レオノフ家強盗計画
人生で危機を感じた瞬間は、今までいくつもあった。
夏休み最終日なのに宿題が全然終わってない小学生の夏。冬休み最終日なのに宿題が山のように残っている中学生の冬。春休み最終日なのに宿題に全く手を付けてない高校生の春。いやあ、さすがに抱いた危機が現実になった事故死はノーカンにするとしても、それでも心の底から”これやべえだろ”ってなった瞬間は数えきれない。
その記録が今、更に重ねられようとしている。
「~♪」
鼻歌を口ずさみながら、するするとウエディングドレスを脱いでいくモニカ。段々と露になっていく彼女の真っ白な肌を直視するわけにもいかず、異性の扱いに不慣れな童貞のミカエル君は必死に視線を逸らして抵抗する。
客車に用意された寝室の一室、モニカ用に臨時で用意された部屋の中。床に寝そべれば入り口のドアから窓際まで指先が届いてしまう程度のスペースしかないその部屋の中に、モニカと俺の2人だけとはどういう事か。
こうなってしまったのにはちゃんと理由があるので、順を追って説明させてもらう。
まず、モニカからの依頼でレオノフ家に盗みに入る事になった。これは周知の事実なので割愛するとして、それにモニカも同行する事になったのだ。幸い、以前にパヴェルが下見した時の情報と、レオノフ家の構造や警備体制を熟知しているモニカも同行するという事で偵察はドローンで軽く下見する程度に留める事となった。これは良い。
しかしそうなると問題になるのが、モニカの服装だった。
今の彼女は、身に着けているウエディングドレスしか服がない。他の仲間の服を貸そうにも、俺のはサイズが小さすぎる(身長150㎝のミカエル君に対し身長166㎝くらいのモニカである)し、クラリスの服を貸そうにも身長183㎝の彼女の服は、いくら何でもモニカには大き過ぎる。
無論、パヴェルのは論外だ。
というわけで選択肢としては服を買うのがベストなのだが……どういうわけか、彼女の分の”強盗装束”も準備する事になり、サイズを測るになったのである。
それはいい、服を作るのにサイズの測定は必須だ。
でもさ……なんで俺がモニカのサイズを測らねばならぬ?
女の子ですよモニカ。それに対し男の娘ですよミカエル君。これでいいのか? せめてクラリスでしょこれ、男にサイズ図らせちゃダメなやつでしょコレ。
「ミカ、何してるの?」
「い、いやぁ……あはは」
「?」
既にモニカは下着姿だった。彼女の真っ白な肌と、白猫の獣人ゆえの純白の毛並みに、淡いピンク色の下着が映える……ってバカバカ、凝視すんな。しっかりしろ、正気を保て童貞。そんなだからいつまで経っても童貞なんだぞ童貞。分かったか童貞。
自分で自分を罵倒していると、モニカが額に触れてきた。手のひらにある肉球の柔らかい感触と、春に咲く花を思わせる甘い香りが広がり、顔が一気に赤くなる。
「大丈夫? 顔赤いけど……熱はなさそうね」
「は……はひ」
「まあいいわ、さっさと測ってよ」
「……」
「ふふっ、ミカったらなんでそんなに恥ずかしがってるのよ? 別にいいじゃない、女の子同士なんだし」
これはカミングアウトするべきか。ミカエル君は男だってカミングアウトするべきなのか。でもここまで来て男ですよって言ったら引っ叩かれるよねコレ。既に後戻りできるラインを超過しちゃってるような気がするんだが気のせいだろうか? え、気のせいじゃない? そう。
ええい、ここまで来てしまったなら行けるところまで行ってしまえ。当たって砕けろだ……このまま突き進んだらマジで木っ端微塵になりそうな勢いだが。
呼吸を整え、ミカエル君は覚悟を決めた。
「まず城郭都市リーネの状況だが」
客車の1階に用意されたブリーフィングルームの中で、立体映像投影装置が起動する。血盟旅団のエンブレム―――剣を咥え、翼を広げたドラゴンのエンブレムが映し出されたかと思いきや、すぐに城郭都市リーネの状況を映した映像や画像のウィンドウが表示され、それらの一つ一つに視線を向ける。
城郭都市リーネの内部は随分と混乱しているようだった。ペレノフ教会の周囲や高級住宅街には、まるで総動員をかけたかのように大量の憲兵隊が巡回している。それだけではない、城郭都市リーネの外も憲兵隊の巡回ルートに入っているようで、今回の一件で憲兵隊の面子が丸潰れになったのは想像に難くない。
まあ、それはそうだろう。実質的にリーネを牛耳る貴族のスレンコフ家、その長男の結婚式を妨害されたばかりか、花嫁を連れ去られ、更にはその犯人を取り逃がすという大失態を犯したのだ。少なくともリーネ憲兵隊の信用は地に堕ちたと考えて良い。
汚名返上と言わんばかりに、犯人の追跡に力が入るのも頷ける。
普通ならここでリーネを離れるのが最善だろうが、俺たちはその裏をかく事にした。敢えてリーネ郊外の廃線となった路線の廃駅に潜伏、列車を拠点とし強盗計画を練る事にしたのである。
屋敷の状況については、パヴェルがドローンで偵察してくれている。さすがに内部の状況についてまでは分からないが……足りないところはモニカが屋敷の構造図を書いてくれているので、それで補う方向で考えよう。
「警備体制は強盗前の3割増し。屋敷も警備兵が増員、更に難攻不落の要塞となった。それだけじゃない」
ただでさえ警備が厳重なのに、と悪態をつく暇もなく、パヴェルは次の映像に切り替える。
そこに映っていたのは、異形の兵器だった。
「なんだこりゃ?」
レオノフ家の裏口―――物資やら兵器やらの搬入に使われていると思われる大きなガレージに停車するトラックと、その荷台から降ろされる代物。
それを一言で例えるなら”機械のカマキリ”と言うべき代物だった。棘のように細く鋭い4本の足に支えられた、あまりにも華奢すぎる胴体。人間の背骨のようなデザインの胴体からは肋骨のようなパーツがいくつも伸びていて、その内側には臓器の代わりにエンジンのようなものがいくつか取り付けられているのが分かる。
”頭”にあたる部位は鳥の嘴、あるいはアリクイの頭を思わせる形状だった。顔と思われる部位に鼻や口は無く、ぎょろりとした眼球状のセンサーが据え付けられている。
そして最大の特徴は、その両腕だ。映像では折り畳まれている状態だが―――両腕には折り畳み式の大型ブレードらしき武器が搭載されているものと思われる。近くで搬入を手伝っている警備兵と対比する限りでは、冒険者向けの大剣を遥かに超える大型のブレードであることが分かる。あれを振るわれれば、人体など簡単に両断されてしまうだろう。
機械のカマキリ―――その表現は、決して間違ってはいない。
「なんだありゃあ」
「おそらくだが、ザリンツィクで開発されている機動兵器の一種だろう」
腕を組みながら、パヴェルは平然とそう言った。
機動兵器? 機動兵器だって?
そんなSFみたいなもん作ってるのかと言いたくなるが、考えられない話ではなかった。この世界、少なくともノヴォシア帝国の技術水準は、前世の世界でいうと1850年代から1900年代くらい。マスケットや戦列歩兵が戦争の主役で、国内では主に富裕層に自動車が普及している……国民の娯楽として各家庭にはラジオが普及していて、蓄音機やレコードもある。そんな感じのレトロな世界である。
これは120年前に滅亡した人間たちの文明や技術をそのまま受け継いでいるからなのだが……忽然と姿を消した人間たちは極めて高度な技術力を持っていたようで、前世の世界の技術水準と比較してもオーバーテクノロジーじみた技術もちらほらと見受けられる。
これもその一つなのだろう。
あくまでも獣人たちは、人間たちの技術を可能な限りで解析、不可能なものはダンジョンから”発掘”して再利用している状態だ。
ザリンツィクが工業都市として栄えたのは豊富な鉱物資源と優秀な鍛冶職人たちの努力の結果と言えるが、こうした人間たちの”オーバーテクノロジー”の解析にも積極的である、というのもその理由の一つだ。
「1機で600万ライブルはくだらない……そんなものを5機も購入したんだ。スペアパーツと整備費込みと見れば、もっと値段は跳ね上がるだろうな」
「まさかとは思うが、これで全財産使い果たしたとか言わないよな?」
「―――その心配は不要よ」
不安の言葉をばっさりと否定しながらブリーフィングルームにやってきたのは、強盗装束に身を包んだモニカだった。
スーツやコートをベースにした俺の衣装や、PMCみたいな感じに仕上がったクラリスの強盗装束とは異なり、彼女のためにパヴェルが用意したのは随分と肌の露出の多いデザインだった。上着はノースリーブで顔を隠すための大きめのフードがあり、下はミニスカート。上も下も黒を基調としていて、そこにアクセントとして紅色のラインが襟やスカートの裾を彩っている。
ちなみに、本番ではあれに顔を隠すためのハーフタイプのガスマスクを着用するのだとか。
ミニスカートから伸びるすらりとした足に目線がついつい向いてしまう。ニーソもタイツも着用していない健康的なモニカの足。なんでこんなデザインにしたんだとは思うが、そこはモニカの要望なのだろう。さすがにパヴェルも年頃の乙女に自分の性癖を押し付けるような真似はしない筈だ。
「没落したとはいえ、レオノフ家の資産はその程度じゃ枯渇しないわよ。あたしの実家、金だけはあるもの」
「へえ、そいつは嬉しい話だ」
「でしょ? さっさとお金盗んで、札束のお風呂にでも浸かりましょ? ねえ、ミカ?」
「……せやな」
お風呂は拙いでしょ、なーんて思いながら視線を立体映像に戻す。
より強固な警備体制になったレオノフ家。俺たちはここへと潜入し、宝物庫からありったけの金を盗んで脱出しなければならない。完全に不意を突けたリガロフ家での強盗とは比べ物にならない難易度に、うっすらと手のひらに汗が滲むのが分かった。
「屋敷の警備兵もそうですが、街中を巡回している憲兵隊も障害となり得ますね」
冷静に指摘するクラリスの言う通りだった。こんなにも街の中を憲兵が巡回しているとなれば、下手をすれば屋敷に潜入する前に憲兵隊に発見されてしまう恐れがある……何とかして彼らの注意を逸らせないものか。
そこで、ミカエル君の頭に名案が浮かぶ。
「あの車を利用できないか」
「あの車って……逃走に使ったやつか?」
「そう、それだ。それをリーネから離れた位置に破棄して、憲兵たちに俺たちがそっちに逃げたと思い込ませることができれば……」
「市内の監視の目も緩くなる、か……それは良いが、逃走車両はどうする?」
「そこも考えてある。パヴェル、逃走車両の調達の時に集めてくれた資料を出してくれるか」
確か俺の記憶が正しければ……ほら、これだ。
表示された立体映像のウィンドウの一つを指で指し示しながら、自分の考えを述べる。
「リーネのスラム付近、強盗団のアジトがある。小規模な連中だが、車くらいは所有してるらしい」
あの逃走車両を調達する前に、パヴェルはいくつか「こんなのはどうだ?」みたいなノリで候補となりそうな車両の持ち主をリストアップしてくれていたのだ。その中の一つに、この強盗団の車があったのを俺は覚えていた。
立体映像には真っ黒なバンと、その後部のドアに寄り掛かって煙草を吸う強盗団の男の写真が写っている。おそらくドローンで撮影したものなのだろう。
「憲兵隊の注意を引いたら、こいつを奪ってそのまま逃走車両にする。これを使えば……」
「レオノフ家の強盗の容疑を、全部連中に押し付けることができる……か」
「どうだ? 足にもなるし、罪を擦り付ける事も出来る。我ながらハラショーな手だと思うんだが」
「―――悪くないわね」
「同じく」
「よし、なら決まりだな」
とりあえず、侵入までの作戦は決まりだ。
第一段階は逃走に使った車両を遠方に破棄。リーネから離れた位置に乗り捨てて破壊すれば、それを発見した憲兵は俺たちがそっちの方向へと逃走し、燃料切れで車を破棄したと考えるだろう。面子を潰された憲兵たちは、大喜びでその餌に喰らい付く筈だ。
そして第二段階。市内から憲兵が離れて警備が手薄になった隙を突き、強盗団のアジトを急襲。逃走用のバンを奪い、そのままレオノフ家の屋敷へと直行。迅速に強盗を済ませ離脱する……。
細かい作戦は後程煮詰めて行く事になるが、大まかな流れはこうなる。
なんだか段々ワクワクしてきた……俺にとって強盗は天職だったのかもしれない。
ライフルよりもハンドガンの方が扱いが難しい、というのはよく聞く話だ。
というのも、ライフルよりも全然当たらない。威力、射程、命中精度、弾数、連射速度……現代の銃に必要な利点を片っ端から削ぎ落し、『小型でコンパクト』という特徴に全振りしたような銃。それが拳銃である、という認識でも間違いは無いだろう。
異世界に転生し、この能力を授かり、実際に自分で本物の銃をぶっ放すようになってから、それが良く分かった。
特に痛感したのがストックの有無による命中精度への影響だ。ライフルのようなストックがあり、銃を肩に押し当てて安定させることができれば命中精度も安定してくるものである。が、拳銃にはストックが無く、不安定なそれを両手の筋力のみで保持しなければならない。
だからこいつは、個人的には理想的なサイドアームだと考えている。
前回の強盗でも使用したMP17―――P320のスライドを組み込む事で使用可能となるピストルカービン、こいつは最高だ。伸縮式のストックがあるから命中精度も期待できるし、何よりも軽量かつコンパクトで扱いやすい。さすがにSMGみたくフルオート射撃したり、ライフルみたいな中距離射撃は出来ないが、近接戦闘やメインアームが弾切れした時の保険として忍ばせておくならば、これ以上心強い銃は無いだろう。
マガジンに一発一発、9mmパラベラム弾―――ではなく、パヴェルが作ってくれた”麻酔弾”を装填していく。ペレノフ教会で使った睡眠ガス、あれの原液を充填した特注の麻酔弾なのだそうだ。頭、あるいは心臓付近に命中させると特に効果があるらしい。
人は殺したくない、という無茶なリクエストに毎回応えてくれるパヴェルには頭が上がらないが……素材の在庫が無かったそうで、用意できたのはマガジン2つ分のみ。装填しておく分と、フォアグリップ内に装着しておく予備のマガジン、それの麻酔弾を使い切れば後はゴム弾だ。使いどころは見極めたい……バカスカ撃てる弾じゃない、というのは頭に入れておこう。
「……」
強盗作戦、第三弾。
レオノフ家強盗計画は、着実に進んでいた。




