実技講習
かなり昔に『枕の下に本を敷いて寝るとその本の内容が夢に出てくる』というおまじないみたいなのがあったのを思い出したので、懐かしくなっておねショタ系の健全な本で試した結果、新幹線に撥ね飛ばされる夢を見ました。
現場からは以上です。
「いや~、平和ですねぇ」
「平和だねぇ~」
11月1日、午後の実技の授業。
冬季封鎖が始まってから半月、外はまあ、予想をはるかに上回るレベルで雪が降り積もっている。
幸い、マズコフ・ラ・ドヌーは人口が多い都市なので、市民の皆さんと憲兵隊の皆さん総出でガチの除雪作業を日課としているおかげで、今のところはマズコフ・ラ・ドヌー市内に限っては車での往来が可能となっている。
それほどの過酷な降雪量ではあるが、もちろんノヴォシア帝国側も無策というわけではない。
場所にもよるが、高級住宅街や特に交通量が多い場所、それと教育機関(教習所とか)の道路の下に温水を通す配管を複数設置する事により、道路に雪が降り積もってもすぐに溶けるようにしてあるのだ。
いわゆる”ロードヒーティング”というやつである。
だから、教習所内にあるコースはドチャクソ積雪の中でも無事だった……今のところは。
これ、来月から大丈夫かなぁと思いながら交差点で一時停止。ちゃんと左右を確認してから先へと進む。
「そうそう、えらいですよぉリガロフ君。ちゃんと左右確認できてますねぇ~」
わざとらしい口調で、手にしたボードに点数を書き込んでいくパヴェル。そりゃあまあ、転生前にミカエル君は免許を取ってたし、転生後も無免許運転(憲兵さん本当にごめんなさい)してたりしたので運転のテクはそれなりだ。
少なくとも、クラリスよりは法令に則った安全運転だという自負がある。
ちなみにミカエル君は身長150㎝というミニマムサイズなので、運転の際は座席を限界まで前に移動させることで何とかペダルを踏み込めるようになる。視界はまあ……もうちょい身長欲しいなって感じはするけど、深刻なレベルの支障はないのでこれでいいんじゃないかな。
カーブを緩やかに曲がり、『止まれ』と書いてある標識の前で一時停止。左右確認をするが、何故か左側にはマキシム機関銃らしきものが置かれていた。しかも何故かソ連兵の制服を身に纏ったマネキン人形もセットで置いてある。
「なあにあれは」
「一時停止ヨシ。そうそう、安全第一ね。いきなり飛び出したら督戦隊に撃たれるかもしれないから」
「なんやねんソレ」
まあ、今更解説は不要だと思うけれど一応。
督戦隊というのは、前線で戦う部隊の後方に展開し、その部隊がちゃんと戦っているか、敵前逃亡しないかを監視する部隊の事だ。もし勝手に撤退するようだったら即座に粛清し、戦線の崩壊を恐怖で防ぐのが役目である。
人権という言葉を鼻で笑うのが好きな国でよく編成される。特にソ連。
どうやらノヴォシアでは交通ルールを無視するとあのようにマキシム機関銃を装備した督戦隊に粛清されるようなので注意しましょう。ミカエル君との約束だ。
「じゃあ次S字行こうか」
「はーい」
ハンドルを切ってカーブ、S字形の道路へ。
徐行しながらハンドルをゆっくりと切り、アスファルトの道路からはみ出さないよう細心の注意を払ってカーブ。転落防止用のバーを掠める事すらせず、すんなりと曲がってみせる。
「おー上手い」
「むふー」
どんなもんだい、と胸を張る。脳内の二頭身ミカエル君ズもみんな揃って得意気な顔だ。
S字の通路を抜けて再び十字路に差し掛かると、どういうわけか路肩にT-34が停車されていて、傍らにはPPSh-41を手にしたソ連兵の格好をしたマネキン人形が数体設置されている。
T-34の車体には真っ白なペンキで何やらスローガンのようなものがびっしりと書き込まれていて、さながらナチス・ドイツとソ連、二大軍事大国がガチで殴り合ってた独ソ戦の一幕のよう。
「先生あれは?」
「はい徐行ね。戦車の陰からソ連兵が飛び出してくるかもしれない」
「ソ連兵」
ソ連兵は飛び出してくるというか……こう、突っ込んでくるものなのではないだろうか?
なんかマジでソ連兵が飛び出して来そうな気配があったけれどそんな事はなく、雪の降り積もる中でうっすらと雪をかぶったT-34の隣を徐行で通過しただけだった。
「というかアレ何私物?」
「うん私物」
何やっとんねん。
「だってお前、免許すぐ取るの既定路線じゃん?」
「そりゃあまあ」
「だからちょっとふざけてもいいかなって」
「なんだそれ」
「普通に教習やったってつまんないでしょ?」
「まあね」
それはそうだ。
前世でも散々運転した(何なら就職先から岩手の田舎まで車で半日かけて運転した事もある)ので、運転なら自信がある。会社でも外回りの際に散々運転させられたし、飲み会でも酔っぱらった上司の送迎は俺の仕事だった。ホントマジ飲み会嫌い。仲の良い友達とかとワイワイやるならともかく、何で大して仲が良いわけでもない上司の接待やらなにやらせねばならんのか。
飲み会って残業時間に入……らない……? ああ、そうですか……。
いやいやいかんいかん、嫌なこと思い出した。
あの時はアレだったな、「俺が出世したら飲み会は廃止にしてやる」なんて選挙公約みたいなのを掲げて後輩から支持されてたっけ……。
そんな事を思いながら場内を運転……というより、教習所の敷地内を適当に流していると、隣にいるパヴェルも特にやる事がなくなったらしく、カーラジオのスイッチを入れた。
ノイズと一緒に流れてくるのは帝国内のニュースだ。北海で勃発した警戒艦隊同士の小競り合いで聖イーランド帝国海軍の駆逐艦1隻を中破に追い込んだ、という報道。やだねぇ、と思わず口から声が漏れる。
聖イーランドは大西洋のは果てにある島国だ(立地と文化的にイギリスに相当する国家である)。現在、ノヴォシア帝国は北海の制海権をこの聖イーランド帝国と争っており、戦争状態にこそないものの、双方の領海を巡っての小競り合いが絶えない状態だ。
この前なんかもこっちの掃海艇と向こうの駆逐艦が衝突したのを皮切りに、イーランドとノヴォシアの両陣営が巡洋艦を引っ張り出す騒ぎに発展したのは記憶に新しい。
「ガム食う?」
「たべりゅ」
パヴェルからガムを貰ってもぐもぐする。パイン味のガムだった。
ガムの味も良い感じに薄れてきたところで、ラジオからCMの音声が聴こえてきた。首都モスコヴァの大劇場でオペラの上演があるだの、ノヴォシア帝国で人気の週刊漫画雑誌『週刊ハラショー』の発売日は次の金曜日だの、お酒の飲み過ぎに注意しましょうという啓発のCMなど、バリエーションは豊かだ。
しかしお酒の飲み過ぎに対しての注意喚起のCMの後に『アルコール度数の限界値に挑んだ、これぞ酒の皇帝!!!』なんて謳い文句と共にウォッカのCMを流したのは当てつけなのだろうか。
「そーいやさ」
「んぁ」
「例の転生者殺し、その後の続報は何か入ってないの?」
教習所の敷地内に設けられた交差点で信号待ちをしながら問いかけると、助手席の窓を開けて葉巻を吸っていたパヴェルはぼりぼりと頭を掻いた。
「今のところは何も。カルロスも独自のルートで探ってくれてるが、収穫はなーんにもないね」
「不気味だな」
ホテル・リュハンシクでの戦い―――あそこで主戦力を喪失し、本当に組織として再起不能となったのであればそれでいい。が、転生者という人種に対しあれだけ桁外れの憎しみを持つ転生者殺しの連中がこの程度で諦めるとも思えない。
全てを失い、絶望の果てに復讐を誓った人間ほど恐ろしいものはない。そこまで行くともはや自分の生還すら期さず、己の命と引き換えにしてでも一矢報いようとする。それが、もたらされる戦果と自分の命を天秤にかけ、決して吊り合うものではなかったとしても、だ。
そういうところはテロリストと似た側面がある……というより、テロリストと何も変わらない。無抵抗の民間人を標的にした卑劣なテロリスト。ルールを無視し、暴力で自分たちの主張を押し通そうとするような野蛮人と何が違うというのか。
引き下がったならばそれで良し。だがまだ向かってくるようならば……。
「まあ、いずれケリはつけるさ」
携帯灰皿の中に短くなった葉巻を押し込み、パヴェルは助手席のハンドルをぐるぐる回して窓を閉めた(こっちの世界の車はハンドルを回して窓の開閉を行う。懐かしいよね)。
「―――連中のボス、俺に恨みがあるみたいだからな」
「どこ情報だ?」
「カルロス」
アイツなんでも知ってるな……本当に何者なんだろうか。
というか、カルロスという名前も偽名っぽい感じはする。詳しくは知らないが。
とはいえ、パヴェルを介して血盟旅団に接近してきたのだ。少なくとも敵ではないだろう。敵だったらパヴェルにコンタクトを取ってきた時点でシバいてる。
「お前何やったん?」
「知らねーよ」
「アレじゃね、戦友とか家族とか殺されたとか?」
「あのなー、俺がいちいち殺した奴の顔なんて覚えてるわけねーだろ」
さらりと怖い事を言うんじゃない。
「とりあえず今は連中に関する情報は全部集めてる。あちこちアンテナ張ってるから、その内なんか分かるだろ。そうなったらきっちりケリつけてくるからさ」
「……まあ、中途半端な因縁ほど危ないものはないからね」
「そういうことだ」
そこまで話したところで、授業終了のチャイムが聴こえてきた。
「んじゃ、ドライブはここまでだな。入り口の前停めて」
「はいはい~」
ガムをティッシュに出してから減速、ハザードランプをつけて校舎の入口の方に幅寄せしていく。次はモニカのようで、もこもこのコートを羽織りながらぶんぶん大きく手を振っているところだった。
サイドブレーキをかけ、パヴェルに「授業ありがと」とお礼を言ってから車を降りる。
「はい次モニカね」
「ふっふっふ、あたしのドライビングテクニックを見せつける時が来たみたいね!!!!!!!」
やめて爆音出さないで雪崩起きたらどうすんの……って思った傍から、屋根に降り積もっていた雪の塊が今の爆音ボイスで崩れ、どざー、とモニカの上にピンポイントで降り注いだ。
「にゃぷ!?」
「あらら」
言わんこっちゃない。
雪を払い落としてあげながら苦笑いし、「ほら、パヴェル待ってるから」と車に乗るように促す。
「み、見てなさい! あたしが一番最初に卒業してやるんだから!」
「お、それじゃあ競争しようか」
「いいわねぇ。じゃあ負けた方が何でも言う事を聞くって事で!」
ありがちなやつ。
でもまあ、勝つのは俺だ。この中で車を運転してた期間……はクラリスに軍配が上がるだろうが、安全運転という面を考慮すれば一番安定しているのは間違いなくこのミカエル君である筈だ。
大丈夫、負ける気配はない。というか負けた時の事が想像できない。
フハハハハ勝ったな風呂入ってくる。
すると俺とは別に教習所内をぐるぐる回っていたリーファのセダンも停まり、助手席から降りたカーチャが次の運転手―――クラリスを呼んだ。
「クラリス、次よ」
「はい。ではご主人様、行って参りますわね」
「気を付けてね~」
人の肉球をプニってから意気揚々と車に乗り込んでいくクラリス。今日の分の実技講習を終えたリーファはすっかり疲れたような様子で、いつもはぱっちりとしている目を細めながら校舎の待合室に入ってきた。
「はふー、疲れたネ~」
「お疲れ様。どうだった?」
「カーブの感覚いまいちわかんないヨ。危うく脱輪するところだったネ……」
あー……あれは確かに難しいかもしれない。
つい曲がり過ぎたり、内輪差を考慮せずに曲がって盛大に脱輪したり……昔教習所に通っていた頃を思い出す。
そんなリーファの話を聞いているうちに、いつの間にか教習所の敷地内にあるコースがサーキットと化していた。
何を言ってるか分からない?
それじゃあ分かりやすく、事細かに説明しよう。
敷地内のコースを明らかに90㎞/h(※路面濡れてます)で走行するクラリスのセダン。そんな彼女に対抗意識を燃やしたのか、負けじとアクセルを踏み込みクラリスのテールランプへと追いすがるモニカ。
コーナーはドリフトで強引に曲がり、すぐ体勢を立て直してアクセルベタ踏み。アスファルトとタイヤの擦れる音とエンジンの唸りが周囲に乱舞している。
クラリスの助手席に座ってるカーチャは必死に減速するように呼び掛けているも応じる様子ナシ。ではモニカの方に教員として乗り込んでるパヴェルはと言うと、ノリノリでアドバイスしながらゲラゲラ笑っているのが見えた。
あれ、おかしいな……普通教習所にある車って助手席にもブレーキついてる筈なんだけど……。
まさかとは思うけど、こっちの世界の教習車に無いのか? 助手席のブレーキ……。
唐突に始まった教習所内でのレース。既に両者ともフルスロットルで5週目に突入、クラリスの助手席に座るカーチャは気絶しかけているようだ。
お願いだから安全運転でお願いしますって……ホントマジで。
なんで教習所がサーキットと化すんだよおかしいだろ。




