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白猫と黒猫


 やはり、冬の日の朝は燃料の臭いで始まる。


 ホームや線路の上に積もりに積もり、さながら純白の絨毯のようになっている雪たちをソ連製火炎放射器のLPO-50で溶かしながら、そんな事を考えた。


 冬季のノヴォシア帝国領内では、除雪作業に火炎放射器を使う。


 もちろんスコップを使っても良いし、免許があるならば重機を使ってもいい。専門業者ならば除雪車両を持ち出すだろう。しかし特に資格も無く、個人のレベルで最も効率の良い除雪方法はというと、火炎放射器を使い豪快に雪を焼き尽くす事である。


 ノヴォシアの冬が過酷と言われる所以はその気温の低さもそうだが、極端に多い降雪量もその一因である。除雪作業を怠り積雪を放置していると雪の重みで家が潰れるなんて事も普通に起こり得るのだ。実際、除雪作業が間に合わず我が家が雪で潰れた、あるいは埋もれたという事例は後を絶たないし、そのまま生き埋めになってしまい死亡……という痛ましい事故も起こっている。


 スコップでコツコツやる古典的な方法でも全然いいのだが、いちいち雪を掘ってそれを脇にどかして……という手順を踏むよりは、豊富な燃料にドバっと火をつけ一気に焼き払う火炎放射器を使った方がはるかに効率的なのである。


 そういう事もあり、騎士団から払い下げられたマスケットを火炎放射器に改造したものが民間にも出回っていて、こちらの区分は銃ではなく、法律上は『除雪機材』という扱いなので、民間人でも所持する事ができるというわけだ。


 効率の良さと入手までのハードルの低さから、冬季になると燃料タンクを背負い、火炎放射器に改造されたマスケットを腰だめに構えて除雪作業に精を出す女性や世紀末婆ちゃんが大量発生する。これはノヴォシア帝国のみで見られる冬の風物詩である(嫌な風物詩である)。


 ちなみに、こっちの世界の火炎放射器で使用される燃料にはしっかりと増粘剤(ナパーム剤)が点火されており、炎の射程距離はそこそこで燃料も飛び散りにくい。何だか知らないが、こっちの世界は前世の世界より変なところで先進的である。


 レンタルホーム周りの雪を火炎放射器で除雪(もちろん駅を火事にしないよう細心の注意を払っている)しながら何気なく視線を駅の外に向けると、フェンスの向こうでは腰の曲がった80代くらいのお婆ちゃんが、マスケットを改造したいかつい火炎放射器を腰だめで構え、山のような雪を溶かしているところだった。


 あれがノヴォシア帝国名物、”世紀末婆ちゃん”である。


 モニカから頼まれた範囲の除雪作業を終え、さて誰か助けを必要としてないかな、と思いながら視線を巡らせると、シスター・イルゼの担当範囲がまだそれなりの量の雪が残っているのが見えた。


「シスター、手伝うよ」


「ああ、ミカエルさん。ありがとうございます」


「じゃあここからこっちは俺が」


「すみません、お願いします」


 やっぱり、早いとこ列車の中に戻って温かい朝ごはん食べたいもんね。


 でも除雪作業をやらないと列車が雪で潰されたり生き埋めになったりするので、毎日やらなければならない作業である。しかも今朝の気温は何とまだ10月なのに-15℃、ラジオの天気予報ではこれからガンガン気温が下がっていくそうなのでまだ序の口と言ったところか。


 ”ノヴォシアの冬は人を殺す”とはよく言ったものである。


 そろそろ燃料タンクの中が空になりそうだな……と背中のタンクが軽くなってきたのを感じたところで、イルゼから任せられた範囲の除雪作業はだいたい終わった。レンタルホームのコンクリート製の床が見え、溶けた水で湿って光沢を放っている。


 が、この床も、休憩用のベンチやそこにある電話ボックス(外部との連絡用にレンタルホームには必ず備え付けられている。どんな小さな駅でもだ)も明日の朝には雪に埋もれ、見えなくなっているだろう。


 ちなみに電話ボックスは今、カーチャがスコップを使って器用に雪を払い落としている。さすがに電話ボックスとかベンチに降り積もった雪を排除するのに火炎放射器は使えない(もちろん火災の原因になる)。


「ふう……ミカエルさん、こちらも終わりました」


「お疲れ様。それじゃあそろそろ戻ろうか」


「ええ。食堂車からは美味しそうな香りがしますし、そろそろご飯も出来ている頃でしょう」


「今日は何だろうね」


「この香りは……卵でしょうか?」


 確かに、卵が焼ける香りがする。


 冬季は食料の入手先が限られる(場所によっては全く手に入らない)事もあって、どの食糧から先に消費していくか、というふうに計画を立て、優先順位をつけて食料を消費していく。


 まず最初に使われるのは肉や卵、魚などの食材だ。特に保存が利かない食材は腐ってしまう前に使い切ってしまわなければならないので、冬の初めの方は豪勢な食事が出る。そこから保存の利かない食材を使い切ってしまうと、段々と保存食中心の食事にシフトしていくわけだが、そうなると味も単調になってしまいどうしても飽きてしまう……という、贅沢な悩みがある。


 そこはパヴェルが工夫してくれるし、今年の冬は幸いにもマズコフ・ラ・ドヌーで越す事になったから、魚やザリガニなどの食材は調達できる。昨年ほどの惨状にはならないだろう。


 さーて今日の朝ご飯は何かな、と思いながら火炎放射器に安全装置セーフティをかけ、軽くなった背中の燃料タンクを揺らしながら電話ボックスの方へと向かった。


 柄の長いスコップを器用に使って雪を落としていたカーチャを呼ぶと、彼女は寒さで顔を真っ赤にしながら振り向いた。


「カーチャ、そろそろご飯にしよう」


「え? ああ、もうそんな時間?」


 腕時計を見てちょっとびっくりした彼女も、伸縮式スコップの柄を縮めてから背中のホルダーに差し込み、口から吐いた息で両手を暖めながら後ろをついてきた。


「どう、ウチのギルドには慣れた?」


「ええ。クラリスとは少しずつだけど、話をするようになったわ」


「それはよかった」


 お互い、第一印象が最悪だったからなぁ……。


 渾身の右ストレートから始まるファーストコンタクト……あれはすごかった。クラリスの奴、いくら敵とはいえ躊躇なくカーチャの顔面を殴り飛ばしやがったのである。もちろんカーチャがただで済む筈もなく、鼻の骨は滅茶苦茶になっていた。


 昏倒している間に投与したエリクサーで何とか元通りになったが……。


 クラリスからすれば俺を殺そうとした敵、カーチャからすれば躊躇なく顔面を殴ってきたやべー女。お互いの第一印象が最悪なのでコレ俺が仲介に入った方が良いかなぁ、とかなんとか思っていたのだが、どうやらそんな事にはならずに済んだらしい。


「でもモニカとはちょっと口論になる事があるというか、なんというか」


「ん、上手くいってないのか」


「そういうわけじゃないんだけど……なんかこう、ね」


「何か悩みとかあったら遠慮せずに相談してくれよ。もう仲間なんだから」


「ええ。気遣いありがとう」


 ニコッ、と笑みを作るカーチャ。初めて出会った時―――俺を殺そうとしていた時の笑みとは明らかに違う。本音から来るぎこちなさのない、本当の笑みだった。


「そういえばさ、最初に会った時のアレ」


「え? ああ」


「あの時さ、普通に騙されたんだけどさ俺」


「そう?」


「そうそう。それだけじゃなくて例のビデオレターの時も思ったんだけどさ、カーチャって演技力すごいよね」


 迫真の演技、というやつか。


 単なるノリの良さだけでできる芸当ではない。


「何かほら、習ってたの? 演技とかそういうの」


「実は私、劇団志望だったの。地元の劇団に入団しようと思って、18歳の頃まで演技指導を受けてたのよ」


「はぇー……それじゃあ女優さんの卵って事?」


「ミカってば、やめてよ。途中で挫折したんだから」


「いやぁ……でも凄いよカーチャ」


 今からでも女優さんを目指せるんじゃないだろうか……と思ったが、向こうの業界も厳しいのだろう。才能があるからとか、そういうのだけでは成り上がれない程に門は狭いだろうし。


 それにしても意外だった。カーチャが元々劇団志望だったなんて。


 そんな彼女の特技が判明したところで、武器庫へと火炎放射器やスコップを返却していると、空になった燃料タンクを背負い、火炎放射器を肩に担いだ世紀末モニカちゃんがやってきた。


 あ、やべえ……そーいやカーチャとモニカってそれほど仲が良いわけでは……。


 胃がこう、スーッとなっていく嫌な感触に苛まれていると、俺とカーチャが2人でいたところを目撃したモニカは目を細めた。


 真っ白な頭髪から伸びるネコミミがぴんと伸び、いわゆる”イカ耳”になる。獣人は本音が尻尾やケモミミの動きに現れやすく、普通の人間より感情豊かというか分かりやすいのだ。本音が。


「あら、カーチャ。ウチの(、、、)ミカと随分仲良くなったみたいね?」


 ”ウチの”を強調するんじゃない。


 それに対するカーチャはというと、あからさまに敵意……というより対抗意識をむき出しにしているモニカとは対照的に、あまり興味が無さそうな感じだった。


「まあ、そうね。ミカ良い人だし」


「ふーん?」


 そこで視線が今度はこっちに向けられた。アンタこの女に何したのよ、的な感じの視線を向けられ、「ぴっ」と小さく短い声が漏れ出てしまう。


 やめて、ハクビシンって臆病な性格なの……喧嘩嫌いなのやめて。


 そこで再び、モニカの視線がカーチャの方に向けられる。さすがに列車内は暖房が効いているので防寒用のコート姿ではさすがに暑く、このままではじんわりと汗が浮かんでくるほどだ。


 スコップを返却し、コートを脱ぎ始めていたカーチャ。さっきよりも薄着になった事により、クラリスやイルゼ、それからセロといった色々デカい人たちと比較するとかなーり無駄がなくスレンダーなカーチャのボディラインが露になる。


 今まで言及する事はなかったけど、カーチャの胸は小さい……というか、胸部がそれなりに平坦になっている。胸に抱く膨らみは、モニカのそれよりもずっと小さい。


 声に出したら殺されると思うので心の中で考えるだけにするが、つまり何が言いたいかというと、カーチャは色々デカい人が多い血盟旅団初の”貧乳”なのである。


 引き締まっていてスレンダーな、女性のランナーみたいな体格と言った感じだろうか。


 それに気づいたのか、それとも今まで自分が一番胸の小さい女性(もちろん発育中のノンナは除く)だった事に対する反動なのか、勝ち誇ったかのように胸を強調し始めるモニカ。何だコイツ分かりやすいな。


 不自然なくらい胸を張ったり、わざと揺らしたりしてその違いを見せつけるモニカだが、しかしカーチャはというと無反応。癪に触って無視しているというよりは、本当に興味が無さそうな感じだった。


「ねえモニカ?」


「なあにカーチャ?」


「胸の大きさで勝ち誇ってるみたいだけど、そんなの大きくたって何も良い事ないわよ?」


「あらやだ、妬み? あたしCなんだけど」


「下着のサイズ合わせるの大変だし、動く度に揺れて邪魔だし肩も凝るし、ファッションとかも色々面倒になるしメリットないわよ」


「あらそう?」


「ええ、これ本音」


 気のせいだろうか、2人の間でバチバチ火花が散っているように見えるのは。ラノベの読み過ぎなのか、それともガチで火花が散っているのか。


「あの~」


「「なに?」」


「ぴっ」


 やだ怖い……女って怖い……ぴえぇ……。


「あの……ここ武器庫だから火気厳禁でオナシャス……」


「「あっ」」


 あっ、じゃねーよ。


 慌てて武器庫を出るカーチャと俺。モニカも火炎放射器を返却して火種がないかを確認、何も無い事を確認しドアを閉めた。


 というかラノベとかでよくあるヒロイン同士の火花バチバチで武器庫が吹っ飛びました、なんて事になったらシャレにならんわ。


「ええと……とりあえず朝ごはん行こうか」


「そうね。行きましょミカ」


 ぐい、と手を引っ張るモニカ。カーチャはというと無関心……っぽいんだが、構ってほしいのか、真っ黒な体毛で覆われた猫の尻尾を俺の尻尾に絡みつかせてくる。意外と寂しがり屋なのかもしれない。


 それに気付いたのだろう、モニカは意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「あら? なあにこの尻尾は?」


「……」


 全力で目を逸らすカーチャ。何だろう、さっきは大人の余裕というか、そんな感じの落ち着いた態度でモニカの挑発を受け流していたカーチャだけど、今度は攻守逆転したらしい。


「あ、もしかしてミカと手を繋いでるのが羨ましいの?」


「……そんなわけないじゃにゃい」


 噛みおった……動揺のあまり噛みおったよこの女。


 しかも尻尾に力を入れてくるカーチャ。なんだこれ。


「私はほら、アレよ。あなたがミカをぐいぐい引っ張って転倒させないか心配でこう……」


「ははーん?」


 モニカ優位になったところで、食堂車の階段の辺りでカメラを持っているカルロスと目が合った。


 一枚撮る? 的な感じでジェスチャーしてくるカルロスだが、とりあえず助けてと視線で訴える。しかし表向きは写真家、本当は凄腕の狙撃手であるカルロスでも女絡みのトラブルは専門外のようで、愛想笑いを残して無情にも燃料補給のため帰投していくヘリの如く食堂車の方へと去っていった。


 孤立無援、とはこの事だろうか。


 それとカーチャ、それからモニカ。




 ……お前ら、実は仲が良いのでは?




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