東洋からは修行僧たちがまだ見ぬ地と教えを求めて集まった結果、今のような宗教都市となったとされている。
ちなみにツァリーツィンという名前は、標準ノヴォシア語で『皇帝の大地』を意味するのだそうだ。
宗教都市―――なるほど確かに、隠れ蓑とするにはうってつけだ。
「……で、これからどうするんだパヴェル」
「俺は今から”古い友人”に会いに行く。悪いが、ここからはちょいと別行動だ」
別行動、と言うと、カルロスは目を細めた。
俺1人で仲間の元を離れここにやってきた理由を、彼も薄々理解している筈だ。
これはあくまでも血盟旅団としての活動ではなく、パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフという個人として―――そしてもう一つ、血盟旅団以外にも籍を置いている”教団”の一員としての活動である、と。
言うなれば、カルロスは部外者だ。
教団の連中は人見知りが激しい。身内と認定されている俺はともかく、得体の知れない部外者と見做されるであろうカルロスは教団内部に足を踏み入れる事すら許されない―――最悪の場合、教団に外敵を呼び込んだと見做され、今回の取引が決裂する恐れすらある。
「随分と閉鎖的なコミュニティなもんでな」
「……それは仕方がない」
そう言い、カルロスはポケットの中から小さな金属を取り出した。
発信機か。
「持っていけ」
「……ありがとよ」
彼に礼を言い、とりあえず駅前で一旦別れた。
ツァリーツィンはカルロスにとっては未踏の地だ。異国の、まだ見知らぬ街である。”世界を見て回る”事を目的としている彼には退屈しない場所だろう。特に、教えの解釈の違いで宗派が別れたり、唯一神を信仰するが故に他の宗教は一切認めない、などの極端な思考回路をしている宗派の連中が、何とかうまい具合に、絶妙なバランスで共存を果たしているこのツァリーツィンは観光的にも宗教的にも飽きさせない場所である筈だ。
ちらりと後ろを見てみると、早くもカルロスの姿はなかった。
まるで忍者だ。あるいは幽霊か。
相変わらずだな、と思いながら葉巻を取り出し、トレンチライターで火をつけた。12.7mm弾の薬莢を改造して作った大型のトレンチライターは、そのサイズのおかげでオイルの容量に富む。ヘビースモーカーである俺にはうってつけだろう。
「号外、号外! タイタニック号が沈没! 乗客は救命ボートに乗り込み9割が生存!」
寒い中、大きな声を張り上げ新聞を売る少年に少し多めのコインを握らせ、新聞を購入。歩きながら記事に視線を走らせる。
結局、聖イーランド帝国からアメリア合衆国を目指し旅に出たタイタニック号はそのまま沈没したようだ。史実通り(とはいえ史実が1900年代に入ってからなのに対し、こっちの世界では1888年の出来事である)といえばそうだが、最大の違いは乗客が全員乗れる数の救命ボートが用意されていた事か。
記事によると、船の建造に関わった技術者の1人が救命ボートの増強を何度も粘り強く進言。聞き入れられないと知るや自費を投じてまでボートの追加発注を行い強引に救命ボートを増強したらしい。
結果としてその決断が正しかったと認められた形となった……記事にはそう記載されている。
コイツ、おそらく転生者だな……タイタニック号の悲劇を知っているかのようだ。
読み終わった新聞紙を丸め、頭の中に焼き付けた住所を思い出しながら、雪の降り積もった街を歩いた。
大通りに沿って規則的に植えられた街路樹は、雪をかぶって真っ白に染まっている。道行く人々から施しを受ける僧侶たちや、雪の降る中信者たちに説法をする神父たち。しかしそんな堅苦しくも荘厳な宗教の街でも子供というのは元気なもので、教会の裏手では子供たちが雪だるまを作ったり、斜面をソリで滑って遊んだりしている。
丁度、娘もあれくらいだったか……。
「……」
生きていれば、今頃は元気な女の子に育っていただろう。小学校でたくさん友達を作って、中学校で勉強を頑張って、そこから高校、大学と進んで大人になっていき、そしていつかは良い男を見つけて家庭を持って……。
そんな未来を、愛娘から未来を奪った最低最悪のクソッタレ。以前、俺はそいつらを根絶やしにするべく戦争に身を投じた。
”魔王”と呼ばれた女傑、セシリアと共に。
大勢の敵を皆殺しにし、共に戦った分隊の部下は1人も死なせず、そんな事を繰り返しているうちに”悪魔”だの何だの呼ばれ、恐れられていた……今となってはもう、昔の話だ。
ジェイコブやキール、コレットたちは上手くやってるだろうか。かつての部下たちに想いを馳せている間に、大通りを抜け路地に出た。
木箱やらドラム缶が乱雑に積み上げられた雑物マウンテンの脇を通過。そろそろこの辺か、と辺りの壁を見渡していると、チョークで”三日月と髑髏”が描かれているのを見つけ、ついに来てしまったか、と思う。
壁の近くには小さな売店があった。保存食を売っている店のようで、店先には腰の曲がった老人が居て、店の前に積もった雪をスコップで退けている。
「いらっしゃい。何か買っていくかね」
「そうだな……ニシンの缶詰を2つ。それと」
財布から取り出したコインを店主に握らせ、耳元で囁いた。
「―――死者の月は蒼く染まる」
「……おお、まさか貴方様が来てくださるとは」
目を見開きながら、老人は店の中へと招き入れてくれた。
店先のシャッターを下ろし、薄暗い店の中を奥へと案内される。カウンターの奥にある部屋の本棚をずらした店主は、その奥に口を開けていた隠し通路の中へと歩いていった。
俺も同じように彼に続く。
隠し通路の中はひんやりとしていて、壁面に埋め込まれたクリスタルのような結晶が発する光でぼんやりと照らし出されている。そして何より、この地下墓地へと続いているかのような階段の奥からは特徴的なお香の臭いが漂ってくる。
死臭を隠すため、あるいは神に祈りを捧げる際に使われるお香―――中東諸国からもたらされたものなのだろう。
しばらく墓穴の底へと続いているかのような地下通路を下へ下へと進んでいると、少しばかり開けた部屋の中に出た。
目の前には大きな扉があって、扉の表面にはやはり三日月と髑髏が描かれている。間違いない、”教団”のシンボルマークだ。
いつの間にか、案内してくれた小柄な店主の姿は消えていた。幽霊か、幻でも見ていたかのようだ……そう思いながら扉を見つめていると、近くで椅子に座っていた門番と思われる男に声をかけられる。
「おい、何者だ貴様」
肌は浅黒く、頭にはウシャンカをかぶっているので何の動物の獣人なのかは分からない(目つきからしておそらくジャッカルではないだろうか)。腰には中朝諸国の伝統的な短剣、ジャンビーヤがある。
まあ、門番がこう咎めてくるのも無理はない。教団で定期的に開催されている定例会議には本当に、加盟した最初の頃しか顔を出していないのだ。故に俺を知っているのは古参の団員―――”教祖様”やスミカ、マリクにネロくらいのものだろう。
背負っていたギターケースを開け、AS Valと一緒に持ってきた”身分証明書”を取り出す。
大きく湾曲した、黒曜石の鞘に覆われた1本の短剣―――教団に加入した際に”教祖様”から与えられた武器にして団員の証。
その漆黒のジャンビーヤを見た門番は、信じられないといった感じの顔で俺の顔を見上げた。
鞘には髑髏と共に”2”と記載されている。
№2―――教団において2番目の実力者であり、教祖様を補佐する役目である副長を意味する特別な数字。
「も、もしや……貴方様が”大佐”?」
「そういう事だ。教祖様と取引がしたい、道を空けろ」
「は、はい、直ちに……!」
先ほどまでの威圧的な態度とは打って変わって、従順な犬のような態度になった門番は鍵の束を取り出すや、扉の鍵を開け道を空けてくれた。
ありがとよ、と礼を言ってから先へと進むと、いよいよお香の臭いがキツくなってきた。
コレ犬系の獣人だったら鼻が死ぬのではないだろうか。そう思いながら歩いていると、聖堂のような場所の2階に出た。半円状の席がずらりと並び、真上から見れば三日月形にも見えるであろう2階の座席群。1階では真っ白な修道着姿の男たちが何やら中東の言葉をぶつぶつと唱え、床に伏せて頭を下げたり、上体を起こして指を組んだりと、決まった手順で祈りを捧げている。
イスラム教の祈りもあんな感じだったな、と思いながら見下ろしていると、聞き慣れた声が出迎えてくれる。
「―――久しいですね、大佐」
「……マリクか」
石の手摺に寄り掛かっていると、どこからか姿を現したホワイトタイガーの獣人―――マリクが隣にやってきた。彼は先ほど礼拝を終えたのか、身に纏っているのはいつもの装束ではなく、真っ白な服だった。
「唐突な会議への参加、やはり例の”転生者殺し”の一件ですか」
「そうだ。奴らの情報なら掴んでるだろう?」
「ええ、もちろん。教祖様は皆の望むもの全てをお持ちです」
そしてそれを平等に分け与える―――マリクはそう続けたが、そっちはあまり耳には入って来なかった。
「ですが、東洋には”働かざる者食うべからず”という言葉があります。恵みが欲しいならばそれ相応の働きをせよ、という事です」
「……誰を殺せばいい?」
ほらきた、とうんざりしながら問うと、マリクは待ってましたと言わんばかりに懐から紙と写真を取り出した。
「アリーシャ・クロウコヴァ。ツァリーツィン議会の議員の1人で地方出身の貴族です。ツァリーツィン初の女性議員なんて持て囃されていますが、その実態は政治資金の着服で私腹を肥やす寄生虫です。それに彼女の政策……女性の権利向上なんて謳っていますが、そちらも問題です。男性を必要以上に貶め、男女間の軋轢を生むだけの害悪な政策そのものです。この女は教団の望む理想の世界に不要な存在である、と教祖様は判断なされました」
情報とターゲットの顔を頭に叩き込み、渡された資料にトレンチライターで火をつけた。
「―――大佐、全ては教祖様の掲げる”理想の世界”実現のため。それこそ人類を救済へと導くための箱舟なのです」
「へいへい。んじゃあ殺してくるわ」
「頼みましたよ」
にっ、とマリクは笑みを浮かべた。
「―――我ら、”暗殺教団”の理想のために」
※ツァリーツィン
1925年まで存在した、ロシア南方の実在の都市。現在のヴォルゴグラード。ロシア革命後、赤軍の支配下に置かれたツァリーツィンは都市の名を変える事を余儀なくされ、独ソ戦においても激戦の地と化した。
ツァリーツィンとはのちのスターリングラード、現在のヴォルゴグラードである。




