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マズコフ・ラ・ドヌー


 ―――我が神こそ唯一なり。


 男性の信者たちの、そんな声が聞こえてくる。


 それはかつて、砂と陽炎だけの大地に降り立ち、砂漠の民に進むべき道とオアシスを与えた唯一神を称え、自らをその信者であると宣言する言葉でもある。


 そんな信者たちの声がうっすらと聞こえてくる、薄暗い部屋の中。


 お香の香りと、遠くから聞こえてくる信者たちの祈りの声。朝、昼、晩と決まった時間に行われる礼拝だ。信者たちは皆、この時間になると仕事中だろうと食事中だろうとあらゆる行為を中断し、整地のある方向へ向けて祈りを捧げるのが、その宗教の決まりとなっている。


 中には戦争中であろうとも祈りを捧げ、大将の首を討ち取らんと殺到する異国の兵士たちを家来に切り伏せさせた砂漠の王もまた存在するという。


 しばらくして、信者たちの祈りの声が聞こえなくなった。


 礼拝の終わり―――部屋の中に残った者たちがそれを悟ると、古びた木製の扉が開き、ぞろぞろと信者たちが部屋の中に入ってくる。


 礼拝を終え、全員が円卓の席に着いたのを確認すると、最初から円卓の席に腰を下ろし待っていた1人の獣人が、ゆっくりと立ち上がった。


「……それでは、全員集まったようなので本日の定例会議を執り行います。皆様、ご起立を」


 澄んだ、無駄のない声。そう広くない部屋の中に響き渡った声に合わせ、円卓に座る者たちが一斉に立ち上がった。


「―――理想の世界実現のために」


『『『『『理想の世界実現のために』』』』』


 同じ言葉を唱え、最初に立ち上がった一人の男―――ホワイトタイガーの獣人のみがそのまま立ち続け、ぐるりと円卓の席を見渡した。


 円卓には合計で15人分の席があるが、今回の会議に出席しているのは14人のみだ―――『№2』と記載された座席だけ、いつものように空席となっている。


 まあ、あの席の主は来ないだろう。そう思いながら小さく息を吐くホワイトタイガーの獣人の心境を代弁するように、円卓の席に座る1人が口を開く。


「……”大佐カーネル”は今回も欠席か」


「いつもの事ですよ、”ザイード”」


 ザイード、と呼ばれたツキノワグマの獣人に語り掛けると、別の席に座っていた黒豹の獣人―――”ネロ”も口を開く。


「しかし、我が教団の№2がこうも毎日のように欠席しては……示しがつかないのでは?」


「確かにそうですが、しかし”大佐カーネル”は我が教団に資金面で最も多大な貢献をしてくださっています。何度も彼の依頼を受け、資金洗浄マネーロンダリングを行ってきた貴方ならば分かるのではないですか、ネロ?」


 ホワイトタイガーの獣人にそう言われ、ネロは腕を組んだ。


 ”№5”と記載された席に腰を下ろすネロは、彼らの組織―――”教団”の会計責任者でもある。


 過去の依頼―――血盟旅団が敢行した数々の強盗計画、その盗品の買取と資金洗浄マネーロンダリングを行い、換金した金額の中から”手数料”を差し引いた額を血盟旅団へ報酬として支払う。そうすることで”教団”も多額の活動資金を得られ、血盟旅団側にも多大な利益が約束されるという、一種の共生関係にあったのである。


 無論、その関係は”大佐カーネル”というパイプ役が存在するからこそできた事なのだが。


 教団の活動を資金面で支えている事もあって、自由に振舞う”大佐カーネル”に誰も物申す事が出来ないというのが実情であった。


「さて、本日の議題はその”血盟旅団”についてです」


 そう言いながら、ホワイトタイガーの獣人は指を鳴らした。


 円卓の中心部に埋め込まれた水晶が光を発し、空中に立体映像を投影する。そこに映し出されていたのは、現代兵器で武装した黒服の兵士たちに襲撃を受ける列車と、応戦する冒険者たちの様子だった。


「映像は5日前、イライナ地方リュハンシク市でスミカが撮影したものです」


 そう言い、隣に座る獣人―――”№3”と記載された席に座りながら赤子をあやす、ホッキョクオオカミの獣人、スミカを見下ろした。


 ここに集まった”教団”の主要メンバーの中で、最も大佐カーネルとの付き合いが長いのは間違いなくこのスミカだろう。大佐カーネルが”パヴェル”という偽名を使い、血盟旅団の列車を留守にする際はいつもスミカが彼に代わって列車を見張っているのである。


 一時期などは、スミカが抱えている赤子―――”グレイル”と名付けられたハイイロオオカミの仔は、実はスミカとパヴェルの間に生まれた子なのではないか、などという噂が教団内で出回っていたほどである(パヴェルが怒り狂い噂を話した者を見境なくフルボッコにしてからは沈静化したが)。


 映像が切り替わり、今度は廃ホテルでの戦闘に切り替わった。これもスミカが撮影したものなのだろう。特にズームアップされているのは魔術と銃撃を併用し、次から次へと敵兵を屠っていく小柄なハクビシンの獣人だった。


「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ―――血盟旅団の頭目です」


 円卓がほんの少しだけざわついた。


 ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ―――最近、冒険者界隈を騒がせている冒険者の名だ。リガロフ家の庶子で、両親と実家からの束縛を嫌い、屋敷を出て冒険者となったハクビシンの獣人。


 登録から1年足らずで様々な偉業を次々に打ち立て、ついには”雷獣ライジュウ”の異名付き(ネームド)として業界に名を轟かせるまでになった、注目の逸材である。


 戦果の多くは仲間との共同によって打ち立てられたものが多く、彼本人の実力を疑問視する動きもあるが、バートリー家の一人息子を一騎討ちの結果下している事からもその実力の高さは窺い知れるというものだ。


「まさか、そのミカエル・なんたらかんたらが”教団”の暗殺リストに載ったってわけじゃあねえよな、”マリク”?」


 マリク、と呼ばれたホワイトタイガーの獣人は、即座に首を横に振った。


「そんなわけがないでしょう。第一、そんな決定を下せば教団は大佐カーネルを敵に回します」


 勝ち目はありませんよ、と苦笑いしながら言うマリクだったが、それがどれだけ恐ろしい事か、ここにいるすべてのメンバーがよく理解している。


 ある日、ふらりと異世界から現れた機械の義肢を持つ男―――”大佐カーネル”。彼は欲する情報を得るために教団に席を置きたいと申し出、力を証明するために先代の№2と、その部下たちを皆殺しにして今の地位を手に入れたのである。


 それも、その全てをたった1本の鉄パイプで皆殺しにしたというのだから驚きだ。


 当時の教団№2ですら手も足も出ずに殺されていったのだ―――万全の状態で戦える今の大佐カーネルに、今の上位陣が束になってかかっても勝ち目はない。


 唯一勝てるとすれば、教団の№1―――”教祖様”だけであろう。


 同時に、”教祖様”を殺す力を持つのもまた、大佐パヴェルのみである。


「あくまでもミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは観察目標とします。今後、我が教団にとって脅威となるか、それとも利用価値がある存在か判断します」


「利用価値があると分かっても、素直に従うもんかねぇ。ソイツ、共産党からの誘いも蹴って逆にアカ共をぶちのめしたんだろ? 到底飼い慣らせるもんじゃあないと思うが……」


 ハクビシンは臆病な動物であるが、同時に獰猛で、とても人の手で飼い慣らせるものではない。


 映像の中のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフも愛嬌のある顔立ちをしいているが、その小さな身体の内に獰猛な本性を秘めているのかもしれない―――そう思うと、脅威となる可能性の方がはるかに高くなる。


 結局は大佐カーネルを敵に回す羽目になるのではないか。教団の上位陣がそう考えたところで、№1の席に座る小柄な人影が口を開いた。


「―――”イレギュラー”」


 部屋の中の空気が、より一層重くなる。


「我ら教団の管理から逸脱しようとする危険因子イレギュラー……しかし操る方法もまた存在する」


 闇の中、”教祖様”が笑ったような気配を感じ、マリクは目を細めた。


(あのお方が笑うとは……)


 いつも世界に対し、飽きたような視線を向けながら暗躍する”教祖様”。


 そんな彼を唯一楽しませているのが、今ではこの血盟旅団の動向である。


 彼らは常に、こちらの予想の遥か上を行く。それは周囲の他の仲間たちに支えられた結果でもあるのだろうが、その結果を引き出し、皆を引っ張っている者こそがこのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフと断じて良いだろう。


 まるで愛玩動物ペットの振る舞いを見守るような視線に、マリクは底知れぬ恐怖を覚えた。


 血盟旅団の実力は、ここにいる教団の上位陣と比較しても遜色ない、と言っていいだろう。一部には突出した実力者も擁する血盟旅団だが、そんな彼らをまるで遊ぶ仔猫を見るような目で見ていられるなど―――両者の間には、大きく隔絶した力の差が存在する、そう思えてならない。


「しかし……危険因子イレギュラーは常に計画にノイズを生じさせるもの。教団に引き入れるのは危険かと」


「良い」


「ですが教祖様……」


「多少の不確定要素があった方が楽しめるというものよ」


「……それはそうとして、”大佐カーネル”がゆるさないのでは?」


 マリクが問うと、”教祖様”は首を横に振った。


「奴は我が教団を裏切れん」


 上位陣の中で、教団への忠誠心が最も薄いのは間違いなく大佐―――パヴェルであろう。いつ裏切ってもおかしくない要注意人物として、同志ではありながらも最優先監視対象となっている(スミカが彼の観察をしているのもそれが理由だ)。


 しかしそれでも、”教祖様”は裏切れないのだ、と断言する。


「奴の欲する情報は常に我らが握っている」


 茶の入った木製のコップを持ち上げ、”教祖様”は闇の中で笑う。






「裏切れるのに裏切れんのだ、パヴェルはな」














 イライナ地方を抜けた。


 ”これより先、ノヴォシア地方”と記載された雪まみれの看板が頭上を通過していき、なんだかそれだけで異国に来たような感覚を覚える。


 かつてのイライナ公国とのノヴォシア帝国の国境を超えた途端に、一気に気温が下がった感じがした。吹きつけてくる風が遥かに冷たくなり、まるで顔に無数の針を突き刺されているかのよう。


 交代の時間まだかな、と思いながら銃座で周囲を見張っていると、足元のタラップを誰かが上がってくる音が聞こえた。


「ご主人様、暖かい紅茶をお持ちしました」


「ああ、ありがとう。氷漬けになるところだった」


 大きめのマグカップに並々と淹れられた紅茶。イライナハーブで香りをつけたものだが、蜂蜜も入っているのだろう、嗅ぎ慣れた甘い香りも漂ってくる。


 彼女からマグカップを受け取り、冷ましてから紅茶に口をつける。


 いつものと比較すると甘さは控えめだけど、けれどもその分本来の茶葉とイライナハーブの風味が際立っている。これはこれでとても美味い。


 紅茶で一息入れていると、ヘッドセットから音声が聞こえてきた。


 カリンカをアレンジしたチャイムに続き、ルカの声が駅の接近を告げる。


《間もなく、マズコフ・ラ・ドヌー、マズコフ・ラ・ドヌーです。当列車はマズコフ・ラ・ドヌーで冬を越す予定です。皆様、長旅お疲れ様でした》


 もうそろそろか。


 やがて、雪をかぶった樹々が唐突に開けた。向こうから漂ってくる潮の香り。アラル海の風景だ。雪雲と降り注ぐ雪が、藍色の海面に対してのアクセントとなっている。水平線の向こうに見える怪獣みたいな影は、きっとアルミヤ半島だろう……セロはそろそろ、アルミヤに到着しただろうか。


 大きな鉄橋に突入すると、雪をかぶったマズコフ・ラ・ドヌーの街並みが見えた。


「大きい……」


 大都市、と言うべき威容。


 アラル海と、そして内陸部からアラル海へと続く巨大な”ドン川”の畔にある大都市、マズコフ・ラ・ドヌー。雪化粧しているのもそうだが、その建物たちはどれも皆雪のように白く、幻想的で透き通るような、そんな光景になっている。


 やがて鉄橋を渡り終えると、待機していた駅員がスイッチを操作し、鋼鉄製のゲートを閉鎖した。


 ”冬季封鎖”だ。冬の間、列車での往来は出来なくなる。だからああやって冬の間はゲートを閉じ、列車の往来ができないようにしておくのである。


 次にあの門が解放されるのは来年の4月下旬か、帝国議会からの特命を受けた特務列車の来訪がある時だけだろう。


 事前にリュハンシク駅から血盟旅団の列車が”最終便”となる事を知らされていたらしい。駅のホームに入るや、《血盟旅団の皆様、長旅お疲れ様でした》という駅員の放送(流暢な標準ノヴォシア語だ)が出迎えてくれた。


《よーし諸君、マズコフ・ラ・ドヌーに到着だ。お疲れ様》


 ふう、と息を吐く。


 何とか冬季封鎖の前に辿り着いたか……。


 最近、余りにも色々とあり過ぎたけど……今年の冬は、出来るだけ静かに過ごしたいものだ。


「ご主人様、お寒かったでしょう。中でお休みになってください」


「ああ、そうするよ」


 できればベッドで眠りたいな。


 そう思いながら、クラリスに続いてタラップを滑り降りた。


 永い永い、ノヴォシアの冬がまた始まる。






 第二十章『転生者殺し』 完


 第二十一章『二度目の冬』へ続く



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― 新着の感想 ―
[一言] 会議には出ないのに噂流した奴は殴りに行くのか
[一言] 読者達「ゆ っ く り 過 ご せ る と 思 う な よ」 ふと思ったのですが、M7小銃出てなかったですね…あれ、性能自体は良いけれどM14と同じ末路を辿るって言われてました… 冬か……
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