スノーワームの使い道
「はーい、朝ごはんができましたよー!」
「わーい」
どん、とエプロン姿のノンナが勢いよくテーブルの上に置いた皿の上に乗っていたのは、こんがりとキツネ色に染まり、美味しそうなバターとキャラメルの香りを放つパンケーキだった。
しかも何だろう、食べ盛りの学生向けだとでも言いたいのか、豪勢な事に5段重ねである。そりゃあこちとら冒険者、身体を動かして激しくカロリー消費をするのが日常茶飯事だ。なので冒険者向けの食事は高カロリーである事が望ましい。
こういう事もあって、大抵の管理局に併設されている冒険者向けの食堂ではそれを想定して高カロリーに調整した食事が提供されている。だから冒険者ならばともかく、一般人が毎日食べていたら生活習慣病と末永いお付き合いになってしまうのだ。
パヴェルもそれを理解してカロリー調整をしてくれている。
さて、普通ならパンケーキの上にはバターと蜂蜜をかけるのが定番であるが……厨房でパヴェルが焼いてくれたパンケーキの上に乗っているのは、蜂蜜ではないらしい。
ドロッとした黒い液体で、しかしキャラメルのように甘い香りを放っている。
「これは?」
「何だと思う? まあ、食ってみな」
「???」
ヒグマのイラストの下に”KUMA”と書かれたエプロンを身に纏うパヴェルにそんな事を言われ、俺とクラリスは顔を見合わせる。
一見するとカラメルソースを思わせるが、質感は少し水っぽい水飴のような……何だろう、キャラメルソースにしては黒すぎるような気もするのだが……?
スーッとナイフを入れ、ふんわりとしたパンケーキを口へと運ぶ。
バターの風味と柔らかい生地の食感、それに加えて案の定、キャラメルの味が口の中いっぱいに広がって幸せになる。脳内の二頭身ミカエル君ズもニッコニコだ。
「……キャラメル?」
「違うんだなぁこれが」
そう言いながらカウンター席の上にどどんとパヴェルが置いたのは、何とスノーワームだった。カブトムシの幼虫を思わせる姿で、雪のように白いその身体は雪中における保護色であると考えられている。皮膚の透明度は高い方で、お尻の辺りには溜め込んだ糞がうっすらと黒く見えるほどだ。
頭には大きな口があり、その中には不規則に、それも「とりあえず空いたスペースに牙生やしとくか」的なノリでびっしりと生えた、大小さまざまな牙がある。あんなのが雪の中、寒さで動きの鈍った動物や、寒さで凍え死んだ動物を標的に大挙して襲ってくるのだ。
だから特に生息数の多いイライナでは、原則として「雪原で死んだら死体は残らない」とされている。雪の中で死ねば、それが人の死体だろうとマンモスの死体だろうともれなくスノーワームの餌となり、最終的にはイライナの土になるからである。
そんな獰猛な魔物だが、その肉は火を通すとキャラメルのような味になる。それに単体であればそれほどの脅威でもなく、子供でも鷲掴みにできる程度なので、勇気のあるスラムの子供は安物のくず肉とかその辺で捕まえたネズミを餌に、スノーワームを食料として調達する事もある。
地域によっては冬季における貴重なタンパク源ともなる。
「スノーワーム?」
「そ。前々から思ってたのよね、コイツら調理すればスイーツに早変わりするんじゃないかって」
確かにキャラメル味(見た目はキモさの極み)がするが、しかしあれでスイーツを作ろう、という発想になるだろうか?
「じゃあ、このキャラメルソースはもしかして……?」
「スノーワームを使った。まあ見てな」
そう言うなり、パヴェルはまな板の上でスノーワームの頭と尻尾を包丁で切り落とした。
どろり、とヨーグルトみたいな質感の、緑色の体液が溢れ出る。本当に見た目のせいで食欲もクソもない生物であるが、初めてスノーワームの味はキャラメル味であると発見した人はどれだけ食糧事情が厳しかったのだろうか。
先人ってチャレンジャーばかりである。
うわ、と隣で見ていたモニカが声を漏らすが、しかしそれでも容赦なくパヴェルの手による調理は続く。
そしてそんな様子を、遠巻きにではあるが興味深そうに観察するカルロス。彼はどうやら、イライナ地方やノヴォシア帝国にやってきてまだ日が浅いらしく、色んな事に興味を持っていた。
「頭と尻尾を切除、これがまず第一。頭は牙だらけで食えたもんじゃないし、尻尾は糞がぎっしり詰まってるからな」
スノーワームは6ヵ月という短い寿命であるが、生まれてから死ぬまでに排泄する事は一度もない。一生分の糞を尾の中にある器官に溜め込んで、そのまま雪解けと共に絶命するのだ。
そして雪解けのシーズンになると、泥濘と化した泥とスノーワームの死体が攪拌され、イライナの世界一肥沃と言われるあの土が出来上がる。つまりスノーワームは雪原の脅威であると同時に、これ以上ないほど良質な肥料でもあるのだ。
そういう事もあって、尾の器官に溜め込まれた糞はそれなりの金額で取引される。特に、ノヴォシア地方などの土地が痩せ、あまり農業に適さない地域であれば凄まじい金額にもなるという。
「切除したら後は胴体を適当な大きさに切る。体液は洗い落としてもいいが、味には特に影響しないのでそのままでも良い。とりあえず適当なサイズにカットしたら、次はそれをミキサーにどーん」
どささ、と緑色の体液を垂れ流すグロテスクな肉塊を容赦なくミキサーへと放り込んでいくパヴェル。蓋を閉じ、スイッチを入れると、ミキサーが振動を発しながら動き始めた。
この世界ではまだコンセントを差し込んで動く家電は普及していない。ミキサーも例外ではなく、小型の灯油タンクとエンジンで動くという随分とアレな仕様になっている。
ブブブ、とバイクのエンジンみたいな音を発しながら動き出したミキサー。内部にある肉塊があっという間に磨り潰されていき、ピンク色のペーストに早変わりする。
「後はこれを鍋に入れて、砂糖を大さじ3杯、水を300CCくらいか。まあ適当に加えて後は弱火で煮込むだけ」
分量が割と適当で草。
そんな感じで煮込んでいくと、段々と美味しそうな香りが食堂車に充満し始めた。キャラメルの香りだ。
やがて鍋の中で煮込まれていたペーストが黒く変色し始め、現在進行形でもぐもぐしているパンケーキの上にかかっているキャラメルソースと全く同じものに変わっていく。
「すげー……」
「これ、ああやって作ってたんですのね……」
「まあ、これは比較的痩せたノヴォシア産スノーワームだからこそ砂糖が必要になるわけで、イライナ産だったら単純に煮込むだけでこうなるよ。たぶん」
パヴェルの指摘通り、ノヴォシア産のスノーワームはイライナ地方に生息するスノーワームと比較すると痩せていて、甘みもあまり強くはない。いや、不味いわけではないのだが、強い甘みのあるスノーワームをおやつ代わりに食べながら育ってきたイライナ人一同としては、どうしても物足りなさを感じてしまう。
まあ、でもスノーワームのためだけにイライナに戻るわけにもいかない(というかもう戻れない)し、しばらくはノヴォシア産のやつでお茶を濁すしかなさそうだ。
パヴェルの創意工夫には、本当に脱帽である。
『冒険者にオフシーズンはない』というのは、黎明期の冒険者”レオン・S・ノーマン”の名言である。
その通り、冒険者にオフシーズン、つまりは休みの期間など存在しない……というのは厳密には誤りで、仕事した分だけ報酬がもらえるという資本主義の極みのような職業上、いつ働いていつ頃をオフシーズンにするかは個人の判断に委ねられる。
しかしオフシーズンを設定し仕事をしなければ、当然ながら収入が無くなってしまう。なのでオフシーズンを設け長期休暇でリフレッシュするか、それとも死に物狂いで働くかは個人の自由なのだ。
上記の『冒険者にオフシーズンはない』という先人の発言は、要約すると『死にたくなきゃ働け』という遠回しの戒めなのである。
そういう事もあって、血盟旅団にもオフシーズンはない。
冬季でも仕事は舞い込んでくるし、いくら国中の流通が止まってしまっているといっても、食料や燃料が全く買えないわけではない。値段が異様に高騰するが、一応は手に入るのだ。
なのでとにかく、厳しい冬を乗り切るためにも金を稼ぐ必要がある。冒険者にオフシーズンはない、確かにその通りだ……少なくとも、このノヴォシア帝国においては。
いくぞ、と合図し、ドアの蝶番に向かって引き金を引いた。
短く切り詰められたソードオフ・ショットガン―――『サーブ・スーパーショーティ』に装填されていたスラグ弾が蝶番を吹き飛ばし、そのまま古びた扉に渾身の蹴りを叩き込む。
バァンッ、と勢いよく倒れた扉の向こうに居たのは、蜘蛛の下半身に人間の女性の上半身をくっつけたような異形の怪物―――『アラクネ』たちだ。
ハーピーやラミアと同じく、生物の進化の上で不自然な発達をしている点が多く見受けられる事から、これもラミアたちのように旧人類が遺伝子操作の最中に生み出し、そのまま野生化してしまったタイプの魔物なのではないかと推測されている。
そんなアラクネたちは今、どうやら食事中のようだった。この古びた廃屋を巣にし、近くを通りかかった農民や冒険者、動物たちを餌食にしていたのだろう。糸でぐるぐる巻きにされた繭のような物体にかぶりついていたアラクネたちが、一斉にこっちを振り向く。
が、彼女たちがこっちに糸を吐き出したり飛びかかってくるよりも、手に持ったショットガンのフォアグリップ(短く切り詰められたせいでフォアエンドではなく特注のフォアグリップがある)を引き、そのまま引き金を引いて火を噴く方が早かった。
ドアブリーチング用に装填していたスラグ弾が、鎧のように硬いアラクネの外殻をガラスのように撃ち抜いた。空気抵抗の関係で射程は短く、命中精度にも難があるそれは、しかし至近距離であればそれらの欠点も関係がない。
暴力的なまでの威力でアラクネを1体仕留めたところで、武器をAK-19に持ち替えた。AK-12ベースの、5.56mm仕様のカラシニコフ・ライフル。装填しているのはアラクネの外殻を撃ち抜けるよう、限界まで装薬を増量した強装弾だ。
それは正解だったようで、5.56mm弾は次々にアラクネの外殻を穿ち、奴らに反撃する時間すら与えずあの世に送り出してしまった。
リューポルド社製のLCOドットサイトを覗き込みながら室内を索敵、殲滅が終わった事を示すためにタンプルソーダの王冠を部屋の真ん中に置いておく。
次の部屋に移る―――前に、サーブ・スーパーショーティを再装填。フォアグリップを引いて薬室の中にスラグ弾を1発、続けて切り詰められたチューブマガジンの中に2発、まとめて装填する。
さーて次の部屋を調べるか、と廊下に出た次の瞬間だった。
どかーん、と派手に埃を巻き上げながら壁が吹き飛び、顔面が変形したアラクネが長い足を痙攣させながら廊下に投げ出されてきたのである。よほど強い力で殴られたのだろう、顔面の骨は見事に陥没していて、人間の顔を模したあらゆる器官からは紫色の、ブルーベリーみたいな体液が溢れている。
念のため心臓の辺りと、蜘蛛の姿をした下半身に1発ずつスラグ弾を撃ち込んでおいた。完全にアラクネが動かなくなったのを確認しつつスラグ弾を装填、ちらりと部屋の中を覗き込む。
かつては冒険者向けの宿屋だったであろう廃屋の2階。客室の1つ、壁に深々と穿たれた穴の向こうではパンダが大暴れしてるところだった。
「ほぁたァ!」
『ギエッ』
「せいィ!」
『グギュ』
飛び膝蹴りで顔面を粉砕、怯んだアラクネにそのまま空中で身体を捻り、強烈な回し蹴りを放つのはもちろんリーファ。パンダの獣人である彼女もまた、血盟旅団が誇る馬鹿力ウーマンズの1人である(※もちろん筆頭はクラリスである)。
パンダって愛らしい顔つきをしていて可愛いが、忘れてはいけない。パンダもまたれっきとした熊の仲間である事を。
生まれつきの筋力を更に幼い頃に習っていたという拳法を下敷きにし、そこからさらに自分で研鑽を続けたリーファの肉体が生み出す破壊力は、銃弾に勝るとも劣らない威力がある。
全体重と遠心力が限界まで乗せられた回し蹴りをもろに頭に受けたアラクネの首から、首の骨が蹴りの威力に敗北する音が聞こえてきた。ボキュッ、と湿った物体の中で骨が折れる音。こう見えてミカエル君も転生前に空手を習っていたので、格闘技に関してはそれなりに知識があるが、あれは痛いなんてものじゃない。あんなのを喰らったら良くて失神、最悪死亡である。
そしてアラクネは、最悪な可能性の方を引き当ててしまったようだ。強烈な蹴りを受けたアラクネの首が180度ありえない方向へと曲がるや、そのままゆっくりと崩れ落ちていくアラクネ。
しかしリーファも容赦がない。まだ痙攣しているアラクネの死体、その心臓に向かって渾身の正拳突きを叩き込んで確実に絶命させると、こっちを振り向いてニカッと笑みを作る。
「ダンチョさん終わったネ!」
「お、おう……」
相変わらずの徒手空拳、さすがである。
「えへへ、褒めてくれるか?」
「う、うん……相変わらずすげーわ……」
「えへへ」
撫でてと言わんばかりにリーファが頭を下げてきたので、とりあえず撫でておいた。嬉しいのだろうか、小ぶりなパンダのケモミミが撫でる度にピコピコ動いてて可愛いんだけどナニコレ。無限に撫でてられる。
そんな感じでずっとリーファの頭を撫でていた俺と、1階のアラクネ殲滅を終えて階段を上がってきたクラリスと目が合ったのはすぐの事だった。
「「あっ」」
「うふふ……1階は終わりましたわ。さあ、帰りましょうご主人様」
「ぴゃ、ぴゃい……」
なんだろう、笑顔が怖い。
引きつった顔のまま、俺とリーファはとりあえずクラリスの後に続いて廃屋を出た。
列車に戻った後、クラリスにもなでなでする事で許してもらったのは言うまでもないだろう。




