慈悲と無慈悲
作戦開始3時間前
『なあ、しゃもじ』
マガジンに7.62mm弾を押し込んでいくしゃもじに声をかけるよりも先に、彼女のケモミミがピクリと動いた。エゾクロテンの獣人である事が反映されているのだろう、愛嬌のある顔つきの彼女がこちらを振り向き、ぴたりと手を止める。
『なあに?』
『……このAPスラグ弾、喰らったら楽に死ねるのかなって』
今回の戦いで相手の兵士を殺す事はもはや避けがたい。向こうは殺すつもりで襲ってくる筈で、それを殺さずに無力化なんて事は不可能だろう。
仮にできたとしても、彼らは絶対にあきらめない事は想像に難くない。司法により裁かれ出所しても、また同じことを繰り返すだろう―――あるいは復讐心をより一層強め、俺や仲間たちに牙を剥くかもしれないし、周りの人たちに襲い掛かるかもしれない。
パヴェルにも言われた事だが、「中途半端に因縁を残す事ほど危うい事はない」―――それは分かっている。
今回の因縁は、今日ここで、これっきりで終わらせる―――そのために俺はここに来たのだ。
けれども、相手を殺すのであれば苦しむような殺し方はしたくない。やるならば一思いに楽に死なせてやりたいのだ―――敵兵たちへの、せめてもの情けである。
そんな意図を察したのだろう、しゃもじは口元に小さく笑みを作った。
『まあ、楽に死ねるわ。大砲みたいな銃を至近距離で撃ちこまれるんですもの』
『……そうか』
『それが不安なら的確に急所を狙いなさい。一撃で、確実に仕留める―――それが相手のためでもあるわよ』
『……わかった、ありがとう』
ならば頭とか心臓、そういった部位を狙うべきだろうか。
礼を言ってから踵を返そうとすると、しゃもじは「ああ、ちなみに」と言葉を続けた。
『―――”活人剣”という概念は知っているかしら?』
『……いや』
聞いた事はあるが、意味までは分からない。
素直に答えると、しゃもじは装填を終えたマガジンをポーチの中に突っ込んだ。
『まあ、相手を殺す事で救われる多くの命がある―――そういう事よ』
いたるところから銃声が聞こえてくる。
火薬の臭い、血の臭い。銃声に悲鳴、断末魔。
ここが地獄か―――そう思いながら、そっとヴェープル12モロトの安全装置を解除した。
ドットサイト、フォアグリップに加え、マズルアタックを行う事も想定して搭載されたスパイク付きのマズルブレーキが装着されている。マガジンは最初のみ30発入りのドラムマガジン、それ以降は10発入りの通常型マガジンだ。
装填されているのはスラグ弾―――しゃもじが奴らとドルツ諸国で交戦した際の話を元に選定した、3インチ、タングステンコアのAPスラグ弾。通常の散弾のように拡散はせず、大口径の弾丸を1発だけ放つ代物だ。
口径は大きいが空気抵抗もまた大きく、狙撃には適さない。やはり至近距離で相手にぶち込むのが最適解と言っても良く、ショットガンという武器は近距離戦闘用の銃器なのだと殊更意識させられる。
スリングで下げたヴェープル12モロトは、ドラムマガジンを装着している事もあってさながら軽機関銃のようにも見えた。が、それもそのはず、コイツはソ連のRPKをベースに設計されたセミオートマチック式ショットガンである。
ワンチャン敵にこちらの銃の種類を誤認させる事が出来れば、という事も期待し、このセットアップとなった(一番はやはり近距離における火力とその維持である)。
西館のエントランスの方から悲鳴と銃声が聞こえてきた。ドカン、ドカン、と大砲をぶっ放しているような轟音が響くが、あれはおそらくセロのゲパードによる射撃だろう。12.7mm弾を速射できるゲパードは、相手が防弾装備だろうと何だろうとお構いなしにぶち抜いてくる恐ろしい得物である。
そんな彼女を追撃するべく、複数の足音が階段を駆け上がっていった。まあセロを狙うよな、とは思ったが、その中の足音がいくつか、方向を変えこちらに向かってくるのを、ミカエル君のケモミミがばっちりと拾っている。
セロを挟撃するつもりだったのだろう。エントランスから吹き抜けにある階段を駆け上がってセロを真っ直ぐに追う一団と、北側の通路を経由してセロの頭を押さえるグループに分かれて彼女を追うつもりらしい。
案の定、俺のいる通路の向こうにHk416に装着されたライトの光が見えた。真っ白な光が俺の姿を映し出すと、割れた窓から吹き込んできた風が、ミニマムサイズのミカエル君には少しばかり大きなコートの裾を揺らめかせる。
ライトの中で、それはまるで天使の翼のようなシルエットを一瞬だけ形作った。
『あのチビは……』
『ミカエル……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフだ、撃て!』
左右に展開し通路を塞ぎ、HK416のフォアグリップを握っての一斉射撃。確実に殺すためなのだろう、セミオートではなく、アクション映画さながらのフルオート射撃だった。
無数の5.56mm弾が迫り、その弾頭が克明に見える。
ああ、こんなのに撃たれたら死ねるよな―――そう思う一方で、まだ俺の死に場所はここではない、という奇妙な確信があった。
直後、鋭利な杭を思わせる黄土色の弾丸の進路がぐにゃりと曲がった。まるで水滴が、油の表面を滑っていくかのように―――あるいは目の前に不可視の半円状の壁があって、その輪郭をなぞるかのように弾丸が次々に逸れ、周囲の壁や天井、手前の床に弾痕を穿っていく。
目の前にいる兵士は少なくとも6名―――そいつら全員が放った合計180発の5.56mm弾たちは、1発たりとも俺の身体に傷をつける事すら叶わなかった。
『……!?』
『馬鹿な……』
神の奇跡か、と兵士の1人が呟いた。
こいつはきっと、魔術を見た事がないのだろう。
神や精霊、英霊の力の一部を借りて発動するこの世界の魔術は、宗教や信仰心と密接な繋がりがある。その中で俺が信仰しているのはエミリア教―――剣と雷の魔術を武器に、激戦を戦い抜いた女傑エミリアを英霊とする宗派である。
弾切れになったライフルの銃口をそっと下ろし、呆然とする敵兵たち。
赦せ―――そう小さく、呟いた。
ヴェープル12モロトが火を噴いた。ドフドフドフッ、と、アサルトライフルともグレネードランチャーとも違う、重々しい銃声が響き渡り、ドラムマガジンから給弾されたAPスラグ弾が長銃身の中で加速、十分な運動エネルギーを受け取ったそれが、ドットサイトの向こうに見える敵兵の顔面を直撃した。
パッ、と紅い雫にピンクの肉片、それから真っ白な眼球が飛び散った。
12ゲージ―――直径18.4mm、そんな口径の弾丸が顔面を直撃したのだ、無事で済む筈がない。十分な質量と十分な運動エネルギーに防弾装備のフェイスガードはあっさりと屈し、血塗れになった破片を撒き散らすのみだった。
ただの一撃―――まさに大砲の如しである。
どさり、と動かなくなった仲間が崩れ落ち、床に赤い血の海が滲み始める。
周囲に立っていた兵士たちが一斉に拳銃を取り出し、引き金を引き始めた。USPにM1911、ブローニング・ハイパワー……メインアームは統一されているのに、サイドアームにはかなりのばらつきが見られる。そこまで用意する余裕がなかったのか、それともここにいる兵士たちは別々の部署から急遽集められたからなのか。
理由が何であれ、彼らの射撃は何の意味もなさない。
9mm弾だろうと.45ACP弾だろうと、俺の身体に着弾する前に弾道がずれ、逸らされ、周囲の壁や床にめり込んで無駄弾と化すのが関の山だった。
『な、なんで当たらない!?』
それはそうだろうな、と思う。
雷属性魔術―――”磁力防壁”。
その名の通り、魔力を周囲に散布して磁界を形成、強力な磁力を生じて金属製の物体をことごとく逸らす、あるいは引き寄せる事が可能になる魔術だ。
俺の魔力量と適正では不可能だが、理論上では電磁投射砲の真似事も可能であるとされている。
とはいえ、常時展開しているのもなかなかしんどい。額にじわりと汗が滲むが、辛そうな表情は見せてはいけない。ここで飽和攻撃なんてされたら最悪だ―――先に倒れるのはこっちである。
だからそんな付け入る隙を与えず、仕掛けた。
磁界を前面展開し追従、そのままヴェープル12モロトで射撃する。展開している磁界を突破、反発の力を更なる推力に変え弾速を上げたスラグ弾が、拳銃を投げ捨て逃げようとする敵兵の後頭部を直撃。バキュ、と首の骨を容赦なく砕くような音を響かせると、ひしゃげた弾頭部を敵兵の眉間から飛び出させ―――その前を走っていた敵兵のうなじに、深々とめり込んだ。
2人抜きか。
その時だった。逃げる1人の兵士が腰のナイフを抜くや、唐突に反転してこっちに襲い掛かってきたのである。
「!」
こんな奴にいいようにされてたまるか―――そんな怒りが、フェイスガードから覗く両目には滲んでいた。
せめて刺し違えてでも殺す、という強い意志。自分へと向けられた殺意の強さに驚きながらも、しかし心は揺らがない。
咄嗟にヴェープル12モロトの銃口を向けるが、ここでRPKベースの銃身が長いヴェープル12モロトを選択した事が仇になった。敵は既に至近距離まで接近していて、ヴェープル12モロトの銃口を向けるには近いと言わざるを得ない距離にまで肉薄を許していたのである。
スリングに通したヴェープル12モロトから咄嗟に手を放し、腰の特注ホルスターからグロック17Lを引き抜いた。競技用のそれを改修、ブレースとフラッシュマグを装着し、マガジンにはマガジンエクステンションを装備し弾数を43発に増やした拡張マガジンを用意している。
銃口に装着したマズルガードを突きつけるや、そのまま何度も引き金を引いた。
ガンガンガンッ、と軽快にスライドが前後し、9mm弾の空薬莢が宙を舞う。銃声の度に敵兵は目を見開き、防弾装備に身を包んだ身体を何度も揺らした。
9×19mmパラベラム弾では、防弾装備の貫通は期待できない。命中しても貫通はせず、敵兵の殺傷は困難を極める。
しかしあくまでも弾丸の貫通を許さないだけであり、被弾した際の衝撃だけはどうしようもない。
本気で殴りつけているかのような衝撃に苛まれ、敵兵のフェイスガードから覗く両目が苦痛に歪む。ナイフを突き立てるべく肉薄してきた事が逆に仇になったというべきだろう。
叩き込んだ弾丸が6発を数えたところで、敵兵がたまらず怯んだ。よろよろと後ろに下がった隙にピストルカービン化したグロック17Lを頭上に放り投げ、スリングで保持していたヴェープル12モロトを腰だめで撃ち込む。
ドズン、と重々しい銃声と共に放たれた一撃は敵兵の胸元を覆うボディアーマーに大穴を穿つや、そのまま胸骨を砕き、心臓を粉砕した。
目を見開いたまま動かなくなる敵兵を尻目に、落下してくるグロック17Lをキャッチしホルスターに収めながら、逃げた敵兵たちを追った。
残酷なようだが、敵兵を逃がすわけにはいかない。ここで殲滅しなければ、転生者殺したちは再び戦力を再編成して攻勢に打って出るだろう。ここで主力、もしくは精鋭部隊を殲滅し連中を再起不能に追い込む事こそが、俺たち血盟旅団の作戦目標と言っていい。
時間停止も併用しながら追いかけた。
この先には階段があり、本館へと続く連絡通路と従業員エリアへの扉がある。従業員エリアの奥には裏口があるから、おそらくは逃げるとすればそこであろう。
手摺を乗り越え、そのまま大きくジャンプしてショートカット。
案の定、連中は従業員エリアから逃げるつもりのようだった。携行していた小型斧で錠前を叩き壊そうとする彼らの背中にヴェープル12モロトを向けるミカエル君だったが、しかし次の瞬間にとんでもない事が起きた。
ゴッ、と従業員エリアとホテル内を隔てる木製の壁の向こう側から、真っ黒な手斧が扉の木材をぶち破り、その武骨で鋭利な刀身を覗かせたのである。
逃げようとしていた敵兵2名が声にならない悲鳴を上げた。というより、恐怖に限界まで侵食された本能が声帯から絞り出させている”鳴き声”とでも形容するべきだろうか。声、と呼べるほど立派なものではなく、もっと原始的なものだ。
ゆっくりと扉の向こうへ引き抜かれていく手斧
やがて、その一撃が穿った穴の向こうから―――愛嬌に満ちたエゾクロテンの少女が、両目を爛々と輝かせ、口元に獰猛な笑みを浮かべて顔を覗かせる。
叫びながらホルスターから拳銃を引き抜く敵兵たちだったが、しかし先ほどの俺との戦闘で弾丸を使い果たしたそれは、無情にもホールドオープン―――スライドを後端まで後退させたまま、凍り付いたように動かなくなっていた。
カチカチと、引き金を引く虚しい音だけが響き渡る。
廃ホテルと化したホテル・リュハンシクの一角で火柱が上がったのと、2名の兵士が消し炭になったのはその直後だった。
シャイニングのアレ




