カーチャの才能
第一次世界大戦―――多くの新兵器や新戦術が次々に現れ、消えていった世界規模の大戦争。
その戦いの多くは塹壕戦と言っても良い。
地面に掘った穴を陣地とし、鉄条網と機関銃、迫撃砲で武装したその拠点を突破する事は容易ではなく、塹壕を突破し、敵に突破され……そんな戦いの繰り返しの中で、多くの尊い命が失われていった。
俺が手にしている潜望鏡も、そんな塹壕戦の際に使用されていたものである。
潜望鏡、と耳にすると潜水艦を連想する人も多いだろうが、意外な事に潜望鏡は地上でも使用されていた。敵の塹壕を確認する際、自分たちの塹壕から頭を出すと撃ち抜かれてしまうので、そうならないよう潜望鏡だけを塹壕から出して敵陣を偵察する……といった用途に潜望鏡は大活躍したのだ。
まあ俺の場合、遮蔽物から身を晒さなくていい以上に身長の小ささから来る視界の低さをある程度克服するために使用している側面もあるのだが。
三脚に乗せた潜望鏡を覗き込みながら、内蔵されたレンジファインダーで標的との距離を確認する。
距離900m……無風状態。
パヴェルと俺の2人で共同開発した潜望鏡は、第一次世界大戦で使用されていたものよりも遥かに高性能だ。ズームアップ、ズームアウトが容易に行え、レンジファインダーも内蔵。おまけにサーマルと暗視モードの切り替えも可能な優れものである。
さすがにこのレベルになると廃品で何とかなるものではなくなるため、パヴェルに研究開発費という事で俺の資産から幾分か”出資”し共同開発を行っている。
ちなみにこれの機能をいくつか削り、小型化したモデルの開発も進行中である。
レティクルの向こうに見えるのは、白い巨人のような何かだった。
傍から見れば足と剛腕が生えた雪だるま、とでも言うべきだろうか。とはいっても丸い石で両目を、鼻をニンジンで形作り、マフラーを巻いて帽子代わりのバケツを被せたような、そんな子供が真冬に作ったような可愛げのある見た目とはとてもじゃないが言い難い。
氷のような外殻に覆われた手足に、雪で覆われた胴体。腹の辺りは割れていて、さながら鍛え上げられた格闘家のようだ。
頭部は丸く、耳の辺りまで裂けた大きな口と、その中に生えた無数の牙が見る者を恐れさせる。そんな恐ろしい見た目をしているというのに双眸は一昔前のSF映画に出てくるような、エイリアンを彷彿とさせる。黒光りしていて丸く、大きな眼球だった。
―――『スノーゴーレム』。
ノヴォシア地方にのみ生息する魔物である。その名の通り冬季のみ活動する生命体で、その生態の多くは謎に包まれている。しかしあんな見た目でありながら遺伝子はヒトに近く、現在では『人類進化の過程で分岐し、人間とはまた違う進化を辿った霊長類の到達点の一つなのではないか』という説が有力視されているのだ。
まあ、その辺の詳しい情報は魔物図鑑の1888年版に詳しく記載されているので、興味のある人はぜひ購入して読んでみてほしい……よし、宣伝終わり。
さてさて、そのスノーゴーレムはどうやら現在はお食事中のようだった。雪原の上に倒れ伏した巨大なヘラジカの死体。片方の角はへし折れ、頭には巨大な鈍器のようなものがめり込んだ痕が生々しく残っている事から、あのスノーゴーレムが殴り殺したのであろう。
死体の腹を鷲掴みにするや、腹の肉を内臓もろとも毟り取り、そのまま口へと運んでいくスノーゴーレム。腸をソーセージの束みたくずるずると引っ張り出す彼に血の臭いに触発されたスノーワームたちが殺到するが、我先にと飛びかかったスノーワームはあっという間にスノーゴーレムに鷲掴みにされ、そのまま口へと運ばれ咀嚼されていった。
スノーゴーレムを相手にするうえで一番恐ろしいのは、その筋力と外殻の防御力だそうだ。ノヴォシア地方ではヒグマ(北海道のヒグマの1.5~2倍はある)が恐ろしい動物とされているが、竜を除いた魔物では何が恐ろしいかと問われると、ノヴォシア地方の人々は口をそろえてスノーゴーレムである、と答えるという。
堅牢な外殻と筋肉、そしてその巨体を支えるために発達した骨格はあらゆる攻撃を通さず、強靭な筋力と圧倒的質量から繰り出される殴打はあらゆる城壁を突き崩す、とされている。
騎士団の教本では、『討伐には適正B以上の炎属性魔術師、それが用意できない場合はライフル砲の投入を強く推奨する』と紅い文字で記載されているほどの強敵だ。
「―――いけそう?」
ロングバレルに換装したAK-19に、強装弾を装填したマガジンを装着しながら問いかけると、傍らで雪の上に伏せていたカーチャは微動だにせず「ええ」と涼しい声で答えた。
本当にやれるのかねぇ。
もう一度潜望鏡を覗き込み、レティクルの脇にある目盛りを目安に標的の身長を推定する。
スノーゴーレム、推定サイズは6.5……いや、6.7か。同族の中では小柄だ。比較的若い個体なのだろうか。
しかしあんなガチガチのヒグマみたいな奴を仕留めるならTOW、せめてRPGかカールグスタフが欲しくなるところだ。少なくとも銃弾で何とかなる相手とは思えんが……。
でも、パヴェルは「カーチャと対物ライフルがあれば大丈夫っしょ」とだけ言って送り出してきたもんだから、まあ……アイツの言う通りなのかもしれないが。
さて、そんな昨日のクラリスの助手席で気を失い、挙句の果てには嘔吐する羽目になった我らがカーチャ氏が構えているのは、古き時代の対戦車ライフルを思わせるサイズで―――しかし、それらよりもずっと新しい新型ライフルだった。
ウクライナ製対物ライフル『アリゲーター』。
全長2m、重量25㎏にも達する長大なこの対物ライフルは、かつてソ連が対戦車ライフルの弾薬として使用していた14.5mm弾を使用する大型の対物ライフルだ。その重量とサイズから運用は困難を極めるが、その射程距離と破壊力は圧倒的の一言で、まさに今のような、周囲に遮蔽物のない環境では無類の強さを誇る。
静かにボルトハンドルを引き、薬室内に14.5mm弾を装填するカーチャ。
薬莢に蒼いラインの描かれた弾丸で、徹甲弾である事が分かる。更にパヴェルからレクチャーでも受けたのだろう、最近のカーチャは自分で自分の使う弾薬の火薬まで調合、更には弾丸の材質まで吟味するようになったのだから驚きだ。そして凄まじい拘りようである。
この距離なら当たる―――そして仕留められるという確信があるのだろう。
ガチッ、とボルトハンドルを元の位置に戻したカーチャが、そっと人差し指を引き金にかける。
「準備は」
「いつでも」
「―――撃て」
短く命じた次の瞬間だった。
ドガンッ、ととても銃声とは言い難い爆音が右隣で炸裂した。銃口に装着された大型マズルブレーキ(バレットM82のものよりはるかに巨大だ)がガスを斜め後方へと逃がし反動を軽減。限界まで装薬を増量された14.5mm弾が、全長2mのライフル内で十分な加速を得た状態で外へと解き放たれる。
その直後だった。潜望鏡の向こうで、ぱっ、と紅い飛沫が飛び散ったのは。
こちらに背を向ける形でヘラジカを貪っていたスノーゴーレム。その後頭部、人間でいううなじの部分から真っ赤な血が溢れ出たかと思うと、左手で傷口を押さえようとした格好のまま、スノーゴーレムは雪原の中へと沈んでいった。
「ナイスショット」
「当然よ」
私を誰だと思ってるの、と得意気という感じでもなく、さらりと言いながら起き上がるカーチャ。25㎏もするライフルを背負い、サイドアームのグロック17を手に雪の中を歩き始める。
俺も潜望鏡の三脚を折り畳んでから背中に背負い、AK-19を抱えてスノーゴーレムの死体へと歩いていった。
途中、血の臭いにつられたスノーワームがスノーゴーレムの死体に群がる様子を見せたので、セミオートに切り替えたAK-19を何発か発砲しながら歩いていく。パンパンッ、と5.56mm弾の強装弾がスノーゴーレムの外殻を打ち据えるが、やはりあのレベルになると貫通は難しいようで、命中した部位からは火花が散った。
マガジンを交換しながら散発的な射撃を繰り返し、続けて周囲の雪の中に射撃。スノーゴーレムと、あわよくば仕留めたヘラジカを喰らおうと集まってきたスノーワームをあらかた追い払い、カーチャが仕留めた大物の死体を検める。
「……すげえ」
弾丸が着弾したのは、うなじにある外殻の繋ぎ目だった。幅にして実に数ミリという狭い隙間に、14.5mm徹甲弾が強引にめり込んでいったのである。
それだけじゃない。十分な運動エネルギーを保持したまま体内に突入した弾丸はそのまま頸椎をぶち折り直進、反対側にある首元を覆う外殻の内側に命中して砕け、その破片で更に周囲の筋肉繊維や組織をズタズタに引き裂いたのである。
急所を直撃し、仮に生き長らえていたとしても致命的な損傷を与える死神の一撃。
900m先の標的に対しての、完璧な狙撃だった。
「……カーチャ、狙撃を始めてそろそろどのくらいになる?」
「半月かしら」
半月でこれか。
新しい仲間の特技に、本当に心の底から「カーチャが敵じゃなくて良かった」と思った。
いや、彼女は元々敵だったんだけども。
ここから先、カーチャはどう伸びるのか。興味があったし同時に恐ろしくもなった。そして俺も負けてられないな、とも思う。
支給された信号拳銃を空に向けて撃つと、しばらくして雪原の向こうから除雪板付きのセダンがやってきた。ガリガリと雪を舞い上げ、強引に進路を確保しながら爆走してきたそのセダンから、小太りの猪の獣人が降りてくる。
冬季用の制服に身を包んだ、管理局の職員だった。
「凄い、本当にスノーゴーレムを……!」
「彼女の戦果ですよ」
「え……ああ、こちらの女性が仕留めたんですか!? それはそれは……大物ですよコイツは」
そう言いながら記録用の写真を撮影し始める職員。何枚か写真を撮ると、彼は三脚を折り畳んで車の後部座席へと乗せ、防寒カバーで覆ったカメラを首に下げながら敬礼、運転席に乗り込んで走り去っていった。
さすがに、こんなクッソ寒い中、しかもいつスノーゴーレムに襲われるかもわからんような場所に留まりたくはないのだろう。
「……さて、どうするのコイツ」
でかいけど、と言いながらスノーゴーレムを見下ろすカーチャ。
確かにこいつはデカい。トラックに積んだり、ヘリで吊るしてお持ち帰り……なんて真似は出来ないだろう。
「とりあえず、素材を取れるだけ剥ぎ取って後はスノーワームに処理させよう」
「それが一番現実的ね」
腰の鞘から即席のナイフ(大型の杭を叩いて鍛え、伸ばして研いだだけの簡単なナイフだ)を引っ張り出し、それを外殻の隙間に押し込んだ。てこの原理を使って少し煽ってみるが、しかしスノーゴーレムとて大型の魔物の端くれ。人の力で剥ぎ取れるほど外殻はヤワではない。
太腿にある革製の工具ホルダーからハンマーを取り出し、ガンガンとナイフの柄尻を殴打。即席のナイフを錐の如く、より深く食い込ませて外殻の隙間を大きくしたところで、AK-19のマズルを外殻の隙間に突っ込んだ。
その状態でセレクターレバーをセミオートからフルオートに弾き、マガジンが空になるまで発砲。外殻の隙間から血が詰まった排水溝のように湧き上がってくるが、それもすぐに流れ落ち、雪の中へと消えていった。
もう一度ナイフを掴み、煽ってみる。プツツ、と繊維状の何かが千切れる音を響かせながら外殻が剥がれ落ち、俺は息を吐いた。
雪の上に落ちた外殻を拾い上げ、表面を軽く手で払ってみる。
蒼く美しい、氷のような質感の外殻だった。磨き抜けば鏡の代用品としても使えそうだし、研磨して整えてやれば宝石みたいにもなるかもしれない。
こんな美しさとスノーゴーレムの討伐難度の高さからか、貴族たちの間ではコイツの素材が高値で取引されているのだそうだ。
「できるだけ持って帰るぞカーチャ」
「そうしたいのは山々だけど……なかなか剥ぎ取れなくない?」
「力業でも何でもいいからさ」
「はいはい」
コイツを売り払えば金になる。
高騰する食糧費に燃料費の足しとしては十分だろう。コイツの素材は、俺たち血盟旅団にとっての大きな助けとなる筈だ。




