戦は去り、夜は明ける
ブローニングM2重機関銃の弾薬が尽きたのと、RPG-7を抱えた敵兵と目が合ったのは同時だった。
ああ、タイミングが悪い―――本当に、勝利の女神というのは気まぐれが過ぎる。こっちに微笑んだかと思いきや、隙あらば相手にも良い顔をする。一貫性がないから俺は嫌いだった。
悪態をつきながらRSh-12をホルスターから引き抜き、敵兵を撃った。ガァンッ、とロシア製の試作大型リボルバーが吼え、シリンダーに装填された12.7×55mm弾―――至近距離において、遮蔽物や相手のボディアーマーを確実に貫通、標的を確実に死に至らしめるために開発された弾丸は、RPG-7を抱え、今まさに引き金を引こうとしていた敵兵の左目を正確に撃ち抜いた。眼球だけは防弾装備に覆われておらず、脳に直結するという人体の構造上、そこに直撃弾をぶち込まれるともう助からない。
左目から血を吹き出し、そのまま後ろへと倒れていく敵兵。しかし既に彼の肩のRPGは発射機後端のノズルからバックブラストの炎を吐き出しており、射出された弾頭もロケットモーターに点火、加速を始めていた。
「RPG!」
機関銃の再装填を断念、咄嗟にBTMP-84-120の砲塔内へと飛び込んでハッチを閉じる。
その1秒後だった。バムッ、と凄まじい衝撃が車体を揺さぶり、身体が激しく揺さぶられたのは。
「きゃあっ!?」
隣で主砲の操作をしていたモニカの短い悲鳴に続き、車長席の前にあるモニターに赤い警告メッセージが表示、ビッ、ビッ、と警報音がせわしなく響き始める。
標準ノヴォシア語のメッセージを見て、俺は顔をしかめた。
よりにもよってRPG、それも対戦車榴弾が命中したのは砲塔後部―――妖怪のぬらりひょんみたく砲塔後部から突き出した部位、弾薬庫だったのである。
警報メッセージはその弾薬庫で火災が発生、自動消火システムが故障したため迅速な消火が困難である旨の内容だった。
「クソが、なんてところに」
「え、何? どうしたの?」
「弾薬庫に喰らった、燃えてるぞ」
「え、それ大丈夫なの!?」
「大丈夫だ、前に説明した通りだ」
西側の戦車には”ブローオフ・パネル”という装備が搭載されている。弾薬庫の上部にボルトなど、意図的に強度が劣るような方法で固定されたパネルで、弾薬庫内部で火災が発生した際に非常に役に立つ装備だ。これで多くの西側諸国の戦車兵が、弾薬の誘爆から救われてきたのである。
火災発生の旨を無線機に告げると、隣にいたモニカと操縦手の席で車両を操っていたクラリスが、腰に下げた容器の中から防毒マスクを取り出した。
弾薬庫内部で火災が発生した際、装薬や砲弾の燃焼で生じた有毒ガスから身を守るための装備品だ。いくら西側の戦車が生存性を重視した設計とはいえ、それを過信するのも危険である。
弾薬庫の温度が凄まじい勢いで上昇していくのがモニターには映っていた。そろそろ逝くな、と思った次の瞬間、ドフンッ、と凄まじい衝撃が後方から突き抜けていき、警報が余計にうるさくなった。
弾薬庫大破、砲弾喪失を告げる警告メッセージ。弾薬庫に満載していた装薬が燃焼、それにつられる形で砲弾が一気に誘爆したのだ。
キーン、と甲高い音が鼓膜の中に張り付いている中、ぐわんぐわんと激しい頭痛を訴えてくる頭に鞭を打ち、モニターの画面をタッチして被害状況を確認する。
被害が生じたのは今のところ弾薬庫と砲塔の旋回システムくらいか。パワーパックへの被害が心配だったが、いくら車体の延長に伴いパワーパックを拡張、高出力化していたとはいえそこまで爆発は及ばなかったらしい。ウクライナ製のディーゼルエンジンは未だにピンピンしていた。
しかしこれで弾薬庫の中の砲弾は使えなくなった。
「モニカ、砲塔の旋回を電動から手動に切り替えろ。自動装填装置も電源オフ、俺が装填する」
「言われなくてもやってる!」
スイッチやレバーを操作し、爆発の影響で損傷した砲塔の旋回システムを電動から手動に切り替えるモニカ。その間に車長の席から立ち上がって身を屈め、足元にある防爆ハッチを解放、中に並んでいる砲弾を引っ張り出し、主砲へと装填していった。
車体の延長による恩恵は、兵員輸送機能の維持だけに留まらない。
パワーパックの拡張による高出力化、そして空いたスペースをそのまま予備の弾薬庫とする事で、メインの弾薬庫が破損した場合でも砲撃をある程度継続できるようにしている。
「いいぞクラリス、突っ走れ!」
『了解!』
ヴゥン、と重々しい唸り声をあげ、黒煙を纏いながらBTMP-84-120が再び目を覚ました。
外から悲鳴が聞こえ、続けて足元から銃やボディアーマー、それから生身の肉体が履帯に轢き潰される痛々しい音が聞こえてくる。仕留めたと思って迂闊に近付いた結果、急発進した車両に轢き殺された……そういうオチだろう。
戦車は急には止まれない、飛び出し注意である。
ドガガガガ、と砲塔上の銃塔が火を噴いた。クラリスがBTMP-84-120を操縦しながら、片手間で銃撃を行っているのだ。遠隔操作式の銃塔には2門の74式車載機関銃が搭載されており、操縦手がそれのコントロールを担当するようになっている。
待ち伏せ(戦車壕でのハルダウン中など)の際に操縦手はやる事がないので、何か戦闘に介入できる武器が欲しい、という要望を受け急遽後付けしたものだ。とはいえ、操縦と機銃の射撃を両立できるほどの操縦手は今のところクラリスだけであるが。
「撃て!」
「発射!」
ドムッ、と120mm滑腔砲が火を噴いた。発射された多目的対戦車榴弾は地面に着弾するや、大破し炎上するT-72を盾にRPGでの反撃を狙っていた歩兵3名を纏めて吹き飛ばした。爆風だけではない、破片や一緒に封入されていたワイヤーも飛び出し、弾丸や斬撃となって周囲の歩兵を容赦なく殺傷していく。
そこに7.62mm機銃の弾幕を捻じ込んでいくクラリス。もう一発やってやるか、と砲弾を引っ張り出していたその時、ガン、ガン、と砲塔の外を何かがよじ登っていく音を俺の耳は捉えていた。
やっぱりか、と砲弾の装填だけを済ませ、ホルスターからRSh-12を引き抜く。
次の瞬間、頭上のハッチが開いた。
ハッチ開放と共に落ちてくる、真っ黒なパイナップルを思わせる手榴弾。戦車を撃破するにはやはり対戦車ミサイルを撃ち込む事が一番だが、こうやって戦車に肉薄し、ハッチを開けて手榴弾を投げ込むという古典的な方法が廃れたわけではない。
視界が狭く、随伴歩兵もいない戦車であればこれも選択肢に入るだろう。
そう思いながら、落下してくる手榴弾をリボルバーで撃った。
12.7×55mm弾に打ち据えられた手榴弾は大きく弾かれ、ハッチのところから再び外に飛び出していった。
まさか今のが防がれるとは思っていなかったのだろう、戦車から飛び降りようとしていた敵兵が驚いたような目でこっちを振り向くと、拳銃(M1911だ。随分息の長い老兵である)を引き抜いて再びハッチの方へと飛びかかってきた。
リボルバーで撃ち殺してやろうと思ったが、その前に敵兵の左手が俺の首を掴んだ。熊か何かの獣人なのだろう、やたらと力が強い。ミカやモニカだったらあっという間に首の骨をへし折られているような、そんな馬鹿力が敵兵にはあった。
腹にリボルバーを押し付け、引き金を引いた。1発、2発、3発。シリンダー内の弾丸を全部叩き込んでやった。
ボディアーマーの隙間に銃口を突き入れて発砲したので、防弾装備云々は関係ない。フェイスガードの隙間から赤い液体が滴り落ちてくるが、それでも敵兵は首を掴む腕から力を抜く気配はない。
『転生者……転生者め……!』
「ちょっとちょっとパヴェル!」
歯を食いしばり、左手を敵兵の胸元へと伸ばした。
そこにぶら下がっていた予備の手榴弾の安全ピンを、思い切り引っこ抜く。
キンッ、と安全ピンが抜け、手榴弾が物言わぬ相棒から獰猛な破壊者へと変貌した事を知った敵兵が、そこになって初めて戸惑いの色を浮かべた。
その隙に両足を敵兵の腹に押し当て、思い切り蹴り飛ばした。明らかに体重が100㎏以上ある熊さんだが、手榴弾に気を取られて力を抜いていた瞬間に蹴り飛ばしたものだから、敵兵はものの見事に車外へとクーリングオフされていく。
その隙に戦車のハッチへと手を伸ばし、ついでに弾薬庫の破損状態をチェックした。
弾薬庫はブローオフ・パネルのあった場所を中心に大きく抉れていて、穿たれた大穴からは微かに炎が見える。中に戻ったら非常用の消火装置を起動しよう―――そう思いながら、ハッチを閉めた。
ガゴンッ、と落下してきた敵兵がハッチにぶち当たる音に続き、ドパンッ、と炸裂する音が響く。閉鎖されたハッチの隙間からぽたぽたと紅い雫が滴り落ち、装着していた防毒マスクのレンズを汚した。
座席に戻り、車長用のモニターから非常消火装置にアクセス。それが無事に起動したのを確認してから、再び砲弾へと手を伸ばす。
殲滅が終わるまで、この戦いは終わらないのだ。
頭上からは星が失せ、暗黒の海は顔を出しつつある太陽の光で紺色に変化しつつあった。
そうなってもなお、微かに瞬く星がある。
そんなに美しい空の下には、ただただ破壊と死の痕跡が広がっていた。
大破した戦車に無数の死体、原形を留めていない死体、積み上げられた死体。中にはそんな死体から千切れてしまった手足や内臓の一部と思われるもの、そして遺体の一部なのか破損した装備の一部なのかも見分けがつかない燃え残りが散乱していて、地獄というのはきっとこんな感じなのかなぁ、と思いながら生存者を探した。
生存者を手当てするためではない、確実にトドメを刺し、楽にしてあげる事―――それが今の俺にできる、彼らのための行為だった。
けれども、どこを見てもみんな死んでいる。7.62mm弾にヘッドショットされたというのはまだ可愛い方で、12.7mm弾の直撃を喰らった死体なんかは、低予算のスプラッター映画の一幕みたく身体がバラバラになって、作り物みたいな死体(現実がチープなのか映画が精巧なのかは議論の余地がある)と化している。
みんな苦しまずに逝ったのだろうかと思ったけれど、T-72の車体の陰には腹が大きく裂け、そこから溢れ出た内臓を必死に腹に押し込もうとした状態のまま事切れている死体があって、胸が痛くなった。
目を見開いたままの彼から、そっとフェイスガードを外した。まだ少し幼さの残る、感じの良さそうな青年だった。
彼は何を失ったのだろう。何のためにここまでやってきて、何のために死んでいったのだろう。そんな赤の他人の物語に想いを馳せ、せめてその眠りが安らかであることを祈りながら、見開かれたままの目をそっと閉じさせ手を合わせた。
赦せ、なんて言っても赦してくれる筈はない。彼はきっと俺たちの事を永遠に恨み続けるだろう。
ならばそれでいい。
彼らの痛みも、悲しみも、全てを受け入れよう。
彼らのやった事は決して許されるものではないが、しかし丁重に葬ってやらなければやらない。せめて最期くらい、ヒトとして死んでもいいだろう。
そう思いながら踵を返そうとしていた俺の耳に、咳き込む苦しそうな声が聞こえてくる。
振り向くと、吹き飛んだT-72の砲塔の残骸に寄り掛かるようにして、1人の年老いた兵士がこっちを睨んでいた。
「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……何様のつもりだ……」
「……」
「殺した相手に……祈って、聖職者気取りか……ガフッ、偽善者め……」
「……偽善でも何でもいい」
彼らのためにできる事をしただけだ―――それはあまりにもちっぽけで、小さな事だったけれど。
その兵士の前まで歩き、ヴェープル12モロトを構えた。ドットサイトのレティクルの前に皺の浮かんだ顔が映り込む。
「何か、言い残す事は?」
短く問うと、老兵はただ一言……呪詛を遺した。
「―――怨みます」
手を震わせながら、老兵は拳銃を握った手を持ち上げる。
最後に一矢、報いようというのだろう。
けれども分かる―――彼に、俺は殺せない。
その銃口が向けられるよりも先に、ぽつり、と老兵の眉間に風穴が開いた。
音も無く振るわれた、一発の弾丸の形をした死神の鎌。どこかに潜んでいるのだろう謎の狙撃手に眉間を撃ち抜き魂を刈り取られた老兵はぐったりと動かなくなる。
「ご主人様」
息絶えた老兵の顔を見下ろしていると、死体の処理をしていたクラリスがやってきた。
「死体の処理を早めに済ませましょう。血の臭いにつられ、魔物がやってきたら厄介ですわ」
「ああ」
瞼が熱くなり、視界が霞む。
我慢していたつもりなのに、耐えられなかった。
これが命を奪う事なのだと―――”殺し”なのだと、それが分かった。
「―――哀しいね、クラリス」
「―――ええ、そうですわね」
紺色の空が、蒼く変わっていく。
地平線の向こうには、いつの間にか朝日が顔を出しつつあった。




