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教習所に行こう


 ところで皆さんは覚えているだろうか?


 何食わぬ顔で座っている、クラリスとかいう女の運転がどれだけ凄まじいかを。


 その凄まじさを最初に目の当たりにしたのはキリウの屋敷での強盗を終え、隣町であるボリストポリへの逃避行の最中だった。峠の道を盗んだ車で逃げながら、追手の憲兵隊と大立ち回りを演じたわけだが、クラリスの運転はまあ……なかなかアレだった。


 峠道、「カーブ注意」、「減速せよ」の注意標識も何のその。アクセルベタ踏みは当たり前、急カーブはドリフトで強引に曲がるという力業でここまでやってきたのである。


 ブレーキを踏むと死ぬ呪いでも受けているのではないだろうか、と真面目に思うが、他にも色々とクラリスの運転は問題を抱えている。


 橋をショートカットしたり、何を思ったか湿原を突っ切ったり、挙げ句の果てにはそのままゴブリンを撥ね飛ばしたりとやりたい放題だ。憲兵さんが見たら逮捕どころか卒倒しそうである。


 まあ、それも教習所で改めて指導を受ければ少しはマシになるのではないか……そこまで思い至り、ふと彼女に問いかける。


「そういえばさクラリス」


「はい、ご主人様」


「……クラリスって航空免許は持ってるんだよね?」


「はい、テンプル騎士団時代に合格を頂きましたわ」


「じゃあ……車の免許は?」


 すごく当たり前の質問に、クラリスはきょとんとした顔をした後、屈託のない笑みを浮かべながら答えてくれた。


「テンプル騎士団内部の教習所で合格を頂いていますわ」


「……嘘だぁ」


 テンプル騎士団の教官の目は節穴か? それとも当時のクラリスはまともな運転をしていたのか?


 うーん謎(たぶん前者だとは思う)。


 だって急カーブの連続となる峠道でアクセルベタ踏みの全速前進、カーブはドリフトで曲がる有様だ。速度計が常に振り切れ、道路にも車にも、そして同乗者にも優しくない運転である。


 あんなんでよく合格できたものだ……。


 ほんの少し、ほんの少しでいい。せめてクラリスが、『減速』という概念を覚えてくれればいいな……と淡い期待を抱きながら、事前に記入した願書を手に車に乗り込んだ。


 久々の出番となったソ連の名車、ブハンカ君。後部座席には既にリーファに範三、モニカが乗り込んでおり、運転席にはクラリス……ではなく、シスター・イルゼがスタンバイしていた。


 今まで当たり前のようにクラリスが運転していたが、さすがに無免許運転で教習所に行くのはアカンやろ、という事だ。


 助手席にクラリスが乗り込み、俺もリーファと範三の間に小さな身体を押し込む。このミニマムボディはコンプレックスでしかなかった(せめて160は欲しかった)が、こういう時には便利なもんだと痛感させられる。


 でもこれアレだよな……潜水艦の映画とかだと狭い場所の修理に行かされるやつだよな……うーん身体が小さいのも考え物である。


「出発しますよー」


 そんな俺たちを乗せ、引率のシスター・イルゼはブハンカを走らせた。


 列車の格納庫から線路に降り、踏み切りから車道へと出る。雪がフロントバンパーに当たり、ガリガリと削るような音が聞こえてきた。


 交差点を通過し、冬もなお凍てつく事のない雄大なドン川の威容も後方に過ぎ去ったところで、貴族の屋敷っぽい建物が見えてくる。


 傍から見れば確かに貴族の屋敷に見えてくるけど、貴族が好んで住むのは大概市街地の高級住宅街。郊外にポツンと建っている貴族の屋敷なんて珍しい。


 が、良く見るとそれは貴族の屋敷なんかじゃなかった。


 外には交差点を模した道路があったり、S字に曲がりくねった道が用意されている。隅の方には駐車場があり、車体の横にこれ見よがしに『マズコフ・ラ・ドヌー教習所』と書かれたセダンが何台も並んでいる。


 あそこだ。この冬の間、俺たちが通うことになる教習所は。


 駐車場にブハンカを停めると、シスター・イルゼは俺たちを笑顔で送り出してくれた。


「それでは夕方に迎えに参ります。合格目指して頑張ってくださいね」


「ありがとう、シスター。行ってくるよ」


 そう言い、ブハンカから降りた。


 さて―――やりますか。


 まあ、転生前にも運転免許は取ってるし楽なもんだろ。幸い、この世界の道路交通法は前世の日本とそう変わらない。ゲームで言うと『能力値・装備を引き継いで二週目突入』みたいなもんだ。


 楽でいいな、コレ。
















 えー、皆さんどうも。ミカエルです。


 冬が本格化する中いかがお過ごしでしょうか?


 俺? 俺はねぇ、教習所に免許取りに来てるんだけども……。


「はーい、皆さん注目~」


 黒板に手慣れた感じでチョークを走らせていく教官。薪ストーブが薪を燃やすパチパチという音に、チョークの音が混ざり混む。


 やがて、黒板には人名が書かれていた。


「というわけで本日から皆さんに車の運転やら何やらを教える事になりました、パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフと―――」


「―――補助教員のカーチャ・チェブレンコです。よろしく」


 赤ネクタイにスーツ姿、そしてなぜかサングラス。教員というよりアレ完全に裏社会を渡り歩いてきたマフィアの幹部だよねアレ。


 というか、それよりも。


「……何故にお前らがここにいるの?」


「いやー、暇だから教員になっちゃった」


「暇だから」


「あ、一応教員免許持ってるよ。ぶいぶい」


 そう言いながら、懐から手帳を取り出すパヴェル。教員免許がそこに確かにあったが、なんか写ってる顔写真が収監されたばかりの凶悪犯罪者とか麻薬カルテルの重役に見えるのは気のせいだろうか。


 この男、兎にも角にも人相が悪すぎる。


 その隣では同じく教員免許の入った手帳を広げたカーチャが、小さい胸(大変失礼いたしました)を張りながら、誇らしげにメガネを指先でクイッと押し上げている。


 例のビデオレターの時といい、なぜこのカーチャ・チェブレンコという顔の良い女はノリノリなのか。常識人を装ってこそいるが、何だかんだでカーチャも馬鹿やるのが好きらしい。


「……いやいやいやそうじゃなくて」


「何だねリガロフ君」


「他の教員は?」


「腰痛やら風邪やらで大量に休んでるよ。それで臨時教員募集してたから応募した」


「先生、話が進まないので授業に入りましょう」


「アッハイ」


 ぴしゃり、とカーチャに促され、パヴェルは黒板に信号機の絵を描き始める。


 その間に教室の中を見渡した。薪ストーブのおかげでそれなりに暖かい部屋の中、席に着いてるのは俺、クラリス、モニカ、リーファ、範三の5人のみ。結盟旅団で貸切状態である。


 パヴェルもこのテンションなのできっといつものノリで授業が進むのだろう(パヴェルはベテラン自衛官みたくスイッチオンオフでのギャップがすごい)。


「はい、じゃあ基本的なね、交通ルールからやっていこうと思います。手始めに信号機の意味から行こうかな。じゃあハイ、範三」


「む、某か」


「信号機の赤、青、黄色の意味を答えてください」


 イヤイヤこれ分かるわけないだろ。


 聞く話によると倭国ではまだ自動車が普及しておらず、大名や幕府の偉い人くらいしか車を所有していないのだそうだ。依然として馬、あるいは徒歩での移動が現役な倭国なのだから、範三がそれを理解しているとはとても……。


「―――赤は赤鬼、青は青鬼にござる」


 ハイ予想通りー!


 分からないからって適当に答えおったよこのお侍さん……マジか、マジなのか範三。 


「黄色は?」


「……サツマイモ」


「ブフッwww」


 吹き出しながら『70点』と書かれたプラカードを掲げるパヴェル先生。お願いだから真面目に授業してください。


「じゃあ次はリーファ」


「ンー……」


 リーファにも難しいのでは?


 彼女の祖国、ジョンファ帝国も近代化に遅れを取っていて、車の普及は進んでいないと聞く。宮廷関係者とか皇帝くらいしか車には乗れないのではないだろうか。


 下手したら祖国で信号機すら見たことがない可能性すらある。


「赤は赤唐辛子、青は青唐辛子?」


「黄色は?」


「中火?」


 なんで街中に中華料理の作り方が記載されなければならんのか。


「今後に期待」


 謎の評価を口にしながら『60点』のプラカードを掲げるパヴェル。もうちょい捻りが欲しいという事だろうが、今必要なのは面白いボケではなく正確な答えなのではないだろうか?


「というわけでね、正解は……クラリス、分かるだろ」


「 任 せ て く だ さ い 」


 もうダメそう。


 思い切りフラグを立てながら立ち上がるクラリス。これは間違えようがない、と自信満々なのか、でっかい胸を張っている。


「青は前進、黄色は気を付けて前進、赤は死ぬ気で前進ですわ!」


 教壇に立つパヴェルとカーチャが、それこそ昭和のギャグマンガよろしくずっこけた。リアクションが古いよというツッコミはさておき、何だその答えは。


 アレか、もしかしてテンプル騎士団ってそんな風に教えてたのか? とにかく全部前進、後ろに下がったら背後の督戦隊が重機関銃でダダダダダ……みたいな、そんな殺伐とした交通事情だったのか?


 何でそうなるんだよ……。


「むふー」


「……クラリス、不正解だ」


「がーん」


 あ、しょんぼりクラリスになっちゃった……。


 塩をかけられたナメクジよろしく萎れていくクラリス。口からメガネをかけた魂が出てきて天に召されそうになったけれど、カメレオンみたくクラリスの舌が伸びて魂を絡め取り、そのまま口の中へと戻していく……何だアレ。


 というか初日からコレか。初日の、それも初回の授業からコレなのか。


 まったく、先が思いやられる……。



















 ノヴォシアと日本の交通法に関する事だが、特に大きく変わる点はない。


 強いて言うなら、車道を通行する際は日本は左側通行だったのに対し、ノヴォシア、イライナ、ベラシアの三大地方では右側通行となっている。だからどの車も運転席が左側に用意されているのだ。


 教本をいったん閉じ、背伸びをする。


 待合室には少し大きめの薪ストーブが置かれていて、ストーブの上には水の入った金盥かなだらいがある。冬になると空気が乾燥するので、ああやって待合室の中の空気を保湿しているのだろう。


 懐かしい。転生前、小学校の時の事を思い出す。


 薪の燃える臭いが立ち込める待合室の中、ふと窓に視線を向けると、運転席に範三が座り、助手席にパヴェルの乗った教習所のセダンがエンジンを唸らせているところだった。


 今日は午前中が座学、午後が実技だ。とはいえまだ車を走らせるのではなく、エンジンの始動と半クラの感覚を覚える事が目的だそうだ。


 この世界には車が普及している(とはいえ未だ富裕層が中心だ)が、その車も殆どがMT車だ。AT車もあるにはあるそうだが、その数はかなり希少で、資金に余裕のある貴族かその手のマニアくらいしか持っていないのだそうだ。


 ちなみにミカエル君も、転生者が召喚したものを除いてはまだこの世界でAT車を見た事がない。


 ブォォン、と一際大きなエンジン音が聞こえ、運転席で悔しそうに唇を噛み締める範三と、そんな彼の肩を優しく叩きながらアドバイスするパヴェルの姿が見える。どうやら範三氏、半クラをミスってエンストさせてしまったらしい。


 懐かしいものだ。俺も転生前に教習所に通っていた際、よく半クラのタイミングが分からずエンストしまくって落ち込んでいたのを思い出す。


 まあ、人によってはすぐ半クラの感覚を覚えてしまうものなのだろうが……範三の場合、何度も反復して身体で覚えるタイプだから、習得には時間がかかりそうだ。ただしそういうタイプは、一度身に着けてしまうと決して忘れないという強みがある。


 しばらくして、範三が車から降りてきた。


「リーファ殿、出番にござる」


「はいはーイ。それじゃ行ってくるヨダンチョさん」


「いってらっしゃーい」


 ちなみに俺は最初にやって今日の課題はクリア、今はこうやって念のため教本で復習中というわけだ。


 どっかりと俺の隣に腰を下ろした範三に「お疲れ様~」と労いの言葉をかけながら、懐から取り出したキャンディを渡す。ミカエル君は甘いものが好きだし、スラムとかを訪れた際にお腹を空かせた子供に分けてあげることができるよう、こうしてお菓子を常備しているのだ。


 糖分は人生に必要な物質である。


「どうだった?」


「いやぁ~……”はんくら”、侮り難し。パヴェル殿曰く『音が微妙に変わるタイミングがある』との事だが、某にはそれがまだいまいち分からぬ。どうしても”くらっち”を離すのが早すぎて”えんすと”してしまうのだ」


「まあ……慣れだよ、慣れ」


「うむ……まあそれは身体で覚えるとして、ミカエル殿はすぐに乗りこなしていたようだが」


「そりゃあ、日頃から運転してたし……こっちの世界に転生する前も運転免許持ってたからね。身体が覚えてたんだ」


「ふむ、左様にござるか……」


 むむむ、と唸りながら教本とにらめっこする範三。何か飲み物貰ってくるよ、と席を立って窓の外を見ると、ちょうどリーファもエンストをかましているところだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 範三、その気持ち、よくわかるよ。最初は半クラ難しいよな… でもね、そのうちクラッチのミートが分かってくるから。それまでの辛抱だよ… そして我らがアイドルミカエル君。そのミニマムサイズでベダル…
[一言] 冬休みに免許合宿って学生みてぇ、田上も学生時代に取ってなかった。 全部入隊後だ(大特カタピラ限定→普通自動二輪→大型自衛隊限定) 裏で手回したかと思ったら案外あり得そうな感じで草 自教「…
[一言] 175cm超えの自分、戦車兵に配属可能なミカエルくんを羨ましく思う(in Soviet) 自分は車好きだから免許持てない年齢でも交通ルールはある程度は分かる…しかしクラリスさん、ほんとにな…
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