リュハンシクからの旅立ち
「これがドルツ諸国のブレンダンブルク門、こっちはフランシス共和国の勝利の門とアルザイユ宮殿、そしてこれは倭国にあるナゴヤ城とオオサカ城」
そう言いながら、カルロスと名乗った写真家はテーブルの上に写真を広げていった。いずれも白黒の写真だが、性能の良いカメラを使っているのだろう。画質はさすがに前世の世界のカメラやスマホには及ばないけれど、それでもこの世界の水準で言えば良質で、かあなり映りがいい。
そして何より、さりげなく写り込む国旗や桜が良い感じのアクセントになっていて、芸術作品のような感じになっている。写真展でも開けそうなクオリティだが、写真家をやっていてかなり長いのではないだろうか。
「はぇー、こりゃあ見事な写真だな」
「ははっ、それはどうも」
マグカップを持ってきたパヴェルが、写真を覗き込みながらカルロスの傍らにそっとマグカップを置いた。来客用のもので特に絵は描かれていない、簡単なデザインのものである。
中に入ってるのは紅茶だ。パヴェルは紅茶派(コーヒーを泥水と呼ぶほどの過激派である)なので、基本的に客人に出すのは紅茶なのだ……さすがに紅茶が嫌いな人には無理には出さない程度の配慮はする模様だが。
俺の傍らにもそっとマグカップが置かれた。スマホの俺のアイコンと同じく、リンゴを両手で抱えるハクビシンの幼獣が描かれた愛用のマグカップ。中には同じく紅茶が入っているが、カルロスのものとは違って中に大量のミルクと砂糖が入っているのが分かる。
自分の分の紅茶にジャムを入れてから、パヴェルは席についた。
「ところで、その……カルロスさん?」
「カルロスでいいよ」
「ええと……カルロスはどうして血盟旅団に?」
他にも活躍してるギルドあるでしょ、というニュアンスを含んだその問いを、彼はニュアンス込みで拾ってくれたらしい。愛用していると思われるカメラをテーブルの上に置くと、にっこりと笑みを浮かべたカルロスはマグカップに手を伸ばした。
「いやぁ、今はこの血盟旅団が一番勢いのあるギルドって言われてるからねぇ」
「は、はぁ……」
「結成から僅か1年足らずでアルミヤ解放、ベラシアではガノンバルドをギルド単独で討伐、更には未知のエンシェントドラゴンまで撃破。そしてガリヴポリではノヴォシア共産党まで放逐……中堅のギルドがコツコツと実績を積み上げてやっとここまで来れるかどうか、というレベルの戦果を僅か1年の間に次々と打ち立てる新興ギルドなんだから、勢いがないわけがない」
そう言われると照れるが……なんだろう、違和感がある。
俺1人の戦果じゃない、というのは当たり前の事。彼が今挙げた戦果も、そしてそれ以外の戦果も全て、仲間たちと共に掴み取ったものだ。皆で団結し背中を合わせて戦ったからこそ、今の俺たちがある。
けれども俺が感じた違和感は、そんなものじゃない。
思い起こされるのはやはりあの時だ……レストラン”ジールカ”での会合の後に、このカルロスという写真家と初めて出会った時の事。
あの時彼は、俺たちに気配すら感じさせず、まるで幽霊のように目の前に現れた。俺だけじゃない。索敵能力には自信があると自負するクラリスやセロ、そしてしゃもじですらその存在を察知できなかったのだ。
そしてあの時は特に言葉を交わす事も無く、気が付いたら目の前から姿を消していた―――転生者殺しに関する、重要な情報だけを残して。
あの幽霊みたいな男と、目の前にいる写真家が本当に同一人物なのか?
まるで別人のようだ、と思う。
あの時の幽霊みたいな彼が素で、こっちは演技なのではないか……ついついそう思ってしまう。何か本性を隠すために演技をしているような、そんな”臭い”がしてならない。
そんな思考が顔に現れていたのか、それとも彼がそういう相手の心境を読む術に長けていたのかは分からないが―――カルロスの顔から笑みが消え、雰囲気が変わった。
「……まあ、君の思っている通りだよ」
「……顔に出てたか」
「ほんの少しだけ、ね」
息を呑みながら、いつでも拳銃を抜けるようホルスターに手を近づける。が、パヴェルに目線で咎められた。やめとけやめとけ、と彼の紅い目がそう訴えかけている。
確かに、勝てる相手には思えない。ゲームの序盤でいきなり終盤のボスと戦わされるかのような、そんな力の差が感じられる。
「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……君の戦いぶり、見させてもらった。”通過儀礼”は済ませたようだな」
「……あんた、何者だ?」
「写真家だよ……時折、狙撃もするけどね」
「!!」
全てが繋がった。
あの気配の消し方、そして襲撃を受けた夜、どこからともなく現れ血盟旅団の窮地を救ってくれた謎の狙撃手……なるほど、そう言う事か。
今こうして、テーブルを挟んで座っている写真家を名乗るこの男―――あの夜、俺たちを助けてくれたスナイパーはこのカルロスだったのだ。
「……あの夜、それとホテル・リュハンシクでの一件、助太刀に感謝する」
そう言いながら席から立ち上がり、頭を下げた。
最初に襲撃を受けた夜、彼が狙撃で敵兵の勢いを削いで隙を作ってくれなければ、俺とルカはノンナを助ける事が出来なかっただろう。彼女は蒸し暑い機関車の中で出血死、そして俺たちもいつ二次爆発を起こすかもしれぬ機関車と運命を共にしていたかもしれない。
そしてホテル・リュハンシクでの戦いでも、時折どこからか狙撃が飛んできている事は把握していた―――やはりというか、どこからの狙撃なのかは全く分からなかったけれど、敵兵の腰の辺り、防弾装備のない部分を的確に撃ち抜く技量はまさしく彼のものだったのだろう。
「おかげでギルドの仲間の命が救われた。カルロス、あんたが居なかったら俺たちは……」
「頭を上げてくれ、当然の事をしたまでだよ」
「でも」
「……そういう君こそよく覚悟を決めた。パヴェルの話では、以前までは人を殺さぬように戦う優しい子だったそうじゃないか」
お前言いやがったな、と抗議の意思を込めてパヴェルの方に視線を向けると、彼は露骨に肩をすくめながら視線を逸らし、わざとらしく口笛まで吹き始めやがった。何だコイツ。
「やはりあの夜、悟ったか」
「……ああ」
それがパヴェルや、さっきカルロスが口にした”通過儀礼”なのだろう。
初めて自分の手を血で汚す覚悟―――俺は、それが随分と遅くなった。
「カルロス、あんたほどの実力者がこんなギルドに何の用なんだ?」
改めて問いかけると、カルロスはマグカップを片手に持ちながら答えた。
「……”世界が見たい”、これじゃダメか?」
「世界を……?」
「そう、世界を見てみたい。中でも特にノヴォシア帝国はまだ見た事がなくてね」
「それでマズコフ・ラ・ドヌーへ向かう俺たちに白羽の矢が立ったって事だ、ミカ。いいだろ?」
いつの間にか姿を消していたパヴェル(カルロスといいパヴェルといい一定以上の実力者はいつの間にか消える能力を獲得するらしい)が、”KUMA”という文字とヒグマの顔がプリントされたエプロン姿で戻ってきた。手には何故かクッキーがどっさり乗った皿がある。
バターの香りがするそれをそっとブリーフィングルームのテーブルに置いた彼は、バッ、とエプロンを脱ぎ捨てた。エプロンの下から出てきたのはソ連兵のカーキ色の軍服……何あれコスプレ?
「俺は別に構わないが……」
「空き部屋もあるし、飯なら食堂車に来ればいつでも出す。まあ自分の家だと思ってゆっくりしていってくれ……ああ、”兵舎”って言った方が良いか?」
「はっはっはっ、ブートキャンプを思い出すなぁ」
パヴェルとそんな話を始めるカルロス。今のは多分素なのだろう。
まあ、彼の実力はよく理解しているし、敵じゃない事もはっきりしている。食料にも燃料にも余裕はあるし、俺としても別に構わないのだが……。
「ああ、それと俺が狙撃手だという事はここにいる3人だけの秘密にしてほしい」
「……わかった」
あくまでも”写真家カルロス”ということで話を合わせろ、という事か。
こうして、俺たちの列車に同行者が1人加わった。
「寂しくなるわね!!!!!!!!!!!!!!」
今の400dBいってたんじゃないだろうか。
パリン、とどこかから窓が割れる音が聞こえてきて、ああまたパヴェルが半ギレになりながら張り替えるやつだ、と思い背筋が冷たくなる。
知ってるか? エゾクロテンってすっごい可愛い動物で、傍から見れば人懐っこい猫みたいな感じに見えるけれど実際はそうじゃないのだ。ドチャクソ獰猛で、冷徹な北海道の捕食者なのである。
しゃもじにはそんなエゾクロテンの習性が反映されているのだろう……愛嬌のある顔とは裏腹に獰猛、バーサーカーである。あと声帯がヤバい。
「しゃもじも、それからおもちも気を付けて。今年の冬は冷えるらしいから」
「ふふっ、私の故郷とどっちが寒いか比べてやるわ」
余裕でこっちだと思うんですが……。
ちなみに本日の気温、-7℃。10月18日の時点でこれである……これから向かうノヴォシア地方は、帝国を構成する3つの地方の中で最も過酷な寒さを誇る氷の大地なのだそうだ。
つまりイライナ地方は寒さだけで言うとよくある四天王の中での最弱ポジションなのである(地理的に南方にあるからほんの少し温暖なだけであるが)。
「ミカたちこそ、ノヴォシア地方は一番寒いって聞いてるわ。氷漬けにならないでね」
「お、おう……」
何度か言ったかもしれないけれど一応言っておく。
ハクビシンの原産地は台湾、中国南部、および東南アジア。温暖な地域の動物なので寒さには弱いのである……それが反映されているのか、ミカエル君は寒がりなのだ。
なのでしばらくはベッドから出られない生活が続くだろう……というのは誇張が過ぎるか。
しゃもじたちはリュハンシクで冬を越し、それから別の地域へと旅立つのだそうだ。だから彼女たちとも一旦ここでお別れ―――いつかまた会える事を信じて、お互い別々の道を行く事になる。
「それと食料品、ありがとう。前も思ったけどこんなにどっさり貰っちゃっていいの?」
「ああ、一緒に戦ってくれたお礼だよ。こんなお礼しかできないけど……」
「ふふっ、ありがとう。助かるわ」
そう言いながら微笑んだしゃもじは、息を吸い込んでからまた叫ぶ。
「まあ7割はおもちの胃袋に消えるでしょうけどね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
たぶん450dB……お願いだからこれ以上モニカ氏のハードルを上げないであげて。
パリン、と列車の窓だけじゃなくホームの連絡通路にある窓も割れた。「なんだ窓が割れたぞ!?」と駅員さんが慌てふためく様子が見え、頼むからもう叫ぶなよと心の中で必死に訴える。
「ミカ、その”やめろ”は”もっとやれ”って意味? 振りなの?」
「いや違う違う違う」
《そろそろ出発するぞ》
無線機から半ギレのパヴェルの声が聞こえてきた。ああ、やっぱりだ……お前コレどーすんのさ。
《7番レンタルホームより、血盟旅団の列車が出発します。冬季封鎖前最後の列車となります。見送りの方は危険ですので、白線の内側までお下がりください。血盟旅団の皆様、旅の安全をお祈りいたします、行ってらっしゃいませ》
駅の方から聞こえた放送。駅員室の方に向かって手を振ると、紺色の制服の上にコートを羽織ったイタチの駅員さんが大きく手を振り返してくれた。
「それじゃ、俺たちはこれで」
「ん、サーロおいしい」
「いつまで食ってるんだコイツは」
「多分品切れになるまでよ」
おもちの胃袋は無限なのか。
困惑している間に、機関車の方から汽笛の重々しい音が聞こえてきた。見張り台に居る駅員が手旗信号を送り、発車許可を出すのが見える。
それを合図に、修理を終えたAA20に牽引された血盟旅団の列車”チェルノボーグ”がゆっくりと動き出した。鈍色の雪雲で埋め尽くされた冬の空、静かに降り注ぐ純白の雪に抗うかのように、濛々と黒煙を吹き上げてゆっくりと加速していく。
相変わらずサーロをパクつくおもちと、大きく手を振って見送ってくれるしゃもじ。彼女たちに負けじと手を振っている間にも、レンタルホームは遥か後方へと去り、やがてカーブの向こうに見えなくなった。
セロたちとも、そしてしゃもじたちともこれでお別れだ。次に会えるのはいつになるのだろうか―――みんな無事に冬を越せればいいけれど。
列車が速度を増していき、客車のドアを閉めた。足元から聞こえるのは車輪がレールに擦れる音。この振動にもすっかり慣れてしまった。
次の停車駅は、イライナ地方を抜け、ノヴォシア地方の最西端に位置する街『マズコフ・ラ・ドヌー』。アラル海に面した沿岸部の街だ。
俺たちはそこで、冬を越す。
来春に訪れる雪解け―――その先に広がっているのは、俺たちにとっての未知の世界だ。
この旅は、まだ続いていく。
カルロスはたぶんRPGでいうところの「途中で一時的に加入する強キャラだけどパーティーメンバーにはならず途中離脱するキャラ」




