雪原の死神、カーチャ
今まで見てきた地域では考えられない事だ。
パヴェルとミカエルが用意してくれた列車の寝室、そこにある小さなテーブルの上に置かれた数枚の白黒写真を見ながら、俺はそう思った。
写真に収められているのは除雪作業をする血盟旅団の面々なのだが、そのやり方は俺を含め、多くの人間が想像する”除雪作業”とは大きくかけ離れたものだった。
除雪作業と言えばスコップを使って人力で雪を退けたり、除雪車両を使って一気に雪を排除して道路を確保したりと、そういう”ごく普通の”除雪作業を想像するものだ。しかしこのノヴォシア帝国の除雪作業は、そう言った常識の一部しか通用しない。
写真の中に写る血盟旅団の面々が使っているのはスコップと、火炎放射器のLPO-50。そう、火炎放射器だ。ホーム一面を埋め尽くし、どこがホームでどこが線路かも分からないレベルの積雪を手作業で除雪するのは確かに骨が折れる仕事だ。しかも現地人によるとこれはまだ序の口で、これから降雪量が爆発的に増加していくというのだから恐ろしい。
記録によると、雪の重みで家屋が倒壊したり、住人が生き埋めになるといったトラブルは毎年のように起こっているのだそうだ。
今日はまだ膝から下が埋まるくらいだが、これが段々と太腿とか腰から下が埋まるほどの深さになっていくというのだから、毎朝の除雪作業は欠かせない。
ちなみに昨年のマズコフ・ラ・ドヌーの最低気温は-38℃を記録しているらしい……寒冷にも程がある。ノヴォシア帝国の臣民たちは、一体何を思ってこんな苛酷な大地に住もうと思ったのか。少しばかり問い詰めてみたくなる。
第一、ノヴォシア帝国では1年のうち半年が冬となっている。なので雪解けが始まり各地の移動が解禁される4月下旬から5月が、彼らにとっての冬への備えがスタートする時期だ。冬への備えの怠りは、即座に死を意味する。
だからなのだろう、ノヴォシア語には冬への備えをしっかり行え、と戒めるような言葉が多い。『ノヴォシアの冬は人を殺す』とか『働き者だけが勝利する』とか、そういう言葉が多く見受けられた。
古い時代から、それほどまでに冬はこの国の人々にとっての脅威であり―――同時に、侵略者から国を守る守護神でもあったのだろう。
大昔、遥か西方のフランシスからナポロン将軍がノヴォシアへと攻め込んだ事があったらしい。ボロシカ島という小さな島で生まれ、士官学校では砲術を専攻していたナポロン将軍は”戦争の天才”、”戦場の芸術家”とも呼ばれる程の名将だったそうだが、ノヴォシア侵攻においては苛酷極まりない冬がその野心を砕いた。
あまりにも多すぎる積雪に、地域によっては-50℃をさらに下回る極寒の大地はナポロン将軍の軍隊の兵站維持をより困難なものとし、結局フランシス軍はノヴォシア側が取った焦土作戦もあって補給物資を手に入れる事も出来ず、多くの落伍者を出しながら祖国へと逃げ帰った……歴史書にはそう記されている。
記録によると、戦闘による死者よりも凍死者の方が多かったのだそうだ。
そしてその一連の負け戦は、兵站の重要性を後世の軍事関係者へと示す好例として各国の戦略の教科書に必ず掲載されている。
「……」
歴史上の偉人すら打ち負かす苛酷な冬。噂には聞いていたが、これは確かに大変だ。俺もさっき除雪作業を手伝ったり、ミカたちの様子を写真に収めてきたのだが、雪がとにかく重い。
やはり本とかで情報を目にするのと、実際に現地で体験するのとでは違う。
カメラに防寒用のカバーをかけ、椅子の背もたれに背中を預けた。
パヴェルが用意してくれた列車の寝室は、明らかに2人用だ。普通の寝台列車と比較すると車両のサイズが大きい事もあって、寝室のスペースにはかなり余裕がある。小さな机に二段ベッド、そしてすべての寝室に用意されている簡易ストーブ。そんな部屋が、二階建ての新幹線みたいな感じの大きな客車に7部屋も用意されている。
2人部屋だというのに俺1人のために1部屋を丸々使わせてくれているのは、パヴェルとミカの配慮だろう。こちらにも話せない機密事項があるし、”同居人”が居ると色々と配慮しなければならない(女性の割合が高い血盟旅団ならば猶更だ)。
だが1人ならば、そんな配慮は不要だ。
こういう列車での旅というのもなかなか悪くないものだ。
今年の冬ばかりは、情報収集しながらこの生活を満喫するとしよう。
もちろん、”本来の目的”も忘れてはいないが。
ブロロロ、と車のエンジン音が、カーラジオから流れてくる音楽に紛れ込む。
憲兵隊が除雪した道をヴェロキラプター6×6で突き進みながら、俺はぼんやりと外を眺めていた。
マズコフ・ラ・ドヌーの郊外は西側に針葉樹の森が、北側には平原が広がっているのだが、俺たちが向かっているのはその平原の方だ。なんでも、北方の平原でゴブリンの姿を見たという農民からの通報を受け、ゴブリン駆除の依頼が正式に発注されたというのである。
というわけで今回のお仕事はそれだ。よくあるゴブリン退治、報酬は30000ライブル。
まったく、冬はオフシーズンだというのにゴブリンも元気なものだ。こんなクソみたいな寒さとクソみたいな雪の中を歩き回り、俺たちの手を煩わせるとは。害獣め、駆除以外の選択肢はない。
とはいえ、そういう事例が今まで全くなかったというわけでもない。冬季のゴブリンの徘徊はむしろよくある事だ。冬眠に使えそうな洞窟が発見できなかったり、食料が不足していたり、そんな要因が重なった結果冬眠に失敗、何も無くなった雪原を彷徨い、場合によっては人里に降りて獣人を襲うゴブリンというのは常に一定数存在する。
そういったゴブリンは捕獲ではなく、確実な駆除が必要になってくる。熊と同じだ。
ところで話が変わるが、AKが大家族であるようにモシンナガンもまた大家族である。
帝政ロシアの時代、モシンナガンはM1891から始まり、そこからソ連時代へとわたって様々な派生型が生み出された。後方要員や騎兵向けのカービンモデルとか、狙撃仕様とか色々である。
後部座席にいるカーチャが狙撃銃として愛用しているのは、ソ連時代に製造されたモシンナガンM1891/30を狙撃仕様とし、マガジンを拡張して弾薬が10発入るようにした特注品だ。この前まではソ連製のPUスコープを使っていたようだが、今は違う。ドラグノフなどのライフルとよくセットで運用されていたPSO-1スコープに改められている。
そして助手席に座るミカエル君がメインアームに選んだのもまた、モシンナガン。
『モシンナガンM1944』―――第二次世界大戦後期からソ連軍が採用した代物で、M1891/30の銃身を切り詰め右側面に折り畳み式のスパイク型銃剣を標準装備した、いわゆる”カービンモデル”である。
旧式化したM1891/30よりも小型で取り回しも良く、銃身を切り詰めているにもかかわらず命中精度には全く問題がなかった事から、大戦後期からはこっちに製造が切り替えられたという経緯を持つ。
マガジンはカーチャと同じく10発に拡張しているが、手を加えたのはそこだけだ。それ以外はソ連100%である。
そんなモシンナガンの銃剣を展開し、持ってきたワイヤーを銃剣に括りつけた。外れないのを確認してからワイヤーの先端に釣り針をセットし、食料ポーチからサーロの入った缶詰を取り出す。
一切れ口に入れてから、もう一切れを釣り針に引っ掛ける。「ちょっと窓開けるよ」と運転席のクラリスに告げてから、釣り竿と化したモシンナガンを外に突き出した。
釣り針にセットしたサーロが雪原に触れてからすぐだった。ぐい、と引っ張られるような感触を覚えたのは。
やっぱりな、と思いながら勢いよく引っ張る。少しすると、やけにデカいカブトムシの幼虫を思わせる気色悪い化け物が、雪の中から姿を現した。
「よっしゃ釣れた!」
「さすがですわご主人様!」
釣り上げたスノーワームを鷲掴みにし、魔術で電撃を流しこんがりと焼き上げる。ねっとりとした粘液で覆われていた体表が焼き魚みたいにこんがりと焼けたそれをクラリスに渡すと、彼女は片手でそれを受け取って美味しそうに食べ始めた。
そんな感じで2匹目を釣り上げ、同じくこんがり焼き上げる。
「カーチャは?」
「あら、貰ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
ほら、と彼女に焼いたスノーワームを渡し、自分の分もすぐに調達。安く手に入るサーロで3匹のスノーワームが手に入ったのだ、まさに”海老で鯛を釣る”ならぬ”サーロでスノーワームを釣る”といったところか。
電撃を流してこんがりと焼けたそれに、遠慮なくかぶりついた。
スノーワーム―――雪の中に生息する、肉食性の魔物たち。氷点下の気温の中でしか生きられず、雪の中を掘り進んで移動するという独特な生態であるとされている。
冬場に活動して栄養を蓄えたスノーワームは、凍てついた地中に卵を産み、雪解けと同時に息絶える。地面に産み付けられた卵は春、夏、秋を耐え、雪が降り始めると同時に孵化するのだ。そしてあの、モンスターパニック映画に出てきそうな姿のスノーワームが生まれてくる。
食べられる部位は腹回りの肉と内臓。口のある頭は牙がある関係で食べられないし、尻尾は糞がみっちり詰まっているので衛生的にも正直よろしくない(6ヵ月の寿命であるスノーワームは排泄しないのだ)。ただ、この糞は非常に良い肥料になるようで、農家には結構な値段で売れる。
瘦せた土地でも数年で肥沃な土壌に変えてしまう魔法の肥料。一説にはイライナ地方の大地がこれほどまでに肥沃で、農業が盛んになったのもスノーワームのおかげではないかとさえ言われている。
そんな連中がノヴォシア地方にも生息していたのは驚きだが……しかし何というか、イライナ地方の個体と比較すると痩せているような気がする。
「んー……味薄いな」
「ですわね」
「なんか、イライナで食べたスノーワームの方が美味しいわね」
イライナ地方で手に入るスノーワームはもっとこう、みっちり身が詰まっているというか、特徴的なキャラメルを思わせる甘みが強いのだ。肉ももっちりとしたパンを思わせる食感で、バターがよく合いそうな感じの食材である。
でもこっちで捕獲したスノーワームはなんか痩せ気味で、甘みもそんなに強くない。不味いわけではないのだが、イライナ地方で美味しいスノーワームに慣れているイライナ人×3としては物足りなさを感じてしまう。
スノーワームを完食した辺りで、クラリスは放棄された廃屋の近くで車を停めた。
ピックアップトラックから降り、モシンナガンの安全装置を解除。銃剣を展開し先陣を切って廃屋の中へと足を踏み入れる。
次の瞬間だった。オリーブドラブの表皮に覆われた、人間の子供くらいのサイズのゴブリンが唸り声と共に飛びかかってきたのは。
咄嗟に踏み込み、スパイク型銃剣を突き立てる。体重を乗せた本気の刺突はまるで、豆腐に包丁を入れるかのようにスーッとゴブリンの身体に食い込むと、いきなり襲い掛かってきた礼儀知らずのゴブリンをあっという間に絶命させてしまう。
風をしのぐためにここに潜んでいたのだろうが……。
廃屋の2階へと上がるや、カーチャは狙撃用のモシンナガンM1891/30を構えた。隣でレンジファインダー付きの双眼鏡を覗き込み、標的を確認する。
ゴブリンの数は4体……雪原のど真ん中で、スノーワームを鷲掴みにして食いまくってるところだった。スノーワームは雪原のピラニアとして恐れられている魔物だが、しかしその動きは獣人の子供でも捕獲できるレベル。圧倒的な物量で襲い掛かってくるからこそ脅威となるタイプの相手である。
しかしイライナ地方と比較すると個体数も少なく、食べるものもないのか痩せ気味で身体能力も劣るスノーワームは、ゴブリンたちからすると格好の餌と言っていい有様だった。ついには捕食を諦め逃げ出す始末……食物連鎖が逆転する瞬間を見てしまった。
「距離400……いけるか」
「当てるわ」
やるわよ、と続けたカーチャは、息を吐いてから引き金を引いた。
ズドン、とモシンナガンが吼える。
帝政ロシアの時代から生産が続く7.62×54R弾、実に100年以上の歴史を持つライフル弾が長大な銃身から躍り出た。それはちょうどスノーワームの腹を食い破っていた痩せ気味のゴブリンの頭を直撃し、人間よりも小さな、しかし身体の割には大きなゴブリンの頭を叩き割ってしまう。
ぱっ、と雪原に紅い血の華が咲いた。
素早くボルトハンドルを引き、間髪入れずに第二射。もう撃つのかと思ったが、しかし完全に”狩り”をする目になったカーチャは止まらない。二発目の弾丸もゴブリンの眉間を正確に捉え、瞬く間に叩き割ってしまう。
ボルトハンドルを引き、三発目。
頭の右半分を吹き飛ばされたゴブリンが、被弾時の衝撃に煽られながら崩れ落ちていく。
雪原に唐突に現れた死神に恐れ戦いたのか、最後の1体が逃げ出そうとする。が、ソイツの後頭部にもカーチャは無慈悲に弾丸を叩き込んで黙らせた。
戦闘開始から僅か22秒……それで全てが終わった。
「……すげえ」
「見直した?」
「見直すも何も……いや、ただただすげえわ」
こりゃあ、俺たちはとんでもない奴を仲間に引き入れたかもしれない。
管理局で受け取った信号弾用の拳銃を取り出しながら、俺はそう思った。




